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子どもの詩のこころ
西條 昭男(京都綴方の会)
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雨
六年 女子
まどの外を見てみると
雨がふっていた
立ち上がって見てみると
洗たく物をほしたままの家があった
いそいで洗たく物を家の中に
入れている女の人がいた
まどの外を見てみると
空はくもっていた
家の中の電気をけすと
暗かった
まどの外を見てみると
雨がやんでいた
空には太陽が出ていた
まどのはしには にじが出ていた
(出典 京都子ども詩集2005年 京都綴方の会編)
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担任の小松伸二さんは「お母さんと小さなマンションでの二人ぐらし・・・。引っ越しをしてきて間もない頃に書いた詩です。時には仕事で遅く帰ってくるお母さんを一人で待っている彼女・・・・。この日も彼女は一人でおかあさんの帰りを待っていたのでしょう。外から見える景色≠ェ目に見えるように表現されています。彼女の寂しさを感じます。でも、最後の連では、彼女の明るい希望を感じ取ることができる、とっても忘れることのできない作品です」と。担任は(読み手)は、恐らく何度も何度も読み返しては、窓の外を見ている彼女の姿を脳裏に染み込ませるのだろう。そして、寂しさだけではなく、この子の希望をも見て取る。
心を静かにして何度も読み返す作品に出会うときがある。「忘れること
のできない作品」とはそういうものである。
(西條 昭男)
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「仕事」「仕事」「仕事」
六年 男子
このごろ、お父さん
帰ったら「仕事」
昨日なんか 一日中「仕事」
このごろ、お父さん
なんか つかれてる。
「だいじょうぶ。」
ぼくが聞く
「だいじょうぶやで。」
とお父さんが言う
月曜日に行って
土曜日に「やっと帰った」と思ったら
「仕事」
お父さんといっしょに 出かけることも できない
「早く もとにもどらへんかな。」
ぼくは いつも そう思っている
(出典 京都子ども詩集2005年 京都綴方の会編)
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働いても働いても貧しさから抜け出られない、それはなぜかと考えさせてきた。親の働く姿をリアルに見つめさせながら、労働の厳しさと価値と人間が生きることを学び合わせてきた。
今、富めるものと貧しいものの格差はますます開き、親の働く姿が子どもの目の前から見えなくなって久しい。 その上、労働者の人権は軽んじられ、命と健康が脅かされ、過労死すれすれで働かされている。
過重労働のバス運転手は休むまもなく高速道路を走らされ、居眠り運転で事故。バス激突、死傷者。だが教科書では運輸・流通の仕組みが、いかに早く効率的になったかとばかり教えて、そこで働く人々の生活は教えない。
こんなに親を心配している子どもがいる。親のくらしぶりはどうか。親はいかにして働いているかと問う教育が求められている。生活綴方を時代が要請しているのだ。
(西條 昭男) |
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