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●京都教育センター通信 復刊第 9号
 (2007.2.10発行)

戦争する国づくりのための「教育改革」と対峙し、子ども達の輝く未来を切り開くために、
     草の根からの取り組みの一歩を、勇気と確信をもって踏みだそう!
                     −−−中須賀ツギ子(京都教育センター)

 「タイムカプセル」が   語りかけてくれたこと

 去る一月七日(成人式の前日)、久しぶりに最終勤務校(石田小学校)を訪れる。卒業生達との約束(二十歳になったら、タイムカプセルを開けよう)を果たすためである。降りしきる雪の中、スコップを手にした若者・教師・保護者代表の共同作業で、固い土くれとの格闘の末、白い容器が姿を現す。再会した者同士の会話が消え、拍手と歓声に包まれて、タイムカプセルが掘り出される。八年前の卒業式の数日前に、みんなで土をかぶせ終わった時の感動の場面がよみがえって、その暖かい空気に寒さも和らいだかのような気持ちを味わった。

 校庭からふれ合いルームに場所を移して、取り出したばかりの個々人のビニール袋の中身を確かめ、八年前の自分と対面し、友達と交流し合う姿は、実に生き生きとして嬉しそうである。担任を囲んで、あるいは学級の枠を超えて、共に過ごした学校生活の思い出を語りあう姿に、子どもたちが輝く学校づくりを目指して粘り強く取り組んだ教職員仲間、暖かく支援して下さった保護者、PTA、地域の方々の姿が重なり合う。私が担任した障害のある子どもたちは勿論のこと、様々な課題を抱えている子の育ちの背景を探り、わかる授業づくり、学級づくりの交流、学校の中に優れた文化の取り組みをと、手間暇かけての「手漉(す)き和紙の卒業証書」づくり、たて割集団での全校遠足や、児童会が主役の遊び集会、広島への修学旅行に持参する全校児童の折り鶴、PTAと共催の子どもまつり、卒業生全員で演奏する「石田太鼓」。数え上げればきりがないほどの素晴らしい体験を積み重ね、共に育ち合った子ども達だからこそ、「タイムカプセル」への思い入れも強く、今後、彼等が社会人として生きていく上でも心の支えとなってくれるだろうとの思いを強くし、誇らしかった。


教育再生会議の「第一次答申」を読んで

 子ども不在の矛盾だらけのその中身は、改悪教育基本法の具体化そのものであり、教育の本質をゆがめ、戦争する国づくりの為の方針であることに、大きな怒りと危惧の念を抱かずには居られない。

  全国一斉学力テストの実施、習熟度別授業の徹底で競争と格差が一層強まり、ストレスをためて不登校や引きこもりの子どもが増えるのではないかと考えるのは、早計だろうか。さらに授業時数の十%増加の提案は、あまりにも学校現場の問題を無視したもので、子どもの心に寄り添った教育、学級づくりに心を砕いている教師への許し難い攻撃だと思う。集団で取り組む文化の創造や、思いやりや、達成の喜びを味わえる行事等が減らされたら、学校は、子どもたちにとって楽しく学び、育ち合う場でなくなり、不毛の地となりかねないだろう。  教育は、学校は未来に生きる子ども達のもの。子ども達の輝く未来を切り開くために、憲法をよりどころに、私たちは勇気ある一歩を踏み出さなければと、心から訴える次第である。



理科はやっぱり本物で勝負だ!
             −−−八幡市立第二小学校 野村 治

理科教育での賢さとは

 理科教育の中心は科学的な物の見方の形成を豊かに進めることです。脳が活性化すること=かしこさのように考える風潮がありますが、活性化した脳の働きを科学的認識につながなければ本当の賢さの形成はできません。いくらたくさんの昆虫の名前を知っていても、自然や環境との関わりがトータルに認識できていなければ豊かな自然観の形成は困難です。

 豊かな実体験から自然観がどうしたら確かになっていくのか、新学期の授業の導入を例にしながら考えたいと思います。  


小学校中学年を例にして

 中学年の理科を楽しくするにはどうするか。子ども達が「先生、今日も理科しよう」と思うくらいわくわくする教科、待ち遠しくなるような教科にするにはどうしたらいいのか。そう考えたときに、人が自然と豊かに、ワイルドに関わりそこから直接学び、知ること・分かることが楽しくなるような学びの原点に立ち返るべきだと思います。それを端的に言うのなら「理科は本物で勝負!」ということです。

 科学技術は進歩し、写真や新聞、テレビやパソコンを通して世界中の自然を間接的に知れるようにはなっていますが、自然に対する感性の育ちは逆に弱くなり、鈍感になっているのではないかと実感しています。そこには具体物を通した感性的学びや自然の仕組みのおもしろさを学び取ることの楽しさが欠落しているからに他なりません。多くの誤謬を内包する素朴概念から科学的な概念に認識が深化するためには、直接体験を重視しつつ、事実を記述しそれを基に話し合うという理科的な指導法をたどりましょう。  


「理科っておもしろいね」−−春の野草さがし

 新学期初めの理科の授業の導入です。教科書の絵や写真で授業を始めるのではなく本物で勝負!≠ナす。準備物としてナズナをいくつか持ち込みます。

 「これは春の植物です。みんなはどんな名前をつけますか」子どもの反応を確かめながら進めます。「これはナズナと言います。これを今から見つけてきてほしい。どこにあるかは秘密です」。子ども達は一斉に教室から飛び出し、ナズナ探しをします。「あった。ここにナズナがあった」。そんな元気のいい声が響きます。みんな必死に探します。やがて全員見つかったら教室に持ち帰ってナズナの身体検査をします。「ナズナには何がありますか」そんな発問をしながら根、茎、葉、花、実と言う言葉をおさえます。実の形がハート形であること、ナズナは茎の先に白い花があり、実が根に近づくほど大きくなっていることにも着目させます。やがて花が咲いたら実ができ、実の中に小さな種が十個くらいあることも見つけます。

 このように直接手で触りながら自由に思ったことを発表させることで個別認識を積み重ね、野草の見方をまずは初歩的な形で学ばせるのです。

 採集した野草は土植えして廊下に展示しておきましょう。野草探しをするとみるみるうちに種類が増えていきます。花の色や形、葉の形などに着目させながら野草を探し、そこからの学びを進める中で「先生、理科っておもしろいね」「またしよう」「これが理科なの」と子どもなりに感動してくれます。

 すべて雑草でくくっていた身の回りの草花に一つ一つちゃんと名前が付いているという事実は、子どもにとっては驚きであり野草に対する興味が一気に広がって行く出発点となります。その興味は地域で遊んだり散歩するたびに様々な野草の生育状況や小動物・昆虫との関わりにつながり、自分で発見する楽しさを知る中で、自然に対する興味を広げ次第に親をも驚かすようにもなるのです。

参考:「親子で開く科学の扉」3〜6年 文一総合出版 



子どもたちと歩み続ける教師でありたい
               −−−京都市立光徳小学校 堀 信子


高学年が学校を動かす

 教師生活30年(2年間教職員組合の専従をしていたので、実質は28年)。そのうちの三分の一が6年生の担任です。

 高学年を多く担任して思うことは、高学年の子どもたちが落ちついていると、不思議と学校は安定してくるということです。

 5年生になると高学年の自覚を、6年生になると最高学年の自覚を促します。そして、全校の手本になろうと訴えます。

 幸い私が勤務した学校では、たてわり活動をしており、全校のリーダーとして活躍できる場があります。子どもたちはたくさんの行事を取り組みながら、力を合わせてやりとげた時の喜びと同時に責任を果たすことの難しさを知ります。でも、みんなに喜んでもらえた時のうれしさも感じます。つまり、異年齢集団の最高学年の子どもたちは、自分が楽しむというより、他学年の子どもたちが楽しんでくれているのを喜ぶという楽しみ方をするんです。これがスムーズに機能すれば、学校が家族的になり居心地の良い空間になると思っています。


学校は生き方を見つけるところ

 どこの学校でも、教室の黒板の両脇は掲示板になっています。子どもたちの決意や係活動などを掲示したり、「声のものさし」「発表の方法」など授業をうまく進めていくための決まりを掲示したりしていると思います。でも、私は違います。私にとってこの場所は自分のおもいを伝えるところです。

 「自分のことばで」という小森香子さんの詩や「詞集たいまつ」というむのたけじさんお本の中から選んだ言葉を掲示したりしています。サブリミナル効果を狙っています。どれだけ効果があるかは分かりませんが、子どもたちの子どもたちの心にその言葉が残れば嬉しいなと思っています。

 自分のおもいを伝える場として、掲示板以外に学級通信もあります。教師になってからずっと書き続けてきました。教師になりたてのころは全部手書きでしたが、この頃は縮小コピーの活用で大変楽になりました。記事に関連づけて、相田みつをさんの詩を入れたりして生き方を問うようなことを投げかけています。


みんなで決めて、みんなで守る

 学級の基本は「みんなで決めて、みんなで守る」です。ちょっとしんどい目標を決めてやりとげたら楽しいことを一時間することにしています。お楽しみ会はしません。みんなでやりたいことは掲示します。心一つに高まっていることを意識化するのです。

 「人はいくつになっても発展途上人」「意義ある人生は絶えず未知への挑戦につらぬかれている」。先達よりお聞きしたこの言葉を自分自身に投げかけながら、子どもたちとともに歩み続ける教師でありたいと思っています。


改悪教育基本法下での新たなステージで
      子どもの発達を見通す私たちの側に光りあり!
−−第37回京都教育センター研究集会に2日間で216名が参加−−

 改悪教育基本法が成立し、その具体化が進められようとしている中で、「人間を大切にする教育をいっそう推進しよう」「いじめ問題、学力問題など直面する教育課題を分析し、すべての子どもたちの豊か な発達を見とどける実践を交流しよう」と、1月27日〜28日と「第37回京都教育センター研究集会」が教育文化センターで開催され、2日間で216名が参加、研究と実践交流を深めました。
 1日目午前のプレ集会には「私の実践を支えた力」と題して、藤原義隆さん(元小学校教師・京都教育センター)が講演。模造紙びっしりの周到な「教材研究」準備と、教え子、その父母、同僚、先輩、後輩、家族、研究仲間などが埼玉、大阪、滋賀などからも駆けつけ、たいへん感動的な場となりました。藤原さんは、「今、厳しい時代には違いないが、頑張れば新たな展望を見いだナチヤンスが来ているように思う。情報や実践をセンターに結集して交流を図れば希望が見えてくるはず」と力強く訴えられました。
1日目午後の全体集会では、センター野中代表と藤本京教組委員長のあいさつに続いて、野本勝信さん(元中学校長・京都府同和教育研究会会長)が「私の教育:41年」と題して記念講演。野本さんは、青年教師時代、学校長、府同研会長時代を具体的実践を示しながら熱っぽ く語られました。府高組合員は「現職の教研にはない緊張感と熱さを感じて新鮮であった」と感想を書いていました。
 続いて、「教育改革の対抗構想を探る」パネル討論が 行われ、激しく感動的にたたかった教育基本法闘争を総括し、パネラー3人がそれぞれの思いで熱っぽく訴えました。本田久美子さん(市教組)は左京でのとりくみや学校現場の課題、京都市教委のやり方を具体的に話され、江本佳代子さん(新婦人)は右京での運動や小中学生の母親の立場から気がかりな公教育のあり方について鋭く語られました。そして、研究者の立場から築山崇さん(京都教育センター)が改悪教育基本法のもとで予測される問題点をはねかえす新しい視点での展望がどこにあるのかを明快に述べられました。  一日目の研究集会には102名の参加がありました。  
 2日目は、「教育改革」「いじめ」「学力」「発達」「カウンセリング」「高校」「国語教育」の7つの分科会に分かれて、114名が参加。それぞれ今日的な課題や実践について交流を深め、取り組みへの展望を話し合いました。  


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