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京都歴史教材 たまて箱 55

"路面電車"人・物・文化・想いを運んで



         早川 幸生
「ひろば 京都の教育」155号では、本文の他に写真9枚が掲載されていますが、本ホームページでは割愛しています。くわしくは、「ひろば 京都の教育」155号をごらんください。


 東山三条を少し東に入った所で生まれた僕は、朝から晩まで石畳の上のレール上を走る路面電車の音を聞いて育ちました。

 昭和三十年代の三条通は、旧東海道の名残もあり、国道一号線が大津から山科を通り、東山三条までのびていました。

 家の前の路面電車。それは京阪電車の京津線でした。特に蹴上から三条京阪までは、三条通の真ん中を路面電車が通り、その両側にトラックやバス、タクシーが走っていました。

 そしてもう一つ、馴染み深い路面電車は、東大路通を南北に走る市電でした。

 京都は、日本で最初に電気鉄道が走った町だということだけは知っていましたが、実感できたのは、伏見の子どもたちとの商店街の見学学習の時でした。大手筋・納屋町・竜馬通商店街の見学で、油掛通を通った時のことです。竹田街道と油掛通の交差点に石碑が一本建てられています。「電気鉄道事業発祥の地」と書かれ、鉄道友の会が建てたものです。練羊羹で有名な駿河屋本店の一角です。お店に入ると、当時の御主人の撮影された写真や、登録商標の版画等が掲げられています。そのいずれにも、チンチン電車が店のすぐ横に止まっています。明治二十八年に下油掛から京都駅まで通ったとされる起点でもあり終点でもあったのです。岡崎公園での内国勧業博覧会の大阪からの客は、淀川の船を伏見港で降り、電車に乗り継ぎ岡崎に行くのが運賃が安かったそうです。

 このなつかしい市電に合える場所があります。以前は、京大病院構内など、何か所かに古い型の市電に会える場所がありましたが、覆いがなく、雨晒しや、光劣化のため、原型を留めず、今ではなくなった所が多い中、場所も分かりやすく、雨よけの覆いもあり保存状態が良いのは、平安神宮の神苑内に展示されている物です。神苑拝観受付を入り、左に三〇メートルほど進んだ所にあります。そこに説明板があり、以下のように書かれています。

  「日本最古の電車  この電車は、明治二十八年一月三十一日に日本最初の交通輸送業電車として、京都電気鉄道が運行したものである。
 当初は伏見線・木屋町線・鴨東線(平安神宮のある岡崎付近にも敷設されていた)を開通、次いで明治三十三年には北野線、三十七年に西洞院線を増設・運行し、我が国電気鉄道の先駆として交通事業に貢献するところが多かった。
 しかし、明治四十五年六月京都市が市営にて電気軌道の営業を開始し、大正七年には京都に合併された。その後、昭和二年四月までの間に、木屋町線・出町線・烏丸丸太町線等の路線が随時廃止され、主要路線は広軌に取り替えられたのだが、北野線のみ同じ狭軌のまま残されていた。
 しかし、時勢の推移は如何ともすることができず、最後のこの線も、昭和三十六年七月をもって廃止され、永年チンチン電車の愛称で親しまれた我が国最古の電車も、その姿を消すこととなった。(中略)展示している電車は、車体は梅鉢鉄工所の制作、電動機はアメリカゼネラルエレクトリック社の製品である。昭和三十一年頃、神戸製鉄株式会社によって修理が施された」と。

 余談になりますが、伏見の羽束師小学校勤務の折、大阪から五年生の春に京都に転校していた女の子がいました。その児童の名前は梅鉢さんと言いました。当時は小児喘息と言われ、宿泊学習には、必ず吸入ポンプ持参とのことで、行事の前夜に家庭訪問し使い方を教わり、預かって帰り、行事終了後また返却といった具合でした。そのように家庭訪問が重なり、何かの折りに「梅鉢さんて、珍しいお名前ですね」と尋ねたことがありました。

  「祖々父の時代に大阪で鉄工所をしていた」「京都の市電の車体を造っていたとの事だが、確かめようがなくて・・・」との返事でした。

 その時、すぐに思い出したのが、平安神宮神苑に展示されているこの市電のことでした。次の休日に早速、平安神宮を訪れました。市電の車体周りを捜してみました。すると、車体の側面の中央部、緑のペイント最下部のすぐ下に、車体から金属が浮き上がったようにして「大阪・梅鉢」の文字が確認できました。梅鉢さんの話は本当でした。感激でした。

 次の日、梅鉢さんの連絡帳でこの事を知らせました。そして、次の週の月曜日、

  「先生、家族みんなで平安神宮行ってきた」と、お母さんのお礼の内容の連絡帳を手渡す梅鉢さんがいました。

 市電について、一番最初に話してくれたのは父でした。明治四十三年生まれ、中京の二条城の東側で生まれ育った彼の話は、市電開設初期の当時の様子を子どもの目線でとらえた楽しいものでした。思い出しながら、書いています。彼は「チンチン電車」と呼んでいました。

  「乗ったり降りたりする時は、自分で鎖をはずさなあかん。雨ふったら、運転手はずぶぬれや。何でてか。運転席の前にガラスも何もあらへんさかい、雨ふったら大変やで。カッパ着て運転してたな。それでもぬれるし、雨の日の運転は、そら見るからに大変やったなあ。暗うなると、提灯持った、先走りの男の子が、『電車が来まっせ。危のおっせ。気いつけとくりゃっしゃ。電車来まっせ。のいとくりゃっしゃ』て言うて、電車を先導してたな。あっ、そやそや。町内のごんた仲間がこんなことしてたな。電車が来る前に、レールの上に何本か五寸釘を置いとくにゃ。うまいこと市電がひいてくれたら、ごんた仲間は大喜びやった。それ何に使うてか。手裏剣やがな。うまいこと電車がひいてくれたら、釘はペッチャンコになった。そろたのを二本選び、十字の形に置いて、ひもや糸でくくったら手裏剣の完成や。怒られへんかったかてか。そら見つかったら、やいと(お灸)やったな」

 六十年以上前のできごとをつい昨日のように話す父は、すっかり少年時代に戻っていました。二条城のお堀で鯉を釣ったりの、町内では名の知れた、ごんたな双児の兄貴だったようです。子どもの頃にこの話を聞いた僕は、早速手裏剣作りを試してみました。お世話になったのは、家の目の前を走る路面電車京阪電鉄京津線の急行でした。作品は上出来で、一時町内の男の中で流行したのでした。


――北野チンチン電車――

 京都では、市電という言葉より「チンチン電車」と言った方が、お年寄りにはなじむようです。発車する際、ペダルを踏む等して、乗客に知らせた「チンチン」という音が、呼称として使われ続けたようです。

 一条通の七本松の交差点に、北野線が廃止際に作られたモニュメントがあります。写真のようなブロンズの透かし彫りのチンチン電車と、プレートが置かれています。紹介します。

「北野チンチン電車  明治二十八年二月一日、人力車の時代に日本で初めて京都の町に電車が走りました。このモニュメントのある七本松一条の横町をチンチン電車が走り、北野線として開通したのは、明治三十三年のことでありました。

 以来、昭和三十六年七月三十一日限りで廃止されるまで、北野線のチンチン電車は明治・大正・昭和と三代にわたり、北野商店街の軒先ぎりぎりを走り続け、運転手は沿線の人々の生活にとけ込むような親しさで、北野天満宮と現在のJR京都駅まで往復していました。

 北野天満宮は学問の神様で、境内には牛をお祀りし、約二千本の種々の梅は特に有名で、天神さんの縁日にはたくさんのお参りの人で賑わい、このチンチン電車は満員でありました」

 長い間、地域の人々に親しまれ、愛された北野のチンチン電車の終幕を惜しみ、慈しむような文章に、胸を打たれる思いでした。

 中京区、蛸薬師木屋町にあった立誠小学校が、最初の勤務校でしたが、中学年で「地域の昔しらべ」をしました。高瀬川に沿った木屋町通にチンチン電車が走っていたことを知りました。目で見る資料を捜していた時に、古書籍屋さんの児童が一枚のコピーを持って来てくれました。資料8の写真です。

 児童も、僕も初めは信じられませんでした。が、子どもたちは、川沿いの植え込みのないこと、歩道がないことを見つけ、木屋町通にチンチン電車が通れたことを発見しました。


――修学旅行で再会――

 京都では会えなくなった市電が元気に活躍し、会えるだけでなく乗れる機会に恵まれることがありました。紹介します。

 一つは、岐阜県犬山市の明治村です。伏見区の羽束師小学校は、修学旅行が岐阜名古屋方面でした。リトルワールド、瀬戸多治見の陶器の見学と体験学習。そして、豊田自工の工場見学でした。自由行動の明治村が好評でした。

 子どもたちの一番人気は、SLと京都から運ばれたというチンチン電車でした。運転手や車掌も当時の服装で、カイゼルひげまで生やし、記念撮影ナンバーワンのスポットで、正に明治時代にタイムスリップの一時でした。

 もう一か所、京都の市電が廃止された当時の、京都市民馴染みの市電の見られる町があります。それは広島の町の市電です。全国の廃止になった路面電車を集め、観光にも役立て、地球にやさしいエコ都市交通として路面電車を維持しています。左京区の修学院小学校と、山科の山階南小学校の修学旅行が広島・宮島方面でした。世界文化遺産を訪ね、歴史学習の始まりと平和の大切さを体験する旅でした。広島駅に降り、駅前の広電に乗るのですが、運がよければ昔、東大路で運行されていた、赤いプレート1番の「百万遍行き」か、緑のプレート6番の「京都駅行き」に乗車できました。電車マニアの児童は「京都の市電や」と大喜びしたものでした。原爆ドーム前で降り、平和公園を見学し、また、宮島口まで京都の子どもたちを運ぶ、京都の市電がありました。

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