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●京都教育センター通信 
復刊第22号
 (2008.4.10発行)

 「軽度発達障害」のある子どもが教えてくれたこと
                 佛教大学教授 神谷 栄司




 この一月末から二月初めにかけて、ある市の公立幼稚園数か園で保育を参観し研究会に参加する機会がありました。

 うち二クラスではいわゆる「軽度発達障害」のある幼児を受け入れていました。クラス全体の保育をみながら、こうした子どもたちに注目していると、彼らは実に興味深い姿を示してくれました。四歳児クラスにはADHD的傾向のある男児がひとりいました。聞けば、四月の入園当初には隣の子どもにパンチを食らわせるような子どもでした。しかし、正直なところ、劇遊びのなかでは、どの子が当該の子かも分かりません。誰が当該の子かを聞いてみて、驚きました。眼の前で展開されているのは「おたまじゃくしの101ちゃん」という小さなお話のクライマックス――タガメとザリガニがおたまじゃくしの101ちゃんを捕まえようとしていることを知ったお母さんガエルが、身の危険を顧みず、一〇一ちゃんを救出しようとするシーンでした。この男児はいまお母さん役です。眼を輝かせて、おたまじゃくしを救出しているのです。他の子以上に、この劇遊びを楽しんでいるように見えました。

 もうひとりは、五歳児組にいる自閉的傾向のある男児です。このクラスではシートンの「ぎざみみうさぎ」の劇遊びをしていました。ひと言もことばを発しないこの子は見るからに自閉的傾向をあらわしていましたが、彼も実に興味深い姿を示してくれました。

 このクラスの保育者は子どもたちの気持ちを高めるために律動(この日はスキップ)を始めました。保育室の窓や壁に沿って三方に並べられた椅子にすわり、先生のピアノに乗って順次スキップをしていきました。この子は先生に促されてもスキップに出てきません。それどころか後ろ向きに椅子にすわって絵本棚で何やら探しているふうなのです。ところがよく見るとお尻が先生のピアノのリズムに乗ってスキップをしているではありませんか。

 劇遊びは「ぎざみみうさぎ」の冒頭のシーン――お母さんのいないすきをねらって黒大蛇が幼いうさぎを狙い、この坊やはなんとか逃れて事なきをえたのですが、耳をかじられてしまいます。「ぎざみみ」という名前の由来がそれです。クラスはそのシーンを遊んでいたのですが、自閉的傾向のあるこの男児はやっとさがした絵本に見入っていました。保育者は劇遊びへの参加は難しいと判断したのでしょう。補助の先生が個別的に保育をするために、その子を別の部屋につれていきました。参観が終わり、職員室にもどると、ストーブの横でこの子は絵を描いていました。

 その絵には、保育室での劇遊びのシーンと一致する耳がぎざぎざのうさぎと大蛇が描かれています。見れば、あのとき探して手にしていた絵本は実に「ぎざみみうさぎ」だったのです。この子は「自閉」ということばが示すような「自己の内側に沈潜」しているのではなく、劇遊びに独特な形で参加していたのです。

 これらの子どもたちと出会って、私は改めて遊びの本質や重要性に思いを馳せました。幼児期において虚構性・想像性をもつ遊びは「発達の最近接領域」をつくりだすというヴィゴツキーのことば、ある感情(衝動的な行為)はそれとは反対のより強力な感情(遊びの面白さや内的ルール)によってのみ克服されるというスピノザのテーゼを肯定するヴィゴツキーのことばを。それらの真実性を「軽度発達障害」のある子どもたちの遊びの姿は確証しているように思われます。

 ついでに言えば、先ごろ公表された新幼稚園教育要領の唱える「規範意識」の育成は、内的ルールを生みだすのではなく外的ルールを強いることであり、それをまともに追求するならば、その試みはふたたび子どもたちの「荒れ」によって、またADHD的傾向のある子どもの改善されない行為によって、手厳しい批判を受けることになるでしょう。これもまた彼らが教えてくれることです。





計算に強くなり、柔軟な脳に変身!
  〜 何故なのかをしっかり考えよう 〜
                京都府立朱雀高等学校 平野健三



〔1〕 脳と学力を鍛える基礎ノートの作成と使用

 高校生たちが言葉や漢字を知らない、計算が正確に出来ない、などの声が頻繁に聞かれるようになり、入学以前につけてあるべき(と高校教師が思っている)学力について検証し、不足することは高校として直接補完すべきである。この理念に沿って、各教科の共同で「脳と学力を鍛える基礎ノート」を作成しました。

〔2〕 総合的な学習の時間を利用した数学の再学習の授業

 1年生で週1時間「総合的な学習の時間A」として、基礎的な事項を学習していますが、数学編では、「基礎ノート」で『1.単位あたり量2.比3.分数の計算4.小数の計算5.比例』を扱っています。毎時間、担当教師(教科は様々)が入り、説明を各自が読み問題を解く、自習形式です。終わりに解答を配り各自で添削、というこの授業に、内容が簡単すぎて退屈したり、馬鹿にするのではとの不安もありましたが、生徒たちは「できる」事を頼りによく取り組んで好評でした。しかし、学習後の確認テストに対して、例えば、【問題】1km走るのに0.3リットルのガソリンを使う自動車で、60リットルのガソリンがあれば、何km走れるでしょうか。(全体量)÷(単位あたり量)=(いくつ分)の問題に対し、誤答率は約20%(47人)で、誤答はほとんど60×0.3=18の計算でした。

〔3〕補充・回復の取組

 上記のような「単位あたり量」や「小数」「比」の確認テストで理解が不十分と考えられる生徒に対し,7月から2学期にかけて補充授業(個別指導)を行いました。1年の担任との共同で合格するまで繰り返し指導し、その後の確認テストでは、全員合格となりました。

〔4〕まとめ

 「小学校のときから算数はきらいだったので,授業もきいていなかったので、今回やってみてほんとうに勉強になりました。特に,単位あたり量のところは分かっていないところがあったので、理解できるようになってうれしかったです。中学校に入ってからはずっと小学校の勉強について復習する機会がなかったので、この時間で復習することができて基礎がしっかりできるように少しはなったとおもうので、高校の数学にも役に立てることができたらいいとおもいます。」(生徒の感想より)90%(1年生240人中220人)の生徒が上記のような肯定的な感想・意見で、生徒に歓迎されていることをはっきり示しています。生徒たちが高校を卒業するまでに、しっかりとした学力をつける為には、高校入学までにつけておくべき学力を早急につけることは当然です。単位あたり量程度の数学は一生しっかりとした理解が必要ですし、高校では理解が不十分だと、数学に限らず様々な教科を学習していく上でも困難を引き起こすことになります。


(近日掲載)






統廃合──ああ、もったいない、もったいない
        〜小さな学校の、大きな可能性〜
              京田辺市立普賢寺小学校  府金 隆清



  統廃合が強引に進められている地域の、ある学校の閉校式でのこと。教委の関係者が「人数が少なくなると、活力がなくなる。子ども達に力をつけるために今回の統廃合を進めた」という趣旨の挨拶をしたそうです。単学級になったら学校は「小さ過ぎる」のでしょうか?それより、なにより「小さい学校は子どもの育ちの上でハンディがある」のでしょうか?

 わたしは、児童数七十六人の本校での経験を通じて、まことしやかに喧伝されてきた「学校は大きくないとだめ」という“日本の常識”がいかにまがい物かということを実感してきました。学習の面でも、集団活動の面でも、何よりそのベースとなる学校の空気という点でも、「子ども」「教職員」「保護者・地域」の近く、濃く、親しい関係が醸し出し、生み出す力は想像以上のものです。小さいことはハンディどころか、得がたい強みであり、子どもの育ちの上では必須条件とさえ思えます。

 集団活動の面でいえば、小さいからこそ「全ての子どもに、豊富な出番がつくれる」という“強み”があります。「その中でこそ自信と自覚を育てられるし、大きな集団でも力が発揮できる素地を作れる。そして、その自信と自覚の記憶は一生の財産となる」と考えて、わたしは、学校づくり、集団づくりにかかわっています。それは、保護者の中にもある「少人数の学級、学校の中では力が発揮できても大勢の中では萎縮してしまったり、引っ込んでしまう=小さい学校の弱点」という懸念、また、そうなってほしくないという期待に応えられる学校づくりにも重なることだと思っています。

 実際本校の児童、特に六年生はいやというほど出番があります。学級=学年はもちろん、異年齢のたてわり集団の中で、さらに少人数とはいえ全校児童の中で、そして保護者や地域の人たちの注視の中での出番も少なくありません。これでもかというほどの役回りもあります。やっていく中で見つけ、わかってくることがあります。子ども達は負担と思わず、ステップにしています。覚悟をして待っています。そして力をつけていきます。

 一方で、六年生になるまでにも、多様な組み合わせの異年齢ユニットの活動が展開できます。異なる立場で、リードしたり、リードされたり、先輩の姿を見たりという経験を積む中で、「六年生になったら」という最高学年像を徐々に暖めていきながら引き継いでいく大事なステップになっています。いずれも、小さい学校でないと簡単にはできない大きな教育力を持つ実践というべきでしょう。

 児童数減は寂しいことですが、過大規模の弊害を脱して「子ども」「教職員」「保護者・地域」が近づける絶好のチャンスでもあります。それなのに統廃合??みんなが幸せになれる、地域に支えられた小さな学校を手放すなんて、ああ、もったいない、もったいない。








京都教育センター2008年度活動方針



 1960年に設立された教育センターは2年後に50周年を迎えます。子ども、教育論不在でトップダウンの教育施策が強行される今、教育は誰のために、何のためにあるのかが根本的に問われる状況にあります。子どもと向き合い、子どもの声に耳を傾ける事を出発点とした授業づくり、学級・学校づくりを果敢に展開することで、厳しさが蔓延する今こそ、あたりまえの教育が「日の目を見る」チャンスかも知れません。
 そのためにもセンターは現場の実状把握に努めながら、豊かな実践を支援するために交流の機会をつくり、理論化をすすめる方針です。

[活動の重点]

@新学習指導要領の押しつけをはね返し、のりこえる実践の構築     
A「学校づくり」運動への援助
BPTAをはじめ子どもにかかわる学校外の組織との連携
C今夏、京都で開催される全国の研究集会(教科研、日生連、到達研、不登校親の会、新しい絵の会など)への参画

[具体的活動]

(1)第39次センター研究集会 2009年1月24日(土)、25日(日)教育文化センター全館

(2)センターの8つの研究会が企画する「公開研究会」の成功

(3)教組の教研集会への共同研究者・研究員の参加

(4)発行・出版 : @季刊誌「ひろば」(年4回) A「センター通信」(毎月)  BGSをのりこえる実践冊子 C「年報21号」

新学習指導要領批判 連続学習会

[第一回] テーマ:おしつけ批判から のりこえる授業実践を!

 5月25日(日)13:00 教育文化センター301号

講演 「新学習指導要領の特徴と実践課題」 鋒山泰弘氏(追手門学院大学)

実践報告 「私はこう実践する」 [算数・数学] 東 辰也氏(京教組教文部長)[理科] 平田庄三郎氏(乙訓、科教協)

※ 第2回:9/13 第3回:11/29を予定

主催:京都教育センター学力・教育課程研究会 協賛:京都到達度評価研究会


◇詳しい年間活動方針は「京都教育センター年報20号」(166P)に掲載。[希望される方はメールにてご連絡を下さい]


京都教育センター ホームページは http://www.kyoto-kyoiku.com

・京都教育センター事務局や公開研究会の活動をはじめ、「季刊 ひろば・京都の教育」、教育センター年報、冬季研究集会、教育基本法に関する様々な資料など、多彩な情報を提供しています。


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