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ひろば 御意見番
墨子(ぼくし)に学ぶ憲法九条


                    浅井 定雄(京都教育センター)


 日本国憲法九条こそ、人が人を殺し合うというおろかな戦争を、その根底において否定する精神である。そして国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄し紛争は平和的手段により解決することを規定した1928年のパリ不戦条約から続く、人類の平和への願いと運動の輝かしい到達点でもある。

 ところで、今から二千数百年前にも、「兼愛(けんあい)」や「非戦論」を主張し、この精神を高らかに主張していた中国の古い思想家で「墨子(ぼくし)」という人がいた。

 墨子は「世界が戦乱におおわれるその根本原因は何か」と思索する。そしてこう考える。「それは人々が互いに愛し合わないことから起こっている。どろぼうはわが家を愛して他人の家を愛さないから、他人の家で盗みをはたらいてわが家の利益をはかり、人を傷害する者はわが体を愛して他人の体を愛さないから、他人の体に傷害を加えてわが体の利益をはかる・・・・、こうして、他人から奪って自分を利することが大乱の原因である。そこで大乱を防ぐには世界の人々が兼(ひろ)く愛しあうようにせねばならぬ。我が身を愛するように他人を愛し、わが国を愛するように他国を愛していけば、世界は平和になるであろう。」(兼愛上篇)

 こうした兼愛思想から墨子は非戦論を主張する。「他人の家に忍び込んでその所有物を奪ったり、罪もない人を殺して追いはぎを働いたりすれば、必ず処刑される。ところが他国に戦争をしかけた場合には、それを非難するどころか、正義の行為だといって賞賛する。これはなんとも不思議なことだ。一人の人間を殺したものは死刑にされるのに、千人万人を殺しながら賞賛されるとは、正義と不正義の混同もはなはだしい。」(非攻上篇)

 二千数百年を経て、今やっと人類は、その墨子の理想が世界の現実の中で実現する段階にまでなってきている。私たちは日本国憲法九条というすばらしい宝を持って、その実現に向かっている。遅々とした歩みではあっても歴史の中で人類は着実に前進している。ここに至るまでに、どれだけ多くの人間の血が流されたことか、どれだけ多くの人の苦難が積み重ねられてきたことか・・・・。

 だのに、今また戦乱の時代に戻そうという動きが強まっている。私たちはここで歴史の逆流を絶対に許してはならない。一人一人が「九条を守る」一点で力を合わせてがんばらなければならない。
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