事務局  2016年度年報目次 


第2部 教育センターと各研究会の年間活動


発達問題研究会
2016年度の活動のまとめ

                 大平 勲(発達問題研究会事務局)

 

[経過報告]

 本研究会は、センター設立の60年代後半から広く発達問題にかかわる系統的な研究活動を行ってきた実績を持つが、2011年度からの2年間は研究会の代表や事務局長が他の任務に忙殺される事情から実質的に休会を余儀なくされた。しかし、2013年度からこの伝統ある研究会の灯を消してはならないとの思いから、長くこの研究会に携わってきた浅井定雄を代表代行に、大平勲を事務局代行に配置し活動を再開した。往年のメンバーが高齢などの理由で未結集になる中で研究の進捗に困難を伴ったが、再開3年目の今年度も前年同様、公開研を一回だけ開催することができた。


Ⅰ.公開研究会(5月28日)  〈「生活指導研」との共同開催〉

 34人の参加があった(内訳:センター関係13,学生5,現職教員4,退職教員5,新婦人3,民教連3,市民1)。焦眉のテーマと共催で幅広い参加層があり、活発な議論が展開された。

テーマ:「再来年度からはじまる、道徳の教科化を考える

【基調提起】「道徳の教科化にどう立ち向かうか」 大平 勲(発達研事務局・立命館大学非常勤講師)

1.道徳教育のあゆみ (略)

2.道徳教育をめぐる最近の動向(略)

3.「道徳の教科化」の問題点

 (1)そのねらいと本質の破綻

 教科化によって、国民の思想や価値観、人格的な価値意識そのものを国家によって統制、管理、教化することにある。そのことによって、日本の学校教育は今までとレベルの違う国家統制下におかれる危険性がある。新設「道徳科」では国家権力が教育内容を直接決定する仕組みが容易に働く。それは社会科の日本史には歴史学が対応するように、道徳科に対応する「科学」が存在しないからである。それは学習指導要領での道徳の「項目」(徳目)を見れば歴然である。

(2)検定教科書

 小学校では2016年度中に「検定申請」、2017年度に「検定合格・採択」「指導書作成」、2018年度「使用開始」(中学校は1年遅れ)の日程になり、今春の「白表紙本」検定申請に向けた作業が急ピッチで行われている。告示から1年間での申請も異例であり通常は2年以上の期間があった。(以下略)

(3)評価

 数値による評価は当面否定されているとはいえ、「記述式の評価」が義務づけられ、教師が「徳目」に沿って子どもの行動を評価することの危険性は大きい。教師が子どもへの権力を手にすることであり、その権力で子どもの価値や行動規範を操作し、管理することに繋がる。戦前の修身科が筆頭教科として重視され、その評価は教師に絶対的権力を付与し、日常の生活態度をも成績評価で縛り付けるものであったことを想起させる。今でも学習指導要領による教育内容・授業内容への統制監視、PDCAサイクルによる管理職層からの目標管理が横行しているが、そこへ国定の価値観を内包した道徳教科書による子どもの人格に踏み込む評価は教育の基本原理に反することと言わねばならない。「徳目」に沿った「建て前」を演じる子どもが増え、知的能力の高い子が教師の意図を読み、本心を横に置いて期待される発言や行動をすることで高い評価を得ていく可能性が高い。まして将来的に数値評価にもなろうものなら、進学の内申点にも関連し、恐ろしいまでの人格統制が教育の場で展開されるのである。意図的な教育であれば評価を全面的に否定するものではないが、試験などでの客観的な評価は出来ないのであるから、書面記載などではなく家庭訪問や面談時での口頭評価で良いのではないか。

(4)免許の義務化は不要

 免許を設定しない方が研修の強化で全ての教員を統制することが容易になることも睨んでいるかも知れない。

4.「教科化」改訂の内容と問題点

(1)徳目の強要では道徳性は涵養されない

 道徳が教科化される大きな背景になった出来事として、2011年の大津でのいじめ自殺事件がある。この事件の事実関係や背景の分析にはかなりの時間を要したが、安倍政権は「いじめ防止対策推進法」を制定(2013年9月試行)し、各自治体では「いじめ防止条例」制定で各学校では「いじめ防止対策計画」策定で、いじめは許されないという規範意識を徹底するために「道徳教育の強化」を誘導した。

 「わたしたちの道徳」(中学校版)の最後に「あなたの身近にいじめはありますか」という卒業文集を引用した読み物があり、そこでは加害生徒が被害生徒の心情を綴った文集を読んで30余年を経過した今も謝罪しなかった罪業を思い出し、悔い、忍び泣くという筋書きである。ここでは「いじめは絶対にダメ」という徳目に迫るために個人の心情に訴える手法だが、いじめは個人の心がけで解消するほど単純な問題ではない。現実にいじめが支配している空間の力学を組み替える生活指導なくしていじめは克服できない。教師が正確な事実関係を把握した上で個別指導と共にいじめ事件を「生きた教材」として、クラス集団の論議に託し集団的に行われるいじめを集団の問題としても解決していく道筋を求めない限り根絶されない。道徳性の涵養は各個人の「心がけ」の中にあるのではなく、自らの判断や価値意識を集団議論の場に提示し「共に生きる」という共同性の土台の上で反省的に吟味し続けることにある。

(2)新指導要領に見る問題点(略)

5.文科省『私たちの道徳』批判(略)      〈京都教育センター刊「冊子」参照〉

6.私たちの課題と実践

(1)今日的状況の批判的理解を深める学習を

 多忙さに翻弄された無批判では、官制研修で疑問も喚起されず思うように流される。

・新道徳の「教科化」についてその背景、構造、内容などを熟知すること

・「立憲民主主義を取り戻す」ためにも有効な道徳実践を

・「道徳教育」を機械的に否定するのでなく、目指すべき「道徳教育」のヴィジョンを

・地に着いた道徳教育の実践推進者とも共同して

(2)市民的な議論の場を広げよう

 父母や市民は、人間らしい豊かな人格形成のためには、学力形成と共に人間の尊厳を基調とした道徳性の涵養を願っている。その願いは、社会的抑圧に苦悩する子ども・青年たちに向けられたものではなく、彼等を苦悩に追い込む社会体制側に平和や正義、人権などの確立を求める「社会的道徳」のあり方に向けられている。子どもの世界でのいじめや問題行動がマスコミなどで取り上げられるもとで、「子どもや学校教育を何とかしろ!」という風潮から「大人社会や体制側こそ道徳心を」という指摘が広がってきている。

(3)私たちの実践:「市民道徳」の実践プランを

 私たちは1958年の「特設道徳」以降、官制道徳の押しつけには抗してきたが、道徳教育そのものを封じ込めてはこなかった。平和や民主主義、人権擁護などの視点から主権者にふさわしい「市民道徳」の必要性を主張してきた。

 京都丹後の峰山中学校では1970年代にそうした視点での自主テキスト『私たちの目標』を学年ごとに作成し、「目標学習」としての実践を試みた。しかし、多くの学校現場では官制の道徳に沿った副読本を「流し読み」させてお茶を濁す程度の扱いや学級活動や教科学習の補充に充てるなどの「時間つぶし」を行ってきた。一方、この10余年は授業計画の点検や強制的な授業参観などによって、そうしたことも出来なくなってきている現状がある。
新たな道徳教育の押しつけられようとしている現状にあって、今からでも遅くない、こうした視点での校内研修や有志での学習会の組織が求められている。

 このようなまともな道徳教育観を持つことは、教科としての道徳が強要されてきたもとでも一定の力になり得ます。そのことは、強要を意図する側にあっても

● 「道徳教育は児童生徒に特定の価値観を押しつけたり、主体性を持たず誰かの言いなりになるような人間をつくることを目指すものではない」(文科省の有識者会議「道徳教育の充実に関する懇談会」報告:2013年)

● 「道徳教育本来の使命に鑑みれば、特定の価値観の押しつけや、言われるままに行動するような指導は、道徳教育が目指す方向の対極にあるものである」(中教審答申「道徳に係る教育課程の改善等について」:2014年)
と言わざるを得ない確信のなさがあることが伺えます。だから、検定教科書の使用が義務づけられたとしても教科書だけでなく、対置する多様な価値観をもつ資料(文献、子どもの作文、新聞投書など)を子どもに提示し、討論などによって道徳的価値観を深めることを実践試行することが可能です。

【報告①】「育鵬社『はじめての道徳教科書』の危険な内容と問題点」  倉本頼一(センター生指研、立命館大学非常勤講師)

 現在、文科省編の副読本「私たちの道徳」を参考にした「道徳教科書」の編集・検定が進められています。その内容が一切発表されないもとで2013年12月に「育鵬社」が「13歳からの道徳教科書」に続いて「はじめての道徳教科書」を発行しました。11項目についてその主な内容と問題点を指摘しますが、そのいくつかの点について紹介します。

1.「子供たちの肚を鍛えよう」編集方針 渡辺昇一氏「日本人の祖先からの伝統」

 冒頭に「学校の先生、保護者のみなさんへ」として渡辺昇一上智大名誉教授(道徳教育を進める有識者の会代表世話人)が編集方針を「子供たちの肚を鍛えよう」と題して書いています。大久保利通や大石良雄などを「偉人」として紹介し、子供たちの生きる目標になる偉人伝記を読ませるのが一番、と書いています。

2.「子供たちの心を育てる33話」をキーワードを示した5部構成で

 冒頭の「什の掟」のあとに5つの各章(「しっかりとした自分」「人との関わり」「かけがえのない生命」「みんなの中の自分」「だれかのために」)で構成し、各章で5~7つの歴史上の人物や著名人の「子供たちの心を育てる33話」が書かれています。そして各々にキーワードとして「勇気」「自由と義務」「祖国」などを掲げています。

3.乃木大将とステッセル将軍賛美で侵略戦争を美化

 大将の命令のもとで多数の死者を出した無謀な侵略戦争の犠牲者を「勇者、勇敢」と讃え、「自他の尊重」に誘導している。天皇賛美、修身時代の「国民学校国語教科書」を出展とした「愛国心」教材の典型です。

4.「いじめ」解決になるのか――プロボクサーの決意

 少年時代に数々のいじめに遭遇してきた内藤大輔(ボクシング世界チャンピオン)が「強くなりたい」とボクシングを始め、「拳を振るうことなくいじめっ子に勝つ」という話は、いじめられている子を勇気づけるのだろうか?「自分は強くなれない」と思いこみ落ち込む子が多いのではないか。

5.「被災地に心を寄せる」で「天皇制賛美」にすりかえ

 東日本大震災は5年を経緯した今も、被災者は悲惨な常態におかれていますが、その原因と責任が明確にされないままに深刻さを増幅しています。その現実に目をそらし、「大震災に心寄せる天皇皇后陛下」をとりあげ「誰に対しても差別することなく公正・公平で正義の実現に努める」として教えることは目標のすりかえそのものです。

6.愛国心・皇国史観の教材に「伊勢神宮――式年遷宮と日本の心」

 最後の方に出てくるのが上記の教材で、「郷土や国を愛する心を持ちましょう」とする指導目標とするものです。20年ごとに伊勢神宮で行われる社殿造営のお祭りを「日本人の美しい心を伝えている」と賛美し、その崇高な存在を認めよ、とニューモラロジー研究所を出展として「国家神道」と「皇国史観」を植え付けようとするものです。

 このように育鵬社の道徳教科書は、戦争放棄・国民主権・基本的人権の憲法理念に反し、侵略戦争を肯定賛美する、皇国史観、身分・女性差別、軍人賛美の内容を持つ危険極まりない教科書と言えます。水面下で進められている教科書づくりに教育関係者や父母国民は大きな関心と不安を抱いています。憲法理念否定の「育鵬社道徳教科書」は絶対に与えてはなりません。

【報告②】「私が学んだ道徳授業」   谷崎誠(教師をめざす大学院生)

1.ある教師養成塾にて

○講義「生きる力を育む道徳教育」 ・道徳教育の意義:生徒に自分の判断基準を持たせる

・道徳教育は「学校の教育活動全体を通じて行う」。道徳の時間は「補充」「深化」「統合」を

○模擬授業「ルールを守る」
 〈ねらい〉秩序と規律のある社会を実現するために社会の一員として自らに課せられた義務を確実に遂行していこうとする態度を養う。
〈授業構成〉読み物資料を与え、発問を交えつつ最終的に学習シートで感想をまとめさせる。
 〈評価基準〉授業に積極的に参加できたか(観察・発言)、規則を大切にすることがより良い社会に繋がることが理解できたか(学習シート)、義務を果たす態度が持てたか(学習シート)

○授業の解説

・「~するべき」という道徳に中学生は納得しない→「こんな風になりたい」「このような生き方をしたい」「こんな人間に成長したい」と生徒が思うような授業

・資料によって各人が様々な考えを持つ→意見交流する、自分以外の価値観に触れ、より高い道徳性を持つようになる

・登場人物の道徳性の高まりに引っ張られ、生徒の道徳性が高まる

2.講義への感想・疑問とそれへの回答

①生徒の判断基準を持たせることは納得だが、評価することへの違和感あり。各自の多様な価値観を認め合うことが重要ではないか

②国や教員が「これが道徳的だ」と定め、生徒に指導・評価を行うのは「洗脳」になるのでは

【回答】①社会では道徳的だとされることを「教えておく」ことが大切で、取捨選択は生徒次第

 ②道徳的な事を教えておくことで、生徒が社会で生きていく中で適切な選択を行うことができる

3.「道徳教育」について考えること

・そもそも「道徳性」を定めることなど可能なのか

・文科省の方針に沿った道徳教育→特定の価値観が正しいと植え付ける「洗脳」になる恐怖

4.道徳教育はいかにあるべきか

 ・教師も含めた「クラスづくり」の重要性:生徒同士が互いに対等で認め合うクラス、生徒も教師も互いにひとりの人間として尊重し合うクラスでは道徳性は自然と養われる

 ・「結果」としての道徳性の涵養:道徳性を養うことを「目標」にするのでなく、日常生活や種々の教育活動の「結果」として無理なく道徳性を養う

討議と感想】              ※紙面の都合で討議の一部分と感想の一部を紹介

・道徳資料として文学作品やつづり方を活用することは慎重であるべき(作品の生命が歪む可能性)。

・文科省の考えも取り入れた実践と指導のプラン作成が必要である(「一本の橋」での試案)。

・現場実践は心情主義に陥りがち、高校での主権者教育も権利よりも義務を強調。

・降ろされてくることへの過剰適応を余儀なくされる若い教員の思いにかみ合う提起が求められる。

〈感想〉道徳教育は国家が個人を枠にはめるために進めようとしていることを忘れてはいけない。道徳は「社会正義」としての観点でのみ有効であると思う。米大統領指名選挙に出たサンダース候補は「主要国で子どもの貧困率が高いアメリカで、子どもの実態に背を向けて道徳と政治を語ることができるのか」と訴えている。政府や文科省の言うことに従順であってほしくない。

Ⅱ.今後の活動指針

(1) 研究会としてこれまでに確認してきた基本的視点

 ①発達理論に基づいているか
 ②社会・教育情勢を反映しているか
 ③子ども達の実態に基づいているか  
 ④教育現場での課題と繋がっているか
 ⑤研究の成果を活用する展望があるか

(2) 基本的視点に基づく活動

・ 学校教育での子どもの実態を豊かな発達のものさしで検証し、分析する。

・ 学校教育以外の社会教育や地域活動の中に、子どもの豊かな発達を見とどける実践やとりくみを交流する

・ 「学校統廃合」等に見られる小規模校のあり方を発達の視点で検証する

・ 研究の成果を記録化してその普及に努める

(3) 研究体制の確立

・ 運営委員会議の定例化

・ 公開研究会の開催(年2回)、案内・成果の発信を広げる

・ 研究会員、運営委員メンバーの補強をはかる

(4) 研究会組織体制

 ・代表:築山崇(代行 浅井定雄)  
 ・事務局長:西浦秀通(代行 大平 勲)
 ・運営委員:秋山吉則 北村彰 谷進太郎 谷口藤雄 中山善行
 
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              2017年3月発行
京都教育センター