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特集1
ニート・フリーター問題と格差社会


−−働くこと・生きること−−

総論
ニート・フリーターと格差社会
−−個性尊重・自己実現を問う−−

                  春日井敏之(立命館大学)


1.与えられた個性等重と自己実現

 自己実現というキーワードが、近年意識的 に使われるようになったのは、一九八九年の学習指導要領改定以降、子どもの 「自分さがしの旅」=「自己実現」の援助者として教師の役割が強調される中でした。したがって、自己実現という言葉は、中高生や大学生が生活 の中で、自らの言葉として使っているものではありませんでした。

 このようにして政府から与えられた「自分 さがしの旅」=「自己実現」のゴールは、企業社会への適応主義と絶妙にリンクし、「あなたの売りは何?」と個性を商品化する競争に拍車がかけられていきました。このような状況の中では、「自分が自分であって大丈夫」 (高垣、二〇〇五)と、まるごとの自分を生きる自己肯定感は、当然育ちにくくなりました。

 現代の自己実現は、子どもの課題を自己の心のあり方や意欲、努力の問題として問い続 け、社会への適応を迫りながら、生きる道を確保するための競争を迫っていく傾向を強めてきました。「心のノート」の基本的な問題点は、こうした内面化の肥大にあり、「心理主義」(小沢他、二〇〇三) といった批判もなされてきたのです。

 私は、子ども達が抱える様々な課題を、社会化(社会 のあり方)と内面化(自分の生き方)の関係から読み解き、大人と子どもが社会と自分を変革・成長させしていく主体として育ち合い、時代を創造するよきパートナー として協働していくことが重要だと考えています。

 また、個性尊重が教育改革のキーワードになっていますが、個性や自分らしさとは、社会のひと・こと・もの との関わりの中で形成されて意味を持ち、関わりの中で 自身のあり方や生き方を、また発展させていくものとし て捉える必要があります。自己実現と同様に、個性・自分らしさをもっぱら個人の内面に求める「内閉的個性志向」(土井、二〇〇三)は、果てしない袋小路に子どもを追いやることになりかねません。その結果として、一方 では自分に自信をなくし、自分を追い詰め、自分を傷つけてしまう子どもを生み、他方では果てしない欲望の肥大化に翻弄され、他者を傷つけてしまう子どもを生んでいるのではないでしょうか。


2.ニートの定義や分類への違和感

  ニートは、Not in Employment,Education or Traningの 頭文字「NEET」を表記した言葉で、日本でも二〇〇四年以降急速に使われるようになってきました(玄田他、 二〇〇四)。ニート対策の先進国であるイギリスでは、十六歳〜十八歳の青年を「NEET」と定義し、失業者を含んだ社会的貧困層「低学歴層、社会的マイノリティに 焦点化した就業・就学支援対策が行われてきました(本田他、二〇〇六)。

 日本における定義はこれと異なり、いわゆる求職型 (就職希望を表明し求職活動を行っている)の失業者を含まず、義務教育終了後、仕事も通学しておらず職業訓練も受けていない十五歳〜三十四歳の非求職型(就職希望 はあるが求職活動をしていない)と非希望型(就職希望 を表明していない)の無業者をさす言葉として使われて います。

 厚生労働省の「平成十七年版労働経済の分析(労働経済白書)」(二〇〇五年)によると、就労対象人口の十五歳〜三十四歳のうち、二〇〇四年は六十四万人が若年無業者(ニート)であると推定報告されています。また、 内閣府の「青少年の就労に関する研究会」中間報告(二 〇〇五年)では、家事従事者も含め八十五万人が若年無業者(ニート)と推定報告されています。このように、省庁によって定義も異なる状況がありますが、日本政府の定義では、ニートに失業者は含まれず、青年層全体に及ぶ無業者として扱われ、働こうとしない「困った青年問題」として論じる傾向が強まってきました。

 また、これまでニートは、次の四つのタイプに分けて論じられてきました(小杉、二〇〇五)。
    ・ヤンキー型−−−反社会的で享楽的。「今が楽しければいい」というタイプ
    ・ひきこもり型−−社会との関係を築けず、こもってしまうタイプ
    ・立ちすくみ型−−就職を前に考え込んでしまい、行き詰ってしまうタイプ
    ・つまずき型−−いったんは就職したものの早々に辞め、自信を喪失したタイプ

 私は、この分類が、非求職型、非希望型の若年無業者のすべてを含んでいるとは考えていません。どちらかといえば、「ヤンキー型」を除き、社会的ひきこもりの青年 をイメージしながら、働こうとしない「困った青年問題」 として論じられている傾向に、むしろ違和感を持つので す。

 例えば、私が接している大学生で無業者になっている中には、教員採用試験や資格取得、就職のための準備を しているケース、努力をしているにもかかわらず求人が 少ない為に報われないケース、じっくりと自分のしたいことを考え探しているケース、願い叶わずしばらくは落ち込んでしまうケース、気にはしながらもまだ働くことに気持ちが向かないケースなどがあります。しかし、これらの青年達を「困った青年」とは考えていません。


3.問題の本質は若年失業者と非正規雇用の増大

 日本におけるニート問題の論議は、自己選択・自己責任論のもとに、青年個人の内面の問題が強調され、社会化と内面化の統合の視点からの検討は不十分です。ひきこもりやニート問題は、青年個人の意欲や努力の問題と して論じるのではなく、同世代の青年が激しい受験競争や就職競争にさらされ、社会で生きていくための場所が狭められてきたという青年全体の「社会的弱者への転落」(宮本、二〇〇三)の問題として捉える必要があります。 さらに、「ニートよりもはるかに増えているのは失業者 とフリーター」(本田他、二〇〇五) であり、本質的に は、若年失業者と非正規雇用の増加を生んでいる格差社会の問題として捉えていく必要があります。このような 状況は、正規雇用の労働条件を抑制し、サービス残業などを招いているのです。

 問題は、一九九五年に日本経営者団体連盟(日経連) が、「新時代の日本的経営」を提言し、バブル経済崩壊以 降の雇用政策の転換に着手したところから急速に拡大し ました。その中で、これまでの正規雇用労働者を「長期蓄積能力活用型」「高度専門能力活用型」「雇用柔軟型」 の三つに分け、複線型の人事制度と労働市場の流動化を提案したのです(岩木、二〇〇四)。

 終身雇用制度、年功序列制度を撤廃し、スーパーエリート層、大学院卒専門職層を育成する一方で、不安定 な大学学部・高校卒以下の非正規雇用層を拡大していくという雇用政策への大転換がスタートし、政府の雇用政策にも反映されていきました。その頃から急速に、「個性尊重、多様化、自己選択、自己実現、自己責任」といっ たキーワードが、教育現場にも浸透していきました。

 その結果、総務省が五年ごとに実施している「平成十四年就業構造基本調査」(二〇〇三年)によると十五歳〜二十四歳の「正規就業者」は、一九九七年の五四九万人 から二〇〇二年には三三六万人に急減してきました。二一三万人、約四〇%もの減少です。また、厚生労働省の 「平成十七年版労働経済の分析(労働経済白書)」(二〇〇五年)によると、十五歳〜三十四歳の男女のうち、二〇〇四年は二一三万人がフリーターであると報告がなされています。さらに、十五歳〜三十四歳の男女のうち、完全失業者は一四八万人です。フリーター二一三万人、若年失業者一四八万人、若年無業者(ニート)六四万人です。計四二五万人にのぼる青年の就業問題の本質が、若年失業者と非正規雇用増大の問題にあると指摘したのは、このような状況からなのです。


4.始まった政府の対策事業をとう見るか

 二〇〇五年度から厚生労働省は約一〇億円の予算をつけ、ニートへの支援実績のあるNPOなどの民間団体に委託して「若者自立塾事業」を立ち上げました。三ヶ月 の合宿期間を経てニートの青年の就労を支援する試みです。二〇〇六年には全国四十ヶ所での開設が方針とされています。同様に文部科学省は、二〇〇五年度から約一億円の予算をつけ、不登校への支援実績のあるNPO、 民間施設、公的施設に委託して「実践研究事業」を始め ました。二年間の委託事業で、全国で十五団体が指定を 受けています。

 具体的な支援事業が始まったことは一歩前進かもしれ ませんが、日本における若年無業者問題への本質的なアプローチではないと考えています。

 たとえ短期間の就労支援をしても、雇用機会の拡充が なければ、またそこで競争は激しさを増します。ひきこ もりやニートの青年の上位層を競わせ、またその中に 「勝ち組」と「負け組」を再生産するような「敗者復活 戦」になってはならないと思うのです。そのために、緒についた政府の支援事業に血税をつぎ込むのであれば、 就労支援だけに特化するのではなく、「同世代との出会いの場」「家庭以外の安心・共同の居場所」「進路・キャ リア形成について考える場」「仕事やボランティア体験の場」「学び直しの場」「就労技能獲得の場」「共同生活の場」「親と離れ自分と向き合う場」「専門機関による手当てや治療を受けられる場」といった青年の多様なニーズ と、それに応えようとしている支援事業者への公的援助 にしていく必要があると考えています。

 豊かな社会と言うのであれば、せめてこのくらいの幅 のある多様な生き方を認め、本気で支援していく社会や大人でありたいと考えています。


5.進路指導・キャリア教育の早期教育化

 大学では「キャリア形成論」の授業を立ち上げ、コー ディネーターとして関わってきました (春日井、二〇〇六)。入学後、大学での学びや進路選択、自分の生き方な どについて、初めて直面し葛藤を深める学生も少なくあ りません。その中で、進路指導・キャリア教育が、効率的な高校・大学受験指導や卒業後の就職試験指導だけに特化されてはならないと考えてきました。

 例えば、関西文化学術研究都市の中に、独立行政法人雇用・能力開発機構「私のしごと館」という施設があり ます。ここでは、約七百の仕事紹介ビデオの視聴や職業 適性検査などを受けることもできます。「職業総合情報拠点」として開設されたこの施設で中学・高校生は、各自でパソコンを通して職業適性検査を受け、適正であると判定が出た職業のビデオを見ることもできます。早期 に具体的な進路選択の情報に触れ、体験、セミナー、ワークショップなどを受けるキャリア教育が志向されて います。

 情報提供・自己理解・体験をベースにした取り組みを見学しながら、独立行政法人雇用・能力開発機構が取り組んでいる事業としての目的と限界を理解しつつも、そ もそも「職業適性」とは何かという問いが、私の内に湧 き上がってきました。

 第三次産業が主流を占め、とりわけサービス業においては、「心からいつも笑顔でよろこんで」といった深層的な感情労働が求められるような職場環境が拡大しています。

 こうした中で、社会に出て働いたり人と関わって生活 していくためには、どのような資質や力量が必要なの か。希望が叶わずに、違う職場に行くことになっても通用するような資質や力量とは何か。卒業時の職業の選択だけではなく、働き続けられるための職場環境の検討が不足しているのではないか。終身雇用制度が撤廃される一方で、既卒者の再就職のための窓口が十分開かれていないのは重大な欠陥ではないか。育児やボランティア活動など、直接的には就職しない生き方も尊重しないと、PTA活動や地域・社会・文化活動は発展しないのでは ないか。同時に、育児と再就労を両立させていく条件整備や主たる家計の担い手の安定的な雇用と収入が必要で はないのか。また、みんなが気持ちよく働ける職場環境 と人間関係を形成していくために、雇用する側にはどの ような責務や力量が求められるのかといったことを、同時に考えていました。このような点も含めて、人間形成 と職業意識形成の二点から、進路指導・キャリア教育の あり方を深めていく必要があると考えています。

 また、「13歳のハローワーク」(村上、二〇〇三)は 「好きなことを仕事に」というキャッチフレーズでベスト セラーになりました。少子化が進行する中で、大学は生 き残りをかけた学生募集に力を入れています。しかし、 経済的な格差が拡大する中で、二〇〇四年度の大学・短大への進学率は五一・五%に留まっているといった厳し い状況があります(文部科学省、二〇〇五)。

 「13歳のハローワーク」では、五百四十四の仕事紹介が なされていますが、一部を除き大学や専門学校に進学し ないと実現できない職業の紹介が大半を占めています。 三年生を対象にした進路講座としてある中学校に招かれ た時にも、ほとんどの生徒が、図書館などで「13歳のハローワーク」を読んだことがあると挙手をしてくれました。

 しかし、他方では大学・短大や専門学校に行かない選択や行けない状況にある子どもたちに対する進路指導・ キャリア教育の必要性は、より高いのではないかと考え ています。「私のしごと館」と同様に、良かれと思って やっていることが、子どもを早くから受験競争や適応競争に追い込んだりしていないか、検証していく必要があ ります。


文献
・ 土井孝義 二〇〇四 個性を煽られる子どもたち−親密圏の変容を考える 岩波書店
・ 玄田有史・曲沼美恵 二〇〇四 ニ−ト − フリーターでもなく失業者でもなく 幻冬社
・ 本田由紀・内藤朝雄・後藤和智 二〇〇六 「ニート」って言うな!  光文社
・ 岩木秀夫 二〇〇四 ゆとり教育から個性浪費社会へ 筑摩書房
・ 春日井敏之(編) 二〇〇六 立命館大学キャリア形成論T 自己との対話−社会につながる学びを求めて 授業報告集、第2号.
・ 小杉礼子編 二〇〇五 フリーターとニート 勁草書房
・ 宮本みち子 二〇〇二 若者が《社会的弱者》に転落する 洋泉社
・ 文部科学省 二〇〇五 平成十七年度学校基本調査
・ 村上龍 二〇〇三 13歳のハローワーク 幻冬舎
・ 小沢牧子・長谷川孝(編) 二〇〇三 「心のノート」を読み解く  かもがわ出版
・ 高垣忠一郎 二〇〇四 生きることと自己肯定感 新日本出版

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