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特集2 保育園・幼稚園から小学校へ--就学に際して大切にしたいこと


総論 こんにちは!学校・先生・お友だち

                  清水 民子(元平安女学院大学)


1.戦争中の一年生だった私

クラスソングは軍歌

 一九四四年の入学で、担任は男の先生でした。初日に「声が小さい!」とどなられ、ふるえあがりました。アコーデイオンが得意で、よく歌わせてくれましたが、お得意は「予科練の歌」という軍歌でした。入学後、まもなく始まった苦行が式の練習、講堂にいすを運んでいきましたが、ほとんど座ることはできません。天長節(天皇誕生日)のお祝いですから、「気をつけ」の姿勢で、歌(アーヤニカシコキスメラギノー・・・)、校長先生のお話、教育勅語、奉答歌(・・・アナトウトシヤ、オオミコト・・・)まで、すべて意味不明、ただ耐えることを学ぶような行事は毎月ありました。

朝のかけあし登校

 近所の子と誘い合わせておしゃべりしながらの登校からいつの間にか集団登校(地域単位で○○○隊と呼ばれ、列を組む)になりました。上級生はやさしいのですが、はりきるとハードです。学校が近づくと「かけあし!」の号令がかかり、校門まで疾走です。冬の厚着に「防空帽」、習字道具など荷物も増えて、重いからだを走らせるのは苦痛で、毎朝「今日はかけあしがありませんように」と祈っていました。

きまりと避難行動

 教室に入ったら、ランドセルから教科書や道具を出して机の中にかたづけておくのは「きまり」でした。「防空演習」のときは、荷物をまとめ、防空帽をかぶり、整列し、外に出て、クラスごとに決められた「防空壕」まで走って入る・・・という段取りでした。私は要領がわるい子で、ランドセルの詰め込みに時間がかかり、走るのも遅く、クラスの壕がわからなくなり、入りそびれるということを繰り返していましたから、もしほんとうの空襲がきたら、自分は死んでしまうという不安感を日に日に強くしていました。

書初め「クニヲマモレ」

 一九四五年元旦の書初めは半紙を六等分して、「クニヲマモレ」と書きました。その年の夏、七夕の夜の事故で級友の男の子が溺死しました。担任の若い女の先生は「私はくやしい!アメリカに爆弾を落としてから死んでほしかった!」と叫びました。まもなく、敗戦。入学後、二度目の書初めは「和平の春」でした。


2 学校生活のための力−−乳幼児期の育ちをふまえて

健康に生きる―食

 数年前から食生活への関心が高まり、「食育」のとりくみが奨励されるようになりました。食べ物の好き嫌いはあるでしょうが、給食やおべんとうを友だちといっしょに食べる経験のなかから、栄養の大事さや食材のいろいろ、簡単なクッキング、虫歯にならない工夫など学んできているでしょう。アレルギーなど、食生活上の配慮の必要な子どもも、自分の食べてよいもの、いけないものの知識と自覚ができてきているはずですが、保護者と学校側の間で十分な知識の共有と合意が必要です。

健康に生きる―動くの大好き

 乳幼児期の発達の基本のひとつが身体の動きに見られます。乳幼児の保育の重点のひとつも身体の動きを促すとりくみと環境の確保です。室内や園庭に設置された大型遊具はよじのぼったり、ぶらさがったり、すべったり、手足を使って身体のバランスを確保しつつ、安全な動き方を考え、危険を避ける慎重さをも育んできました。年長児は竹馬に乗ったり、なわとびをしたり、サッカーを楽しむなど、機敏で安定した動きができるようになります。

 その一方で、運動が苦手で不器用という子もいます。保育園・幼稚園の運動会は、各年齢の子どもたちの運動面での育ちを見ることができる、よい機会です。また、運動会では、子どもがどんなふうに目的意識をもって行動できているか、ルールをどう理解して守ることができるかを知ることができます。止まるべき所で止まれるか、曲がるべき所でうまく曲がる動きができるか、音楽や他の子のリズムと合わせて動いているか、ルールを守る力の基礎には、身体の動きのコントロールがあります。言葉でルールがわかる以前に、止まれるとか、曲がれるとか、つかまらないように逃げるとか、順番に渡すとか、遊びのなかで楽しんでやっていることが役に立っているのです。

 教室でじっと座っていられない子どもの場合、動きのコントロールとしての「止まる」動作を楽しめているでしょうか。動くことだけが「快」だった子どもには、いきなり「じっとしている」ことを求められても、自分に他者から求められることがあるということさえわからない、関心がないのかもしれません。

健康に生きる―生活習慣

 「食育」とも関連して、「早寝早起き朝ごはん」の合言葉が広がりました。わかりやすいだけに問答無用で迫られる印象です。しかし、「わかってはいるけれど、難しい」と悩んでいる家庭も多いと思います。両親共働きで保育園育ちの子どもたちのばあい、帰宅時間が午後七時を過ぎ、夕食が八時を過ぎ、きょうだいや親と遊んだり、本を読んでもらったり、入浴したり、ちょっとほっこりして過ごすと、寝るのは十時を過ぎるという生活パターンは珍しくありません。親たちは夜の時間のあわただしさを嘆き、早く寝かせなくてはとあせりながら、もっと遊んであげる時間や本を読んであげる時間もほしいと望んでいます。

 朝もゆっくりできません。七時までにほとんどの子どもは起きています。親たちは起こすのに苦労し、早く早くと急かして支度させ、朝食の量が少ないと心配している人もいます。「遅寝早起き朝ごはん少し」になりがちなのが、親の仕事の条件のもとでの子どもたちの生活です。子どもの睡眠時間は十分なのか、健康な育ちのための生活のミニマムのひとつとして考える必要がある事柄です。

 近年、保育時間の延長が進み、深夜(一〜二時など)までの夜間保育の需要も後を絶たないといいます。放課後の学童保育の形態を含め、就学は、親たちにとって、生活形態を念入りに再検討せざるをえない機会になります。学童保育、ファミリーサポート制度、自宅でシッターを依頼する・・・など、公的制度、民間サービスの利用、それぞれの生活条件に合わせた選択と計画がなされるでしょう。そのなかで、子どもの心も揺れ動き、新しい生活への不安が生じることもありえます。子どもがいつでもホンネをいえる時間と人間関係のゆとりが就学の前後の時期にはあってほしいものです。親の苦労や緊張感のわかる年齢になっているので、子どもはついがまんして、不安や不満があってもいいません。


3.子どもをとおして広がるお付き合い

通学路の付き合い

 決められた集団登校でなくても、近所の同級生や上級生は誘い合わせて登校することでしょう。「これくらいの時間で間に合う」と親も考えて朝の支度を進めていると意外に早く「○○ちゃーん」と呼ぶ声がきこえて、あわてるということもあります。いつも待たせる習慣などに子ども同士は敏感で、「○○ちゃんはおそい」などのイメージづくりに影響してしまいます。「わが家はマイペースで」と超然とする選択もありますが、ひとり登校はいまどき不安です。親のつきそいを続けるのも問題、やはり、通学路は学校社会、近隣社会への入り口ととらえて、通学友だちとの関係をつくりあげるサポートが家族の役割として必要でしょう。

隣の席の子は?

 クラスといっても人数が多いので、最初は、隣の席の子からかかわりあいが始まります。わが子に親しく付き合う子は「いい子」であってほしいと親は願うでしょうが、親の求める規準で友だちの選り好みはできません。出会った相手のありのままと子どもはつきあいながら、時には当惑し、困り、怒り、共感し、思いやりを示し・・・とさまざまな感情を経験して、場合によっては、距離をとって親しさが続かなくなることもあるし、一生続く親友になることもあるでしょう。友だちとの関係で悔しい思い、悲しい思いをぶちまけることもあるでしょうが、受けとめながらも、相手の気持ちにも気付かせる支えになれるよう、人間関係をより広く見渡すようにしましょう。

 ある日、学校でのワークシートを取り出した娘が、顔色を変えて怒り出したことがあります。「これ、わたしのじゃない!」見ると、名前が消しゴムで消され、書き換えられているのです。消すのも子どもの力ですから、不完全で、もとの名前もうっすらわかります。「先生に連絡帳書いて返してもらうようにするから・・・」となだめて、その夜は何とか寝かせました。連絡帳では、後に残ってしまうので、封書にし、何度も書直し、事実を伝えて配慮ある指導を願う趣旨をまとめるまで何時間もかかってしまいました。

 子ども同士は、それまでにも気持ちの行き違いが何度かあり、家庭の事情も聞き知っていて、担任の先生は新任で若くて、わが家が怒って厳罰を要求しているわけではないと知ってほしいし、娘の気持ちは納得させてほしいし、・・・というのが書き迷った理由です。幸い、娘は自分のものが手元に戻って安心したようで、親が悩んだよりは単純に済んでほっとしました(相手に対する悪意を残さないかということが心配だったので)。

近隣社会

 学童期に入ると、子どもだけで家にいる、近隣で過ごす、遊ぶという機会が増えてきます。気をつけていても、近所の家に迷惑をかけるという出来事がおこります。ボール遊びでガラスを割るとか・・・。そんなときの約束事は子どもとの間で決めておき、近所にも、「ご迷惑をかけたときには・・・」とあいさつしておきます。まず、謝りに行く、親が帰ったらすぐに報告する、親が謝りに行き、大人同士で弁償についてかたづける、子どもにも決着を報告するという手順でしょうか。失敗は避けられないけれども、解決の手続きを踏めば、信頼関係はとりもどせるということを子どもに伝えておく必要があります。


4.学習活動の順調なスタートへ

 入学に際して親のいちばんの気がかりは「勉強についていけるか?授業はわかるか?」でしょう。子どもの気持ちによりそって、「子どもの学びを共に学ぶ」姿勢が大事でしょうが、「今日は何習った?」と問い詰めても、子どもは「習った」のは何なのか、自覚して説明することはできません。子どもが話したい、聴いてほしいと思うことから、いろいろな手がかりが得られるはずです。まず、何かうれしいこと、興味のあることに出会ったか、学校での生活に困ることはなかったか、表情や話しぶりでわかるでしょう。今日一日の学校での生活課題をやりきって帰ってきたことをねぎらいましょう。

 読み書きや算数など、学校で学んでいくことは、子どもたちが知識をたくわえ、情報をもとに考え、まわりの社会や自然界のできごとに好奇心をもって、もっと知りたいと探ってゆく力の土台になることです。おとなの読み聞かせによって、伝え聞いていた事柄を、自分の読む力で知ることができる、知識の世界へ自力で歩み入ることができる、物語が、図鑑が、コンピューターも、これからの冒険のための道案内になることでしょう。

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