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●京都教育センター通信 復刊第10号
 (2007.3.10発行)

ーー教職員のみなさんに訴えますーー
今こそ、すべての子どもの成長力を信じ子どもを人間として大切にする教育を
                             勝見 哲万(親と子の教育センター) 



【追いつめられている子どもたち】

 『学校があるんやったら、生まれて来んければよかった』  これは以前、朝日新聞の社説の中に引用された、ある中学生の悲痛な叫びの声です。 もともと、学校は、どの子にとっても、学ぶ喜びや生きる希望を育む場でなければなりません。ところが、特にここ二十年以来、年を追うごとに学校は子どもたちを「競争」と「管理」で追いつめ、「勝ち組」と、「負け組」にふるい分け、その結果、過度のストレスや抑圧感を与えるものになってしまっています。いじめ、登校拒否、暴力、学級崩壊、そして、自殺や殺人・・・・、といった問題が続発する大きな原因がここにあるのではないでしょうか。

 これらは、学校は社会で差別され、疎外された子どもたちの人間回復に向けてのうめき≠ナあり、怒り≠フ表れでなくて何んでしょう。子どもは大人社会を写す鏡です。

 今の日本社会で急速に進む弱者切り捨て、生活苦と生きる不安の増大の反映でもないでしょうか。

【すべての子どもがその内面に持っている人間的成長力≠どう引き出すか】

 子どもはすべて、人間としてのかけがえのない人権と価値を持った存在です。そして、その内面に無限の可能性と成長力を秘めています。これを引き出すものは、その成長力を信じ、温かくかかわろうとする大人(親や教師など、子どものまわりの人々)の愛情です。  特に問題をかかえた子どもには、時間をかけて、じっくりとその声に耳を傾けることが大切です。せっかちな説教やおどし、権威を傘にきた上からの強圧的態度は、子どもの心をますます閉ざし、反発心を高めるだけです。

 その子どもの気持ちにしっかり寄りそい、その怒りや苦しみ、悲しみなど、切ない思いをあるがままに受けとめる(共感的理解)ことが大切です。子どもは先生が自分の気持ちをわかってくれたことに喜びと信頼感を強めます。心を開き始め、やがて自分を見つめ直し、素直さを取り戻し、自分を変えて行きます。これこそが子どもの成長力の発揚です。

【子どもの成長をめざし、今こそ親と教師が力を合わせましょう】

 多くの人々の反対にかかわらず教育基本法が改悪されました。日本の教育行政は、一人ひとりの子どもを大切に、その良さや人間性と能力を豊かに育むのではなく、国家や企業にとって一層利用し易い人づくりへと強化されるでしょう。教育条件の悪化と、反動的な教育行政の強まりの中で、教職員も上からのしめつけと看視のもと、子どもたちを一層、競争に駆りたてる役を担わされることでしょう。

 しかし、こんな時こそ、子どもや親の願いを大切に、力を合わせて明るい学校を目指しましょう。それはやがて子どもと教育、そして平和憲法を守り抜く大きな力になるでしょう。 『教えるとは希望≠共に語ること 学ぶとは真実≠胸に刻むこと』(ルイ・アラゴン) 



もっと、もっと子どもたちを語りましょうよ
               
福知山市立昭和小学校 玉井 陽

 「どうして授業ばかりを語るんですか。もっと子どもたちを語りましょうよ。」と、去年の埼玉での全国教研・国語分科会で、何を思ったか言ってしまったのです。授業の研究なのだから授業を語って当然なのですが、国語の、それも文学作品の授業ってそもそも何なんだろうという積年の疑問が、分科会の討論にあおられて勝手に吹き出したもののようでした。その無責任な発言の自分なりの後始末として、一つの試みを報告します。

 三年生の国語『モチモチの木』「霜月二十日のばん」じさまから山の神様のお祭りの話を聞いた豆太が、モチモチの木に灯りがともるのを見たいと思いながら、「それじゃあ、おらは、とってもだめだ。」と早々に諦めてしまう場面の授業です。

 子どもたちとは、『ちいちゃんのかげおくり』から「一人読み」とその交流を授業の中心に据えて文学作品を読み進めてきていたのですが、「霜月二十日のばん」の子どもたちの書き込みに目を通しながら、作品を読み解くために叙述にそって読みを交流するのではなく、その場面全部の一人読みを一人の子に任せて一気に味わえないだろうか、と考えました。もちろん書き込みの多い子もあれば三つ四つの子もいます。けれど、書き込みのどれもが実にその子らしさにあふれていたのです。

 その方法を提案すると、「やろう、やろう。」と、子どもたちもはすぐにその気になり、書き込みの少ない子から順番に黒板の前に立って一人読みの発表が始まりました。普段は発言の少ない子も、「○○さんの一人読みで、私は○○というのが気に入りました。それは〜。」という友だちの感想に満足そうでした。一人ひとりの発表が進んで行くに従って、「○○君らしくて、いい。」とか「○○君の声が聞こえてきそうや。」というような感想や意見が出されるなどして盛り上がり、二時間ぶっ通しの授業の最後にJ君が登場しました。やがてチャイムが鳴り、最後の『ぶるぶるだ』のところでの一人読み、「話者(語り手)の気持ちで、ぜったいお前なんか見れないよ〜だ。」が発表されると、子どもたちから、「そんなん、ひどい。」「ひどすぎや。」とJ君への反論が矢継ぎ早に出され、やがて「話者とJ君は、似とる。」そして、J君もまんざらでもない笑顔を浮かべた笑いの中で、S君の「話者は〜、実は〜、J君やったんや!」という発言に、いやなことをよく言うけれど根は優しいJ君と、みっともないとバカにしながら心の底で豆太に心を寄せている話者の人柄を重ね合わせて楽しんでいました。給食の準備も忘れて。その子らしい一人読みに出会うと、僕も子どもたちも嬉しくなるのです。

 イメージが持てるということは、文学作品によってそのイメージとともにその子が生きられる新たな世界が開かれたことになるのではないでしょうか。その新たな世界を共有し、仲間とともに新たな世界のイメージをさらに豊かにしていく場が授業だ、と思うのです。

 さて、いつのまにか、僕も、子どもたちを語らずに授業を語ってしまったのでしょうか。 



三年間を見通した集団づくりを
                  
舞鶴市立城南中学校 三宅 匡


一、はじめに

 三年前、舞教組の専従の六年間を終えて、城南中学校に赴任し一年生を担任しました。

 学校の特徴は、他校と比べて落ち着いている反面、「クラブ学校であること」「管理的な側面が強いこと」「子ども達の中の上下関係が強いこと」「思ったことを言わない子が多いこと」などが大変気になりました。

二、子どもを一人の大人として見る

 私は、学級づくりの山を十一月の文化祭の合唱コンクールに照準を置いています。それは、「大きな声を出しても大丈夫」という「心の解放された高度な水準の人間関係」が求められ、そこまで高まっていないと合唱は成功しません。そのような集団を作っていくうえでのスタンスとして、第一に、生徒は生徒同士の関わり合いの中で、変わっていくということ。そのために、学級通信を活用します。第二に、失敗をさせないように管理するのではなく、失敗をさせることで集団を成長せさていくこと。第三に、生徒を対等な人間として見て、押しつけたり命令口調は出来るだけ排除して、丁寧に納得いくように話しをしていくこと。第四は、あれこれとした細かいことは適当に指導。重視するポイントは、人に迷惑をかけることと、掃除をしっかりすること、です。私が担任の中で最年長であるために、学年教師集団も何となくその雰囲気で取り組むことが出来ました。

三、ところがどっこい

 理念はいいのですが、現実に直面するとそんなに簡単ではありません。一、二年生の頃は、様々な問題(暴力・暴言・陰湿ないじめ・力関係による人間関係、喫煙や授業エスケープなど)が噴出しました。学年集団は「突出したグループに気を遣い、疑心暗鬼で回りの様子をみているのがありありとわかる無反応な集団」で、「心の解放された高度な水準の人間関係」なんて出来る状態ではありません。「管理が甘いのではないか」「いろいろいいことを言ったってあの状況では。」みたいな冷たい視線も何となく感じながらの二年間でした。

四、感動の合唱コンクールに

 その生徒達が三年生の十一月。保護者も、先生達も涙を流し、校長先生も「私の教師歴三十七年間の中で最高の合唱コンクールだった。」と言わしめる感動の合唱コンクールを作り上げました。そうなったのは、九月の体育祭が盛り上がって成功したのがきっかけでした。PTA役員や保護者、教師からも絶賛をあびて大成功に終わらせることが出来ました。私のクラスは、体育祭で自信をつけたリーダー達が音楽の授業で合唱を楽しんで歌っていました。他のクラスは、二週間前までは昨年までと同じ状況でしたが、私のクラスが歌っている事が話題になり始めると、体育祭で活躍したクラスのリーダー達が中心となり、次々に火がついて「心の解放された集団」に変わっていきました。文化祭も例年になく盛り上がり、大きな評価を受けました。

 このことは、失敗を繰り返しながら成長する子ども達への確信と、それを見守っていく大人や教師集団との信頼関係の構築が大きかったのだと思います。教育は即効性をもとめ管理に走るものではなく、長い視野に立って取り組むべきものであると言うことを改めて感じさせてくれました。城南中学校の新たな歴史を作った生徒達が、三月十五日、どんな卒業式を迎えてくれるか楽しみです。


京都教育センターの2006年度活動報告

1.第37回京都教育センター研究集会

 今回から、全国教育研究集会が8月開催になったことなどにより、開催時期を8月末から1月末に変更しました。改悪された基本法のもとでの情勢にマッチしたプレ集会(藤原義隆講演)・全体会(野本勝信講演、パネル討論)・7つの分科会をもち、二日間でのべ218名の参加があり10年ぶりに200人を超える研究集会として成功しました。

2.教育基本法改悪反対のとりくみ

 改悪は強行されたものの、反対闘争は教育府民会議(センターも参加)をはじめ幅広い団体や個人でかつてなく大きく構えて、府民的関心と盛り上がりを示しました。教育センターとしても「改悪待った!5・27緊急集会」(63人)[野中代表の問題提起]、科学者会議京都支部と共催しての「改悪反対9・23討論集会」(54人)[石井拓児氏(名古屋大学)の講演]を開催しました。

 また、9月18日に鰺坂真氏ら20氏を呼びかけ人として「緊急アピール」を発信し学者、文化人など京都の有識者1200余人に送付し、アピール賛同を求めるとりくみを一ヶ月半にわたって旺盛にすすめました。約半数の方々からの返信が寄せられ、回答者の98%を超える572名がアピールへの「賛同」を表明されました。また、二百数十名からの多額のカンパも寄せられ、それらを基金として教職員組合とともに11月3日付けの京都新聞に意見広告として発表しました。

3.公開研究会の開催

 今年度から、各研究会とセンター事務局が共同して企画、宣伝・組織、運営などにあたる「公開研究会」を以下の内容で開催しました。

(1)5/13 地方教育行政研:「教職員評価問題」中田康彦氏(2)6/11 学力研・国語研「中教審報告批判」植田健男氏 (3)7/1高校問題研 :「専門学科問題」(4)7/8 発達研・地域研:「地域で育つ子どもの発達」田中昭夫氏(5)7/29 カウンセリング研:「ワークショップ」 (6)11/25学力研・発達研:「フィンランドの教育に学ぶ」山口妙子氏

4.教育研究集会への参加

 第56次京都教研集会には新しい研究者を含めてのべ55名の共同研究者の参加がありました。

5.出版活動

・ 季刊教育誌「ひろば」は例年通り年4回の発刊をし、定期購読者・各研究所などに配布しました。
・ 「京都教育センター年報」第19号を2007年3月に発行し、京教組定期大会代議員、共同研究者、各県研究所などに配布しました。
・ 今年度から20年近く休刊状態にあった『センター通信』を復刊し、組合員、研究者に配布しました。
・ 討議資料として「学力テスト・学力問題」を提起。
・ 図書資料室の整備と歴史学研究者との共同。

6.事務局体制

 代表:野中一也(大阪電気通信大学名誉教授)
 副代表:室井 修(近畿大学教授)
 研究部長:築山 崇(京都府立大学教授)
 「ひろば」編集長:春日井敏之(立命館大学教授)
 事務局長:大平 勲(元公立中学校教師)
 事務局次長:中西 潔(元公立中学校教師)
―事務局メンバー[上記以外]:
 市川 哲(京都教育センター)
 高橋明裕(京都教育センター)
 中須賀ツギ子(元公立小学校教師)
 倉原悠一(元公立高校教師)
 淵田悌二(元公立中学校教師)
 深澤 司(京教組教文部長)
 浅井定雄(元公立小学校教師)
 事務活動担当として小田貴美子の協力を得ています。


教育センターだより

京都教育センター ホームページは http://www.kyoto-kyoiku.com

・京都教育センター事務局や公開研究会の活動をはじめ、「季刊 ひろば・京都の教育」、教育センター年報、冬季研究集会、教育基本法に関する様々な資料など、多彩な情報を提供しています。

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