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特集1 困難を抱える子どもたちに向き合う教育実践 総論 困難を抱える子どもたちに向き合う教育実践の視点 -−荒れ、暴力、非行、いじめ、虐待、不登校、発達障害-− 倉本 頼一(京都橘大・立命館大非常勤講師) |
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1 子どもの心・本音と親 (1)不登校・家庭内暴力の少女の訴え 「私は小学校の時いじめにあっていたので、地元の中学校に行かず、近くの別の中学校に行った。しかし何故か、うわさが伝わったのか、ねらわれ、いじめられた」「持ち物を踏みつけられたり『気持ち悪い』と言われ、無視、仲間はずれにされた。我慢出来ず『学校行きたくない』と言って布団にもぐったりしたが、無理につれて行かれた。いじめがますますひどくなり、泣いて『行きたくない』と訴えた。しかし『なまけている!』『勉強したくないからだろう!』と言われ、登校を強制された。手を引っ張る母親を殴った。無理強いするのであばれたら、ある時は警察を呼ばれもした。『気がちがっている』と、病院につれていかれ入院させられた」「親と離れ、病院で『仲良しょうね』と友達もでき『私は一人じゃない』と落ちつき、何日かして退院した」「母のすすめで馬と出合い、世話をしていると安心できた。フリースクールで、優しい先生、スタッフに迎えられ勉強した」「ある時、部屋にきた父親が、お母さんを責めないで おまえの気持ちをわかってやれなかった オレが悪かったと涙を流した」「今はどんなに親に心配かけたか、考えられるようになった」 これは二〇一〇年八月、埼玉秩父で開かれた「第十五回登校拒否、不登校全国のつどい」に参加した、単位制高校三年生の少女の話です。 いじめで「学校に行きたくない」と訴えても「なまけだ!」と受け入れられず、無理矢理登校させられるのに抵抗して「家庭内暴力」になった少女は「なんで私の気持ちをわかってくれないのだと苦しみ、腹がたちあばれたんです」と、その時の気持ちを参加した不登校の親達に語りました。 (2)暴走族、非行に走った少年 「私は、中学生から暴走族のメンバーに入っていました。学校は、規則規則の上、勉強が出来ないと上から目線で見られ、反発反抗しました。暴走族にあこがれ、その仲間意識、信頼関係があると思って入った。人間関係がほしかった。友達や仲間がほしかったんだと思う。校内では『番長や』と認められた」「しかし暴走族の中ですごす内に、トップに立つ者との人間関係に疑問を持って、色々あったけど離れることができた」 全国教研(和歌山)のフォーラム「子どもの生きづらさ、思いを受けとめよう」の中で、パネラーに立った青年の発言です。受験競争と規則、校則で縛られた学校生活の息苦しさの中で、暴走族の仲間に憧れ非行に走ったというのです。 (3)学校飛び出す中学生、親はどなりこむ 「始業式、J君は寝そべっていた」「ケンカを止めて座らせようと体に触れると、『くそじじい、また首しめやがって』と、学校飛び出す」「父親がやってきて、今にも殴られそうな感じで身を引く」「職場のみんなにヘルプを求める。三人の教師が順番に援助に来てくれる」「両親と話し合い、母親、連続して授業参観続ける。くり返す家庭訪問」「私の受け止め方を変える」「父親とバーベキュー、一杯飲んで語り合う」「大変だったJ君が全校の援助の中で変わっていく」 滋賀県長浜市で開かれた全国生活指導研究協議会(全生研)二十五回大会の「荒れ・暴力の指導と集団づくり」分科会でのレポーターの先生の話です。荒れ暴力で困難を抱えた子どもの指導を、教師集団にヘルプを求め援助と集団的な対応していった報告です。 今日の教育現場の中で、困難を抱える子どもの指導は、同時に、今日の貧困と格差、競争社会におかれている父母の苦悩と深く結びついているのです。 2 困難を抱える子どもたちの苦悩と背景 今日の子どもの困難については「子どもの危機」「気になる子ども」「困った子は困っている子」「子どもの生きづらさ」等とその現状と背景が語られています。 広木克行氏は「手をつなぐ子育て」著書で「子どもたちの生活と不安の質的な変化について、教育相談などを通して聴き取る子どもたちの声から考えてみると、中でも非常によく聞くことに『自分は友だちからどう思われているんだろうか』『自分は普通とは違うんだろうか』という言葉があり、同時に『自分はダメな人間ではないか』『自分は生まれてくる意味がなかったんじゃないか』という言葉があることに気づきます。一方は友だちとの関係が常に一定の緊張関係にあり、気を遣いながらのつき合いになっていることを示していますが、もう一方は自分が親や教師の期待に添えない存在であることを気にし、生きている意味を疑う気持ちに駆られて揺れ動く心境を表していると言えます」(p3) 楠凡之氏は「気になる子ども、気になる保護者」の中で、その背景を 「気になる子ども・・・・その背後にある問題を理解していくために必要な知見を@生活環境の変化による体力低下や神経生理学的未成熟の問題 A発達的な問題 B児童虐待 不適切な養育の問題 C軽度発達障害の問題、という四つの観点から整理しました」と、四つの背後にある問題をあげています。(p9) 最近注目されている「困った子は困っている子」著者の大和久勝氏は、 「私たちは、いつでも、子どもの心に寄り添いながら子どもの苦悩を受けとめようとしてきました。子どもをありのままに受けとめ、共感によって相手との関係を深め、その子への願いを要求に組み立てる」「実践のスタートでまず大事だったのは『困る子』『困った子』として見るのではなく、その子自身が『困っている子』として見るという『子ども観』の転換です」「そこで、そういう子どもたちと『どのように出会い直すか』が、大切になるのです」(p19) この視点の転換は、発達障害の子ども等の指導で悩んでいる現場の教師に大きな教訓を与えました。 雑誌「現代と教育」−「生きづらさ」のなかで希望をつかむ−特集の中で石川県の先生は、「タケルは、できない自分に対して『頑張らねば』という気持ちが働き、自分を責めていた。県営アパートの家の固いコンクリートの壁に頭を思いっきりぶつけ、気持ちが悪くなったからと吐き、何もかも忘れてしまいたいと、布団の中で睡眠をむさぼる生活だった」「彼らは手をつなぐことの楽しさを実感し、そこに苦しさを乗り越える何かがあると感じたのかも知れない。生きづらさの中では押しつぶされる気持ちも、生きづらさを共にする仲間とつながろうとすれば、それは希望に変わる」(p37) と、結んでいます。 現代社会の中で、困難を抱える子ども達は@生活環境の激変と発達上未成熟な育ちから来る問題 A児童虐待、養育上の弱さからの問題 B不登校、登校拒否、引きこもりの子 C攻撃的な子のいじめ、いじめられる子の問題 D非行、問題行動をくりかえす問題 E発達障害で困難を抱える子等が複雑な背景をもって、時には攻撃的な「暴言、暴力」「荒れ」となって現われたり「孤立、孤独」「集団拒否」となって自分の「困難」を現わしているのです。 3 困難と向き合う実践 (1)初めて高学年担任する「不安からの出発」 S先生は、教職五年で初めて五年生を担任。「お母さんは、若い先生で大丈夫かなと言いました」「なめられないといいけど、と姉ちゃんが言いました」という中で、「四クラスで学年生活指導体制でいこう」という仲間に支えられ「すぐキレるA君はすぐ友だちを殴ったり、物を投げる」報告に「キレた時気持ちがおちつくまでそっと」「その子が認められるような場つくる、共感を育てる」援助で指導改善「ユーモア詩の楽しい授業、学級通信、本の読み聞かせ」と実践を重ねる。A君のいじめについての個別の話の中で「ぼくもいじめられていた」と泣いて話す。いじめ問題の「紙上討論」でA君は変わっていった。 「本音をありのままに受けとめる」「学年、仲間の支え」「学級にユーモア、書くこと大切に」等の教訓を与える この実践は〇九年の全国教研の生活指導分科会レポートです。 (2)生きづらさを抱える子ども達と Bは父母離婚、母子家庭の中で母親の虐待暴力から父親宅へ、父の再婚で養護施設へ入所して校区の学校に転入した子ども。「家から施設にもどった夜、ベッドの中でこっそり泣いていると施設の先生から聞く担任。Cさんも父子家庭で虐待から施設に入所、一ヶ月一回の帰宅を、日記に「お父さんの家に帰りました」と書きます。「転入して全然友だちがなく大きらいだった学校だったけど、友だちも出来てだんだんとけこめ、ちょっとずつ楽しくなってきた」担任に日記でその本音を伝え、変わっていきました。「子ども達の思いに共感し励ましていくことはたやすいことではありませんが、子ども達の行動や表現の背景にある思いを丸ごと受けとめる存在でありたいと思います」と、担任は報告しました。 これは、本年の全国作文研究大会「困難を抱える子ども達」の分科会の報告です。同じ分科会で、一年生の担任も、 「発達障害のある子ども二人、衝突を繰り返す。A男は支援の先生に『ばばあ!きえろ!』と暴言をはきます」「発達障害の子も文字指導と『あのねちょう』に綴りながら弟や友達とのことを書いていくなかで変わっていった」一年間の報告をしました。 (3)荒れの克服と集団作り 中学三年間 入学早々、人一倍体の大きなMはボスぶりを発揮。二〇人のグループで動く。ある時若い担任の女教師は、部屋でグループに囲まれカギをかけられる。Mの「お前ら、いいたいことを言え」の号令で「教師なんて信用できない」「オレらのことなんかどうでもいいんだろう」「オレらのことに口出しするな」「オレらのことちっともわかってない」と言われる。そんな中で、四人の学年の先生と共に「演劇の取り組み、文化発表会リーダー指導」「エスケープ、万引き器物破損」に取り組む。キレたMの喫煙指導中「うっとうしいんじゃ」とつかみかかる。突然二番手のSが割って入り、「お前が一番うっとうしいんじゃ」と。グループの解体。Mは卒業前「みんなに嫌な思いさせた」と謝る。 これは、今年の全国教研生活指導分科会の二十代の青年教師の報告です。 4 困難を抱える子どもを支えるには 教育科学研究会編集の「現実と向きあう教育学」の中で、田中孝彦氏も藤田和也氏も共通してアメリカの精神科医J,L,ハーマン氏の「心的外傷と回復」からの引用として「困難を抱える子ども達」の「援助の三つの原則」をあげています。 「@それ以上は理不尽に攻撃されず、暴力を受けることがないよう生命の安全(safety)を徹底的に保障する。A生命の安全が確保され生活リズムが回復するにつれ『外傷』を負った人々は、つらく惨めであった自分の体験を語りはじめる。その語りを徹底的に聴きとり、つらい体験を自分の人生のなかに位置づけ直そうとする精神作業に伴走する。Bその過程で『外傷』を負った人々も、徐々に周囲の人間とふたたび結びつこうとする努力を始める。そうした再結合の努力を徹底的に支える。」(p92) これは、庄井良信氏の「全国不登校のつどい」での「本当に困った時に困った自分を素直に表現しあって関わり合う」「一人で頑張らず上手に甘えろ」「時間かけ、いっぱい間違って、折角の人生じゃないか」の呼びかけにも通じます。 困難を抱える子ども達の苦悩の言葉に耳を傾け、語り出すのを待ち、受け入れ、共感する、自己表現を大切にした仲間づくりの中で人間信頼を育てていくことが、困難を抱える子どもと向き合い支えることになるのではないでしょうか。 −参考文献− 田中孝彦「子どもたちの声と教育改革」新日本出版08年 楠 凡之「気になる子ども、気になる保護者」かもがわ出版05年 大和久勝「困った子は困っている子」かもがわ出版06年 広木克行「手をつなぐ子育て」かもがわ出版05年 高垣忠一郎「競争社会に向き合う自己肯定感」新日本出版08年 藤田、田中「現実と向きあう教育学」大月書房10年 現代と教育79「生きづらさの中で希望をつかむ」桐書房09年 庄井良信「揺れる子どもの心を聴く」全国連パンフ09年 ジュディス,L,ハーマン「心的外傷と回復」みすず書房99年 全生研大会、日本作文の会、全国教研、不登校「つどい」 冊子資料 |
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