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■平和教育30 修学旅行はやっぱり「ヒロシマ」 S・K (京都市内小学校) |
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「先生、修学旅行でお楽しみ会をしてもいいですか。」 |
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「先生、修学旅行の夜、ホテルで学級お楽しみ会を開いてもいいですか。」 と、学級のお楽しみ会係から相談があったのは、修学旅行の十一日前。この子達と行く修学旅行が十数回目になるのだが、修学旅行でのお楽しみ会を相談されたのは、初めてだ。 しかし、この相談を受けたとき、実は、私はとてもうれしかった。 |
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山間の夜の闇に響くリコーダー奏(五年生) |
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この学年は、四年生の時に、集団でお菓子を学校に持ってきて食べたり、友達関係で悩んだりした子が多かった学年だった。 そのため、五年生で担任した時から、学級の自治を築くことを目標に、学級作りを進めてきた。その中核は、学年委員(クラス六名)を中心としたリーダーシップとフォローシップを育てることだった。 その是非はともかく、五年生の大きな行事になった長期宿泊。この長期宿泊を、学級作りでの、五年生前期の大きな目標に設定した。その活動の中で子ども達の成長を感じさせてくれるできごとがあった。 「みんなを待っている伏状台杉の前で、群読とリコーダー奏をしよう。」 と、四月からリコーダーの合奏に取り組んできた。二泊のテント泊をした旧八桝小学校でのこと。ランタンの灯の下での、一日を振り返る時間。一つのグループが、伏状台杉の前で演奏する『やさしい風に』の練習を始めた。すると、振り返りを終えたグループが次々と加わり五十人全員でのリコーダー奏が始まった。 一つの音となり山間の夜の闇に響くリコーダーの音は、一つになった五十人の心の声のようだった。 感動的な活動で終えた長期宿泊は、クラスづくりを大きく進めてくれた。行事は、子ども達を大きく成長させてくれるポイントではある。しかし、本当に大切なのは日常であると、子ども達に話し、自分自身に言い聞かせながらクラスづくりを進めてきた。 その延長線上で係から出された、 「先生、修学旅行の夜、ホテルで学級お楽しみ会を開いてもいいですか。」 の相談は、うれしかった。 |
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五年生から始めた「ヒロシマへの旅」 |
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修学旅行は、四月二六・二七日。六年生進級後、修学旅行までは、わずか二週間。十分な事前学習を進めて臨むことはできない。そこで、持ち上がることを願いながら、総合的な学習で「ヒロシマへの旅」を始めた。資料は、『ひろしま』(平和教育研究所)を活用した。 |
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ヒロシマは、子ども達を、教師を、真摯な態度にしてくれる |
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そして、六年生。事前学習を進めていた気付いたことがある。それは、子ども達が真摯に課題に向き合っていることだ。資料を読む、映像資料を観る、調べる。どの時間も子ども達は、真摯に取り組んでいた。それは、「ヒロシマ」が「生きる」ことを深く考えさせてくれるからではないだろうか。真剣な表情で向き合う子ども達を前にした時、教師もまたより真摯な態度になる。「ヒロシマ」は、子ども達を、教師を、真摯な態度にしてくれる。 |
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ヒロシマノート(修学旅行)学習計画(表@) |
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ヒロシマの学習を、表@のように計画した。(表・略) 総合1・2は、総合的な学習の時間での学習内容である。 総合1では、主にアジア太平洋戦争・原爆に係わる学習を計画した。総合2では、修学旅行の目的や日程に係わる学習を計画した。 また、国語の「平和について考える」「パンフレットをつくろう」「短歌をつくろう」など、図工の「絵と短歌で伝えよう」など、教科学習との合科を考えながら計画を立てた。 以後、学習での児童の感想や作品を紹介したい。 |
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時前学習「共通課題 アジア太平洋戦争」より |
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・日本の言うことを何でも聞かすために、植民地をつくろうという考えがおかしい。外国を押さえつける方法に戦争を選んだことも、まちがえている。 ・命が一番大切なのに、それを無視してまで景気を良くしなければならないのだろうか。自国や自分達のことだけを考えて、他国のことを考えなかったから戦争になった。 |
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事前学習「共通課題 原子爆弾の破壊力」より |
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・直接、放射線を受けた人は、ほとんどなくなった。放射線は後い症を引き起こし、周りの人から理解してもらえなかった。つらかったと思う。 ・何千度という熱線。高すぎて恐い。皮ふが焼け、内臓までも障害を起こすなんて想像ができない。こんな熱線を出す原爆を改めて恐いと思った。 |
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時後学習「短歌と絵で伝えよう」より |
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修学旅行で学んだことを、和紙に短歌と絵で表す。 ・人々よ聞こえるだろうか この声が 平和を望む 者達の声が ・千羽鶴 一羽一羽に 希望こめ 平和平和と 胸いっぱいに |
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時後学習「パンフレットをつくろう」より |
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「修学旅行パンフレットを作って五年生にヒロシマを紹介しよう。」と課題を設定した。原爆ドーム・アオギリ・原爆の子の像など平和公園碑めぐりで学んだことの紹介。佐々木貞子さんの折り鶴・真っ黒なお弁当箱・伸ちゃんの三輪車など資料館の見学で学んだことなどが、紹介されていた。 |
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時後学習「意見文を書こう」より |
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ヒロシマで学んだことをもとに、「平和を築くために」をテーマに、意見文を書く。この意見文をもとにスピーチ原稿を作り、日曜参観で保護者の方々を前にスピーチをする。これが、「ヒロシマへの旅」の最後の学習となる。 ・(略)被爆した長尾さんにお話をうかがいまし た。私は、おどろきました。手の皮ふがめくれて垂れたということ。足の皮ふもめくれて垂れ、骨が見えたということ。私は、長尾さんのお話を聞き、原爆が本当におそろしくなりました。想像するだけでも痛いのに、この信じられないことが実際に起きるのが、戦争であり原子爆弾なのです。 みなさんに、原子爆弾によって多くの人々の命がなくなったことや、今も苦しんでいる被爆者の気持ちが伝わったでしょうか。一発の原子爆弾によって幸せを奪われた人々が、今もたくさんいます。私は、学校に行けることが当たり前になっています。が、原子爆弾によって、学校に行けなくなった子ども達がたくさんいました。 だから、この当たり前のことが本当の幸せだと思います。私は、この学習を通してそのことに気付きました。 次は、私が、そして、あなたが平和を築く番です。 スピーチ発表の当日は、全員の保護者の方々に参観していただくことができた。 パンフレットつくりもスピーチ発表も相手意識を持つことはとてもたいせつなことである。 |
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目からうろこの「修学旅行の冊子は作らない」 |
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今回の修学旅行では、冊子を作らなかった。事前学習や事後学習も、日程や持ち物なども、全てクリアファイルに入れていった。冊子を作ることに比べ、できたプリントから指導ができる。学習プリントや成果物が散逸しない。これは、修学旅行に限らず、長期宿泊やみさきの家などでも活用できる。お勧めである。 |
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修学旅行は、やっぱり「ヒロシマ」 |
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「ヒロシマへの旅」の学習では、終始、子ども達が真摯な態度で課題に向き合っていた。これは、ヒロシマが事実であり、今もなお、主張を持って子ども達に語りかけていること。「生きる」ことに向き合わせてくれることなどから生まれるものだと考えられる。 手を変え品を変え、ヒロシマへの修学旅行に圧力がかけ続けられている。しかし、ヒロシマほど子ども達が真摯に課題に向き合える修学旅行はそうそうない。 ヒロシマへの修学旅行を通し、成長する子ども達の姿を保護者に見ていただき、これからも「ヒロシマへの旅」を続けたい。 子ども達から提案されたお楽しみ会は、学級会を経て、「腕相撲大会・トランプ大会・大根引き」に決まった。当日は、大いに盛り上がった。が、盛り上がり過ぎ、障子を破ってしまった。翌日、子ども達の代表と一緒にホテルの方に平謝りをした。 |
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