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特集 2
健やかに育て、子どもたち−−地域で育てる

子育てのまち 京都の夏・地蔵盆

              神谷 潔(写真家・京都PTA問題懇談会)


夏の終わりの風物詩

 京都五山の送り火を終えた土・日曜日、京都市内のあちこちの辻に「車両通行止」の看板が立ちます。これは地蔵盆行事開催のため、地蔵盆は町内ごとに石地蔵を安置したお堂の前を飾り、テントを張って行う、子どもたちの健やかな成長を願うための行事です。朝、お寺さんのお参りに始まり、午前・午後二回のおやつ、子ども用と家庭用の二つの福引きの必須プログラムに加え、金魚すくい・ヨーヨーつり、輪投げ、スイカ割りなどで子どもたちを楽しませます。手品の名人、大学の子どもサークルなどはこの時期引っ張りだこで、中学・高校の吹奏楽部は、一時間刻みで移動し楽器購入資金を稼ぎます。私は、1990年代から十数年間、京都市北部(北区・上京区・左京区)の地蔵盆の様子を撮影してきたが、ほとんど同時開催の行事であるため、暑い中ひたすら自転車で走り回る、苦行のような撮影でした。

 石地蔵はあちこちで見受けられますが、京都市の旧市街地と周辺の旧農村集落地に多く、区画整理された新市街地ではまばらです。北区紫野・出雲路や左京区下鴨・田中などはかなり「地蔵人口密度」の高い地域です。ほとんどの地蔵はお堂の中にお住まいで、一体だけの単身者から20〜30体の大家族まであり、お堂も木造、石造、コンクリート造から金属製まであります。地蔵さんの形・表情と同様に、大きさやデザインもほんとうに様々です。    


地蔵盆は何のための行事か

 地蔵は町内の安泰や子どもの成長を祈るために町内ごとに安置されていると言われています。しかし、地蔵研究家の長尾智子さんによると「地蔵は日本伝来以来、土着在来信仰との習合を繰り返す度に新しい現世利益を付加され、『六道の衆生を教化、救済する』という地蔵本来の意義を大きく変化させてきた」「京都では、明治初年の廃仏毀釈を受けて明治4年に地蔵撤去の京都府布令、及び明治5年に地蔵盆禁止令が出され、京都中の路傍の地蔵が処分された」そうです。各町内で安置されている地蔵の由来を聞くと、「井戸の中から出てきた」「工事中に掘り出された」「川底から引き上げた」など明治初めの受難の歴史を想像することができます。

 また、地蔵盆行事も長尾さんによると「発祥当初は大人の宴であったが、明治期には『子どもの祭』として認識されていたことから、江戸期に賽神と習合した際、地蔵に付加された『子どもを守護する役割』は明治期に特化されたと言える。つまり、地蔵の普及には児童数の増加が関わっていると考えられる。また、明治23年発令の『教育勅語』と絡んで地蔵盆は児童に富国強兵策を実践するための場へと変化していったと考えられる」〈長尾智子論文「近代京都における地蔵安置の変遷」2001より引用〉

 何事もなかったような穏やかな表情の地蔵さんにまつわる昔のお話を聞ければ、歴史大好きの子どもがうんと増えるように思いますが。   


地蔵盆はいつ、どこで、どんなことを

 以前は8月23日を中心に二日間開催されていましたが、他のお祭りと同様に年々その前後の土・日曜日に変更する町内が増え、最近では伝統の日を「厳守」する地域は数えるほどになっています。さらに、市立小学校の多くが2学期制になり夏休みの終了が早まったために、ほとんどが20日前後の土・日曜日に集中するようになり、一日のみ開催が圧倒的になりました。なお、北区紫野や隣接する上京区の北部地域では、西陣織の職人さんの休みに合わせて昔から8月14〜16日に開催されています。

 場所は、「地蔵を安置したお堂の前の道路上にテントを張り台を置いて」というのが普通の光景でしたが、車社会となり道路上から道に面した住宅や店舗の一間・ガレージ・倉庫のほか空き地や児童公園、お寺の境内などに変わり、廃業した銭湯の脱衣場いうユニークな会場もありました。このように会場の都合で、行事の間だけ地蔵をお堂から移して開催するところの方が多いようです。

 地蔵盆の内容も様々です。地蔵盆が近づくと町のあちこちにプログラムを張り出します。パソコンによるものが増えましたが、まだまだ手書きが大勢で字体やカットの絵に凝ったものが多く、描き手が楽しんでいるのを感じ、これらプログラムを見て歩くだけでも楽しいものです。どのプログラムにもあるのが「おやつ」と「福引き」です。「福引き」の景品には子ども用にはおもちゃ、家庭用には洗剤やティシュなどの日用品が多く、景品を手提げ袋に入れて子どもに竿で釣り上げさせたり、2階の窓から張ったロープにカゴを下げ景品を降ろす「ふごおろし」など工夫を凝らした町内も見受けられます。お寺から住職を招きお念仏を上げてもらうことからスタートする所が多く、読経に合わせて「数珠廻し」をするところもまだまだ残っています。その後は金魚・スーパーボールすくい、ヨーヨー釣り、輪投げ、手作りのスマートボールなどで子どもを楽しませます。最近では子どもも大人も熱中できる「ビンゴゲーム」が必須プログラムになっています。たたき割ったスイカ、かき氷、たこ焼きなどをみんなで食べたり、手品・人形劇・紙芝居などを町内外の名人や依頼した大学のサークルなどに来てもらって楽しみます。日が暮れると赤い提灯にあかりがつき、色とりどりの浴衣に着替えた子どもたちが集まってくると映画やビデオ上映、影絵劇など夜ならではのプログラムが待っています。子どもカラオケに拍手を送りながら大人たちも生ビール片手にもうすっかり盛り上がっています。夜空がすっかり濃くなるころ、花火で今日一日をしめくくります。     


気がかりな地蔵盆の将来


 地蔵盆の世話役は町内会長さんはじめ少年補導委員さんら役員さんらと小学生を持つ親でしょうか。最近では見てまわっていても主役の子どもの姿はまばらで、お年寄りと若いお母さんが幼児を見守りながら歓談といった光景が一般的です。小学生が姿を見せるのはおやつ、福引などの時だけで、後はエアコンのきいた家の中でゲーム機に熱中というのが実状のようです。お母さん方は日頃からPTA活動などを通して地域とのつながりがありますが、普段帰宅の遅いお父さんにとっては子どもに手を引かれて顔を出す地蔵盆は「地域デビュー」の貴重な機会なのです。

 地蔵盆に要する費用は、テント、ゲーム機のリース料、お布施、おやつや景品代などばかになりません。スーパーやホームセンターでの地蔵盆セールに見られるように京都市全体の「経済効果」も少なくないです。その財源は町内会の会計と当日の「お供え」によるようですが、子どものいる家庭から会費を集めるところもあります。

 伝統行事を維持してきた町内の多くはは少子高齢化の流れにあり、地蔵盆は縮小衰退の傾向にあります。主役の子ども自身も塾やスポーツクラブの予定がいっぱいで、地蔵盆の楽しみの価値は昔ほどではないのかもしれません。しかし、最近の子どもの様々な問題を考えるときに、家庭と学校をカバーしていくのは地域の役割では。その地域の様々な年齢層の大人同士が子どもを介して親しくつながれることができる年一回の機会「地蔵盆」はこういう時代だからこそ大事なのではとつくづく思います。

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