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私と京都


京都とともに歩んだ15年

                               エニ レスタリ(インドネシア)


 1993年3月13日に初めて日本にやってきました。そのときから京都での暮らしも始まりました。今から思うと、これが私の第二の人生のスタートでした。

 それまで日本へ行くということなど夢にも思わなかった私が、突然研修のために行かなければならなくなりました。日本のことを調べる時間もなく、日本語もまったくできない私は、もう目をつぶり、勇気をふるって日本にやって来ました。 成田空港から東京エアポートターミナルまで、一人でバスに乗りました。時とともにだんだん緊張が高まります。やっと東京に着くと、JICAのスタッフが迎えに来てくれていて、ほっとしました。もちろん日本語ができない私は英語で話すしかなく、インドネシアで勉強したことが役に立ちました。国では英語で話す機会はなかったのですが。

 2週間、ホテルに泊りました。最初の日が一番辛かったです。スタッフがホテルまで送ってくれました。「月曜日にまた迎えに来ます」と言って帰りました。部屋に入って、さてどうしょうかと思い、困ってしまいました。 初めて京都に着いたときは、なんだか自分の住んでいたジョグジャカルタの街と同じ雰囲気を感じました。古い街である京都には、歴史的な場所や建物がたくさんあり、日本の伝統を感じました。着物姿の女性があちこちに見かけられました。

 言葉も京ことばの優しさが耳にふれ、意味があまり解らなくても、どこか懐しい感じがします。河原町通りの夜も賑やかで、露店やストリートパフォーマンスがあり、まるでジョグジャカルタのマリオボロ通りのようです。しかしもう今ではその雰囲気は見られませんが・・・。

 半年間京都で文化財の保存と修復の技術を研修しました。土日は休みで京都市内や大阪へ遊びに行きました。私の気にいった場所は鴨川です。三条大橋の上から北の方を見ると、絵のように山々が見えます。見るたびに山の色や雰囲気が変わっています。川岸に座って、川の流れを楽しみながらお弁当を食べるのは、最高の過ごし方だと思います。私は川の流れを見るとほっとします。

 小さい頃、父親の転勤で田舎暮らしをしたことがありました。飲み水や、洗濯、水浴びのために、社宅から片道5キロの泉まで、毎日水を汲みに通いました。泉から小川に水が流れ出しています。そこで母の仕事が終わるのを待ちながら川で水浴びをして遊んでいました。川の水で疲れや辛さを流しました。今でも川を見るたびにその思い出がよみがえります。川に悲しみや辛さ、痛みを流すことができます。そして川の流れから力をもらいます。川がまっすぐ海まで流れるように私も心をまっすぐにして人生を歩みたいものです。

 研修を終わって帰国しました。日本で学んだことは仕事にもちろん役に立ちましたが、日本の暮らしから学んだこともたくさんありました。半年間はとても短く感じました。けれども、気がつかない間に、自分の暮らしのスタイルが変わっていました。自分の命も他人の命も同じように大切と思うこと、時間を守ること、信頼関係が基本であること。日本では道を渡るために信号があり、安心して渡ることができます。ジョグジャに着いたとき、道を渡ろうと思ったら足が止まってしまいました。大丈夫か心配になりました。

  「時は金なり」ということわざがあります。今まではあまり気がついていませんでしたが、この半年間で私は時間を守ることの大切さが実感できました。とくに電車の時間から学びました。インドネシアではバスや電車は時間通りには来ません。

 1995年4月、再び日本に来る機会がありました。このときは福岡市で考古学管理を研修するためでした。やはり半年間、午前中に日本語の勉強、午後からは考古学の勉強をしました。この半年間もあっという間に終わってしまいました。

 日本が好きになった私は、運命であるかもしれませんが、1996年に再び京都に戻りました。今回は研究者としてではなく一市民として京都に住むことになりました。京都国際交流会館にお世話になりました。日常生活に必要な多くの情報が得られ、日本の文化を知り、地元の市民や他の外国人とのふれあいと交流もできる場所です。国際交流ボランティアの方々から日本語をはじめ、漢字、かな、生け花、日本料理などを教えていただいたことを深く感謝いたします。 このおかげで近所の人たちや職場のみなさんと付き合うことができます。

 私も自分の国の文化や習慣をみなさんに知ってもらおうと思い、国際料理ボランティアの会や、いろんなイベントに参加して料理や舞踊などを紹介しました。

 2001年に子どもを出産し、母親となりました。女として母親になるのは自然であると考えますが、実際になってみると、そんなに簡単なことではないと思いました。子育てをしながら、ボランティア活動も仕事もやっています。 2003年4月から京都市外国人市民として、京都市ユニバーサルデザイン審議会委員に選任され、2008年6月からは京都府外国籍府民施策懇談会委員に選任されました。少しでも京都の発展につながればと思っています。

 今、街の様子もずいぶん変わってきました。外国人にも市民にも暮しやすい街になりました。古い街並みや歴史、文化を守りながら、時代の変化にも応じて理想的な街に進んでいると思います。15年前と比べればいろんな外国語の案内板がたくさん公共施設にあり、バスの中でも英語の案内があって便利です。 この15年間、最初は研究者として京都に来て、その後は一人の女性としても、母親としても、様々に立場も変わりながら暮らしています。

 ある友人に、日本人らしいインドネシア人といわれています。でもどこの国籍であるか、それは関係ないと思います。気がついたら、自分も成長しているのです。祖国にいては解らない自分の国の魅力を一人のインドネシア人として、できるかぎり紹介し、日本の文化や生活習慣に合わせながら自分らしく生活を楽しく暮らしていければ良いのではないでしょうか?

                                (原文は日本語。インドネシア出身)

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