トップ ひろば一覧表 ひろば161号目次

教師の葛藤と自己形成
−−やりがい、悩み、つながり−−



          春日井敏之(立命館大学)


1.子どもとの出会いとエンパワメント
   −−自然、文化、人間との共生・共存関係

 毎年のことですが、教師は担任として、あるいは教科担当として子どもたちと出会います。クラスの子どもたちの情報を引き継ぎながら、「今年も大変だ」とため息をつき、いきなりエンジン全開で新学期が始まったりします。そのまま走り続け、放電ばかりの毎日が何年も続けば、バッテリーが切れてくるのは当然かもしれません。しかし、子どもたちとの出会いや実践は、放電ばかりの日々でしょうか。そんななかで、教師を支えているものは何でしょうか。

 卒業式や招待された結婚式などで、子どもたちが流した涙かもしれません。どこかで言ってくれた「先生に出会えてよかった」というひと言かもしれません。逆 に「そんなんやから、先生は嫌われるんや」という率直なひと言かもしれません。このよ うに教師という仕事は、たとえ職場環境や同僚との関係が厳しい時期があったとしても、 子どもとの関係からエネルギーをもらい、やりがいを感じることができる職業といえます。

 しかし実際には、子どもたちと出会った瞬間から、教師はすでにネルギーをもらっているのではないでしょうか。これは、親も同様であり、わが子が誕生し出会った瞬間から、エネルギーをもらっているのではないでしょ うか。

 子どもたちが目の前に存在し、毎日発しているエネルギーが、教師や親の存在を意味づけ、エンパワメン トしてくれているのではないでしょうか。それは、クラ スのリーダーである子どもから充電できて、課題も抱えた子どもに放電しているといったプラスマイナスの関係ではなく、さまざまな子どもたちと縁があって出会い、 「ともに存在すること=共生・共存」からお互いに得られるエネルギーです。

 このように考えると、自己肯定感は、「他者に認めても らって自分を認めていく」といった評価を伴う関係だけを前提として育つのではなく、能力レベルで他者から思ったような評価をされなくても、「自然や文化や人間との共生・共存の中に自分を生かす」こと自体の中に育まれてまれていくのではないでしょうか。これが実感できたら しめたものです。周囲の雑音は気にならなくなります。

 そのためのヒントは、教師も「本当にしたい事は何?」 という自分への問いを大事にしながら、「好きなことにこだわって生きる」ということです。そして、好きなこと、やりたいことを教育実践に生かす方策を考えるのです。それ自体が、大きな意味では、多忙化との闘いにも なっていくのです。

 子どもや親、同僚は、自分の好きなことにこだわって、「自然や文化や人間との共生・共存の中に自分を生かす」ことを大事にしている教師の姿に人間的な魅力を感じることでしょう。

 学校に馴染めない子どもたちも、そんな教師の姿に励まされながら、自分が好きなことを大事にして、そこからエネルギーを回復しながら自己形成をしていくと思うのです。

 存在レベルの自己肯定感は、こうした自然、文化、人間との共生・共存関係のなかから相互に育んでいくものではないでしょうか。


2 教師としての自己形成、成長
        −−三つの契機

 教師が教師としてのアイデンティティの形成を図り成長するきっかけとして、次の三点をあげることができます。

 第一には、、時代の影響を受けるということです。現代社会を象徴するキーワードには、「生きづらさ」「階層格差」「非正規雇用」といった言葉をあげることができます。この生きづらさの中身には、子ども・青年から高齢者まで、社会構造的な受け皿の乏しさと、自分の悩みを他者に相談できないという人間関係の希薄さがあります。教師と同僚、子ども、親との関係も例外ではなく、コミュニケーションのあり方が課題になっています。

 第二には、教職経験や年齢によって果たす役割があるということです。私自身を振り返りながら、実践場面に即してみると、二十代は子どもの先頭を走って失敗もたくさん経験する、三十代は子どもに伴走しながら一緒に考える、四十代は後方支援に努めて子どもを見守る、五十代はここまでやってこられたことに感謝して教育環境、職場環境の整備を図るといったところです。四十代 〜五十代には、次世代の教師の育成も課題として意識さ れてきます。

 第三には、自分自身に固有の「一回性の体験」の影響 を受けるということです。成功体験よりも、むしろ深い葛藤体験や失敗体験が成長の契機になります。たとえば、今までの生徒指導では通用しないような子どもと出会い、苦しみ悩みながら変わらざるを得なかったような体験です。私にも、今でもつながっていて、「師匠」と呼 びたいような中学三年生との出会いがありました。

 自分が変わらざるを得なかった中学三年生と出会った三十代の半年間を振り返ってみると、@暴力的な荒れが深刻化するなかで、これまでの教師の管理強化では対応できない生徒と出会って戸惑った時期、A根底に教師不信、人間不信を持つようなその生徒と向き合うなかで、 対話できる関係を模索して苦しんだ時期、B実践課題と しては、「受容・共感」と「要求・指導」の統合をどのように図っていくのかで悩んだ時期、C一人の担任では抱えきれない深刻な事態に直面して、校内でチーム会議を立ち上げてもらい、同時に家庭裁判所調査官、カウンセ ラー、児童相談所などとのネットワーク支援を模索した時期、Dその中で、自分の今までの管理的な生徒指導の フレームを見直し、教育相談の視点から「この生徒を絶村に見捨てない」という姿勢で親子に関わり続けることができるようになった時期といった変化の道筋をたどってきたように思います。


3 ベテランの教師も悩んでいる
     −−コミュニケーション能力とは

 文部科学省の調査によれば、二〇〇八年度に精神疾患で休職した公立学校の教員は過去最多の五千四百人(前年度比四百五人増)と、初めて五千人を超えました(1)。

  これは、十六年連続の増加であり、病気休職者全体に占 める割合も六三・〇%と過去最高となりました。病気休職者全体の数も八千五百七十八人(同五百九人増)と過去最多であり、増加分の八割を精神疾患が占めました。

 なお、五千四百人の年齢構成は、五十代以上千九百八十九人(三六・八%)、四十代千九百四十七人(三六・一 %)、三十代千百十人(二〇・六%)、二十代三百五十四 人(六・六%)となっています。

 これは、教員全体の年齢構成割合とほぼ変わらず、どの年代でも増えていますが、実数としては新任教師ではなく、むしろ四十代〜五十代のベテランの教師の心身の悩みが深い状況が浮かんできます。

 文科省は、その要因として、@教育内容の変化についていけない、A教員同士のコミュニケーションが減り、相談相手がいない、B要望が多様化している保護者らへの対応が難しいなどの複数の要因が絡んでいると指摘しています。しかし、こうした状況を生み出している責任の一端についての言及はありません。

 構造的な課題としては、総合的学習の時間、特別支援教育、学力重視など、教育指導の重点がめまぐるしく変 わるだけでなく、学校では課題が全部足し算になって、 教師に大きな負荷がかかっています。

 また、人事や処遇 とリンクさせようとする個々の教員への評価制度は、教師集団としての実践やチーム支援のシステム形成を困難にします。

 個々の課題としては、コミュニケーション能力や人間関係の希薄さが指摘されていますが、これは青年教師だけではありません。むしろ、比較と競争のレールが敷かれた社会・学校のなかで、長く働いてきたベテラン教師 の方が、その影響を深く受けでいることを自覚することから、コミュニケーションは始まるのではないでしょう か。コミュニケーション能力は、「あいさつ運動」をしていれば身に付くといったスキルではなく、自分と向き合うことを前提にしないと成り立たない深い双方向の人間関係だからです。自分を蚊帳の外に置いたコミュニケー ションは表層的に流れ、子どもや親の心には届きません。自分と向き合い、自分を重ねながら他者と向き合う ことで、双方向のコミュニケーションは成り立つので す。

 この視点から、子どものコミュニケーション能力を育てるために教師や親にできることは、「問うことと聴く こと」です。たとえば、小学校高学年や中高生に対して、「あなたは何のために生きているの?」「何を大切にして今を生きているの?」と問うことによって、子どもは自分の生き方や生活について、自分と向き合い対話するこ とでしょう。そして、「じやあ、先生は何のために生きているの?」「お母さんやお父さんが、今大切にしているも のは何?」と問い返すことでしょう。

 教師や親も自分や子どもと真摯に向き合わないと答えることができないでしょう。このときに、双方向のコミュニケーションが生まれるのです。


4 つながりの実感はどこから
        −−四つのかかわり

 子どもたちは、どんな時に親や教師や友達などと「確かにつながっている」と実感していくのでしょうか。先ほど触れた「聴くこと」も含めて、次の四つのかかわりが重要です(2)。聴くというかかわりは、子どもが自分と向き合い村話することを援助する教師や親からの支援にほかならないからです。同時に、教師や親が子どもの声を聴きながら自分自身と向き合い、自分の気持ちを重ねながら子どもと真摯に向き合うコミュニケーションでもあるのです。

 第一には、乳幼児期において、身体的かかわりを含めて親との関係でたっぷりと依存関係を体験することが、 つながりの原点になっていきます。子どもは、甘えたりわがままを言っても見捨てられないという安心感が土台 にあるときに、ときには叱られることがあっても受けと めることができるのです。安心感の源は、授乳やスキン シップ、ほめて認めてもらうことなどにあります。保育所や幼稚園で、「アホ、ボケ、死ね」などと叫ぶ子どもたちの心の中には、表裏の関係で自身の存在への不安が渦巻いているように思われます。たっぷりと依存関係を体験することは子どもの権利であり、受けとめられる体験を通して自分を受けとめ、子どもは自立への道を歩み始めるのです。

 第二には、学童期における遊びと勤労の体験などに象徴されるように、文句なく楽しいことを仲間と一緒にした体験が、その原点になっていきます。仲間と心と身体を触れ合わせて、汗をかきながら遊ぶ姿は、まさに自己肯定感の塊のように見えます。遊びを通して同世代とつながり、大人にあてにされ働くことを通して、大人や社会と出会っていきます。ささやかであっても、誰かのために役に立つといった体験から、あてにされることを実感する中で、自分に対する誇りも芽生えていきます。こ の時期、学校や家庭・地域で 「失敗つきの練習ができて 排除されない」体験の場をたくさんつくつていく必要があります。人間関係に必要な生きたスキルは、そんなところから身についていくものです。

 第三には、悩みを友達に聴いてもらいながら、自己の解体・再編・統合を図る思春期に象徴されるように、負の感情や体験、葛藤が出せて共有し合える関係が、その 原点になっていきます。これは、上手に甘えたり、SOS を求めたりできる力を育てていくことでもあるのです。 文句なく楽しい体験と同時に、自分が本当にしんどいときに、そのしんどさが、出せて受けとめてもらえるような友達や大人との出会いは、存在レベルの自己肯定感を育む土台になっていきます。

 人生というのは、象徴的に言えば楽しくて努力が報われる体験と、苦しくて努力がなかなか報われない体験と両面があります。その両面で人とつながっているという実感の持てる人間関係が重要ではないでしょうか。

 第四には、つながりの実感にとって、聴くというかかわりが重要です。では、何を聴き取ればいいのでしょうか。

 一つ目は、感情を聴き取ること。聴き取ってもらう ことによって、そうした感情に一区切りをつけたり、冷静に課題に向き合っていくきっかけになっていきます。 感情を聴き取るということは、信頼関係を形成し、一緒に考えていくための土台づくりという意味もあります。

 二つ目は、途中で否定せずに聴くこと。途中で、「でもね」と言わないことです。これによって、相手の存在に対する敬意を払う姿勢が伝わります。

 三つ目は、一緒に悩み考えながら聴くこと。聴くことは、葛藤の言語化を援助することですが、解決請負人になることではありません。

 四つ目は、聴くことと矛盾するようですが、言語化を急がないこと。特に幼児期、学童期の子どもたちは、内言が十分に育っていないため、本当にしんどい時や不安が高い時ほど、うまく言葉で表現できません。そんなときには、様子を見ながら黙って寄り添ってやってください。

 五つ目は、限界をわきまえて聴くこと。自分の限界を知って、決して一人で抱え込まないことです。 わからないときや迷ったときには、同僚や他の専門家に相談することから、支援ネットワークがつくられていきます。

 六つ目は、聴くというかかわりの前提として、ねぎらいの姿勢、ケアの姿勢をもって接すること。相手の抱えている課題を理解しようとする姿勢をもちながら、 「今まで大変だったね」といったねぎらいの姿勢を伝えることです。

 ひとの一生は、依存から自立ではなく、依存しつつ自立し、自立しつつ依存していくといった形で、依存と自立のバランスをうまくとっていくことにあります。したがって、乳幼児期・学童期にたっぷりとした依存関係を築くことは、自身の葛藤や弱さも出しながら、上手に助 けを求めていく人間信頼の幹を育てていきます。それは思春期・青年期の自立を支え、成人期後半から老年期には、また上手に周囲に依存していく力となって生き続けるのです。

 まず、たっぷりとした依存関係を築き、依存と自立のバランスをうまくとっていくことを生活のなかで大切にしていきたいものです。


【文献】
(1)文部科学省「平成二十年度教育職員に係る懲戒処分等の状況について」 二〇〇九年
(2)春日井敏之「心育ての保育」大橋喜美子・三宅茂夫(編)『子どもの環境から考える保育内容』北大路書房 二〇〇九年

「ひろば 京都の教育161号」お申込の方は、こちらをごらんください。
トップ ひろば一覧表 ひろば161号目次