トップ ひろばもくじ ひろば159号
季刊「ひろば・京都の教育」第159号


エッセー 私と京都

京・系列

              蔡 美芳(サイ・ミホウ 台湾出身)



 いつかの大学院ゼミでのことであった。指導教官は「日本社会の安定を支えてきた大きな要因が『系列』に潜んでいる。その要因は『系列』を形成した『外』意識と『内』意識だ。・・・・・・日本人は他の国の人と比べて特に『外』と『内』を意識して物事を行う」と仰られていた。当時、来日して間もない「新人留学生」であった私は、この『外・内意識』に対する感覚がまだ薄かった。

 時の流れは速いもので、今年で来日5年目になる。遠く台湾にいる家族や友人たちは、時々国際電話を通じて「美芳は日本で一人暮らしをして大変だね」と心配してくれている。私自身にとっても、自分が日本で無事に一人暮らしができるとは思ってもいないことであった。しかし、最近そのわけを考えてみると、すべて私一人でこなせたわけではないことに気付いた。実は私は、知らないうちに、日本人の『外・内意識』の恩恵を受けていたのだ。今では、「日本人との接し方すら深く考えてこなかったくせに(私が何かを与えることなく)、その恩恵を受けていきたとは」と恥かしく思っている。

 私は幼い頃から、絵が下手でありながらも、油絵の画家に憧れていた。実は、指導教官のご紹介のおかげで、(学業に支障のない程度で)京都にあるアトリエ教室に通わせてもらっている。アトリエ通いは4年ほどになるが、そこにいる人達がとても親切にして下さり、今ではまるで私のもう一つの家族のような存在である。実にお世話になったものである。

 そのアトリエ教室はある建設会社の社長夫婦によって設立されたものであるが、私はアトリエ教室に対して常々疑問に思っていたことがある。一つは、そのアトリエ教室の外には目立つ広告用の看板がなく、ほんの飾り程度の小さな表札しかないことである。もう一つは、アトリエに通う生徒の間、生徒と先生との間、あるいは生徒と社長夫婦との間には必ず何らかのかたちで繋がりがあり、(私の知る限り)アトリエの看板を見て参加した人はいないことである。

 この二つの疑問はあまり意味のない質問だと考えていたので、人に聞けずに、謎のまま3、4年間心の奥にしまってきた。 この二つの謎が、最近になって、ようやく解けた気がしている(そのヒントは京都のお茶屋文化を描く映画『舞妓Haaan!!!』にあった)。事業繁栄は誰でも望むことである。事業を大きくさせる方法は多くあり、その中で、積極的に広告を出して客を増やそうとするのはごく自然な考えだろう。しかし、建設会社の社長夫婦はこの道を選ばなかった。それは何故だろうか。社長夫婦はきっと「縁があれば事業が自然に繁栄する」と考え、人との絆を大切にしているからだろう。これは、「いちげんさんお断り」の背後にある精神と同じである。

 なるほど、私はまさに京都の隅かにある「小さな系列」の中で生活してきたのだ。指導教官のおかげで、アトリエの皆さんは、私のことをこの「小さな系列」の「内」の人間だとみなし、大切にしてくれていたのだ。

 この一連の絆に関して、私はいつも感謝している。しかし、この絆の源を考えると、そもそも指導教官の門下に入っていなければ、この絆は生まれていないのだとシミジミ感じた。そうでなければ、私は一人暮らしにもよく対応できず、幼い頃から憧れていた油絵を描くこともできなかったであろう(今もまだまだ下手だが、描けるだけで満足している)。私は、指導教官の「最後の弟子」の一員になれたことを、まるで終電への駆け込み乗車にぎりぎりで成功したような幸運のように感じている(身近な例えで恐縮だが、これが駆け込み乗車の成功よりはるかに幸運なことなのは言うまでもない)。もちろん、指導教官のゼミ生になれたことに関して、いろいろお世話になった方々にも言い切れないほど感謝している。そして、これからもこの絆が長く続き、深めることができるように皆さんを大切にしたいとおもう。

<参考資料>

下谷政弘(1993)『日本の系列と企業グループ』有斐閣。

『舞妓Haaaan!!!』東宝映画2007年公開。

「ひろば 京都の教育159号」お申込の方は、こちらをごらんください。
トップ ひろばもくじ ひろば159号