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■特集テーマ 1
  楽しい学校生活〜子ども・先生の遊び、ユーモア


今、なぜ楽しい学校なのか

        奥田 靖二(東京・保育園理事長 元京都府、東京・八王子小学校教諭)
 

はじめに――楽しくなければ学校じゃない――

 山田洋二監督の映画「学校」シリーズのキャッチフレーズの中に「子どもたちにとっても、教師たちにとっても学校は楽しいところであってはならないのだろうか」という旨の文章がありました。それは「楽しくなければ学校じゃないのでは・・・」という呼びかけであり、学校の存在理由の大切なファクターへの提言だったと思います。

 私自身も京都教育大学で児童文化研究会で活動し、ずっと「学校は楽しい所」とメッセージを発信し続けてきました。また、長い小学校教師生活の中でも、大学で学んだ歌やゲーム、人形劇、紙芝居などをベースに子どもの遊び指導の実践者のひとりでした。

 明治から昭和初期にかけて奈良師範学校付属小学校の女教師であった池田小菊は、

「教育とは、巳に成長の止まった教師と、成長性の旺盛な子どもとの交渉ではありません。互いに燃えるような成長の中途にある大人と子どもとが、ぐるになって生活を喜ぶ、そこにだけ教育があります」

と言い、学校は教師と子どもたちが共に喜びあう(つまり楽しく)生活の中にこそ教育があると教育の源点ともいえる指摘をしています。このことを私も教師として座右の銘としてきました。


現代の学校は楽しいか

 おそらく現代の学校は、子どもたちにとっても、とりわけ教師たちにとっても楽しい所として機能しているとは思えません。

 毎朝スキップをふみながら登校できる学校となっているでしょうか。教師にとっても月曜は学校へ向かう足どりは軽いでしょうか。

 そうでないとすれば、一日の大半をすごす所での学習という共同作業も胸はずむものとはならず、いわゆる教育効果もあがらず、教師をも疲労感をつのらせる所になってしまいます。むしろ、学校は、子どもたちにも、教師たちにもやる気を起こさせないシステムや指導を年々強めているのではないかと思えるほどです。それは大阪市長のように自ら乱暴に教育に口をはさみ「教育は二万パーセント強制と競争だ」などの暴言をはいていることにもあらわれています。このような教育の統制や教育支配とまでいえる強権を発動までして学校を楽しい所などにはしない力が働いているのでしょうか。


「学校崩壊」の原因は?

 子どもたちの荒れが全国の学校に至るまで日常的なものになり、「学級崩壊」や「いじめ」などという言葉が流行語となった折「プロ教師」を自認する河上亮一氏らによる「学校崩壊」と題する本まで出されたことがあります。

 中学校の教師である著者は、「学校が楽しい所であり得るはずがない」ことを前提にして、むしろ学校を「戦場」にたとえ、「生徒は敵だ」とさえ書きました。

 これでは、元から学校を楽しい所とか、子どもに寄りそってなどは、むしろ生徒たちを甘やかせる教育だと断じているのと同じです。

 かつて同僚だった教師は、「こんどの子ども達は最低だ。教師にもこういう子は担任できませんという拒否権がほしいね」などとボヤきながら「だいたいどの子もよくしようというのは間違いだ。世の中頭のいいのと悪いのがいてバランスがとれている」とまで言って、どの子も成長させるゆきとどいた教育など眼中になく、日ごろの教育実践も学級づくりもひどいものだった。

 これらの根底には、当時の文部省傘下の教育審議会などに属する学者・「文化人」たちが、すべての子どもたちの発達を否定して、およそ三%くらいのエリート層を育てて社会の指導者とし、後は、黙って働く労働者を育てればよいとした教育政策の浸透によるものだったと思います。教育することに情熱を持たぬ教師にとって、この方針のもと教えるのが楽だったからでしょう。

まさに別の同僚のように、「私は子どもたちがどうなろうと給料さえもらえればよい」

と、飲みながら言う教師さえ生んだわけです。

 これは、高齢者医療には「枯木に水をやるようなもの」と公言した当時の政権党政治家と重なるところがあります。つまり、頭の悪い子に金も労力もそそぐことはないというわけです。橋下大阪市長が私立高の生徒の「私学への助成金を増やして」と要請したことに対し、「どうして、君たちは金のかからない公立へ行かなかったのか」と、にべもなく答えたこととも共通します。弱肉強食社会の肯定であり、先の「教育は強制・統制」発言の裏づけとなる言動です。


最も効果のあがる教育法は・・・。

 子どもたちを強制的に学ばせ、競争させても、教育効果が上がらないことは自明の理です。むしろ「おちこぼし」をつくることが目的のような教育行政のすすめ方からすればそれでもよいのかもしれませんが、子どもたちの大半は救われません。親もそんなことを望んでいないにもかかわらず、つい我が子の尻をたたいて、おちこぼれグループに入ってしまわないようやっ気となります。システム上無理なのに「我が子だけは」の思いから大金もかけて塾通いもさせ、いわゆる有名校や国立大学へ行かせようとします。それも子どもの幸せを願う親心から出たものですが、はたしてそうして「成功」した子どもたちも幸せが保障されるでしょうか。現代はこうしたエリート層にとっても社会はより過酷なものになり、定年までの「エスカレーター人生」は途中で止まったり「ここで降りてください」という非情な人生さえ用意される社会になってきています。

 いわんや、大半のこのエスカレーターに乗れなかった若者にとっても、いっそう大変な青春時代やまともに結婚も、子育てもできない社会に大量に放りこまれています。

 さて、こうした現実に抗して真に子どもたち・生徒たちが学力をつけ、教育効果があがる教育法はあるのでしょうか。


ペスタロッチの言葉

 すでに二百五十年も前に、フランスの思想家ジャン・ジャック・ルソーは当時の子弟教育(公教育は確立していなかった)について「不確実な未来のために、現在を犠牲にする残酷な教育をどう考えたらいいのか。・・・たえがたい束縛を受け、徒刑囚のように、たえず苦しい勉強をさせられ、しかも、その苦労がいつか有益になるという保証もない」(「エミール」今野一雄訳より)

と、まるで今の日本の現状にぴったり当てはまるような教育の状況を述べています。

 そうした中で、同時代の今では教育の父とも言われるペスタロッチは、「子どもたちを、愛情と信頼によって育てよう。これは私が確信をもっているもっとも大切な、そして効果のある教育の方法だ」と、述べています。

 現代の教育は、このペスタロッチ方式でなく、ルソーが批判した教育法で、効果のあがらぬことにキューキュー努力を子どもたちも教師たちも強いられているといえるでしょう。

 現代でも、「つまずいたっていいじゃないか。にんげんだもの」(相田みつを)のようなやさしい視点で子どもを見つめ「美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知のものにふれたときの感激、思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などのさまざまなかたちの感情がひとたびよびさまされると、次にはその対象となるものについてもっと知りたいと思うようになります。そのようにして見つけ出した知識はしっかりと身につきます」(「センス・オブ・ワンダー」レイチェル・カーソン)と、ゆっくりこどもたちにたしかな知識を育てる教育が現代ではますますおろそかにされています。同著の中にあるように、「知ることは、感じることの半分も重要でないと固く信じています」との意味の大切さを現代の教師たちは学ぶべきではないでしょうか。

 つまずきもまた大事にされ、「教室はまちがうところだ・・・」と子どもたちを励まし、「昨日より今日、今日より明日分かる」ことの増えていく学びに喜びあう教室こそ現代の教室にのぞまれます。


楽しい学校とは・・・

 東京の夜間中学校の展覧会を観たとき、こんな詩をみました。作者は中学生とはいえもう人の子の親の年代に当たります。

学校は楽しいねえ
えんぴつなんかもったことなかったよ
学校はたのしいねえ
ゆめのようだ。 字を書くのがうれしい
きゅうしょくもおいしい
えでも うたでも さんすうでもたのしい
(中略)
まえは めがあいていても みえないのと同じだった
(中略)
ひとりで電車にのれるし こどものところへもひとりでいける
それがうれしい
(後略)

 この詩の中に「学び」とは何か、「学校とはどういうところであらねばならないか」が滲み出ていると思います。

 楽しい学校という屋根を支える三本柱は、

一. 学ぶことが楽しい。 二.友だちが楽しい。  三.先生が楽しい。

 だろうと思います。

 私たちはこの要素の一本の柱をより太く、たくましいものにして日々子どもたちと喜びを共有し、ぐるになって生活を喜びあえるような教育に、学級にしたいものです。学校は教師にとっても楽しい所として生き生き機能する所でありたいし、それに向けての学びこそ教師の喜びとしたいものです。

参考資料

「学級遊びの教科書」(表紙写真)
「学級の遊び・ゲームワンダーランド」
「まるごと小学校○年生学級担任BOOK」(全六巻)
「遊びの便利帳」
以上奥田著(いかだ社)
「エミール」ジャン・ジャック・ルソー
「センス・オブ・ワンダー」レイチェル・カーソン

〈著者紹介〉

京都市左京区出身、1967年京都教育大美術学科卒、北桑・山国小(現京北第2小)で地域に生きる青年教師。その後、東京八王子の小学校教師に転勤。退職後は子どもの文化研究所長、保育園理事長、高尾山の環境保全活動、神主など多彩な分野で活躍中。

 
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