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  ●京都教育センター通信 
復刊第114号
 (2016.12.10発行) 
   
教育センターと京都自治体問題研究所の共催による
明治の木造番組小学校の歴史とまちづくり

     池田 豊  (京都自治体問題研究所事務局長・京都自治体労働組合総連合)

 

 11月19日に京都まちづくりシンポジウム第二弾として「学校跡地を地域の居場所にー地域に住み続けられるまちづくりをー」開催しました。昨年の「まちづくりと学校統廃合・跡地利用」シンポジウムの続編となるものです。

 今回のシンポで「京都小学校の歴史と学区」と題して講演いただいた大場修京都府立大学教授の話は、残念ながら90分では語りつくすことはできず、一九三〇年前後からのコンクリート造りの現在の校舎を作った歴史は、急きょ、続編として年明けに開催することを確認しましたが、明治に全国に先駆けて作られた番組小学校設置とその変遷は、大変興味深いものでした。 

 東京に都が移り、その後の新しい時代を京都の人々が落胆、意気消沈するのではなく、自ら自治の力を磨き、新たな京都づくりの最初に着手したのが教育分野で、その象徴ともいえるのが64の番組小学校の設置でした。

 その多くは、東京に移って残った公家屋敷、大名の京都藩邸などを利用したり、寺の一部を含め移転活用したりしました。

 その後も京都における学校建築は移築されたり、移転し寺の本殿として活用されたりするなどの歴史を重ね、戦後の学校建築物のようにスクラップ&ビルドではないことを、一つ一つの学校の歴史を振り返りながら詳細に話されました。今なお仁和寺や神奈川県などの有名寺院で活用されているなど文化的価値にも驚かされます。

 近代京都の地域づくりの要として番組小学校は大きな役割を果たしました。玄関構えが重視され、その正面に役場、隣に派出所、町会所、そのわきに教室を配置、二階には講堂、屋根には望火楼や太鼓望楼が作られ、地域単位の行政末端機構として出発したことがわかり、番組小学校の原点は学区民による住民主体のまちづくりであったことを知ることができます。

 しかし、自由民権運動の高まりに対し一八八〇年集会への貸出しが禁止され、二年後には集会以外の使用も禁止されることとなり、地域における学校の役割が子どもを介しての関係にせばめられてきました。

 これらの歴史から、番組小学校や、学校統廃合問題について考えるとき、子どもの教育の場であることはもちろんの事、地域のまちづくりの場としての学校跡地について、私たちが自治の力を高めながら地域づくりをいかにするのかの問題として発展させ考えていく重要性について気づかされました。

 二回目となった今回の共同シンポジウムは、京都自治体問題研究所にとって今後の発展方向を示唆するものとなりました。

 第一に、住民の生活を、狭く地方自治制度や地方自治法の側面から考えるのではなく、地域で生命を受け、育ち、学び、生業をなし、豊かに生きること全体としてとらえること、まさに「憲法を暮らしの中に」です。

 第二に、政治論を繰り返すだけではなく、住民の自治の力、主権者としての住民の力をいかに育むのかにかかっていること。そのためにも、住んでいる人だけではなく、そこに働いている人、学者・研究者、行政との連携を多様な形で展開し発展させること。

 第三に、今回の報告者の話からも明らかなように、あらためて地域の歴史を学び、地域の財産を掘り起こすこと、地域の宝物探しをすること、様々な分野、形態、規模で地域調査をすることです。
 
 
小さくても生徒ひとりひとりが輝く学校づくりを(ひろば188号より)

京都府立高等学校教職員組合峰山高等学校分会弥栄分校班
近江裕之
 
 

 府教委は、昨年から今年にかけて京都市内で三回「生徒減少期における府立高校の在り方検討会議」を開催したのを皮切りに、丹後で「丹後地域における府立高校の在り方懇話会」を四回と「公聴会」五回、保護者のみ対象の懇談会五回開催し、丹後の高校再編を推し進めようとしています。


 その「公聴会」で府教委は、生徒が減少すれば「集団活動の機会が確保できず、人間関係が固定化しやすい」「学校行事や生徒会活動等の活力が乏しくなり、行事の精選が必要となる」「希望進路に応じたコース設定や選択科目の開講が行えない可能性がある」「部活動の部員数確保が困難。団体競技では公式戦に出場できないことも」「これは丹後の危機だ」と、小規模化の課題をことさらに強調して危機感を煽り、「宮津・加悦谷」と「網野・久美浜」の学舎制導入と、三校ある分校(弥栄・伊根・間人)の一校への統合とフレックス化を提案しました。しかし、各会場で、保護者や住民から反対意見や疑問が噴出し、私も「私が勤務する弥栄分校は、七十四名という小規模校であるが、生徒会活動も部活動も活発に行われ、生徒が生き生きと学んでいる。小規模であるからこそ一人一人が大切にされる手厚い教育ができる。危機と言うが全ての学校で手厚い教育をするチャンスではないか。生徒の減少は止められなくても教職員の減少は府教委の財政努力で止められる。府教委が言う小規模で活力がない学校というのは一体どこの学校か」と糾しました。それに対し「どこの学校ということではなく一般論として…」としか答えられず、結局、府教委の言う「課題」自体が再編ありきの「机上の作文」であることが明らかになりました。


 峰山高校弥栄分校は、窓から長閑な田園風景が望める農園芸科と家政科の全日制専門学科のみの、とてもアットホームな学校です。私が弥栄分校に赴任してから今年で十五年目になりますが、入学してくるのは、勉強も運動もさほど得意ではなく、中学校では全く目立たなかったという生徒がほとんどです。不登校でほとんど学校に通えなかったという生徒も多くいます。入学の理由を尋ねると「中学校の先生に『弥分にしか行けん』と言われた」と平気で答える生徒が少なくありません。また、ここ数年は常に定員割れをしていますので、他校を不合格になっての不本意入学者もいます。

 そんなコンプレックスを抱えて入学してくる生徒達ですが、彼らが弥栄分校に三年間通い、大きく成長し自信満々に胸を張って卒業していく姿を見るにつけ、それぞれが主人公として「自己肯定感」を醸成する教育、全員が一丸となって生徒一人一人の成長を手助けする教職員集団の存在というものが、いかに大切であるかということを痛感しています。

 しかし、弥栄分校での十五年を振り返ってみた時、常に理想の教育が出来ていたかと言えば、そんなことはありません。続発する問題行動に振り回され、家庭訪問を繰り返した日々もありました。中途退学者が続出し、生徒数が入学時の半分以下にまで減少してしまった学年もありました。しかし、そんな中でも私たちが貫いてきたのは生徒は誰もが成長したいと願っていて、実際に成長する存在であると信じることでした。各分掌毎に開催する教職員研修でも、常にそのことを念頭に置いて真剣に学習、討議してきました。そして、今回の府教委の動きを受け、弥栄分校では「弥栄分校の将来構想検討会議(通称・奈具丘会議)」を立ち上げ、校長、副校長を含めた有志メンバーが、今後の弥栄分校のあるべき姿について議論を進めています。


 私は、現在の弥栄分校を作り上げた要因として、そうした議論を経て、①全教科でわかる授業を地道に追求してきたこと、②基礎学力の定着と家庭学習の習慣化を目指して年九回の「校内漢字テスト」とそれに向けての週末課題を実施してきたこと、③コミュニケーション能力の向上を目指して「総合的な学習の時間」で、自己紹介や仕事調べ、模擬面接、ディベート、プレゼンテーション等を農園芸科・家政科・普通科からの三人のチームで取り組んできたこと、④農園芸科・家政科の専門性を生かし地域と繋がり地域に貢献することを意識した取組を行ってきたこと、⑤生徒会や農業クラブ・家庭クラブなどの役員として他人のために活動することで自己有用感を感じさせてきたこと、⑥家庭との連携を重視し全新入生に対する家庭訪問を実施してきたこと、⑦良いことは褒め、ダメなことには毅然と叱る態度を全体で貫いてきたこと、⑧「気になる生徒」について頻繁に交流し、学習支援員を配置してもらい、必要な支援を実現してきたことがあげられるのでないかと思います。


 実際に弥栄分校の行事では、各クラスが最大十八人、最少七人という少人数ですから、一人一役では足りず、二役も三役もこなさなければならないため傍観者ではいられません。生徒達は「めんどくさい」とは言いますが、頼られると「しょうがないな」と言いながら懸命に役割を果たそうとしてくれます。失敗しても、励ますことでさらに奮闘してくれます。球技大会も、学校祭(文化の部・体育の部)も、そして奈具丘祭と呼ばれるそれぞれの学科の学習成果を発表する祭も、全員が一同に集まって行うために大いに盛り上がります。学習面でも、他校では学べない専門的なことを学んでいるという自負心と、わかる喜びが、コンプレックスを払拭し、学習に前向きに取り組む力になっています。そうして、達成感、成就感を味わえば、誰もが学習でも行事でも意欲を持ちキラキラと眩しいくらいの輝きを放ってくれます。こうした経験から「小規模校は学校行事や生徒会活動等の活力が乏しくなる」という府教委の決めつけに反論せざるを得ませんでした。


 そうした成果を踏まえ、奈具丘会議では、基本的には今のままが望ましいが、統合するにしても、①農園芸科・家政科という、物づくりを通して学ぶことの喜びを感じられる環境、地域社会と繫がり、地域とともに育てる環境を残すこと、②フレックスとはいえ、三年卒業を基本にすること、③清明型に固執せず新たな弥栄型を構築すること、を府教委に提案しようと確認しました。後日、実際に校長が府教委に伝えられたとのことです。


 数年前に卒業したある女子生徒は、中学時代には学校に行かないことが多く、行ったら行ったで先生方に反抗して困らせる問題児だったそうで、弥栄分校でも相当構えて迎えたのですが、高校入学後は美容師になるという目標を早々に立て、ほとんど学校を休むこともなく、奈具丘祭で開催する家政科のファッションショーでもリーダーとして全員を牽引するという大変身を遂げました。現在は美容専門学校に進学し、美容師を目指して優等生として頑張っていると聞いています。また、現在三年生の男子生徒は、中学校からの報告で「授業中に生体反応がない」と言われるほど無反応な生徒だったそうですが、高校では、農業に目覚めることで他の教科にも努力をはじめ、今年の農業クラブの府連大会で学校代表として意見発表を行うまでに成長しました。現在は農業系への進学を目指し、努力を続けています。

 特徴的な二人を例に挙げましたが、このように中学校での覚えは今一つだった生徒達が、目に見える形で成長し、「喜々として学校に通う子どもを見て、弥栄分校に入学させて良かった」と多くの保護者に喜ばれています。

 こうした成果を上げる中で、中学校の先生方からもよくお褒めの言葉をいただきます。「『○川の奇跡』と言うが、あれはそれまでと全く違う学校を作り、出来る子を集めて大学進学させただけで本当の奇跡ではない。でも弥栄分校は各中学校で手を焼いた子が自然と集まり、その子達を立派に成長させて、就職・進学させてくれる。不登校だった子も『学校が楽しい』と言って喜々として通っている。これこそ『弥栄の奇跡』だ」と言ってくださった方もあります。しかし私は、弥栄分校が特別優れた実践をしているわけではないと思います。「学校のために生徒がいる」という立場でなく、「生徒のために学校がある」という立場に立ち、生徒が主人公の学校運営をするならば、どの学校でも間違いなく生徒は成長すると、これだけは自信をもって断言できます。


 今、府教委が提示している分校の統合案は、これまで培ってきたこうした弥栄分校の教育の成果を考えてくれているのか甚だ疑問です。口では「弥栄分校の教育を評価している」と言いますが、三年でも四年でも卒業できるというフレックス制は、専門学科の教育課程とは相容れない性質のものだと考えるからです。

 私たちは、弥栄分校での実践を通して、弥栄分校だけでなく、丹後全体の高校生が、一人一人大切にされ、成長できる教育の実現を目指して、今後も奮闘したいと考えています。


(編集部より峰山高校弥栄分校のホームページを閲覧すると、生き生きとした生徒たちの様子が良くわかります。)
 
   
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