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■特集テーマ 2

 青年期の学びと生き方

総論
青年期の学びと生き方−学びや体験を意味付ける


             立命館大学 春日井敏之

 

現代社会と青年期の変化

 青年期は、広義には、中学生から高校生、大学生までを含む幅広い時期を指します。どのような形で「自己の解体・再編」を図り、「学びと生き方」を統合させながら「社会参加」を志向するのかが課題となってきます。男女としての自己の受容、親からの精神的・経済的自立、職業能力の形成と進路選択、市民としての政治能力や社会常識の獲得などが発達課題となる時期です(1)。

 しかし、高校や大学卒業後の就職、結婚、出産、子育ては、希望をもちながらも、実際には、青年に共通するライフコースではなくなりつつあります。特に、1990年代後半以降の非正規雇用層の増加は、青年期を経て社会参加を志向する青年にとって、将来展望どころか現実の生活展望すらもちにくい状況となっています。これに、大学院進学などが加わり、社会参加を果たすことによって成人期に移行する青年期は、10代、20代前半から20代後半以降にまで拡大していると見ることができます。

新入生に強調していること

 2011年の文部科学省「学校基本調査(速報)」によれば、2010年の高等学校卒業者100万余名に対して、大学等進学率は54.4%、専修学校進学率は16.0%、就職率は15.9%と報告されています。未定・その他である13.7%も看過できない現実です。

 私は、毎年大学で新入生を迎えたときに、次のことを強調して伝えています。「みなさんは、比較的恵まれた環境と自身の努力によって大学に入学し、こうして出会うことができました。しかし、大学に進学できているのは、同じ世代の約50%余りです。だからこそ、みなさんには、大学での学びを自分自身と同時に、大学に進学しないで働いて社会を支えている同世代の仲間や自分につながる社会、世界の人々のために生かしていってほしいと期待しています。自分が努力して学び得たものを、自分のためだけに使うのは、もったいなさ過ぎます。学ぶことによって、人間や社会をより深くとらえ、そこに潜む様々な課題を見つけ、その課題に取り組んでいってください。それを形にして、本当に伝えたい人に伝えていくことが、卒業論文や卒業研究になっていくのです」。

学生の普遍的な願いと期待

 立命館大学の学生自治組織である学友会が、新入生を対象に行っているアンケートを見ると、「大学でやりたいこと、望むことは何ですか」という問いに対して、2008年度の結果は、@学部専門の学び(26.1%)、A幅広い学び(23.9%)、B自分の生き方を考える(17.6%)、C人との出会い(13.5%)といった結果が出ています(2)。経年比較によっても、この上位4項目には大きな変化は見られません。

 ここに、学生が大学生活に求めている普遍的な願いと期待があります。学生たちが、総合大学の強みを生かした幅広い教養分野と深い専門分野の学びへの期待をもって入学したことがうかがえます。と同時に、それが正課や課外も含めた教員・職員や友人との出会いのなかで深まっていくことを期待し、「学んだ知見、学び方、生かし方」にこだわりながら、自分の生き方につなげていくことを真剣に考えている姿も浮かんできます。ここには、私たちの学生時代と大きくは変わらない青年期の発達・成長の課題に、時代を超えて真摯に向き合う現代の学生の姿があります。しかし、現代社会の青年の抱える生きづらさは、就職難、非正規雇用層の増加といった社会的・構造的な出口の狭さと同時に、その不安や葛藤を共有できずに自分を責めながら青年が孤立感を深めている点にあります。

青年の気づかいとつながりの実感

 青年の気づかいは、友人に対する親密圏と他者に対する公共圏では、逆転現象を起こしているように見えます。この背景には、一つには、友人への過剰な気づかいというよりも、「自分が傷つきたくない」という自己防衛があります。二つには、「人に迷惑をかけてはいけない」という、相手に負担のかかるかかわりへの躊躇があります。特に1990年代以降の「構造改革・教育改革」路線のなかで、教育現場では「比較と競争」に拍車がかかり、「個性尊重・自己選択・自己責任」が強調されていきました。

 困ったときはお互い様ではなくて、困ったときは自己責任として個人が課題を背負い込み、自分を責めながら孤立を深めていく傾向が強まっていきました。こうした葛藤を抱えながら孤立を深めるほどに、誰かに聴いてほしい、わかってほしいという願いも強くなり、親和性の高いネットの世界に依存傾向を強める青年もいます。

 しかし、大学における小集団のゼミ活動やサークル活動、アルバイトといった大学内外に居場所を得て、つながっていく学生もたくさんいます。「スキンシップを含めた身体的なかかわり」(乳幼児期)、「遊ぶことと働くことを通したかかわり」(学童期)、「負の感情・体験、葛藤が出せるかかわり」(思春期・青年期)、「聴く、聴いてもらうというかかわり」(思春期・青年期)などを通して、自分と出会い直し他者とつながっていくのです。これは、今までの人間関係における発達課題の積み残しなどを含めて重層的な構造をもち、他者とのかかわりのなかで、つながりの実感を伴って自己回復、自己形成していく人間的な営みともいえます。

社会的自立−社会とつながって自分を生きる

 「社会的自立」を支援することが、教育や子育てのなかで課題とされてきましたが、高校や大学卒業を迎えた青年たちにとっては直面する現実的なテーマであり、青年期から成人期の課題としても引き継がれます。具体的には、経済的自立、精神的自立、性的自立、居場所の獲得、社会的役割、政治参加、シチズンシップ、ライフスキル、多文化共生といった視点から内容が論じられてきました。しかし、これはある到達した状態をさすのではなく、社会とつながって自分を生きるプロセスであり、人は誰もがその道の途上にあると言えるのではないでしょうか。

 社会とつながって自分を生きるということは、社会的自立の重要な柱と言えます。この時、一つには、社会や他者とつながって生きる力、二つには、人生の主人公となる自己形成が課題となってきます。私が最近の学生たちに対して、希望したところに就職することを人生の目的にして汲々として自分を責めたりしないで、「仕事は手段、目的は人生」と強調している意味も、この点にあります。したがって、高校や大学教育で大切なことは、青年たちが、様々な学びや体験の数をこなすことに追われるのではなく、自分なりのこだわりの学びや体験を自分の人生のなかに意味づけ、自分の言葉にして他者に伝えながら、他者や社会とつながっていくことにあります。高校や大学には、それを支援するような取り組みを正課・課外を超えて工夫していくことが求められているのです。

学びや体験の意味付けをしていくこと

 学びや体験の意味付けをしていくことには、三つの意味があります。一つには、自分の学びや体験を自分の生活や人生に意味付けていくことです。二つには、学びや体験を通した他者との出会いを、自分の生活や人生に意味付けていくことです。三つには、学びや体験を通して出会った他者が、その生活や人生のなかに、自分の存在や出会いを意味付けてくれることです。私は、こうした相互関係によって、お互いの存在がお互いにとって意味があり励みになる関係が生まれ、人生の土台が膨らみ、幹の太い人間が育っていくと考えています。

 アイデンティティ(自己同一性)は、自己意識と他者承認の統合として論じられてきました(3)。このときの他者承認は、他者が自分を評価し認めてくれることに留まるのではなく、他者が、その人生のなかに自分との出会いや存在を意味付けてくれることによってより深まります。他者が自分のことを他者の人生に意味づけてくれていることを知ることは、自分が存在することの意味を他者とのかかわりのなかで深め、自己意識にも反映されていくのです。

進路・就職−「決められない、わからない」というゆらぎ

 私は、就職活動の早期化が異常に進行し、苦労しているゼミ生や講義の受講生たちに向かって、意識的に次のようなことを話しています。「どう生きるかという幹があれば、どこに行っても通用する」「やりたいことは、仕事以外でもできる。好きなことを大切にして、こだわって生きろ。そしたら生活世界が二倍に広がる」「第一希望がすべて叶う人生などないし、叶わないことはあなただけのせいではない。だから、ダメなあなたはダメじゃない」「職業適性は、診断テストでは計れない。職場環境、人間関係、与えられた仕事を通して育っていくもの。だから、ご縁のあったところを居場所にして、一度根を張ってみろ」などと。

 キャリア形成は、広義には「職業意識の形成、職業能力の形成、人間形成」という3つの内容を含んだ生き方の形成ですが、自分が何に向いているのか、何がしたいのか「決められない、わからない」という反応は、高校生や大学生を含めて青年の多くが抱えるゆらぎです。しかし、青年の多くが抱えるこうしたゆらぎは、親や学校が敷いたレールを相対化し、自分の人生を自分のレールを引いて創造していきたいと願うときに、当たり前に起こることではないでしょうか。逆に今まで、「何のために働き、生きるのか」「何が本当にしたいことなのか」などについて、じっくりと家族や先生や友人と問い合うことがなかった現状を反映した姿でもあるのではないでしょうか(4)。

なりたい自分になるために−なりたい自分も変わる

 実際青年たちの親を含めて、社会で働いている勤労者のなかで、好きなことを仕事にして生活できている人々、第一希望を叶えて首尾よく行っている人々は、どのくらいいるのでしょうか。親も含めて、生活のために仕事を選んではいられない、子どもを育て教育を受けさせるために働かざるをえないといった状況は多く見られます。希望をもっていてもなかなか叶わずに、たまたまご縁のあったところで頑張ることもあります。そこが結構合っていたり、たとえ合わなかったとしても、別に自分が好きなことをもって、こだわって生活している人々も少なくありません。たとえば音楽やダンスが好きで、仕事以外の世界で社会や友人とつながっている若者も少なくありません。

 「なりたい自分になるために」と言いますが、やりたいことを仕事にして、生活も成り立っているというケースは、むしろまれではないでしょうか。第一希望が全て叶うような人生もあり得ません。大切なことは、人はよりよく生きたいと願うからこそ葛藤を抱え、いろいろな人々の助けも借りながら、人生の挫折や失敗を凌いでいくということです。人生の面白さというのは、その時々に夢や希望を持って努力をするけれども、かなうこともあればかなわないことも多い。しかし、挫折や失敗をしのいで生きるなかに、人としての新たな出会いや成長があるのです。親や先生が、まずできるキャリア教育は、挫折や葛藤に満ちた自分の人生をリアルにわが子、青年に語っていくことではないでしょうか。

【文献】

(1)白井利明『大人へのなりかた−青年心理学の視点から』新日本出版社 2003年
(2)立命館大学教学部作成資料「立命館大学学友会新入生アンケート2006-2008」2009年
(3)児美川孝一郎『若者とアイデンティティ』法政大学出版局 2006年
(4)春日井敏之「若者にとって生きること、学ぶことの意味とつながり−大学が問われていること」大久保史郎・高橋伸彰編『日本は変わるか!?−転換の可能性を探る』法律文化社 2011年

 
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