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特集2

現教員養成の現状と課題--団塊世代の退職と大学・学校現場−

総論 大学における教員養成の現状と課題--私の教育実践から考える−

                               臼井 利明 (大阪教育大学)


1 私の原点

 私は大阪教育大学に勤めて、今年で25年目になります。もう四半世紀が経つわけですが、教員養成系大学も大きく様変わりしました。

 私自身、大学は教員養成系大学で学びました。その中で、将来、未来の教師を育てる教師になりたいという夢を抱いて、この道に入りました。

 私が大学時代に思ったことは、大学で学ぶことが教師に役立たないのではないか、ということでした。自分が大学の教師になって、役立つ講義をしてやろうと思ったのです。今から思えば、それは大それたことでした。

 疑問は率直に大学教員に話しました。すると、「ハウツーがほしいのか」と言われました。私は、違うと思ったのです。しばらく考えて、「先生たちの講義からは、教育観が感じられないのです」と答えました。このときから、私は教育観の裏づけのある講義をしようと思ったのです。

 私が大学における教員養成の現状と課題といったことを語るときの、私自身の原点となるので書きました。


2 学生に対する教育はどうなっているか

 教員養成系大学では、実践力のある教師を育てるということがさかんに言われています。それは、私が学生時代に夢見たことでした。

 実践力形成のためにどんな取り組みがなされているかというと、たとえば、学生が学校現場に出て行く機会が増えています。昔のように教育実習だけ学校現場に行くのではなく、1回生の学校訪問をはじめ、毎学年に取り組みがあります。

 昨年、私は1回生を小学校に連れて行きました。以下に、学生の感想文の一部を紹介します。

 朝の登校指導から夕方の下校指導まで、丸1日学校という場にいて、勉強になることはとても多かったです。教師という仕事の楽しさだけでなく厳しさも感じることができました。このようなすばらしい経験を、これから自分が教師を目指す上で参考にさせていただきたいと考えています。(1回生女性)
 クラスの生徒たちもとても親切で、温かく私を迎え入れてくれました。靴箱では「この靴箱を使ってもいいよ」とか、掃除のときは「ぞうきん、掛けといてあげる」など、積極的に私のお手伝いもしてくれて、ひとりひとり皆優しい心を持っていて、それが私にも直接伝わるのです。メディアが昨今伝えるような学級崩壊やいじめばかりのマイナスイメージを打ち消してくれる心地がしました。直接子どもと接することでしかわからないことが、まだまだいっぱいあるんだなあと思いました。(2回生女性)
 私は生徒と仲良くすることを考え、遊び相手になったり、話し相手になったり、時には冗談も交えながら生徒たちに接した。しかし、今回の私と生徒の関係は、先生と生徒というよりは、お兄ちやん的なものになってしまっていた。だから今回の反省として、生徒との線の引き方をどのようにすればいいかを今後考えていこうと思う。そして、近すぎず遠すぎない自分の考える理想の距離を探してみようと思う。(1回生男性)

 以上のように、学生はとても前向きであり、学校で子どもと教師にあたたかく迎えられる中で、教師になる意欲を高めています。


3 教員養成系大学の現状

 しかし、単に子どもにふれたりすることが実践力養成に対する大学の役割ではないはずです。私が学生時代に考えたのは、教育観の裏づけのある取り組みでしたが、それは十分ではありません。

 大学では教員どうしで話し合っています。私たちが考えるのは、学生が現場に行くだけではなく、さらにそれが大学の学習とつながるということです。従来のように個々の単位を寄せ集めるカリキュラムではなく、相互の学びを統合し、理論と実践をともに高めていけるようなカリキュラムです。

 ところが、こうしたことをいくら話し合っても、実現する見込みはありません。なぜなら、そうしたカリキュラムを実施するためには、今よりももっと手厚く教育を行うことになり、今の教員では足りなくなるからです。

 今でさえ、運営交付金(政府から大学に交付されるもの)が毎年、1%削減されており、教職員が削られています。今まで開いていた講義は担当者がいなくなったため不開講になり、どうしても必要な講義は隔年開講でしのいでいます。ところが、来年はさらに2%上積みされ、3%が削減されることが、今年7月の閣議で決定されました。文部科学省によれば、これが実施されると、国立大学のいくつかはつぶれるそうです。

 お金がなくても、できるところからやればよいと思われるかもしれません。私たちも同様に考えていて、個々の教員はさまざまな取り組みや活動をしています。

 ところが、そうしたことができなくなりつつあります。なぜなら、結局は、国が進めている政策に合致した取り組みでなければ評価されず、評価されなければ、さらにお金が減らされ仕組みになっているからです。もちろん、国は、よいことをするなとは言っていない、と言うでしょう。しかし、お金はどんどん減っていき、教職員が減っていき、他方で、業務が増大・多様化・複雑化していく状況の中で、あれもこれもするといったことが難しくなりつつあります。評価により、本当にしないといけないことに力が回らない仕組みになってしまっているというのは、皮肉な現象です。


4 自分の頭で考える教師の養成

 大学における教員養成という原則は、戦後日本が戦前の師範学校による教員養成を反省してできたものでした。

 私は学生に批判的な思考力をしっかりとつけてもらうのが何よりも大学教育の基本であり、大学における教員養成の柱だと考えています。ただし、批判的な思考力がすぐに実践力につながるわけではありません。そこで、さまざまな工夫をしています。

 たとえば、進路指導の講義では、労働と進路についての基本的な考え方や知識の獲得を目指しているのですが、そこでは、フリーターやニートを題材にしています。それは今日の労働と進路を考える上で焦眉の話題であるばかりでなく、何よりも学生自身に自分の問題として考えてほしいからです。

 授業後の学生の感想を紹介します。

 いままでは、非正規雇用者に対して、どうして働かないのか、なぜ働かないのか、など固定観念もあった。しかし、みんな考えがあるということがよくわかった。今の社会は労働形態,人間関係、年代の違いによる考えの差がたくさんあると思う。それに対して逃げずに、向き合っていくことで自分の仕事になっていくのだろう。(3回生女性)
 進路指導の授業を受けるまでニートやフリーターは定職についていないということだけで「もとから働く気がない」とか「我慢できない人」などのようにマイナスな印象だった。しかし、即戦力や新卒の労働者を企業が求めていたり、給料に見合わないほど多い仕事の量・ノルマなど中途労働者が働く目的を見い出せない社会が背景にあるのだということを知ってからマイナスの印象は小さくなった。またこのことに気付いてからは、物事を表面的だけで考えるのでなく、裏にある背景を考えたり、目が向くようになったことがうれしく思う。(3回生男性)

 以上の感想文を読むと、自分の頭で考えることの大切さに気づいてくれるようです。

 学生は、はやる気持ちから、教師になった時、どう教えるのかを知りたいと、口々に言います。しかし、私は、まず自分たちがもっと学び、労働権を実践する大人になってほしい、と言うのです。それに、どう教えるか、だけでなく、何を教えるか、を大切にする教師であってほしいと願うからです。

 私が学生に言うことは、知識があるだけでは不十分であり、実際にまわりの人とつながっていかないといけないということです。そのため、私の講義は、私が話すだけの一方通行のものではなく、グループ学習と全体討論の時間をふんだんに入れています。また、会社に勤めておられた方にも毎時間来ていただき、議論に参加していただいています。企業の労働現場のことも知ってほしいだけでなく、同年代だけでなく異世代とかかわることのできることが、社会に出たら特に重要になると考えるからです。人とつながることのできる教師になってほしいのです。


5 現職教員の学びの保障

 私は今年の3月まで夜間大学院の専任教員でした。夜間大学院の学校教育実践専攻は、現職教員を対象にした専攻です。私たちが念頭に置いているのは小学校または中学校の教師ですが、幼稚園から大学の教員まで幅広い方が学んでいます。

 実践的な課題を抱えて学習に来られます。ある院生は、支援の必要な子どもが多くいて、大人にサインを送っていることを知りながら、それになかなか応えられない自分の歯がゆさを感じていた、それをどうにかしたくて学びに来た、と言っておられました。

 大学院の教育の目指すことは理論と実践の統一です。ご自身の実践を理論化する場所なのです。それと同時に、自分の職場を離れて、いろいろなことを語る時間が持てること、また、目標をもって頑張っている、さまざまな人との出会いが大きな励ましや宝となっているようです。大学院に限らず、こうした場が求められているように思います。


6 これから求められる教員養成の課題

 私の原点からすると、大学における実践力の形成とは、教育観のあるものでした。問題は、その教育観の中身です。一つは、どれだけ教育の本質に根ざしているのか。

 もう一つは、どれだけ現実を見据え、それを変えることができるのか。そうしたことが問われているように思います。教育とは、信頼を築き、希望を語ることではないかと思います。そして、それを子どもとともに、教師や保護者、みんなとともに力を合わせて実現できることだと思います。大学で教師を育てる教育も、同じことが問われているように思います。今の大学で、いったい、どんな信頼を築き、希望を語ることができるのか、自問自答の毎日です。

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