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特集2
教育を受ける権利と教育改革のゆくえ



総論
子育てと教育改革


                  市川 哲(京都教育センター)


はじめに −「ひとなる」ことの難しさ

 「ひとなる」は西三河地方の方言で、「人と成る=育つ、成長する」という意味です。人が人として成長する、一人前になっていくことを表します。子どもが「ひとなる」ためには、「ひとなす」働きかけや配慮が必要であり、教育もその一つです。

 教育基本法は教育の目的を「人格の完成」におき、「平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」(第1条)としています。したがって「ひとなる」こと、つまり一人前になるとは、嘘をつかず、人間として自他共に大切にし、働くことをいとわず、自分の頭で考えることができ、平和を願う人間になることでしょう。

 ところで、今日の「教育改革」は子どもが「ひとなる」ことを手助けしているでしょうか?

 「教育改革」の総元締、小坂文部科学大臣は、トリノ五輪金メダルの荒川選手を前にして、転倒して銅メダルだったロシアのスルツカヤ選手について「人の不幸を喜んじゃいけないけど、こけた時は喜びましたね」と発言し(2月28日)、ひんしゅくを買いました。荒川選手に対しても失礼ですが、他人の失敗を喜ぶ競争社会の原理が見て取れます。こうした人物が「学力テスト」で子どもたちと学校、教師を競わせる教育行政の中心に座っているのです。これは個人の資質の問題であると同時に、憲法と教育基本法にもとづく教育をないがしろにし、財界が求める「人材」育成に奉仕してきた競争を旨とする戦後の教育施策と、「勝ち組」と「負け組」をつくり出す「構造改革」と「教育改革」の反映だと考えられます。

  こうした中、子どもが「ひとなる」こと、子どもを「ひとなす」ことがますます困難になっています。学校と学校教育をめぐる様々な問題、そして家庭における子育てをめぐる幾多の出来事、さらには子ども自身が当事者となる多くの事件や職業を含む人生選択の問題などが噴出しています。


1 教育の意味

 ヒトがチンパンジーとの共通祖先から分かれて五百万年ほどたちます。その極めて初期から、何が食べられ、何が食べられないか、何が危険で、その危険からどのように身を守るのか、などの生活の知恵は親から子、おとなから子どもへ世代をこえて伝えられ、また子どもは生活の中で多くを学んだはずです。そうでなければ容易に外敵に襲われ、毒のある物を食し、生命を長らえることさえできなかったでしょう。つまり、教育は人類の誕生とともにある社会的な営みであると考えられます。

 社会が複雑になり、やがて文字が発明、使用されるようになるとそれらを教える必要が生じ、さらに近代に入って労働に科学が用いられるようになると教育を専門的におこなう学校が庶民を含めたすべての者をとらえるようになります。日本の場合、庶民の生活に文字が入ってきた江戸時代には「読み書きそろばん」を教える寺子屋が京都や大阪、江戸などの大都市を中心に普及し、明治になってからは1872年(明治5年)に、「富国強兵」の近代化を進める政府が、誰もが学校で学ぶ義務教育の大号令をかけました。

 それから百三十年余がたち、コンピューターなしには考えられない社会になっています。実体のない「情報」や虚業が金を生む「錬金術」は論外ですが、これからますます情報がモノをいう社会になることは否定できません。そうであれば教育基本法の求める「ひとなる」ことと共に、どの子にとっても未来に生きるための知識や技術の獲得が大切です。こうした教育を提供することが公教育を担う学校の役割です。


2 家計支出からみた困難

 しかし「構造改革」と「教育改革」は、教育の機会均等をないがしろにし、教育を受けることを困難にさせ、また教育に差をつけることをめざしています。

 国会の争点であった「構造改革」の結果生じた経済格差拡大の問題は「ガセネタメール」事件で吹っ飛びました。しかし統計をみると格差は確実に拡がっています。

 「財団法人 家計経済研究所」は内閣府の国民生活局所管です。その「消費生活に関するパネル調査」によれば、94 年から04 年の11年間、消費支出が収入より伸びており、入るお金より出るお金が多く、家計が痩せてきています。しかも低所得層ほど消費支出が低迷し、生活に余裕がなくなっています(平成16 年度調査)。

 家計が負担する教育費はどうでしょうか。文科省の平成16年度「子どもの学習費調査」によれば、「学習費総額」(学校が一律に徴収する経費と必要に応じて各家庭が支出する経費に加えて学校給食費および学習塾費などの学校外活動費の合計)は、幼稚園は公立23万8千円、私立50万9千円、小学校は公立のみの調査で31万4千円、中学校は公立46万9千円、私立127万5千円、高等学校(全日制,以下同じ)は公立51万6千円、私立103万5千円です。高校生と中学生の子どもがいれば、二人とも公立で百万円ほどかかる計算になります。

 では、子どもが生まれてから大学を卒業するまでの負担はどうでしょうか。「八十二銀行」の「教育費を試算する」というホームページで、この4月に30歳の父親に子どもが生まれたとして計算してみました。そうすると幼稚園(3年)から全て私立で大学が文系の場合は2290万、理系だと2390万、もし下宿させるとあと480万かかります。同じ条件で全て公立、大学も国公立の場合は、自宅通学で1070万円かかります(これらの数字は学習塾費などを含みます)。

 こうしてみると不況で収入が伸びない中、多額の教育費の負担を考えると結婚や出産に踏み切れないのも理解できるところです。ましてやフリーターやアルバイト、さらには派遣労働者などの不安定雇用の場合、人生設計そのものを自らの責任で立てて「ひとなる」ことは、ますます困難な課題になるのではないでしょうか。実際「フリーターが結婚する割合は正社員の半分」です(「読売新聞」、05年6月3日 )。  


3 格差を前提にし、格差を拡大させる「教育改革」

  教育や学歴が職業や地位に影響するとき、人びとは高い収入や評判の良い地位を得るために「良い教育」をわが子に受けさせようと考えます。教育を通じた社会階層の上昇を期待するわけですが、1995年の日本社会学会の「社会的階層と移動」調査は「ホワイトカラー上層」(大企業のサラリーマン、公務員、弁護士・医師、教員など)は、戦前 のように親子の間で継承される傾向が強くなっていること、つまり階層が固定化されてきていることを示しました。

 実際「良い教育」の代表であろう東大入学者の場合、その約50%が年収950万円以上の家庭の出身です(03年度)。厚生労働省の「平成14年 国民生活基礎調査」によれば年収900万円を超えるのは全世帯の2割だけです。つまり東大生の半数が収入が上位2割に位置する世帯の子弟だということです。これは進学準備の経済負担に耐えられる家庭の子どもが「良い教育」を受けるチャンスに恵まれる可能性が高いことを示します。

  「教育改革」の考え方は、学校教育にかかわる選択肢を広げ、学校や教師の選ばれる側に競争をつくり出し、競争で「教育サービス」の質が上がり、そのことが「顧客」である子どもや親の満足度を高めることになるというものです。教育費負担が重荷になる家庭とそうでない家庭が当然ありますが、実際に教育を選択できるのは経済的に余裕がある家庭です。この経済的格差を前提に教育を選ばせ、その結果さらに格差を拡大させるのが「教育改革」です。以下、二つの事例をみておきます。

(1)公立中高一貫校

 京都でも公立中高一貫校ができ、これからも数校増える予定です。ベネッセの調査によれば公立中高一貫校に入学させたい理由で圧倒的に多いのが「レベルの高い教育を受けられるから」64.3%、「6年間の一貫教育が安価で受けられると思うから」62.3% です(複数回答。「教育発見隊アンケート」05.10.5)。

  「レベルの高い教育」が進学準備教育を意味するならば、私立の中高一貫進学校と同等の教育を比較的安価に受けられることを親が期待していると考えられます。もしそうなら「中高一貫校がいわゆる『受験エリート校』化することがあってはならない」(「中高一貫教育制度の導入に係る学校教育法等の一部改正について(通知)」、平成10年6月26日)とした文科省の「歯止め」は意味を持たなかったのでしょうか。そうではなく、公立中高一貫校導入のねらいが教育委員会の生き残りのために公立校の進学実績を上げさせることにもあると、親は気づいているというべきでしょう。

 こうした親の思いを背景に「受験競争の低年齢化を招くことのないよう」とする通知と裏腹に、「学力試験」をしない特殊な入試に向けた準備教育が盛んです。「受験産業は少子化と共に低年齢層に向けて拡大を続け、小1コースを設ける進学塾まで現れた。中高一貫教育を掲げて洛北、西京の公立両高が付属中を開校したことも拍車をかけた。 塾の費用を負担する親の経済力で、子どもの教育環境が左右される現実が、学校現場につきつけられている」と「京都新聞」は指摘します(06.3.1)。つまり公立中高一貫校の比較的「安価」な「良い教育」を受けるのも「親の経済力」次第だというのです。

(2)私立大学付属小学校など

 @入学金30万、授業料80万、教育充実費20万、給食費9.5万(初年度は約150万以上)、A入学金13万、授業料72万、教育充実費15万、給食費10万(同120万以上)、B入学金15万、授業料33.6万、施設拡充費10万、給食費7.6万、その他21.6万(同約87万以上。くわえてバス代が年間約10万)、C授業料70万円弱、設備費や寮費・食費等の実費を含めると、学費全体は年間約300万円程度。

 @とAは京都の私立大学付属小学校、Bは「構造改革特区」による岡山の株式会社立小学校、Cはイギリスの私立エリート校を模したトヨタ、中部電力、JR東海による全寮制の中高一貫校(愛知県蒲郡市)の教育費です。それぞれが基礎学力充実や国際交流、心を豊かにする教育、知性と感性をのびやかに育てる「全人教育」、日本を牽引する人材の育成等の魅力的な教育目的を掲げています。しかし、これらの学校が、ここ20年ほどで醸成された公立学校不信、公教育離れのトーンを基底に、富裕層の子弟を対象に「エリートの育成」や「新しい受験校」を標榜するものである以上、家庭間の経済格差を教育の格差に持ち込む「教育改革」そのものです。そして受験産業に言わせれば、入学試験で試されるのは「保護者の資力」なのです(「京都新聞」06.3.17)。


おわりに

 「教育改革」が今まで以上に大きな格差をもたらすことをみてきました。「地方分権」と「地方への財源移譲」をとなえる「三位一体改革」の結果、国の補助金が削られ、交付税が一般財源化される中、準要保護世帯の就学援助を打ち切る動きが出たり(青森県むつ市)、給食費支払いを求めて仮執行や訴訟がおこなわれ(岩手県滝沢村)、教育を受ける権利が奪われようとしています。国民の生活に格差があってよいとする「構造改革」と教育機会は不平等でよいとする「教育改革」がもたらした結果です。

  「ひとなる」ための教育に格差があってよいわけはありません。住んでいる地域で、だれもが満足できる公教育を、お金や時間、さらには心理的な負担なしに受けられる教育条件整備が必要です。そのためにも、生まれや思想、経済的な側面などで差別されないとする日本国憲法(14条)と教育の機会均等をうたう教育基本法を大切にしながら、「構造改革」と「教育改革」を乗り越えていくことが求められています。
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