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特集U 総論
いまを生きる青年教師をささえるもの
−−ともに成長する喜び−−

                    築山 崇(京都府立大学)


1 同世代の共感

 「先生ガンバッテ!!」という元気な声で始まった研究授業。修学旅行の楽しい思い出が詰まった壁新聞が貼られた教室で、「中東っていうのは、アフリカの北のところで・・・・・」「過疎化は、ひとがいなくなる、ていうか・・・・」等、いかにも同世代の対話らしい言葉づかいで、ともかく指導案どおりのところまで現代史の授業は進んだ。授業を終えた実習生は、「とにかく、自分の知識のなさを痛感している」「教えるということに対する、先生方の思いの強さをすごく感じる」といった感想を語ってくれた。同時に、実習の期間中、様々な場面で、何気なく気遣ってくれる生徒の優しさがとても新鮮だったとも。

 中高生にとって、教育実習生や新任の若手教師は、文字通り同世代の先輩であり、小学生にとっては、「若くて遊んでくれる大好きな先生」である。この世代的な近さは、互いの間に"共感"の世界を生み出す。それは、今を生きる子どもたちが最も強く求めており、教師側から築くにはもっとも困難な関係でもある。今日の青年教師の持ち味と可能性を思うとき、このことがまず想起される。しかし、その同世代の先輩をしても、いったん子どもたちとの信頼関係を損なうとその修復が容易ではないことは、『学級崩壊』現象の教えるところである。であればこそ、若手(青年)教師が、その感性を摩滅させることなく、知識や技術といった教職の専門性を高めていくことができる条件をゆったりと整えていくことが何より大切である。


2 教師の世界も世代交代

 今回の「青年教師から見た学校・子ども」という特集は、「2007年問題」、つまり「団塊」世代の退職に伴う職場の世代交代が、教員の世界にも訪れようとしていることをとらえた企画であり、専門性の継承における困難と、"若返り"が生む新たな可能性の両者を視野に入れて、青年教師の生の声に耳を傾けようとするものである。若手教師が層としてその力をこれからの時代に高めていくためには、若手相互のそしてベテラン世代との協同の関係づくりに、特別の注意が払われる必要がある。競い合いによる個々の教員の能力向上やその評価に重点が置かれている現状にあって、若手教員が競争的環境の強まりのなかで孤立することは、その成長の深刻な阻害につながる。連帯する世代、世代を越えた連帯を築いていかねばならない。


3 問われる研修のあり方

 寄せられた3篇の手記の中で共通して触れられている一つが、初任者研修である。「数が多すぎて消化しきれない」「自分の仕事をする頃には、外は真っ暗」で、日付が変わるまで学校に残っているという実態、「休日がありがたかったのは、これで少し仕事が追いつく」という多忙さである。「暴力・いじめ・不登校」など、いわゆる問題行動の深刻化、それを生み出す社会的背景・構造の複雑化などに対応すべく、様々な策が施され、研修は量・種類ともに拡大し、それが過重な負担となっている。小学校の先生の手記にある「2年目に訪れた転機」は、本人も「何故だかはわからなかった」とされているが、1年間の経験という支えと、初任者研修の多忙さから"解放"されたことによる余裕がそうさせたのかもしれない。高校の先生が、「職場の先輩の先生方から多くのことを学ぶことができました」と言い、生徒への指導、指導の場でとるべき態度などについて、質問とそれに対するアドバイスというかたちで得たものの大きさを強調しているが、そのような同僚性に支えられた臨床的な力量形成の機会こそ重要というべきであろう。そのためには、若手・ベテランともに、対話やケーススタディができる時間的な条件、人員配置が必要である。


4 成長を実感できる場を創る

 手記に共通するもうひとつの要素に、授業づくりへの思いがある。「・・・ポイントを外した指導は子どもたちを困惑させ、それでも若くて遊んでくれる大好きな先生のために一生懸命こっちを見つめる子どもたちの目」を前に、「勉強を教えるのが一番大変なんや」という教師である母親のことばが胸をついたとき、自分の思いを伝える授業をつくりたいという強烈な思いが生まれる。最近「教師(養成)塾」が各地でその数を増やしている。大学教育(教員養成課程)と学校現場との協同による取り組みの事例なども紹介されている。(『教育』2006年4月号など)そこでは、教材研究や、発問や課題提示などの授業展開に関わる具体的な方法の実践的訓練が目指されているが、その内容が「自分が成長しているという実感」につながるためには、手記にある、学生時代の旅先やイベントでのような出会いが必要である。その出会いの場となるのが、サークルであろう。初任者研修をはじめ、行政が行う研修だけでも過重負担気味の若手教師にとって、さらにサークル活動に参加するのは困難を極めるが、それでもそこに若手教師をひきつける魅力があることも事実である。  


5 現代版青年教師サークル

 地域住民の参加・協同による学校づくりで知られる北海道檜山に「K4学習会」という若い教師たちのサークルがあるという。(『教育』2003年6月号 座談会)「K4」という呼称は、おそらく、『がるにょういくをたるい(気軽に教育を語る会)』の頭文字であろう。「愚痴や不満、自分の弱さを言ってすっきりするような仲間が欲しいというところから始まっているといい、自分が安心して『こんな失敗しちゃったよ』と言い合える関係がどこかでつくれるとすごく安心して日々の仕事にとりくめる。そういう仲間がいるかどうかというのが、教師を続けていけるかどうかの鍵になるような気がします」と紹介されている。授業づくりや学級づくりなど実践のノウハウにかかわる内容もさることながら、それ以上に仕事に取り組んでいく上での安心の土台としての同世代の輪がもつ役割が大きいのである。

 何でも語りあえる場としてのサークルの存在は、もちろんどの年代にとっても意味のあることであるが、とりわけ青年の場合、安心の場であるとともに、互いの成長を確かめ合い、励ましあう関係として、その意義は大きい。ただ、昨今のように多忙化が進むと、集まる時間や場所といった物理的な条件の困難もある。最近若者の間で急速に利用者が広がっているSNS(ソーシャル・ネットワーキング・システム)と呼ばれるインターネットを利用したコミュニケーション網がもつ可能性も一考に値するかもしれない。インターネット上で同じ趣向・趣味・仕事などを持つ人々とのつながりを構築する民間企業によるサービスであるが匿名性は無く、メンバーの紹介による入会システムによっており、実際に顔をあわせてのサークル活動に一歩近づいたネット上のコミュニケーション形態といえよう。一昨年の京教組の学校づくりシンポジウムで若手教員とメールで対話を図っている教組役員の体験も紹介されていたが、インターネット世代とも言える現代の青年教師ならではの可能性ともいえよう。


6 理想を語る青年の特権

  先日教職関連の科目の講義の後で受講生と珍しく立ち話になった。「高校のとき、"学級をできるだけ居心地のいい場所に"という方針の先生が担任だったが、現実の社会との間のギャップが気になって、受け入れがたい感じがあった」という一人の学生の意見から会話は始まったのであるが、そこに提起されていたのは、学校の内と外、理想と現実のギャップをどう考えるのかという問題である。「社会が競争的な環境になっているのだから、学校の中にも競争を」という発想で、中学生全体を対象にした学力テストが実施されようとしている情勢ではあるが、学生たちは、その一歩手前で立ち止まって考えようとしていた。「学校が別天地であっていいのか」という彼らの不安・疑問には、排他的競争の色合いを一層濃くする今日の社会状況の反映があると同時に、そのような現実とは異なる、連帯と協同に根ざし、信頼と希望を土台とする社会のあり方を求める感性が感じられる。幼少期から、希薄な人間関係におかれ、多様な自然・文化に触れる機会が少なくなっている現代の青年世代ではあるが、それでも理想に敏感な感性がそこにある。冒頭で紹介した実習生に対する中学生の気遣いも、傷つくことに敏感な世代であるが故の、優しさと見ることができる。少々過大な評価と思われるかもしれないが、これからの社会を担う世代の可能性をとらえるための課題として強調しておきたい。本年春まで小学校教師の職にありつつダンスグループを率いている今村克彦氏の「理想のないやつになんで教育が語れるんや!理想を現実のものにしようというのが教育なんじゃ!そんなことさえわからん奴は大人も教師もやめてまえ!」ということばは、青年世代全体への応援メッセージとなっている。  


7 社会人として、大人として育つ

 この原稿を書いているたったいま、今春から働き始めた卒業生からメールが届いた。「・・・私はというと、いろんな葛藤の時期を一山越えたのか、精神的にも落ち着いてきました。新しい環境で私らしさを取り戻しつつあるカンジです。職場でも思いのほか気の合う人ができたり、今の町で新たな出会いがあったりしてありがたいことに充実してきました。・・・今は何に対してもベターを考えて行動しないと、と思ってます。キレイごととか抜きにして、そうあることが今の自分を支える術である気がするので」という報告である。思い通りにならない現実を前にして、ベストではないがベター(よりまし)な道を選ぶことで自分を支えつつ、なお「私らしく」人生を歩もうとする青年の姿がそこにある。


 青年としての生き方の模索は、子どもたちが抱いている成長への願いと共鳴しつつ、教師としての成長につながっていく。青年教師であればこその可能性は、そんなところに見ることができるのではないだろうか。

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