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■平和教育33

非戦文学の系譜
〜職場における「9条の会」のとりくみ〜


        前川幸士(京都市立伏見工業高校分会)
    「ひろば 京都の教育」171号では、本文の他に写真が掲載されていますが、本ホームページではすべて割愛しています。くわしくは、「ひろば 京都の教育」171号をごらんください。
 

学習会や集会で

 今から約三年前、憲法9条を守るために各職場や地域で「9条の会」が相次いで結成されました。その後、情勢の変化によって改憲の話題はやや下火になりましたが、平和運動の重要性については何らかわるところはありません。「伏工9条の会」も、二〇〇九年三月末に学習会、十月に集会を持って発足しました。

 学習会では、当時本校におられた社会科の先生がマグナカルタから憲法の歴史を掘り起こしてお話くださいました。私も、憲法と平和について、税を切り口として話をさせていただきました。日本国憲法では、納税の義務を定めた第三〇条と租税法律主義を定めた第八四条を中心に、税の在り方や納税者の権利に対して重要な法原則を提示していますが、現行の日本の租税体系は必ずしも最高法規である日本国憲法に則ったものではありません。先ず、そのことを指摘し、納税者の立場から納税者の権利として平和を希求する必要があることを訴え、軍事費に相当する分の納税を拒否する「良心的納税拒否」についても考えました。また、税の歴史的変遷をたどると、そこには戦争が大きく関連していることが判ります。戦争のために莫大な費用が必要となり、租税体系を改変し課税の形態を変化させてまでも、戦費を調達しなければならなくなるのです。しかも、戦後にもその税負担は継続されます。税の歴史は、そのまま戦時課税の歴史であります。戦争を回避し、平和を維持するためには、その戦争の歴史過程の変遷をたどることが必要であり、それには税が重要な切り口となることを話し合いました。

 また、集会というのは、いわゆる宴会ですが、その前に、ベトナムの特別支援教育に関する私の報告を配らせていただきました。海外における障害児教育というと、デンマークやスウェーデンなど福祉先進国がよく話題になりますが、実は途上国で生活する障害のある子どもの割合の方が多いのが現状です。ベトナムでは、ベトナム戦争時に散布された枯葉剤に含まれていたダイオキシンの影響で、現在も苦しめられている人たち、重い障害を負って生まれてきた子どもたちがいます。戦争が終わっても、彼らの人たちの苦しみは終わっていないし、そればかりか、将来その子や孫にまで汚染が影響しています。その状況と、そこで行われている特別支援教育について調べたことを報告しました。


○ 文学作品から平和を考える『非戦の系譜』

 今後も、私たちの生活の基盤となる平和について日々考えていくためにも継続的な運動は必要です。憲法9条に象徴される日本の平和思想は、戦後GHQによって押し付けられたものではありません。数年前、山室信一氏の『憲法9条の思想水脈』が話題になりましたが、この本に書かれているように、日本の非戦思想は古来のものです。世界的にみても、争いや戦争が生まれたと同時に、非戦の考え方も生まれたものと考えることができます。このことは、文化の総体といわれる文学に表出しています。

 そこで、不定期ではありますが、『非戦の系譜』と題して、非戦・反戦・平和を扱った文学作品を取り上げ紹介するという企画を考えました。紹介するというのは、ある文学作品を取り上げ、ちょっとした書評のような文章をだいたい四千字程度でまとめて、B4を二つ折りにして四ページという体裁で、職場の仲間に配るというそれだけのことです。

 問題提起とまでは、いかなくても、話題提供くらいにはなるだろうと考えております。多忙な仕事が続く毎日、同じ職場であってもなかなか集まることはできません。しかし、このような書評を配るだけなら、継続することができます。そして、時間のある時に読んで、話をする場ができればいいなと思って始めました。

 まず、最初に、夏目漱石の「趣味の遺伝」を取り上げ、続いて、芥川龍之介の「将軍」、泉鏡花の「海城発電」、続いてこのテーマでは定番である大岡昇平の「野火」を取り上げました。さらに、賀川豊彦の「空中制服」、田中小実昌の初期の作品、井伏鱒二「黒い雨」、を取り上げました。昨年の四月以降、だいたい週一回のペースで発行しており、一年以上続いております。今年度いっぱいは続けて、百号くらいまでは続けられたらいいなと思っています。

 ここで、取り上げる文学作品の選別にあたっては、先ず、日本が侵略者となった、あるいは非戦闘員である日本の国民が犠牲となった第二次大戦に偏らないように配慮しようと思いました。先述の通り、非戦の思想は、人間が社会を形成し、そこに争いが生じると同時に起こった後悔の思いや、惻隠の情が発展し結集したものです。私たちは、戦争というと、第二次大戦を真っ先に思い浮かべてしまいがちですが、それ以前にも戦争はあり、他の国々にも戦争はあり、そして、そのそれぞれで非戦の思想が生まれたはずです。また、中には反戦のための運動へと発展したものもあるかもしれません。

 そこで、先ず、日本近代文学の出発点である夏目漱石を選び、その非戦の思想が現れた「趣味の遺伝」を取り上げました。最初に取り上げる作品としては、やや難解であり、主題の見え難いものであり、結果的には不適切であったように感じています。一般的に好まれるような作品でもありませんでした。次に取り上げたのが、芥川龍之介の「将軍」です。ここでは、乃木希典と思しきN将軍が皮肉な手法で描かれています。夏目漱石も芥川龍之介も日本近代文学を代表する作家であり、このような場で取り上げることに問題はないのですが、取り上げた作品は必ずしも一般的なものであるとはいえませんでした。ただ、この二人のような有名な作家も非戦思想を有しており、それを文学作品に著しているのだということはアピールできたのではないかと考えています。

 その次には、泉鏡花の「海城発電」を取り上げました。戦争中で「愛国心」とは何かを問うた作品です。ロマン主義的な傾向の強い泉鏡花には珍しい作品で、第二次大戦中は全集にも収録されなかったといいます。ここまで、日露戦争を扱った作品を取り上げ、ようやく四回目にして、非戦文学の定番ともいえる大岡昇平の『野火』を取り上げました。ただ、ここでも大岡昇平と中原中也の関係を論じるなど、自分なりの特色を色濃く出してしまいました。また、五回目は賀川豊彦の『空中制服』を取り上げました。生協の創始者でもある賀川豊彦のこの作品は、火星人とも協同組合を結成して平和と友好の関係をつくろうという奇抜な発想を表現したものです。このように、取り上げた作品を並べてみると、どこにでもあるような反戦文学の紹介にしたくなかったという側面が大きく出ているかもしれません。

 その後も、井伏鱒二の『黒い雨』、永井荷風の『断腸亭日乗』、太宰治の「たずねびと」など、戦時下で犠牲を強いられる庶民を描いた作品、川端康成の『山の音』のように戦後の復員兵を描いた作品、さらには山之口獏の「鮪に鰯」、与謝野晶子の「君死にたもうこと勿れ」、石垣りんの「崖」、武田泰淳の「北京の輩に寄するの詩」といった詩作品も取り上げています。また、戦時下の日記として、『石垣綾子日記』や『アンネの日記』、竹中郁や高見順の日記を取り上げました。この他にも大佛次郎や海野十三、山田風太郎といった人々の戦時中の日記は、書籍として刊行されていますので、今後はこれらの作品も取り上げてみようと準備しております。他では、今西裕行の「一つの花」、あまんきみこの「ちいちゃんのかげおくり」といった小学校教科書にも採られている作品も取り上げました。

 また、厳密な意味では戦争ではなくテロと呼称するべきかもしれませんが、9・11を扱った作品についても取り上げました。リービ英雄の『千々にくだけて』、山田詠美の『PAYDAY!!!』などです。栗木京子や米川千嘉子の短歌には、9・11とその後のアフガニスタン攻撃を批判的に詠んだ作品があり、それらを取り上げたこともあります。短歌では、小林幸子のアウシュビッツを詠んだ歌、佐伯裕子の祖父と東京裁判を詠んだ歌も取り上げました。珍しいところでは、岡部伊都子の『二十七度線』、駒田信二の『私の中国捕虜体験』PFドラッカー『マネジメント』といった作品も取り上げました。『マネジメント』は、一時期、非常に流行しましたが、実はこの作品はユダヤ系である作者の反ナチスの思想、ファシズム批判に端を発したものです。

 『万葉集』の防人の歌、第二次大戦中の軍事郵便についても取り上げましたし、最近では、漢詩も取り上げています。中国古典である漢詩には戦争を扱ったものが多くありますが、その多くが戦闘の悲惨さ、戦時下の民衆の苦しさを詠んだものです。杜甫、李白、白楽天といった人々の作品を取り上げることで、非戦の思想が古代中国にもあって、それが現在の日本人の思想、文化形成の根源になっていることを示したいと考えたからです。

 ここまで来ると、個人編集による「世界文学全集」のミニチュアかと思えるようになってきました。そのような折に、昨年、集英社から『戦争×文学』全二〇巻が刊行されました。ここには近代の始まりから、9・11まで、戦争に関連した作品が集められています。この全集の発刊は、この私たちの取り組みが方向として間違っていなかったことを示すものではないかなどと、自分で勝手に思い込んでおります。


○ できることから

 このとりくみも、二年を越え、ある程度、定着してきたように思います。次は、この非戦文学の紹介を続けながら、育成支援についても同様のものを作ってみようと考えています。大江健三郎や水上勉の作品には障害をテーマにした作品が多くありますが、これらの作品を紹介することで、育成支援の目的意識の共有がはかれるのではないかと考えています。

 教職員の間ばかりではなく、教師であれば生徒に対する働きかけ、平和教育の方面でも努力しなければならないと思っています。私自身は国語教師ですから、平和を訴えるような内容の教材があれば、努めてそれを授業でも取り上げていこうと考えています。昨年の秋には、本校の平和教育として渡部陽一氏による講演が行われ、生徒たちの意識も反戦・非戦に向いていると思います。この機会に、生徒向けの平和教育にも努めたいと考えています。

 最近、この作品を取り上げてくれというようなリクエストもあり、また他にもいろいろと要望があがるようになってきました。この作品を取り上げてくれといわれても、それを読んでいないと、先ず読むところから始めないとならないため少々大変です。しかし、拡大することは、内容の深化を妨げるものではありませんので、可能な限り要望に沿うよう努力したいと思っています。また、要望としては、海外の作品も取り上げてみてはどうか、湾岸戦争や9・11テロについても取り上げてみてはどうか、などというものもありました。こちらの方は、要望に応えていくつか取り上げてみたことは、前述の通りです。

 日々の生活の中で、生活の基盤となる平和について考えることは重要なことです。しかし、忙しい日々の学校業務の中で、定期的に集会を持つのはかなり労力を要することです。しかし、このような取り組みであれば、比較的持続可能なことではないでしょうか。できることから、進めていくことが大切だと考えています。地道な取り組みかも知れませんが、何かの参考になればと、ここに紹介させていただきます。 

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