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  ●京都教育センター通信 
復刊第92号
 (2014.12.10発行) 
   
「アクティブ・ラーニング」と知識を共有する意味
〜当たり前の自分を表現する自由〜

                      鋒山 泰弘 (追手門学院大学)

 

 小中高の学習指導要領の改定が11月20日に中央教育審議会に諮問された。今回の改定では、児童生徒が身につけるべき資質能力について、教員から授かる「受け身の知識量」から「知識を使って自ら何ができるか」という「主体性」「課題解決能力」を重視する転換を打ち出し、「キーワードを一つ挙げるならば『アクティブ・ラーニング』だ」と文部科学省幹部が説明しているそうである。

 実は「アクティブ・ラーニング」という言葉は、数年前から日本の大学の授業改善のもっとも「はやりの主題」として使われてきた。大学教員が一方的に学生に講義するのではなく、学生との双方向的なやりとりがある授業をすべきであるとか、学生が自分の意見や考えを小グループやクラス全体に発表する機会を多人数授業でも取り入れるようにすべきである等、大学教員向けの研修会がさかんに行われている。

 私自身も勤務先の大学で、できるだけ「アクティブ・ラーニング」にしようと、様々な試行錯誤を続けているが、ここでは、非常勤として行っている「難関大学」といわれている大学での受講生の意見を紹介して、学校での「アクティブ・ラーニング」実現をめぐる課題を考えてみたい。

 教職課程の必修科目「教育方法論」という授業(登録200名ほどの大教室での授業)で、高校の授業においても生徒から意見や発言を求め、「学びの共同体」を作り出そうとしている教師の実践例が多様にあることを取り上げた。それについて受講生から講義の最後にコメントを書いて提出してもらった。難関大学受験の「成功者」で、教職課程を取っている大学生の中にも、次のような否定的コメントや経験をもっている学生がいることにあらためて気づかされた。

 「僕の高校では『どう感じたか』を尋ねる先生はいませんでした。もし聞く先生がいても『受験に関係ない』と一蹴されていたと思います」

 「正直にいうと、(教師が)「〜さんの答えはどうですか」と(クラス全体に)聞く質問は、授業に参加しているかどうかを問うだけの質問であり、答えることで何かを得られるというものではないため、意味がないように感じる」

 「今の受験国語で必要とされているのは主観的に物事をとらえて議論するのではなく、客観的に物事を理解するというものです。つまり、進学校であればあるほど、自分の意見を述べることがなくなるということです」

 「(高校の数学の授業で)発言ができない、間違うことが許されない重々しい雰囲気が教室には漂っていると思う。積極性のない一人一人が殻にこもった苦痛なだけの時間。それがどうしてもぬぐえない。だからそれに同化して自分もそうする」

 もちろん、以上のようなコメントばかりでなく、大学受験(特に2次試験の論述問題)に向けて、高校生一人一人の表現を引き出し、教師がコメントして、生徒同士相互に学びあう空間を作り出している高校の先生に出会った例を書く大学生もいた。しかし、少数ではあれ「学校の授業でクラスの他の生徒の意見を聞いても意味がない」と感じている(教職課程を履修している)大学生がいることには驚かされた。

 学校の授業という場で、知識が共有されることから生まれてくる「喜び」をどのように作り出すかということが、「アクティブ・ラーニング」の基盤には必要だろう。
 
 
どこまでも原発推進のための『新しい放射線副読本』
−文部科学省発行(2014.3)『新しい放射線副読本』の分析・批判−

                   市川 章人 (京都教育センター)
 
 

はじめに

 文部科学省は、福島第一原発事故の起きた後、2011年10月に『放射線等に関する副読本』(旧放射線副読本)を発行し、全国の小・中・高等学校に配ってきたが、2014年2月28日に『新しい放射線副読本』(新放射線副読本)を公表し、3月から各学校に配布している。

 新しい放射線副読本の発行を機に、過去の副読本と比較しつつ、改めて副読本発行の狙いを明らかにするとともに、新放射線副読本の問題点について分析・批判を試みた。

※以下の分析は、『中学生・高校生のための放射線副読本〜放射線について考えよう〜』に基づく。
※新しい副読本はインターネットで「文部科学省 新しい放射線副読本」を検索するとpdfファイル形式の『小学生のための放射線副読本〜放射線について学ぼう〜」『中学生・高校生のための放射線副読本〜放射線について考えよう〜』の2つがダウンロードできる。


T 新放射線副読本のねらいと反教育性

(1)最初の副読本は原発事故で破綻

 福島第一原子力発電所の事故が起きるまでは、文部科学省と経済産業省資源エネルギー庁によって、小・中学生向けにエネルギー副読本『わくわく原子力ランド』(小学校用)と『チャレンジ!原子力ワールド』(中学校用)が発行され、原発推進の立場を子どもたちに注入してきた(2009年度4万部印刷)。

 これは、原子力発電所は絶対安全で、何かあっても放射性物質は「5重の壁」に阻まれて絶対に環境中にもれることはないと強調した上で、原子力発電が最も優れたエネルギー源(電力源)であると教え込むものであった。

 しかし、福島原発事故によって虚構の「安全神話」が崩壊し、エネルギー副読本は廃棄せざるを得なくなった(2011.4.13)。

(2)2011年、放射線問題に限定した旧放射線副読本を発行

@掲げた目的は一見まともでも、内容は正反対

 エネルギー副読本に替わって発行されたのが、旧放射線副読本『放射線等に関する副読本』(小学生用、中学生用、高校生用の3部)である。

 旧放射線副読本の作成にあたり、当時の中川正春文部科学大臣は2011年11月に「保護者、学校関係者の皆様へ」という声明で次のように述べた。「このような特別の状況に国民一人一人が適切に対処していくためには、まず、放射線等の基礎的な性質について理解を深めることが重要であると考えます。特に、この困難な事態を克服し、日本の将来を担わなければならない子ども達においては、小学校・中学校・高等学校の各段階に応じて、放射線や放射能、放射性物質について学び、自ら考え、判断する力を育むことが大切であると考えます。」

 この「放射線や放射能、放射性物質について…判断する力を育むことが大切」という点はそのとおりである。むしろ、世界でも有数の原発大国であるにもかかわらず、放射線や放射能、放射性物質の知識が日本の国民にまともに与えられてこなかったことが異常だったのである。

 しかし、この副読本の内容は以下に示すように掲げた目的に完全に反するものであった。

Aなぜエネルギー問題を避けたか

 エネルギー副読本に替わって登場した旧放射線副読本は、エネルギー問題を扱うことを避け、放射線問題に絞ったが、これは原発とそれを基本にしたエネルギー政策への疑問を拡大させないための措置であったといえる。

B被ばくの危険性を徹底して隠した旧放射線副読本

 旧放射線副読本の内容は、放射線に関して子どもたちが真実を正しく学ぶどころか、子どもたちが学ぶべき大切なことを覆い隠している等の問題点が容易に指摘できるほどあからさまであった。以下問題点を列挙する。

*福島原発事故の実相、地震と津波の影響などをまったく記述しなかった。

*深刻な放射能汚染による被害の現実にまったく触れず、食の安全についても述べなかった。

*逆に、「自然の中にも放射線が多くある」と身の回りのようすを詳しく写真や図で紹介し、放射線は身近で怖くないと印象付けようした。

*「医療、農業、工業でも多く利用している」など放射線の利用例ばかりを写真付きで詳しく書いた。

*放射線について「危険」という文言は徹底して避けて「影響」という文言で通し、放射線の生命への危険性をほとんど述べず、内部被ばくが特に危険な点にはまったく触れなかった。

*「100mSv以下の低い線量では病気との関係については、とくに明確な証拠はない」とし、被ばくによるリスクはないかのように強調して“放射線安全神話”を流布しようとした。

*原発事故で飛んできた放射性物質があっても「その後、時間がたてば地面に落ちる」から「マスクをしなくてもよくなります」と述べ、埃とともに舞い上がる放射性物質を吸う危険を冒すことまで勧めた。

 これはもう、子どもたちの命を奪う“服毒”本というべきものであった。

(3)2014年に新しい放射線副読本に改訂

@見直した理由を語れない文部科学省

 原発と放射性物質・放射線の「危険性」を伝えることを徹底して避けた旧放射線副読本のあまりのひどさに、教育関係者などを中心に厳しい批判が広がっていった。

 そんな中、2014年3月に文部科学省は新しい放射線副読本を発行した。ホームページ上には次のように書いている。「文部科学省では、放射線副読本の見直しを進めてきましたが、このたび、その冊子が完成し、公表することとなりましたので、お知らせします。本冊子は、平成26年度から使用できるよう、配布を希望した全国の小・中・高等学校、特別支援学校等に配布することとしています。」

 旧放射線副読本を見直した理由はどこにも書いていない。いや、書けないのである。

A原発利用が前提であることを明確に示した

 「見直し」によって記述内容がどのように変わったのかは後で詳細に見るが、発行のねらいそのものは見直されず、旧放射線副読本と比べてさらに明確、露骨になっている。

 旧放射線副読本が原発を引き続き利用することを前提にしていたのは、「はじめに」にも表現されていた。「この副読本では、放射線の基礎知識から放射線による人体への影響、目的に合わせた測定器利用方法、事故が起きた時の心構えさらには、色々な分野で利用されている放射線の一面などについて解説・説明をしています。」(下線は筆者)

 新放射線副読本になると、「はじめに」の中には、あくまで原発利用は大前提で、しかも事故も覚悟することをはっきりと述べている。「原子力や放射線の利用にあたっては、事故が発生する可能性を常に考え、安全の確保に最善かつ最大限の努力を払うことが大前提となります。」、「この副読本では、原子力や放射線とその利用における課題を学ぶため(中略)放射線に関する基礎知識や放射線からの身の守り方等を解説しています。」(下線は筆者)

 これは、これまで過酷事故は絶対に起きないという前提での原発利用であったものを、2012年7月に原子力規制委員会が出した新規制基準では考え方を180度転換し、過酷事故発生が前提の原発稼働にしたことと完全に一致する。

B主権者を育てる上で極めて不十分な課題設定

 新放射線副読本が「はじめに」の中で「ひとたび(中略)事故が起これば、極めて長期間かつ広範囲にわたって甚大な被害をもたらします」と述べたように、未曾有の被害をもたらした福島原発事故は、エネルギー問題を含め、原発に依存してきた社会のあり方そのものを問い直す課題を人類に突き付けた。しかし、新放射線副読本はこの根本的な課題にまったく無関心である。

 そればかりか、新放射線副読本自体が、「事故が発生する可能性を常に考え、安全の確保に最善かつ最大限の努力を払うことが大前提」とまで述べながら、事故を起こさないためにどうするのかを考えるための知識・資料はまったく載せていないのである。

 「放射線についての科学的な理解を深める」ことは重要であるが、それにとどまらず、どのような未来を選ぶのか、どのような社会をつくるのかが問われており、主権者として未来を生きる子どもたちには、この課題を総合的に考え、判断し、行動できる知識と学習が不可欠である。

 新放射線副読本はそこを意図的に避け、「はじめに」で示したように、“子どもたちは、どれほどの事故が起きようとも原発を推進し膨大な放射性物質を抱えた社会のあり方に疑問を抱くことなく、その枠内で必要なことを身につけよ”というわけである。これはもう反教育的とさえいえる。

(紙面の都合で以下省略)、

U 新放射線副読本は、旧放射線副読本と比べてどこが変わったか
― その概要と批判 ―

V 新放射線副読本の問題点の数々
― 既述に沿って問題点を見る ―

W 新しい放射線副読本をどのように扱うか

※続きを読みたい方は,教育センターまで、メールをください。送らせてもらいます。(事務局)


 
   
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