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特集2 地域で育つ子どもたち
−−教育・子育ての宝物 再発見!

暗さをなげくより灯をともそう



         棚橋 啓一(京都教育センター・子どもの発達と地域研究会)


矛盾は発達・発展の原動力になる

  中国に「くらがりに不平を言うよりも、ろうそくに火をつけた方がいい」という意味の ことわざがあると聞いた。  今、子どもたちの発達、教育について考えても、人間軽視、経済効率優先の社会、差別的強権的な冷たい政治や行政など、大きな暗がりの中にいるような状態である。この状態を切り開く光と熱をもたらす熱源、光源は何か。そしてそれにどのようにして火をともすか。それを明確にして行動にすることが、今、強く求められているように思われる。

 暗い中、冷たい中でも、子どもたちはぐんぐん成長発達している。父母は困難な状況の中でも、日夜、生活と子育てに懸命である。矛盾を抱え強い要求を持っているこの子どもや親たちは、光と熱のもとになる大事な一つであろう。もちろん、この矛盾を発達・発展の原動力にしていくには、主体性をもち、意欲や基礎となる力が必要である。


子ども、父母と地域

  花も木も、種子が土に置かれてこそ発芽し成長して大きくなる。既知の栄養を含んだ水 で水栽培しても、根が水の中では自分の力ですっくと立つことはできない。草花も樹木も土と結びついて成長し生きていくのである。

 子どもの生活、発達もこの例と並べて考えると色々なことが見えてくる。父母が子育て をし、また子どもが生活し育つ土壌は地域社会である。言葉の面では、母音の形成も話し方も周囲の人達から学んでいく。京都で育てば京都弁、イギリスで育てば英語が身につく。形成期には繰り返し練習も重要であるが、地域の生活の中で主体的にその力を使い、障害や矛盾にぶつかりながら、人間としての発達を獲得していくのである。でなくては、人間としての生きる力にはならない。この複雑・多様な周囲、地域社会との関わり、ほんもの体験こそが子どもの人間的発達の土壌である。

 母親たちも子育てに苦労し、悩み、生活している地域の中で、連帯し共同して矛盾を乗り越えながら育っていく。


子ども、母親たちの主体的な活動

 私の関わっている身近な小さな例をあげて、地域で子どもや母親たちの主体的な活動が、どのように始まり、発展していったかについて、少し述べてみたい。

 十年ほど前から、私は夏に近くの公園にある幼児のための「ちびっ子プール」の運営に、親たちや地域の人達と協力してあたっている。以前は京都市が、地域の人達に運営を委託していた事業であったが、数年前この事業が廃止され、現在はこちらから申請し許可を受けて実施している。

 暑い夏の日、プールで幼児の遊んでいるのを何人もの小学生が眺めていた。自分たちが小さいとき遊んでいたプールだ。

 私は声をかけた。  「朝のプールの掃除をするか?」  子どもたちは頭を集めて相談し、「うん、やる」と言ってきた。

 母親たちに連絡したところ、母親たちは当番表をつくり、母親も当番を決めて何人かが朝の掃除に参加するようになった。以前から周辺の地域のいくつかの町内会と共同で、プールの開設の準備や開設中の安全管理の当番などを相談して運営していたが、母親たちはそこへも積極的に参加するようになった。

 母親たちの活動はさらに発展し、翌年には、プールで行う遊びやゲームのグッズをたくさん作ったり、ゲーム大会の運営にも参加するようになった。

 ここで子どもたち、母親たちが主体的に行動していることに注目したい。プールに(水に)入りたいという子どもたちの要求、子どもたちの活動を支え自分たちもいっしょに活動しようという母親たちの要求、それが「プール運営に協力」という形で実現したのである。やりたくてもできなかった課題を、前向きに捉え、一歩踏み出したのである。

 子どもたちに、みんなの掃除のおかげで幼児の健康、安全、活動の場が整備され、母親や地域の人達も喜んでいることを説明した。子どもたちは自分たちが意義のある社会的な活動をしている、みんなに喜んでもらっているということを実感し、自信をもった。

 母親たちもどんどん活動を発展させた(この母親たちの集まりは、子どもたちの幼稚園時代のつながりがもとになっている)。私はこのグループに頼まれて、子どもたちの勉強会や野外活動を共にするようになった。その活動の中で、子どもたちは紙芝居を作ってプールでの遊び会やイベントのときに実演したり、幼児たちに渡すグッズを作ったりもした。

 このようにして地域の人達、母親、子どもたちが関わり、共同して活動する場が形成されていったのである。


子どもの発達、母親集団の発達

 子どもたちの多くは最初、プールの掃除のしかたがわからなかった。プールの中に入って喜んでいるだけで、ブラシもうまく使えない子が多く、最初は掃除道具の持ち方使い方、掃除の順序などを子どもたちに教えたりしながらである。

 掃除の心構えのない子どももいた。一方、掃除をするのだと、最初から目的意識的に取り組む子どももいた。家庭や学校などの生活の中で、掃除の必要性を実感し、主体的に掃除の目的と方法を体得している子どもである。

 ここは掃除しにくい部分だがきれいにしておかないと・・などと、質的に高度な方へ少しずつ進めていった。子どもの方からここもやっておかないと・・などと、積極的に掃除の範囲を広げていくこともあった。手指の働きや目のつけどころ、体の構え方、力の配分、見通し、知識、共同、協調など、どんどん力をつけていく。労働が子どもを発達させ教育することがよくわかる。

 集団の力は大きい。掃除の意義を集団が掴むと、勢いがついてきて、小学校低学年中学年の子どもたちであったが、かなりのことができるようになった。親もいっしょになって掃除をした。弟妹の幼児がついてきて掃除に加わることもあった。

 みんなの前で紙芝居を演ずる懸命な子どもたちを見て、ほんものの生活体験がいかに重要であるかを改めて思った。プール利用の幼児の親たちもこんな様子を見て、このちびっこプールの取り組みの厚みを感じているのではないかと思う。朝、公園を散歩する人が、「えらいな」と掃除をする子どもたちに声をかけていくこともある。

 子どもも地域社会の一員である。地域が育て、地域で育つ。

 子どもの権利条約には「国は、父母が子どもの発達しつつある能力に適合する方法で適当な指示及び指導を与える責任、権利、義務を尊重する」「親は子どもの養育、発達についての第一義的な責任を要する」とある。

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