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特集2
教科書が変わる!(小学校編)


総論 小学校の新しい教科書をどう生かすか


                    鋒山泰弘(追手門学院大学)




はじめに

 2010年3月31日の新聞報道では、新しい学習指導要領にもとづいて作成され、文部科学省の検定で合格した小学校の教科書に関する話題が一面を占めた。新聞報道の基調は、ページ数が大幅に増えた教科書ということであった。例えば、現在使われている教科書に比べて、各社平均で「算数では33%、理科では37%増加した」とか、さらには「ゆとり教育」全盛時の2001年の検定で合格した教科書と比較すると、「算数・理科はともに67%、国社算理の4教科は、50%、全教科では43%増えた計算になる」というように、ページ数の増加の割合がまず強調されている。パーセントで表された増加した割合の数字の大きさだけを見ると、来年からの学校の授業は過去の「詰め込み教育」に戻り、授業についてこられない子どもを大量に生み出すことになるのではないかという心配を呼び起こす。

 しかし、教科書のページ数が「なぜ増えたのか」、「どのような内容が増やされたのか」、「それは子どもの学習にどのような影響を与えるのか」という「内容の質」の面からも検討されないと、いたずらに不安を煽るだけに終わってしまう。この小論では、教科書のページ数が増えることの意味と、それが子どもの学習に与える効果は何か、という視点から新しい教科書について考える論点を提示したい。


1.「薄い教科書」と「厚い教科書」

 そもそも10年前の前回の学習指導要領改訂による「ゆとり教育」の名の下に教科書が薄くなった理由は、子どもの学習負担を軽減するということであった。「教科書に載っているから、教師たちは無理してそれを教えようとする。だから、何とかして教科書を薄くしようとしている」というのが当時の教育改革に携わった中央教育審議会の委員の認識であった。しかし、前回の学習指導要領の「歯止め」規定(「〜については扱わないものとする」、「〜までとする」というように扱う内容を細かく制限する規定)に従って教科書を薄くしたことは、かえって子どもにとって「わかりにくい」教科書を生み出す結果を招いたといえる。

 たとえば、小学校理科の教科書で、「チョウをそだてよう」というページで、「ゆとり教育」以前は、アオスジアゲハ、アゲハ、モンシロチョー、カイコガ、エンマコオロギ、オオカマキリなどの写真が載っていた。しかし、前回の学習指導要領では、「昆虫及び植物については、それぞれ2種類又は3種類」という「歯止め」規定があったため、教科書検定によって、モンシロチョウとアゲハの2種類になるということが起こった。ここで、考えてみるべきは、子どもにとっては、少数の例で学ぶことが、はたして「わかりやすか」ということである。この問題は、「教科書を教えるのか」、「教科書で教えるのか」という区別に関わる問題である。「生物には昆虫として分類できるものがいて、チョウもその仲間であることがわかる」ということが小学校3年生に教えたい内容であるとすれば、そのために教科書に載っている「さまざまな種類のチョウとチョウ以外の昆虫」を写真で紹介することに意味がある。ここでは、「チョウのさまざまな種類を覚えさせる」ことが主たる「ねらい」ではない。教育学では、前者の一般的な概念や法則的知識のことを教育内容と呼び、授業で紹介する様々な具体例のことを教材と呼び区別している。

 別の例をあげれば、「花が咲けば実がなり種ができる」という植物一般に当てはまる法則的知識が、理科の教育内容(ねらい)であり、そのためにチューリップの種、クリやトウモロコシの花など、あまり子どもが知らない事例を含めてとりあげるというのが教材の役割である。教育内容はできるかぎり、重要で基礎的・基本的なものに精選することが必要であるが、それがよくわかり、本当に子どもに身につくためには、豊かな教材についての学習を通さなければならないのである。その意味で、教材としての教科書のページ数が増えることで、教育内容が子どもにとって理解しやすくなったかどうか、という視点で今回の新教科書の問題を見ることが重要である。


2.教師が「教えたい内容」を明確につかむ

 教材としての教科書が厚くなっても、それによって教えたい「教育内容」が、子どもにとって理解しやすくなれば、学習効果を高めるという事実を、1人の20代の小学校の先生のエピソードを紹介することで考えてみたい。

 Kさんは、大学を卒業してすぐに小学校の先生になったが、新任一年目は学級経営や授業がうまくいかずに、いわゆる「学級崩壊」になり、かなり悩む時期もあった。しばらく休息をとった後、復帰して理科の専科教員として、徐々に授業づくりの力量をつけていかれた。そのKさんが今年の夏のある研究会で、勤務先の学校が国語の授業の研究指定校になったということもあり、昨年1年間の国語の授業実践を報告された。Kさんから生き生きと語られた1年間の小学校4年生の国語の授業の取り組みは、教材の多さと教育内容の理解のしやすさという問題を考えるよい事例となるものであった。以下に紹介したい。  Kさんが4年生の国語の授業で1年間に教えた教材文は、物語文(「ごんぎつね」など)は5教材であったが、説明文の教材の数は、10教材であった。1年間で教えた説明文が10という数は通常よりもきわめて多いものである。扱われた教材は、数種の教科書会社のものから選び、また2年生や3年生用として教科書に掲載されているものも位置づけられた。以下の題の説明文である。

 「たんぽぽのちえ」(光村2年)、「もうどう犬の訓練」(東書3年)「夜に鳴くセミ」(大書4年)、「ありの行列」(光村3年)、「ヤドカリとイソギンチャク」(東書4年)、「自然のかくし絵」(東書3年)、「地下からのおくりもの」(学図4年)、「ウミガメのはまを守る」(東書4年)「進化した路面電車」(大書4年)「アーチ橋の仕組み」(教出4年)

 さて、このような通常よりもたくさんの説明教材文を教師が教えることによって、子どもにとって「詰め込み」の「負担の多い」国語学習になったかというと、そうはならなかった。その理由は、1年間の国語の授業として、「物語文や説明文などの文章を子どもが『一人』で読む力を育てる」「書かれてある内容がわかり、筆者や作者の主題をつかみ、『おもしろい』と読めるようになる」という長期的な目標をすえて、各教材を通して、文章の構造や筆者や作者の表現の特徴を把握する授業が行われたからである。すなわち、以下のような文章理解のための「方法」(国語科で教えたい教育内容)を教師が明確に意識して授業が行われた。

 「序論、本論、結論の関係がわかる」、「事例の出し方にどのような違いがあるかがわかる」、 「問いかけの文(問題提示文)と話題提示文の違いがわかる」、「主語の変化に着目することで論の展開の変化がわかる」、「文末表現の違いがわかる」、「題名読みから考えることができる」、「段落のはじめにある接続詞の役割がわかる」等。

 4年生の子どもにとって、最初は、比較的やさしい2年生や3年生用の教材を使って、「序論、本論、結論の関係」を読み取っていく方法等を学び、その後、4年生用の多様な教材を使って、さらに説明文の様々なパターンを読み取る方法を獲得していく。前の教材で習った方法を活用して、さらに洗練させていき、最後には、自分ひとりで「読みの方法」を活用して読めるまで子どもを育てていく。

 Kさんの小学校は、研究指定校として、国語教育の専門家から、「文の構造や筆者や作者の書きぶりを問う」ための、授業で子どもに投げかける具体的な「発問」について指導・助言を得ていた。その発問を使って子ども同士の話し合いを位置づけた授業が行われた。また、授業で集団的に話し合ってわかった文章の構造を把握する方法を、「板書」にまとめて、全員のものにしていく教育技術についても教員集団でお互いの授業を見ながら研鑽が行われた。

 さて、以上のようなKさんの教師としての成長ぶりは、教師がその教材を通して子どもに習得させたい教科の具体的な目標を明確に意識して、その目標を子どものものにするために教材が存在し、教材を活用するということが本質的な問題であることがわかる。教材の量が多いか少ないかということをページ数で比較するだけで、子どもにとって、教科書が「負担になり」「わかりにくい」のか、「わかりやすく」「学力が定着する」かどうかということを単純に判断することはできない。

 新しい小学校の国語のある教科書では、3年生以上の教科で説明文の教材を二つ並べて掲載されてあるものがある。たとえば、第1の比較的短い説明文教材で、「段落」、「構成(はじめ・中・終わり)」、「『問い』と『答え』」をつかむ学習をし、第2の比較的長文の説明文教材の読解で、第1の教材で習得した「方法」を活用するという位置づけになっている。結果として国語教科書のページ数も増え、教材も増えたのであるが、「何を」学習するのかが明確になっているため、2つの教材を関連づけて教えることができれば、子どもにとって「読解の力がつく」国語教科書になっていると言える。


3.教科書と増えた練習問題

、応用問題の意味 算数の教科書のページ数が増えた要因の1つに練習問題が増えたということがある。これについても、教える内容が増えたので、子どもにとって「負担が増え」、教師は限られた授業時間内ですべて教えることができるのかという憂慮の声も聞かれる。しかし、この点についても、今までの「薄い算数教科書」が、算数の学力の定着と習熟のために必要な練習問題を十分に載せてこなかったという問題を「改善している」とみる方が適切ではないかと考えることができる。

 「学力の基礎を鍛え落ちこぼれをなくす」研究会の小学校教師の久保齋氏は、今年の夏のある研究会で、4年生の算数の最初の10時間を使って、四則計算の意味理解を深め、四則混合問題において、確実に演算決定ができる力、間違いなく計算できる力をクラス全員の子どもにつけることを目指した実践を報告された。4年生の算数教科書の新しい内容の学習に入る前に、このような学習を位置づけたことの意味を次のように述べておられる。

 「それまでに学習した個々の教科内容を、ある時に、関連づけ、統一的に再学習する授業が必要である。足し算と引き算を学習したら、その混合問題を出して、足し算と引き算を統一的に捉えられる子どもを育て、掛け算を習えば、足し算と引き算とかけ算の混合問題を出し、特に足し算とかけ算の使う場面の違いを理解させる。割り算を学習すれば、二つの割り算の意味とかけ算の関係を混合問題で統一的に捉えてより深い認識に子どもを導く」

 このように子どもに確かな学力を定着させる実践を追究してきた教師は、教科書の練習問題以外に、独自の練習問題を考案し、使ってきた。今回、算数教科書のページ数が増えた理由には、「新しい単元」の学習に入る前に、「当該学年だけでなく、必要に応じてさらに前の学年まで戻り、くり返し基本的な問題から準備や復習ができるように」するための問題が配置されており、また、巻末には「学習を定着させる工夫」として、練習問題が増やされている。それらは、「ゆとり教育」の下での「薄い算数教科書」では、不足していた練習問題が大幅に追加されたという意味で「改善」になっているといえる。

 さらに、日本の子どもたちの学力の弱点として、算数や理科の教科内容を学ぶ意義が感じられない割合が多いという傾向があったが、新しい算数の教科書では、この問題を克服するために、たとえば社会科で扱うような統計の意味を読み取るために算数の知識を活用して考えさせる問題が掲載されている。


おわりに

 ここでは、新しい小学校教科書の「改善」された点を強調した。もちろん、新聞報道が危惧するように、授業時間数が十分に増えていないために、新しい教科書の「改善点」を教師が使いこなせなければ、子どもにとって「消化不良」になるだろう。教材の多さにまどわさずに、複数の教材を通して「何を」教えるのかについて明確な意識をもつことと、さらには、子ども自身が「厚い教科書」を有効に活用できるように指導する方法が、これから研究されていく必要がある。

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