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●京都教育センター通信 
復刊第41号
 (2010.2.10発行)

拝啓 学校長様
  今こそ学校づくりのビジョン提示を!

              京都教育センター事務局長 大平  勲



 毎年、卒業・進級、入試や人事異動のこの時期になると社会的に学校が注目さ れ、学校内では学校長の存在がクローズ アップされる。

 それは学校教育法に 「校長は校務をつかさどり、所属職員を監督する」 と明記されているように、学校長が行政機構の末端とての役割任務を行使する立場にあるからだ。だから普段は失礼ながら教育内容に関していかに“未熟”であっても、この時期だけはその権限をフルに行使し校長職の醍醐味を実感されるのです。

 しかし、同時にこの時期は、学校内にあって一年間の学校総括を行い新年度の教育方針を固めるときでも あり、学校教育組織のトップとして、教育自治的学校運営のために教育専門職としての見識をフルに発揮されることを期待するものです。

 私が教職に就いた (1967年) 頃は 教頭職も法制化されていなく、管理職は 唯一校長の 「鍋蓋型」 であり、今のように副校長、教頭、主幹・指導教諭などが 「ピラミッド型」に配置されていなかっただけに、行政と学校現場を円滑に結びつける役割は太く、学校内外で学校組織の責任ある代表者として立ち振る舞うこ とを求められていた。

 職員会議でのさまざまな立場からの意見が出されたときにも(昨今では意見すら言う機会がない学校もあるようだが)、校長はそれらを統括して一つの方向にまとめる専門家としての指導性が強く求められた。

 最近ではどうでしょうか?教育委員会の下級機関 として上意下達の窓口となり、教職員を服務監督することだけに熟達されていることはないでしょうね。「そんなこと はない!」と言われる校長さんに敬意 を表したい。本来、学校の権限で決め るべき教育課程編成や指導要録作成、 校務分掌などの全校的教育事項は、教委の通知・通達や校長会・教務主任会 などの「横並び合意」に縛 らることなく、各学校独自に学校長が子どもや地域の実態を深く分析・検証して原案 (ビジョン)を提示し、全教職員の叡智で練り上げていくべきものなのです。

  「特色ある学校づくり」や 「開かれた 学校づくり」がうたわれていても、「内実の伴わない絵空事」として空洞化しているのが実態であることは教育関係者の多くが知るところです。

 最近の教育事情は「学びからの逃走」 「減らないいじめ・不登校」「モンスタ ーペアレント」「増える教職員の精神疾患」など今までにない現実が広がる中 にあって、「教育改革」の名のもとに上からの施策が教育条理抜きに降ろされ、学校長も右往左往されることでしょう。

  しかし、その混迷をそのまま子ども、 父母、教職員に持ち込んでほしくないのです。こうした複雑な情勢の今こそ、 子どもの実態を科学的に捉え認識し、すべての子ども達の豊かな全面発達を 促すための集団議論を経て(京都教育 センターが50年前に提起したこと)、学校づくりの指針を出して欲しいのです。

 その当たり前のことが見えにくいのは、上からの統制の圧力もあるでしょうが、専門家としての校長の見識不足に因ると私は見ています。

 困難も苦労も多いでしょうが、課題の山積みした今ほど、最も教育力量豊かなはずの学校長の専門的手腕が発揮され、「校長冥利」 を実感で きるときはないと思うんですが、そん なに甘いもんじやありませんか。

 私自身は十一人の学校長のもとで三十八年間、中学校の数学教諭 (うち十年は組合専従)を担い、学校長には意見を言い続けてきましたが 「敵視」 し たことは一度もありません。

 私の世代は採用も少なく誰でも (授業不成立でも、酒乱でも)管理職に登用され、ただ一つのハードルは「組合員」である ことでした。だから何人かの「組合員」 がその衣を脱いで 「向こう」 に行くのを見て、残念だがやむを待ないなと思っていました。「向こう」 に行っても教育者としての 「良心」 を持ち続けた人 には密かに激励・期待もしました。

 が、組合を抜けたことの証を忠誠すべく「組合敵視」を露わにした人には厳しい眼差しを向けました。京都教弘の支部長の任にあった頃、学校研究助成金を贈与したときに「大平の名前が気に入ら ん!」 と称して返上した「旧友」の校長などには哀れみを覚えました。

 私は今非常勤で、ある大学で教職をめざす学生相手に教鞭をとっていますが、彼らは教職への風当たりが強い昨今にあつても 「子どもとともに未来をつくる仕事」に憧れ、難関の採用諸験に果敢にチャレンジしています。

 学校長様におかれましては、こうした夢と希望を受け止め、広げる「光栄ある任務」があることを改めて心してほしい と願うものです。



英語の授業で大切にしたいこと

           石河 正伸(長岡第三中学校)



はじめに

 京都府では、ここ数年、高校入試制度が大きく変えられ、ますます多様化してきている。しかし、その多様化とは、いわゆるできる子にとっての多様化であり、できない子にとっての多様化ではないことは、中学校の教師にとっては明らかです。

 同時に、文科省や府教委が実施する学力診断のためのテストが、唯一のものさしとなり、現場にいる私たちの授業が制約を受けている状況もある。

 そのような中で、私たち中学校の教師にとって、どんな授業実践をするのか、どんな学力を子どもたちにつけていくのかが問われています。

 本稿では、これまでの授業実践をふりかえるとともに、現在考えていることについて記してみたいと思います。


一 これまでの英語教育実践をふりかえって    ─授業で大切にしたこと─

@新英研のいわば 宝″であるのですが、いわゆる「教材」の中身、内容でした。当時、キング牧師の[I have a drea]のスピーチやチャップリンの映画 『独裁者』 のなかのスピチの英文での読み取りに、子どもたちは、目を輝かせてとりくみました。英文での日本国憲法の学習、他にさまざまな言語材料ごとに、子どもたちの知的好奇心を呼び覚ます教材を準備しました。

 また、学習プリントには、子どもたちの生活に根ざした例文を入れるように努めました。たとえば、不定詞の学習では、[I need a room to study.](ぼくには勉強する部屋が必要だ)[I have no time to play with my friends.](私には、友だちと遊ぶ時間がない)などです。

A協力・協同の学習です。もうすでに、また今もなおされている実践で小先生授業″です。教科書の各ページを班で担当し、班内で単語係、文法説明係、教科書読み係、プリント作成係など子どもたちが分担し、準備し、先生の代わりに授業をするものです。教科書の音読にも班学習をとり入れたりしました。

B低学力の生徒を励まし、力をつけるとりくみです。単語テストのとりくみ、リレー英作文のとりくみ、小先生がんばり教室など、教師一人だけではなく、生徒の力も借りてとりくみをすすめました。

 今、一九八〇年代の自分のレポートとか、当時の実践報告などを読むと、今日の子どもたちの状況のなかでも、大切に受け継ぎたいこと、通用しないこと、時間がかかることなど、あると思っています。


三 最近の英語教師の会話と私の言葉

 さて、あれから二〇年、「今、私は?」「私たち英語教師は?」。

 夏休みが始まったころ、昨年の九月から、私の勤務する市にAET(外国人指導助手)として採用され、共に授業をしてきたA先生とのお別れパーティをやろうということで、ある居酒屋に英語教師たちが集まりました。市内中学校から一〇名ほどが集まりました。すでに日本での生活が三年になるA先生でしたが、同じ市でAETとして働くのは初めてで、私たちとの親交も深くなり、授業の打ち合わせはもちろん授業でも、市内中学校の英語教師みんな、口々にA先生と一緒に仕事ができてよかったと言っておられたし、私もそうでした。研究授業も一緒にされた先生方もおられました。そして、そのなかでの会話は、「AETの先生と研究授業などをティームティーチングでやると、その後の研究会で、指導主事は 『すばらしい授業』 『子どもたちが生きいきと授業にとりくんでいる』 と言うけど、結局いちばん大切なのは、府の学力診断テストの結果やろ」「なんぼええ授業やっても、学力診断テストの結果を見せられて、『これ、どうすんねん?』と管理職から言われた」などで、AETのA先生もまったく同感と言われていました。

 今、現場の英語教師に求められていることと、AETの先生自身の仕事の難しさを痛感しました。とりわけ、民間の教育研究団体の研究会に参加されたことがない若い先生には、学力テストの結果が至上命題になつてしまうことになっています。当然、子どもたちへの指導にも反映されることになります。

 かくいう私は、どうかといえば、最近の三年生の授業で、「これは高校入試によく出るから、しつかり勉強しておくように」「これは、必ず覚える単語のリストです。次の時間から単語テストをします」など、受験を意識した言葉が、つい口から出ることが多くなっています。その根底には、勉強になかなかとりくまない子どもたち、あるいは落ち着いて学習にとりくまない子どもたちにたいして、とりあえず当面の″課題を提起しなければならないという意識ばかりが先行しています。子ども期の生活要求でもあるという視野″が欠落している自分に「それでいいのか」という自問自答をしている姿を、最近、ますます自覚させられています。


三 今、模索していること    ─阿原威光氏の提起を受けとめて─

 新英研の研究活動において、さまざまな提起をされたり、英語教師をいろいろなかたちで励まされてきた阿原威光氏は、「楽しく身につく英語楽習法十か条─HOW TO ENJOY LEARNING ENGLISH─」として、次のように整理されています。  

第一条 自己表現の成就感を積み重ねて、その気にさせる。モチベーションづくり  

第二条 「集中と継続」自分の足で一歩一歩富士山を登る姿勢で英語山に挑戟  

第三条 ことばは声、命の力。「発声三原則」で、人間らしい英語コミュニケーション  

第四条 毎日英語を音読し、暗唱すると、自然と英語の力がついてくる  

第五条 「英語らしく発音三原則」と「文のこころ・強弱・流れ読み」  

第六条 毎日英語を書いて暗書すると、自然に英語が書けるようになる  

第七条 辞書は、英語楽習の最高の案内人。英和辞書と和英辞書と毎日デイト!  

第八条 「五感を総動員して、考えて、仲間と学ぶ」と人間的文化的英語楽習をこそ!  

第九条 想像と創造の自己表現は、習熟への最高最良の道  

第十条 想像し、他者をみとめ、共感して、英語で世界と交流し協働していくと、地球は平和なまあるいコミュニケーション

 そして、阿原氏がとくに強調されているのが「音声による自己表現」です。私自身も、一年生の段階から、さまざまを言語材料を活用して、自己表現活動を展開しています。低学力の子どもであっても、教師の指導と援助によって、英語で発話したり、書いたりすることが可能であり、表現できます。また、現在使用している教科書以外からの投げ込み教材からも、このことは可能です。


おわりに  ─英語という教科の独自性もふまえて─

 新しいAETが、九月から勤務しています。彼がまず驚いたのは、一クラスの人数でした。四〇人という多さです。外国語の学習において、さまざまな学習を保障できるのは、二〇人〜三〇人ぐらいが妥当だと言われています。現在、京都府でも少人数授業が施策によって行われていますが、やはり多くの英語教師の願いは、年間安定した(途中で編成替えをしないで)学習集団を二〇〜三〇人にして、授業をすることです。官制研修で、報告者の先生が、報告の最後に、「やっぱり、クラスでやるのがいいですね。少人数授業はちょっと・・・・」と口頭で感想を述べられると、すぐに指導主事が「予算が充てられています」と言いました。現場と行政の感覚のちがいを垣間見ました。

 今一つ、英語という教科の独自性は、英語が外国語であるということです。しかし、現在の学習指導要領のなかで書かれている理論は、「第二言語習得理論」です。すなわち、「移民、移住者などが、英語が話されている言語環境で、母語ではない英語を学び「習得すること」です。英語をシャワーを浴びるようにとにかく聞く、しかも幼少期からそのことをすれば、英語が身につくという考え方です。しかし、教室から一歩出れば、日本語が溢れているなかで、そんなことはできるはずもありません。外国語を学習する際に必要なのは、その言語がもつ言語形式、思考形式を学び、異質な文化を理解することが必要です。もちろん、そのためには、継続して何度も練習し、暗唱・暗書も必要です。そういう継続性、反復練習が必要な教科でもあるのです。

 「先生、オレ外国行かへんし、英語勉強する必要ないし!」という子どもたちを前にして、子どもたちの生活に根ざし、心ゆさぶる教材を、そして、暗唱、暗書などの反復学習のモチベーションづくりの工夫を、と悪戦苦闘の毎日です。

(注)阿原威光『お祭り英語学習入門 いじめは授業でなくす』 三友社出版、二〇〇七







【第40回 京都教育センター 研究集会】
1日目のべ140人参加
「困難」から「打開と展望」を見通すヒントいっぱい!

2010年1月23日(土)〜24日(日) 京都教育文化センター

詳しくはこちらをごらん下さい。



「私の歩んできた戦後60余年の子どもの変化と教育」−戦後のレッドパージ弾圧にも抗して−
     講師 関谷 健 さん(元 府立田辺高校)


 お願いした趣旨に添ったお話を86歳とは思 えない元気さで語って頂きました。淡々と語られたレッ ドパージの「仕打ち」が関谷先生の人生をどれほどないがしろにしたかを深く受け止めました。

 この日のために 年末から年始にかけて何度も教育センターに足を運んで頂き、教育実践への執着をお聞きしてきただけに一番話したかった所を制約したかなと、責任を感じました。

 元田辺高校の関係者も2人の学校長を含めて十数人ご参加頂き、同僚として当時のことを語って頂き関谷先生の存在の大きさを認識しました。


記念講演
「石原都政の異常な教育介入とのたたかい」−教育に自由と民主主義を−
     講師 金崎 満 さん(元都立七生養護学校長)

 午後からは「七生の不当弾圧の実態」を聞きたかったという障害児教育の関係者も多数かけつけ、 金崎先生の、30年前の「与謝の海養護学校」から学ばれた豊かな実践と、石原都政のファッショ的施策の事実をリアルに語って頂きました。

 この10年間の東京での状況は20数年前の京都の実態に似たもので、東と西で「自由と民主主義をとりもどす」たたかいを意気高く展開する「連帯」を感じさせられました。

 裁判 支援の会場カンパも3万余円寄せられ、最高裁での完全勝利への期待を熱くしました。


「青年教職員 大いに語る!」
     パネラー 現場青年教職員 教職を目指す学生 他


 関谷さん、金崎さんとは半世紀近くも若い3人の青年教師から日々の苦労と喜びを築山先生のリ ードで縦横に語って頂きました。

 子どもとの関わりを求めながらも、管理職の人事考課を意識せざるを得ない苦労。このまま、子育てをしながら続けられるのか?組合はこれからどうなっていくのか?などの「心配」を語りつつ、青年教職員でしか体験できない「やりがいと喜び」を披渡され、遥か昔にそうした立場にあった多くの参加者に希望と展望を与えるトークとなりました。


参加者の感想から


●「金崎講演」で新自由主義教育は、あるべき教育実践を支える学校・地域の対極にあることがよく示された。民主的学校・同僚性がどのようにして父母や子どもの信頼を得られる教育実践に繋がっているのか、発達の原則の理念との関わりなどを掘り下げていくことがより力になるのではないかと感じた。最後に語られた父母・地域における支援の広がりが教育運動発展のカギになっていることを痛感させられた。(T)


●「金崎講演」と「青年トーク」を聞いて、古い政治体制を退陣に追い込んだといえども、その一方で「石原」や「橋本」らの「幼児的独裁支配」がどうして大きな「支持」を受けるのか。この問題を突き詰めて考えたいと思います。教育研究集会や教育センターの活動分野に「人はどんな時に立ち上がり、繋がり合え右のか」の探求が今、求められているように思います。(S)

●関谷先生の戦中・戦後の青春時代の話、京都の学生時代、そしてレッドパージの体験はとても貴重な中身がありました。田辺高校の事件と改革の中心で頑張られた様子が当時の学校長や同僚の発言もあってよく分かりま した。こうした教訓が今日の京都の教育運動の中で生かされることが大切だと思いました。
 3人の若い教師の発言は貴重でした。やはり、職場の仲間のあり方、職場外の青年教職員のつながり、サークルなどが教職員を育てると痛感。「団塊の退職」や「世代交代」については年配の心配と同様に若い世代も気がかりに思っていることが語られ共感できた。 (K)

新刊紹介
教育センター室でも扱っています

『思春期のゆらぎと不登校支援 U子ども・親・教師のつながり方』

 春日井敏之 著    ミネルヴァ書房  二八〇〇円+税

 U認め合う居場所とつながりの実感を  思春期・青年期の自己形成と支援のあり方、臨床教育の視点から双方にとっての支援の意味を問う。

『水源の里 綾部で文化を紡ぐ U中学生からの 地・生・輝 づくり』

吉田武彦 著     ウィンかもがわ 一五〇〇円+税

 地域の人々が支える学校、地域のにない手が育つ学校づくり。過疎の農山村地域で取り組んだ、未来に生きる豊かな学び。

『京都山科 音羽・大塚・音羽川 二千年の歩み』

       鏡山次郎 著     つむぎ出版 二五〇〇円(税込)

 ふるさと山科の二千年/中世の山科七郷と自治の伝統/音羽地域の二千年/幕末の山科史/四ノ宮地域の二千年/山科における戦争の爪痕を訪ねて/四ノ宮におけるまちづくり住民運動 他


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