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■特集テーマ 1
 若い先生の教育実践に学ぶ

総論  瑞々しい芽を伸ばし、育てるために



                   大平 勲(立命館大学・京都教育センター)


「がんばろう!」から「がんばらない!」へ

 6月5日の午後、私は「場ちがいな所にいるなあ!」と思いつつもワクワクしながら教育文化センターホールの奥の席にいた。「2010京都新歓―新しい仲間と語る教育と文化のつどい」の参加者約200名の一人として。

 舞台では50人ほどの青年教職員がテーマソングである「Starting Over」を歌い上げ、参加者は私も含めて手拍子で応えていた。続いて、選ばれた25名ほどが最近のこの企画では「定番」となっている「ロックソーラン」を見事に舞った。司会の2人の青年教師は、我々世代のように固くなく、心地よい「ノリ調」で盛り上げている。私が京教組役員でいた数年前も、青年部担当の執行委員が必死になって新歓企画をやり、この日を迎えていたが、それが大きく変化してきている。

 とりわけ驚き感嘆したのは、青年教職員の紹介が13の支部ごとに明るく個性的に行われたことである。数年前までは新歓といっても参加者の大半は「非青年」(多くは支部役員)であり、青年の紹介も全体一括して舞台上でやっていたのと比べて「画期的な変化」である。メインの尼崎のベテラン野口美代子先生の講演「子どもがもっと好きになる」も頷きながら共感して聞いていたのが伺えて頼もしく思えた。

 ここに京都の教育の新たな展望の手応えを感じながら、私は自分の採用された43年前を想起していた。その頃から、戦後第2のベビーブームが学齢に達し、教職員の採用が増えだした。それまで多くの学校現場では青年教師がほとんど皆無に近かったが、その年京都府では義務制で数十名の採用があった。「デモ・シカ教師」(教師にデモなろうか、教師にシカなれない)のはしりであり、

 私の「中学校数学」は試験があったものの志願者がほとんど採用されたことを後で知った。私は、生まれ育った地元宇治田原の「ホープ」として地教委からも「嘱望」され、維孝館中学校という母校(7年前までは生徒であった)に発令された。その「期待」に私自身はこたえた積もりだが、1年目から「分会長」などを担った結果、「裏切った」という評価も受けた。特に青年教職員は京都府南部で急増し、当時青年部が「休業」状態にあるもとで私たちは有志で「山城青年教師の会」というサークルを立ち上げ、教育研究やレクを積み上げて青年部を再建していった。

 そして、京都全体の青年部で「文化祭展」なども企画し、あたかも今年の新歓のような「勢い」が出だした時期にあった。

 ただ、明らかな違い、それは当時が民主府政下(1978年まで)にあったということです。今の青年教職員の採用前後の苦労を知るにつけ今とは「別世界」にあったといえよう。だから、今世代の人たちに「我々の若い頃は……」と話しても何の毒にも薬にもならないことを自覚しながら今も想起している。その頃は、新採研修もあったし、指導主事訪問もあったが何の圧力も拘束もなく、若い教職員はまわりから「失敗しても良いから好きにやりや!」と励まされた(甘やかされた)。だから、私などは調子にのって、新任の身でありながらも「体育祭がありながらも文化祭がないのはおかしい」と中学生時代の思いをストレートに職員会議にぶつけて、「夢がある未来がある」というテーマ(今の維孝館中でも継続)のもとに強引に文化祭を実現させたことを、管理職を含めて先輩たちはおおらかに見守ってくれた。

 そういえば、「新歓」で歌う歌も様変わり。私たちは、歌い継がれてきた「平和・反戦」のうたが主流で、締めはいつも「がんばろう!(作詞森田ヤエ子・作曲荒木栄)」であったが、今年の新歓要綱パンフに掲載されている歌は「がんばらない!(作詞・作曲 hirosi)」である。ここにも青年教職員をとりまく状況が根幹から変わってきていることがよみとれる。私たちが「がんばろう」と決意したのは子どもと教育、そして平和への願いを込めて歌にしたのだが、今、頑張ることは体制側に「忠誠」を誓うことであり頑張れば挫折を余儀なくされるのである。我々世代が今も何気なく口にする「がんばりや!」の一言も、子どもや青年には励ましよりもプレッシャーとして響きかねないことを配慮しながら発信しなければならない。

 私は新採から退職まで組合役員でなかったことは1年もなかったがそれは自分の意志で決められることであり、中学校の数学教師として何とかやってこれたのは「自力」ではなく、「サークル」のお陰であった。最初の数年間、私は教科書を忠実に教え込む手法に何の疑問も感じなかったし、出来の良くない生徒はその子の努力が足りないと責め付けることで我が胸に手を当てる事はなかった。

 ところが、最初の組合専従を終えた30歳頃から、「到達度評価」に関心を持ちはじめ、その自主的な研究会に欠かさず参加するようになった。今は亡き中原克巳氏や石川明氏など大先輩の授業づくりを学び、その通りに真似て実践し、その結果を報告して批判・評価されたことが大きな転換になった。「どの子もできる」。できないのは教える内容と教え方に工夫がないからだという指摘は、それまでの指導要領万能の実践観を180度転換させたもので「目から鱗」の新鮮さであった。ここでの学びは、その後転勤した中学校が管理的で非民主的な職場にあっても揺るぎない私の教育実践の柱となって、組合活動をやりながら生き生きと教師を続けられた源泉であった。こうした機会を持たなかったら定年まで持たなかったであろうと今しみじみ思います。  


瑞々しい実践を読む

 このような私自身を振り返りながら、今号の特集「若い先生の教育実践に学ぶ」に寄せられた4人の青年教職員の実践にふれて、彼らの実践観の幅広さと分析力の深さを読み取り、私の若い頃に比して卓越した力量が伺え瑞々しい頼もしさを受け止めました。

 4人の実践に共通していることは、子どもの声や考え方に真摯に耳を傾け接近しようとしていることです。子どもの目線で捉えた状況を出発点として学級づくりや授業づくりに取り組み、教師である自分自身が子どもや父母の発信することから学び成長を促されていることを自覚されています。同時に、職場やサークルの先輩や同僚からのアドバイスや交流を大事に受け止め、実践の肥やしにされている「謙虚さ」も共通して伺えることです。

・小学校10年目の小柴さんは、「学級通信」と「読書」を軸にした取り組みで「継続は力なり」との手応えを自らの力にされています。週に2〜3回発行の「学級通信」には写真も貼付し、児童には朝に読んで聞かせ、保護者にもリアルに伝わるように工夫し、担任としての実践観を子どもや保護者にありのまま伝え風通しを良くしています。また、子どもの頑張りぶりをみんなのものとして「共有」していくことで成長の連帯感を広げています。朝読書でも、「この本を読もう」「きちんと聞こう」と要求するような無理な押しつけを抑え、1500冊もの本を自前でそろえ読みたくなる環境づくりから読書意欲を喚起しています。

・同じく小学校10年目の成本さんは、教師として子どもとつながる、また保護者とつながる、そして子ども同士がつながることをいつも心がけ「仲間意識を高める仲間づくり」を実践の軸に据えて奮闘されています。その動機になったのは、講師時代に経験したサッカー授業での子ども自身の「仲間」への抵抗感にショックを受けたことにあると述懐されています。毎週のお便り『あるばむ』には、子どもたちの様子をリアルに書くだけでなく自分自身の思いをストレートに書くことで担任としての「本音」を子どもや保護者に発信しています。『先生の通知票』を書いてもらうことで、子どもの考えを尊重し、「先生も君たちといっしょに変わろうとしているよ」と信頼の絆を深めていきます。

・中学校6年目の石川さんは、「教師は勉強し続けなアカンで!」「子どもはすぐに見抜くで!信じたらなアカン!」という同僚のベテラン教師の言葉を胸に刻み込み、子どもを信じて、「学校は面白いところ!」であることを伝えたいことをモットーにして多感な中学生を相手に奮闘されています。「ゼロトレランス」の名の下に「排除の指導」が主流になっていくことに危機感を持ち、すべての子どもにとって学校は希望の源泉であり、そのために基礎となる学級を「居心地の良い場」としていく「集団づくり」の視点を貫き、進路実現の「放課後学習会」にも取り組まれている。管理的な感覚に流されない教師になるために職場の仲間から学び、学習し合うことも大切にされている。

・採用されて日も浅い高校の谷川さんは、大学受験を軸にする「進学校」にあっても生徒の活動を取り入れた「世界史」の授業の工夫を紹介されています。「丸暗記」に終わらず、社会の見る目を育てたい社会科の授業を、先生に習うスタイルから生徒自身が参加していく「授業のまん中に生徒がいる」形に転換していく実践は「若さ」に加えた「信念」を感じさせるものがある。生徒同士の質疑のやりとりを重視し、その経過を打ち込んでプリント配布することで他の生徒の意見を傾聴し、自分の意見を深めていく意欲づけに成功している。そして、先生自身も生徒と一緒に学び成長したいとする心がけは、「受験」だけに流されない「学ぶ喜び」を生徒に喚起するに違いない。


この芽を伸ばし育てるために

 こうした瑞々しい豊かな子ども観と実践観で奮闘する若い先生に対して私たちは何ができるのだろうか。

 過日、ある学習会で「最近の若い先生は廊下で子どもと目を合わさないようにしているらしい。目を合わすといっしょに何かしようとせがまれるのを避けるためらしい」と退職教職員の方が憂いの思いで発言されたのを耳にした。子どもと関われば報告文書作成などの時間が取れないからであり、寄り添いたくても適わない辛い現実があることが予測される。それでも「子どもに関われ!」とはもはや言えない縛られた実態が横たわっているのです。

 私は非常勤で理系の大学生に教職科目の「生徒・進路指導の研究」を教えています。「免許更新制」が問題になって教職志望は漸減しているようですが、受講学生の教職志望は強く、アンケートでも78%の学生が「強い」「できるならば」の志望を持っています。こうした学生の多くはレポートなどを通して「頭ごなしでなく子どもを理解する教師」「わかりやすくて楽しい授業をする教師」を目指していることを発信しています。採用試験は枠が広がったといえども、民間の「氷河期」にあって競争率は高く私の頃とは比較にならないほど「優秀」な人が教職員になってきています。[今春新採者:小学校で府は4.3倍、市は5.3倍。中学校で府は5.3倍、市は11.0倍]

 しかし、このような難関をくぐり抜けた志の高い教職員が1年以内に辞めていくケースがここ数年急増してきています。2008年度採用の新採で、全国で315名(10年前の8倍以上)が1年以内に退職(内304名が依願退職)に追い込まれ、93名が病気による(内88名が精神性疾患)ものと公表されている。[『教育委員会月報』08年11月より] 実数は組合などでも把握が難しくもっと多いものと推測されます。

 京都市教委から「指導力不足教員」の名の下に分限免職処分された高橋智和さんは、処分取り消しを求める訴訟に踏み切り3審のいずれでも、「職場における適切な指導と支援体制が不十分であった」との司法判断から処分が取り消され、職場復帰が認められました。前例のない画期的判決と評価されましたが、法的措置によってしか救済されない「泣き寝入り」の退職が横行していることを示す出来事です。

 職場での「同僚性の薄さ」が言われていますが、教職員評価が定着し、「優秀教員」(京都市は2008年度538名で全国最多)と「指導力不足教員」がお上の意に適うか否かで分断される状況下では迂闊に職場での教育論議はできません。「ゼロトレランス」を掲げる「体育会系」と言われる若い先生も増えてきており、「子ども理解」を標榜すれば、「それやから子どもになめられるんや!」との指摘が管理職のみならず、同僚からも浴びせられることもしばしば耳にします。

 こうした状況にあって、教育関係者は若い先生の芽を伸ばし育てるために何ができるのかを考えるとき、過去の教訓を述べるだけでは間尺に合わないだけでなく聞く耳を持たれないかも知れない。優秀な若い教職員をお上の物差しで追い込んでいる教育や学校のありようを根本から変えさせなければならない。教育委員会の体質をまともなものにする政治的な転換も求められる。

 教育実践については、私たちの過去の「遺産」を語り継ぎながらも、若い先生たち自身が身近な実践を持ち寄って、誰にはばかることなく自由に議論交流し合う場(京都市内で広がりつつある「エデュカフェ」のような)をたくさん用意することが有効かも知れない。そして、今回の特集で報告された若い先生の実践からベテラン先生も学ぶことが多くあることに気づいていかねばならないでしょう。

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