トップ ひろばもくじ ひろば152号

季刊「ひろば・京都の教育」第152号



特集1 検証 京都市の教育行政はこれでいいのか

総論 京都市の教育行政の検討

市川 哲(京都教育センター・地方教育行政研究会)



1 京都市の教育行政の特徴と企画労務係の位置

 かつて1967年の富井市政誕生からしばらく「革新市政」と呼ばれる時代があった。その10年ほどの間に、組合敵視の人事の解消、「学テ事件」などの不当免職処分の撤回、学習権保障の観点の明示、教科書採択の民主化などの前進が京都市の教育行政にもみられた。「しかし一方、保守市政下の教育行政の残滓を払拭しきれていない 」面も多くあった。同和教育行政や障害児教育行政とその人事行政に公正・民主・科学性の原則が貫かれないことや議会を気にしすぎて教育理念にもとづく自律的教育行政運営が弱いこと、幹部職員のみでの企画政策決定や企画労務係中心の非民主的運営が払拭できていないこと、教育要求運動や教組活動に対する敵視意識が残る事務局の官僚主義的傾向、などである(室井 修「京都市教育行政の到達点と課題」(京都教育センター『教育を国民の手で』第2号、1978年)。

 1975年船橋市政2期目からは各党「相乗り」となり、「革新市政」が変質し、保守市政に回帰する。労務対策的教育行政は、校長協力者とそうでない者の氏名を挙げて教委に報告する秘密調査(「学校状況調査」)の発覚(1982年)、市教組・京教組の分裂、破壊(連合日教組京都支部づくり)を日教組役員らと謀議した「岡山・山佐本陣事件」(1989年2月)、「"校長道というのは、死ぬことと見つけたり"の気構えで事にあたってほしい」とする「全市学校校園長研修会」での教育長訓辞(1989年)、採用や人事とも関連する思想調査まがいの"講師評価表"を校長に出させる(1992年)など、時にスキャンダラスな面を見せつつ、その度を強めていった。

  最近でも内閣府主催「文化力タウンミーテイング・イン・京都」(2005年)における一部市民の意図的排除など、「敵視意識」と従来の手法が露呈することもある。また日常的には、履歴事項として賞罰欄に記載する校長の内申にもとづく教員表彰制度(2002年から)や目標管理による「教員評価制度」(2006年度から本格実施)などの手法で、巧妙に教職員管理が強めてられている。

 こうした教育行政の中軸が、1956年に全国で初めて設置された「企画労務係」(職務は、特命による調査・企画・立案、市議会関係事務、報道機関との連絡調整、職員団体及び労働組合関係対策など)である。この企画労務係は今も総務部総務課にあり、「特命による調査・企画及び立案、報道機関との連絡調整、陳情・職員団体及び労働組合に関すること、市会との連絡」などを担当する。そして「中枢的職務内容をもつ企画労務係が事務局職員の出世の登竜門となり、労務対策で辣腕をふるったものが事務局幹部へと昇任していった」(室井:同上)という仕組みは今日も変わらない(「表」参照)。

  「表」は公刊資料と市教委HPなどから作成したもので、配属不明の年度もある。運動団体や労働組合、政党、報道機関との調整、折衝を "うまく"こなす相当の政治手腕が必要である。その中で人脈もできる。企画労務係は政治への関門でもある。


2 教育改革のひかりと陰

  こうした市教委が「教育の先進都市」等と喧伝し、マスコミも注目するのが京都市の教育改革である。しかし施策を検討してみると、額面どおりに受け取れない面もある。  

@「30人学級の実施など、少人数教育の推進」

<小学校1年生の35人学級(03年度から。2年生は04年度から)、中学校3年生の30人学級(07年度から)>

国が少人数学級の設置を認めた01年の段階で、市は独自の施策化を躊躇し、府と国の政策の転換を待つ姿勢であった(京都市会「普通予算特別委員会第1分科会・第3回(01年3月5日)」における総務部長答弁)。政策転換の背景には30人学級と教育条件の改善を求める毎年の請願運動や少人数学級を早くから導入する全国の趨勢(例えば、犬山市では全国初の小中全校30人学級を04年から実施)がある。

A「「新学力向上アクションプラン」等の推進」

<43年ぶりの「全国一斉学力テスト」を4月に控えた07年2月、各校に「学力向上チーム」を設置し、3月20日までに新年度の「学力向上プラン」を作成するよう指示>。

 例示された学力向上策は「教育再生会議」が「授業時数10%増の具体策」として6月に提言する「7時間授業」「帯タイムの活用」「長期休業中の活用」「土曜補習の実施」などである。安倍前首相の「政権放り出し」で「再生会議」の位置が曖昧な時期すらあったが、もともと議論がそのまま施策化されるわけではない。議論だけで終わるものもあり、たとえ施策化されても教育における地方自治の原理のもと、地方が判断する余地がある。教育改革に必要なのは従来の取り組みを検証・総括し、市や学校レベルの課題をふまえることである。「再生会議」の議論をそのまま学校に下ろすことは手続的にも、また内容的にも問題がある。

B「「学校裁量権の拡大」等による特色ある学校づくりの推進」

<年間授業日数205日以上の確保を目的に(標準は198日)、全校で「二学期制」を採らせる。これは03年度から始まり、06年度に規則化>

 「二学期制」の導入で、4月の始業式と入学式が早まり、異動する教員は3月中に新任校の職員会議に出ることになる。年度末の成績と事務処理を急ぐ必要があり、授業を早めに切り上げなければならない。学校の総括と方針の論議は、時間もなく、教員も欠けるので難しくなる。当初、市教委が示す"二学期制も採りうる"との「例示」に各校が従う形で進んだが、学校の教育改革を進んで行っているかを尋ねる校長評価の項目に「例示」されており、教育改革に消極的だと評価されたくない校長は「二学期制」を採らざるを得ない。こうした手法が「学校裁量権の拡大」と相容れないことは明らかである。

C「学校運営費の費目にとらわれない柔軟な執行」

<04年度46億9984万円、05年度48億8436万円の「学校裁量による特色ある小・中学校運営の推進」費が設けられた。「管理運営費、学校行事費、実習材料費など」に充てる従来の「学校運営費」に代わるもので、06年度から「小・中学校経常運営費」となる>

 04年度に学校運営に用いる予算が2割、1校あたり平均で2百数十万円、総額で9億円カットされているが、03年度45億3996万円に対し、予算は見かけ上増えている。それは03年度にはあった「小・中学校教材費、理科設備費」と「小・中学校図書費」分(計9億4479万円)を組み入れたからである(「図」の04、05年度はその9億円余を引いてある)。

  03年度に比して06年度40億280万円、07年度38億9148万円と減っており、水光熱費や教材・教具などの授業に係わる経費が窮屈になっている(実際は04年度から減っている)。クーラーはついたが、比較的涼しい1階で温度管理されており、屋上が熱くなる最上階では窓を開け、風を入れた方がましという状況やプール使用を減らす学校もあるという。

  06年度から「小・中学校経常運営費」となったが「教材費、理科設備費」と「図書費」は費目として復活していない。一旦「推進」費を設けたことで9億円分をカットしたことになる。

 日常経費の捻出のため、「みやこ学校創生事業」などの教育改革を具体化する事業に各校はエントリーしている。授業に係わる経費は本来行政が手当すべきものだが、それを用意するため、教育課程に影響する事業を受け、研修や報告に追われて教職員がさらにゆとりを失い、疲弊する状況は異常である。

D「開かれた学校づくりと市民ぐるみで進める教育改革」

<「京都方式による「学校運営協議会」設置・取組の推進」として全国一の数を誇る学校運営協議会制度(コミュニティ・スクール)>

 そのモデルが02年度から「新しいタイプの学校運営に関する実践研究」(文科省指定)、さらに04年11月に市教委の学校運営協議会を設置する学校の指定を受け、05年5月に学校運営協議会を発足させた御所南小学校である。

 学校運営協議会の権限は@教育課程の編成その他教育委員会規則で定める事項について校長が作成する基本的な方針の承認を行う、A教育委員会または校長に対して意見を述べる、B教職員の採用その他の任用に関する事項について、任命権者に対して直接意見を述べることができその意見は任命権者に尊重される、である(「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」)。御所南の場合、親や住民の位置は総合学習の時間のゲスト・ティチャーや土曜や夏休み期間のボランティア活動を通じた学校教育への参加が中心である。教育課程を編成する段階から主体的に関与し、要望と意見を学校経営に反映させることや、校長の候補者の選定に係わること、学校予算に係わることなど、法律が展望する親や住民の参画の質を変える可能性については避けられている。都合のよいところだけを採る「京都方式」である。

E「心身ともに健全でたくましい子どもたちの育成」

<「京都市掃除に学ぶ便きょう会の取組」>

 05年に教育委員会公認の研究組織となった「京都市掃除に学ぶ便きょう会」は「京都掃除に学ぶ会」(会長は教育長)、全国組織の「日本を美しくする会」に連なるものである。「美しくする会」は(株)イエローハットの創業者、鍵山秀三郎氏の掃除哲学に学ぶ有志が結成した。同氏は「日本教育再生機構」の顧問で、この7月9日の「教育再生民間タウンミーティングin宮城」のパネリストである。同機構は「新しい歴史教科書をつくる会」を内紛で追われ、今年7月に「改正教育基本法に基づく教科書改善を進める有識者の会」を立ち上げた同会元会長の八木秀次氏を理事長とする団体である。

 この「便きょう会」の目的は、トイレ掃除を含む清掃・美化活動等を通して児童・生徒の感性を磨く教育を推進する(会則)ことである。教育的な意義付けはさておき、トイレ掃除が多くの学校に入り込んだのは、学校運営費が2割カットされ、それまで月3回の業者によるトイレ掃除が1回になった段階である。市教委はこの5月、各校のトイレ数と1カ所あたりの掃除道具の必要数を調査し、掃除道具を下ろしている。その際、「便きょう会」のトイレ掃除の予定がある学校には掃除道具の加配があった。市教委は学校運営費を校長の裁量とするが、なぜかトイレの清掃代だけは上限を設けている。つまり市教委が「便きょう会」の活動を学校に入れるために画策しているのである。『便きょう会ものがたり−心を磨くトイレ掃除−』というマンガ本が市教委の予算で作成され、各校に配布されたが、これも予算の削減を覆い隠しつつ「心の教育」を推進したい市教委が「便きょう会」の取り組みを学校に入れるためであろう。

3 教育行政の責任

 上記@〜Eの見出し部分(下線部)および< >内は「平成19年度京都市教育委員会政策等推進方針」からである。これには「全国初」「政令指定都市初」等の"初もの自慢"がわずか70頁の「修正版」(07.6)に、これでもかと50ほども並ぶ。

  「17年7月に創設し、まずは市立高校教員を対象に30人を認証」したと誇らしげに書く「政令指定都市初・「スーパーティーチャー認証制度」の創設」もその一つである。30人の中に認証以前に体罰で訓戒など計3回の処分を受けた者が「部の指導に卓越している」として含まれていた。認証後も体罰を繰り返していたことが報道され、市教委も称号を取り上げ、処分せざるを得なかった(「産経新聞」07.9.15)。しかし「認証で体罰もしなくなると考えた。判断に問題はなかった」とする認識は、非常識であるだけでなく、他の教諭の模範だとする「スーパーティーチャー」制度の根幹を自ら掘り崩すものである。

 一事が万事とは言わないが、上記@〜Eでも見たように一つ一つの教育改革を検討すればそこには見逃せない問題点も指摘できる。もちろん問題は正せばよいし、よりよい取組のための糧にもできる。とはいえ従来のことを改めてよりよいものにしていくことが改革であるならば、今までの取組をまず反省的に振り返ることが必要である。「京都新聞」が国の"ゆとり教育修正"に係わって指摘するように「現行制度の検証と総括を欠くままでは現場の混乱が増すだけだ」(「社説」07.9.4)からだ。

 もともとこの国の教育行政は「教育改革国民会議(00.3~12)」から「教育再生会議(06.10~)」に至る経過でもわかるように、政治の動向に左右され、影響を強く受けてきた。政策が破綻しても官僚は責任をとろうとしてこなかった。その結果、思いつきレベルのものが施策化され、誰も責任をとらない「改革」が次々におろされ、現場が混乱し、教職員は疲弊し、子どもが大きな被害を受けてきた(「ゆとり」教育から「意欲・関心・態度」を強調する学習指導の押しつけ、「学力低下」が社会問題化する中の「授業時数確保」と「学力」偏重の教育への回帰、そして底流を変わらずに流れる道徳教育の強調と「愛国心」教育。この20年余の混乱の責任を誰かがとっただろうか?市教委も含めて施策の変転を合理的に説明できるのだろうか?)。

 したがって、今必要なのは「現行制度の検証と総括」を政治と行政に委ねることではない。それでは「百年河清を俟つ」ことになる。やるべきは、今までの混乱を総身で受けてきた現場から、すなわち子どもと教職員、学校と地域の実態から「現行制度の検証と総括」を行うことである。その過程で政治と行政の責任が厳しく問われ、本来の果たすべき役割が必ず追及されなければならない。

 ILO・ユネスコ「教員の地位勧告」(1966年)は国際的な認識水準を示す文書である。勧告は、教員団体は、教育の進歩に大いに寄与しうるものであり、したがって教育政策の決定に関与すべき勢力として認められなければならない(第9項)、また教育政策とその明確な目標を決定するためには、権限ある当局と(父母やその他の団体等とならんで)教員団体の間で緊密な協力がなければならない(第10項f)とする。そうした役割を教員団体も含めた関係者が(もちろん年齢と成熟に応じて子どもも)果たせるように教育行政が変わる時、子どものための教育改革は着実に前進することになる。

「ひろば 京都の教育152号」お申込の方は、こちらをごらんください。
トップ ひろばもくじ ひろば152号