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特集1 子どもの荒れと無気力を問い直す

子どもの「荒れ」と「無気力」から見えてくるもの



                            福井雅英(武庫川女子大学)


1 はじめに−子どもと教師を巡って考えること

先日、30余年ぶりに小学校で授業をしました(私は長く中学校の社会科教師でしたが、教職のスタートは小学校だったのです)。友人の担任する6年生の学級での詩の授業でした。大学院の「現代教師論特論」という授業に使うためにビデオも撮らせてもらいました。城侑の「二人の山師」という詩を読んで楽しむ試みです。掛け合いのおもしろさの出る詩で、感情を込めた表現を楽しみながら、コミニュケーションというものを考えることになればというのが授業のねらいでした。

 大学院の授業で授業ビデオを使いたいと考えたのは、次のような理由です。現在、私が所属するのは武庫川女子大学大学院臨床教育学研究科というところで、夜間開講、社会人中心、男女共学の大学院です。院生のみなさんは、臨床心理士や、家裁の調査官、保育士などさまざまなキャリアの方が含まれ、学校教師だけではありません。それだけに、発達援助職としての教師を論じるときには、授業する教師の実像を理解してもらうことが必要です。

 教師の仕事の特質として、子どもへの理解を踏まえて知的な世界を開くということがあります。授業は「子どもと教材の統一」(稲垣忠彦)です。子どもと接する毎日の時間の圧倒的部分を占める授業で、教師がどのような判断を重ね、働きかけを考え、選択し、その結果の子どもの反応とどのように応答しているのか、授業という一つのドラマのなかで、観察・考察・選択・応答を繰り返している教師の仕事の内実を知ってほしいと思ったのです。直接は何のつながりもない学級での、飛び込んでする1時間の授業で何ができるのか、という問題はもちろんあります。それでも、最初はほとんど声のでなかった子どもたちが、二人組を作って教室の前に出てやり出すようになるプロセスはおもしろいものでした。また、映像には、ほとんど反応を出さない気になる子どもの姿もとらえられていました。


 ビデオを見ながらの校内研究会で、授業の話が一段落ついたとき、話題にあがったのはコウスケ君のことでした。授業ではそれなりに参加し、発表もしてくれたと見えたコウスケ君でしたが、担任のE先生は一番気になっている子どもとして彼を挙げたのです。事情は次のようなことでした。

 コウスケ君は学校でもよくキレて、一度キレると一日駄目だというのです。ある時、自分から「親に刃物を向けたことがある」「父親を父と呼んでいない」と担任に告げたということです。彼には進学校に通う高校生の兄がいて、「教育熱心」な母親は何かにつけてこの兄とコウスケ君を比較するのだそうです。そして、キレた彼に向かって、「あんたは将来人を刺すかもしれん」と言ったというのです。母親にこんなことを言われた時のコウスケ君の気持ちはどんなだったでしょう。突き放され、見放されたという絶望的な気持ちになったのではないでしょうか。また、自分の子どもにこのように言ってしまった母親の気持ちはどうだったのでしょうか。兄のように育ってほしいのにどうしても思うようにいかない彼への苛立ちと、キレる彼を前にしてどうしてよいか分からず途方にくれてやけになって叫んでいる母親の姿が浮かんできそうです。

 このような生活のなかで6年生になったコウスケ君は、「神経質で、課題ができなくなったらすぐに投げ出す」子どもです。感情の揺れが激しく、学級が彼に振り回される様子を、E先生は「コウスケが学級の感情世界を支配している」「彼がいないとゆったりした空気が教室に流れる」と表現しました。E先生はベテランで教育熱心な実践家です。卒業直前のこの時期にも、彼を何とかしたいと考えていました。そのために、彼の気になる状況を直視していないように見える母親に、「コウスケの状況をリアルに伝えたい」のだと言いました。私はその時、思わず、「リアルに伝えるというのはどういうこと?」と聞き、「それは彼の否定的な状況を突きつけ、認めたがらない母親にそれを認めさせたいということか」と問題を提起しました。


 コウスケ君の生活状況を出し合おうと話を展開したところ、3年生の時の担任が「思い出した」といって話してくれたことは重要でした。3年生のある日の放課後、コウスケ君がジャンパーをどこかに置き忘れた時のこと、彼は「家に帰れない」とパニックになったというのです。結局、用務員さんが見つけて届けてくれたのですが、その間の彼の様子を見て、「ジャンパーを忘れたくらいでこんなにプレッシャーを感じているのか」と強く印象に残っていたというのです。

 この話は、失敗できないプレッシャーのなかで育ち、いらだつ感情を学級で発散しているようにも感じられるコウスケ君の状況を理解する象徴的な事例だと思いました。このような母子の関係が浮かび上がると、気になる彼の状況を「母親にリアルに伝える」ことの意味が問い直されることになったのです。彼が時々はキレないと収まらないほどため込んだ、苛立ちやむかつきの感情とそれを生み出すものへの理解が深まったのだと言ってよいでしょう。

 そうなると、彼のこのような感情が攻撃的な言動で発散されるのでなく、適切な言葉を獲得して表現されるための援助はどう考えられるべきかという、実践の探究に向かわなければなりません。今回の詩の授業は、二人の山師の掛け合いのなかで、言葉に感情を込めて表現することを楽しむのであり、自分の解釈を相手とのやりとりのなかで表現していくというものでした。コウスケ君にとって、この授業のような、言葉のコミュニケーションによって感情を解放していく経験を重ねることが重要な意味を持つと思ったのでした。

 さて、次に教師に問われるのは、母親の言動をどう見るのかということでしょう。コウスケ君の困難への理解が十分でない場合、ありがちなのは、「母親は教育熱心なのに…」と問題はコウスケ君にあるとする解釈です。逆に、コウスケ君への理解に立って、「わからない、困った親」とみる場合も起こりそうです。この2つの解釈をこえて、母親の言葉の背景とその苦しさへの理解を深めることが必要です。後に述べるように、わが子を愛しながら、いや愛するが故に、「よい子」と「学力」への競争に向けてムチをを入れざるを得ない親たちの生活要求を理解したうえで、コウスケ君の内面への理解と、いま彼に必要な援助のあり方を母親・家族とともに探究するところへ前進したいものです。


2 「荒れ」と「無気力」の問題

与えられたテーマは、「子どもの『荒れ』と『無気力』からみえてくるもの」です。ここまで、キレる子の問題を通して考えてきたことは、このテーマにおいて並置されている、「荒れ」と「無気力」の問題を考える際にも有効だと思います。それは「子ども理解」を深める方法論と思想を考えるなかでみえてきたことです。結論から言うと、「荒れ」と「無気力」は、直面する困難に対応する現代の子どもの2つの表現だということになるでしょう。

 さらに言うなら、表現を異にしながらも、そこに含まれるメッセージには大人と社会への「異議申し立て」が潜在しているのではないかということです。困難な生活条件や否定的評価にとりまかれて、「本来の自分はこんなはずではない」と思いつつも、自分の力を発揮できず、本当の自分を表現することもできないという、子どもたちの苛立ちや徒労感や絶望感を感じるのです。

 私がこのように感じるようになったのは、「荒れ」た中学校で教師としての苦悩を経験し、同僚たちと模索を続けてきた体験からです。暴力と破壊、攻撃的な言動におおわれた中学校で、何とか子どもと心を通わせて困難を打開する実践の創造をと苦闘した日々、目の前で起こる「許し難い暴力」や「理解の範囲を超えた言動」が試練だったのでした。

 模索の核心は、一見、理解しがたいと感じる外面の諸言動を、その子の内面のドラマから理解しようとすることでした。その子どもの言動がどのような意思と感情に支えられて選び取られたのか。その意思と感情はどのように形成されたのかを考えようとしたのです。その言動と感情の形成に影響を与えた社会的条件を広く視野に入れて、その子がそれらの社会的条件とどのように応答しながら、問題の意思と感情を形成したのかを考えるということになります。手がかりは、子どもの生活感情への着目です。そして、その生活感情の社会基底をつかもうとしたのです。それが、子どもの生活を深くつかむということの意味だと思います。このことを、当時は「子どもの生活世界に分け入る」などと表現して家庭訪問を繰り返していました。


 それはその子の生活の場である家庭状況と家族の関係をみることにもなりました。

 親の不安定な就労状況があり、家庭も安定しないなかで思春期に必要な生活条件が保障されていないと感じる子どもが何人もいました。また、階層分化がすすむなかで、没落への不安と生活向上への期待を、親から2つながら背負わされて、子どもは競争の戦場へ押し出されているのではないのか、と感じることもありました。家庭のなかに浸透する支配的な社会意識は、個人を競争の基礎単位とする傾向を強めていると思ったのです。

 「荒れ」と「無気力」は、このような生きづらい社会傾向への子どもの反応であり、そのような反応を示す子どもは、現代社会の持つ危険性を知らせる「坑道のカナリヤ」のようにも思えるのです。


3 個別の子どもを深くつかむ−生活誌・生活史にこだわって

 では、子どもを深くつかむとは、子どもの生活世界へ分け入るとはどういうことでしょうか。それは、子どもの暮らしぶりから子どもを理解しようということですが、最近は「生活誌」とか「生活史」という言葉にこだわって考えています(「生育歴」という言葉を否定するわけではないのですが、ちょっと飽き足らない感じがするのです)。生活史ということで、生活世界との応答を含むその子のくらしの歴史をみたいと思うのです。また、生活誌というのは、文字通りいま現在のその子の生活の様子を、実感を通して観察し総合的にとらえるということです。

@衣・食・住、睡眠、生活習慣などの基本的生活状況、A家庭状況と家族関係、家庭と地域の関係、基底的社会体験(近親者の動向、生死、別離体験等)、交友関係などの社会的生活状況、B学力の状況、興味・関心、出費の特徴、生活時間の特徴などの文化的生活状況。

  このように言うのは、生活の主体としての子どもという、いわば子どもの主体性に着目したいとの思いからです。ただ、そうは言っても、その子をみるのは教師であり、その教師自身の体験を基盤に、教師の実感を通して子どもを把握し、理解していくことになるのは当然です。それだけに、教師の観察力の基礎にある感性が問われることになります。このようなところにも、「教育はアートだ」(大田堯)といわれる根拠があるのではないかと思っています。

 このようにして子どもをみる教師は家庭でのくらしと学校でのくらしの両方を通してその子を見るのです。とりわけ、思春期を生きる子どもにとって、学級を中心とする他の子ども・子ども集団との関係は実に重いものがあります。教師はこのような全体的な風景のなかで子どもをみるのです。


 さて、そうして教師の目の前にいるのは個別具体的でしかも一個の全体性を有する独立した人格としての子どもです。いま、生きている子どもの理解は、その子自身の案内ですすんでいくのだということも重要です。それは、ある関係のなかでの子どもの言動・表情などのメッセージに導かれてその子の世界に入っていくのだということです。その際のキーワードは「共感」だと思います。「共感的理解」という言葉もよく使われますが、子どもの話に相づちを打つという程度の理解にとどまると問題です。「共感」には、その子の世界を共有するということが重要だと感じています。

まとめていえば、子どもの生活感情を手がかりにして、それを生み出す社会基底を考え、その社会状況の中に当のその子をおいてみる、そして、その生活世界と応答している主体としてその子を見るということです。社会背景や社会的条件を重視してみるのですが、それもあくまで特定のその子の固有性にこだわるのであって、社会還元主義ではありません。このような子ども理解は、いわば現象学的なアプローチだとも考えられます。


4 何がみえたか−どうすべきか

  「教育相談的な対応が増えてきた」という声にみられるように、学校における生徒指導の内容にも変化が起きてきているようです。どのような形であれ、「子どもの声を聴く」ことが必要だという認識が広がっているといってもいいでしょう。以前なら、「生徒指導」と「教育相談」が対立的、分離的にとらえられることも多く、「一人で担当したら人格が分裂する」といった同僚さえいました。とはいえ、厳しい日々を送る教師のなかには、子どもに対しても「自己責任」を求めるなど、子どもの現状に対して否定的な見方が根強いのも事実です。教師の多忙な実態が、こうした見方を支えているという側面もあります。「深いところで教師に共感関係を求めながら、素直には表現できない子どもが増加している」などと理解するとそれに対応することが求められます。そうなると「これ以上忙しくなるなんて、とてもやってられない」と感じてしまう実状があるわけです。ですから、頑張っている教師をみる周りの目は、「あの先生はようがんばらはるわ。けど、私らはついていけんなあ」ということになっているのではないでしょうか。職場でみんなが力を合わせて、「荒れ」や「無気力」に切り込む実践を創り出すためには、ここを打開しなければなりません。


 子どもの否定的側面に目がいきがちな教師に対して、子どもに寄り添う実践を追求している教師の側からは、「子ども観が違う」などという感覚が壁になっていないでしょうか。もし、そうだとしたら、その「違い」の根拠を子どもの具体的事実で交流すれば、より深い子ども理解を生み出すことになると思うのです。そのためには、同僚間で何でも言い合える関係が必要です。不充分さを責め合わないで、認め合える関係がつくられなければなりません。豊郷小学校問題でも有名な本田清春さんは、「生活からの同僚関係づくり」が必要だといって、職場の同僚に呼びかけてのスキーツアーや山菜取り、リースづくりなど、四季折々に楽しんでいるといいます。様々な方法を工夫しながら、困難に直面したときに「困っている」と安心して助けを求められる関係をつくり、子どものことを語り合い、学び合う関係になりたいものです。


 こう書いてきて思い出すのは学年主任をしていたときのことです。子どもの暴力事件が続き、「子ども理解のカンファレンス」と名づけた事例検討会を開きました。加害者の子どもについて、担任が深夜の家庭訪問のなかでつかんできた彼の生活の様子、保健室で話を聞いた養護教諭の感想、自転車庫でパンクを直してやったときのやりとりを報告した技術科の先生の話など、彼を巡るいろいろな角度からの検討とそれぞれの対応の交流が行われました。その後のことです。職員室に帰ったときに体育科の教師が、「教師って子どもに育てられるんやな」とぽつんと漏らしたのです。まわりにいた同僚は、思わず顔を見合わせました。そう言ったN先生は、いかにも体育会系というタイプで部活の指導で実績を上げ、いつもは「あいつがしばらく学校に来なかったらいいんや」と言っていた当人だったからです。

子どもの問題を風通しよく語り合える同僚関係をつくる努力をひろげ、子どもにとってもありのままの自分を素直に表現できる、安心と自由が生きる学校づくりにつなげたいと思います。人間的雰囲気に満ちた安心と自由は、「荒れ」と「無気力」を克服するエネルギーを引き出すと信じるからです。 
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