トップ ひろばもくじ ひろば160号


新連載シリーズ 生き生きセカンドライフ
憧れの研究生活に



                吉田 秀樹(退職教職員・中京区在住)



 今この原稿を京大図書館で打っています。本を借りることはできませんが,館内で本を読むだけなら,簡単な書類に名前を書くだけで,入館できます。ありがたいことです。

  退職してから,ほぼ毎日をどこかの図書館で過ごしています。家にいたら,どうしてもダラッとするので,朝9時には,必ずどこかの図書館に入るようにしています。一番よく行くのは,銀閣寺の私設図書館です。朝9時から,深夜12時まで開館しています。受験生や司法試験などの試験勉強に励む学生や,私みたいにある目的にために勉強する人のための図書館です。誰でも入れます。有料ですが,1時間100円前後で,おいしいコーヒーや紅茶をいただきながら,集中して学習できます。私の場合,午前中4時間勉強することが多く,その場合350円です。お弁当を食べるための,部屋も用意されています。この図書館は庶民のための最高の図書館です。この図書館が京都にあることを誇りに思います。

 どうしても読みたい本がある時は,京大図書館に行きます。そこでも本が見つからないときは,京阪奈学園都市にある国会図書館関西館に行きます。ここにもなくて,東京本館にしかない時は,東京本館から取り寄せてもらっています。

 実は私は大学時代,京都大学の大学院に進学して,「三木清」という哲学者の研究をしたいと思っていました。三木清は,西田幾多郎の教え子で,パスカルやマルクスの優秀な研究者でした。しかし,経済的な事情で進学が不可能となり,小学校の教師になりました。しかし,退職した今,「それでよかった」「それがよかった」と思っています。小学校の教師になったおかげで,〈仮説実験授業〉そして〈仮説実験授業〉を生み出した〈板倉聖宣〉に出会うことができたからです。その出会は私に,「〈庶民の立場にたった学問〉,〈教育に耐えられるような学問〉の重要性」を教えてくれました。

 考えてみれば,三木清も憧れていた京都大学に採用されることなく,民間の大学の教師,そして在野の知識人として活躍したのでした。しかしそのことが悲劇を生みました。三木清は,第二次世界大戦中,思想犯として逮捕され,そのまま出獄することなく,獄中死したのです。

 三木清の死については,決して忘れてほしくない事実があります。困って訪ねてきた思想犯の友人を,助けただけで逮捕された三木清は,日本政府の「無条件降伏」とともに釈放されなければなりませんでした。しかし,彼は最悪の環境であった独房の中に,無条件降伏後も一ヶ月以上ほっておかれ,「かいせん」という皮膚病に苦しみながら,獄中で孤独に死んでいったのです。三木清の死に驚いた占領軍が,思想犯の即時釈放を命じたのは,三木清の死後10日後のことでした。その結果,多くの人の命が救われました。その人たちの努力もあって,日本の民主化は進みました。三木清の死は決して無駄ではなかったのです。

 そんな三木清のことを思いやりながら,三木清が学んだここ京大図書館や彼の下宿があった銀閣寺近くの私設図書館で,私も本を読み,文を書く毎日を送っています。少しでも,読んでたのしいと思ってもらえるような研究を,「可能な限り」,続けていきたいと思います。

  私の研究テーマは,「古代ギリシアにおいて,同時に〈民主主義〉と〈原子論〉が生まれた経緯について」と「尾崎豊伝記作成の試み」です。12月26日(土)には,研究報告会も予定しています。興味をもたれた方は,ご連絡ください。

「ひろば 京都の教育160号」お申込の方は、こちらをごらんください。
トップ ひろばもくじ ひろば160号