事務局  2016年度年報目次 


京都教育センター第47回研究集会 分科会報告


第4分科会
「学校統廃合・学校再編の現状と小中一貫教育の課題」

                 大平 勲(発達問題研究会)

 

 再開4年目の分科会です。参加者は研究者としての藤岡秀樹氏(京都教育大)を含めて9名で、テーマに即した幅広い報告内容を討論含めて深め合うことができました。

◇記録・司会は運営委員の浅井定雄、北村彰、谷口藤雄が行いました。


T.【基調報告】 大平 勲(研究会事務局代行)

地域の宝物である学校の灯を消すな  ――「学校の再編・統廃合と小中一貫校」の考察――

1.学校はそこに住む人の「宝物」、「原風景」のひとつ

 日本の公立学校は、その多くが明治5年の学制施行以降、明治33年の第3次「小学校令」で授業料不徴収となり義務教育制度(尋常小学校4年)が確立されることになり、全国各地で地元財政や篤志家寄金によって役場などと併せて設立された。そうした、由緒ある公立学校が「時代の波」(少子化や「切磋琢磨」による競争教育など)によっていとも簡単に消えていく現象がこの10年あまり全国的に広がっている。悲しむべき出来事といわねばならない。毎年400〜500校の小中高校が廃校になり2003年以降に急増している実態がある。

 学校は今そこで学ぶ子どもたちや保護者の場であることにとどまらず、その地域に住む人々やそこで学んだ卒業生や設立や維持に尽力された先人たちの「拠り所」として存在する地域の「宝物」である。また、幼少期の思い出を想起する場として心に生きる「原風景」の一つであるとよく言われる。

2.京都府内の状況

 〈京都市〉京都では、コミュニティスクールや小中一貫教育などで「先進都市」を自負する京都市が突出している。京都市にあっては、明治5年の学制発布以前の明治2年から各町組に町衆の寄付金でつくられた64校の番組小学校が町役場も兼ねて生まれた。この間に68校が17校に再編され番組小学校も殆どその灯が消されてしまった。90年代に入り、それと併行してすすめられたのが小中一貫教育であり、1995年に10校を廃校にして開校した御所南小・高倉小は「学力伸長」を看板としたエリート小学校としてマンモス化し、改めて分離新設するという「歪んだ再編」を余儀なくされている。また広島呉や東京品川に続く小中一貫校の開設を急ぎ、周辺地域の花脊小中学校、京都大原学院に続いて東山開睛館小中学校(2011年)、凌風学園(2012年)、東山泉小中学校(2014年)を設立し、今後も北桑・京北地域や伏見・向島地域での新設を目論んでいる。
〈京都府内〉府内にあっては京都市のように急激な学校リストラは行ってこなかったが(全国統計では多い方から30番目)、この10年ほどで亀岡以北の地域で小中学校の再編計画が具体化し、戦後手がつけられてこなかった府立高校の統合再編も丹後地区や口丹地区などで企てられている。

3.根拠のない「小規模集団」否定の教育論

 教育委員会などが学校統廃合や小中一貫教育をすすめる根拠として用いているのが、小規模の学習集団では「切磋琢磨」が薄れ競争心が育たないこと、中学1年生で不登校やいじめなどが増えるという「中1ギャップ論」である。まるで小規模集団では学力がつかず、成長が阻害されるような主張であるが、複式を含めて小規模学校で学んだ子どもや父母、教職員はその見解を強く否定している。むしろ、小規模でこそ学力形成を含めて豊かな人間的成長が保障されていることに確信を持っている声がしばしば届いている。「中1ギャップ論」で言えば、小6と中1の「繋ぎ目階段」を低くしたからといって解消されることではなく、この問題の本質は小学校とはあまりにも異質な今の中学校での競争管理的な教育のありようにメスを入れない限り改善されないと私は考える。

4.まちづくりの課題と結んで、「学校残そう」の大運動を

 このような公教育破壊の策動から子どもと学校を守るために私たちが留意すべき視点について

〇「百年の計」で考察されるべき学校の存続については、「誰が?いつ?どこで?何を?」決めたのかの検証。父母にとどまらない住民の総意が反映されたのか、学校現場での教育的議論が尽くされたのか。

〇小中一貫教育については形式的な学年制の変更ではなく、すべての子どもの発達に責任を負う立場から小中学校がかつての同和教育などの成果に学んで発達保障の観点での「連携」を深めること。

〇これらは教育の問題として教育委員会やPTA組織の問題として狭く扱われていることが多いが、
 学校の存続問題は、そこに住む人やそこから巣立った人々の故郷の未来が問われるテーマであり、その地域の発展的存続を願う「まちづくり」の問題として捉え、議論すべきである。

【報告@】 「小さいからこそ生徒ひとりひとりが輝ける学校」 近江裕之 (府立高教組峰山高校分会弥栄分校班)

1)はじめに

 京都府教育委員会は、昨年度から今年度にかけて京都市内で3回「生徒減少期における府立高校の在り方検討会議」を開催したのを皮切りに、その後丹後に会場を移して「丹後地域における府立高校の在り方懇話会」を4回(最新は16年10月18日)と「公聴会」5回(7月9日〜31日)、小中学生の保護者限定の「懇談会」5回(9月17日〜22日)を開催し、丹後の高校再編をなし崩し的に推し進めようとしています。

 その「公聴会」と「懇談会」で府教委は、生徒数が減少すれば、「集団活動の機会が確保できず、人間関係が固定化しやすい」「学校行事や生徒会活動等の活力が乏しくなり、行事の精選が必要となる」「希望進路に応じたコース設定や選択科目の開講が行えない可能性がある」「部活動の部員数確保が困難。団体競技では公式戦に出場できないことも」「これは丹後の危機だ」と、小規模化の課題をことさらに強調して危機感を煽り、「宮津・加悦谷」と「網野・久美浜」の学舎(キャンパス)制導入と、3校ある分校(弥栄・伊根・間人)の一校への統合とフレックス化を提案しました。しかし、各会場で、保護者や住民から反対意見が噴出し、私も「私が勤務する弥栄分校は、全校74名という小規模校であるが、生徒会活動もクラブ活動も活発に行われ、生徒が生き生きと学んでいる。小規模であるからこそ生徒一人一人が大切にされる手厚い教育ができる。危機とおっしゃるが全ての学校で手厚い教育をするチャンスではないか。生徒の減少は止められなくても教職員の減少は府教委の財政努力で止められる。府教委が言う小規模で活力がない学校というのは一体どこの学校か」と糾しました。それに対し「どこの学校ということではなく一般論として…」としか答えられず、結局、府教委が言う「課題」自体が再編ありきの「机上の作文」であることが明らかになりました。

2)弥栄分校ってどんな学校?

 峰山高校弥栄分校は、農園芸科と家政科の全日制専門学科のみの、小さいけれども、その分とてもアットホームな学校です。私が赴任してから、今年で15年目になります。これまで担任を10年、その他、図書情報部長、進路指導部長、生徒指導部長、保健部長等を務めてきました。

 弥栄分校に入学してくるのは、勉強も運動もさほど得意ではなく、中学校では全く目立たなかったという生徒がほとんどです。不登校でほとんど中学校に通えなかったという生徒も多くいます。私が、入学の理由を尋ねると「中学校の先生に『弥分にしか行けん』と言われた」と平気で答える生徒が少なくない。そんなコンプレックスを抱えて入学してくる生徒達ですが、彼らが弥栄分校に3年間通い、大きく成長し自信満々に胸を張って卒業していく姿を見るにつけ、それぞれが主人公として「自己肯定感」を醸成する教育、全員が一丸となって生徒一人一人の成長を手助けする教職員集団の存在というものが、いかに大切であるかということを痛感しています。

3)現在の弥栄分校を作り上げた要因は?

 現在の弥栄分校を作り上げた要因として、次の8点があげられるのでないかと思っています。

@全教科でわかる授業を地道に追求してきたこと

A基礎学力の定着と家庭学習の習慣化を目指して年9回の「校内漢字テスト」とそれ に向けての週末課題を実施してきたこと

Bコミュニケーション能力の向上を目指して「総合的な学習の時間」で、自己紹介や 仕事調べ、模擬面接、ディベート等を農園芸科・家政科・普 通科からの3人のチームで取り組んできたこと

C農園芸科・家政科の専門性を生かし地域と繋がり貢献することを意識した取組を行ってきたこと

D生徒会や農業クラブ・家庭クラブなどの役員として他人のために活動することで自己有用感を感じさせてきたこと

E家庭との連携を重視し全新入生に対する家庭訪問を実施してきたこと

F良いことは褒め、ダメなことには毅然と叱る態度を全体で貫いてきたこと

G「気になる生徒」について頻繁に交流し、学習支援員を配置してもらい、支援を実現してきたこと

 実際に弥栄分校の行事では、各クラスが最大で18人、最少なら7人という少人数ですから、一人一役では足りず、二役も三役もこなさなければなりません。決して傍観者ではいられないのです。生徒達は「めんどくさい」と口では言いますが、頼られると、「しょうがないな」と言いながら一生懸命に役割を果たそうとしてくれます。こうした経験から小規模校は学校行事や生徒会活動等の活力が乏しくなるという府教委の決めつけに反論せざるを得ませんでした。

4)地域からの評価

 また、こうした成果を上げる中で、最近中学校の先生方からもよくお褒めの言葉をいただきます。「『○川の奇跡』と言うけれど、あちらはそれまでと全く違う学校を作り、出来る子をかき集めて大学進学させただけのことで本当の奇跡ではない。。それに対して、弥栄分校は各中学校で手を焼いた子が自然と集まり、その子達を立派に成長させて、就職・進学させてくれる。また、不登校だった子も『学校が楽しい』と言って喜々として通っている。これこそ『弥栄の奇跡』だ」とおっしゃっていただいた方もあります。しかし私は、弥栄分校が特別優れた実践をしているわけではないと思います。「学校のために生徒がいる」という立場でなく、「生徒のために学校がある」という立場に立ち、生徒が主人公の学校運営をするならば、どの学校でも間違いなく生徒は成長すると、これだけは自信をもって断言できます。

5)最後に

 今、府教委が提示している分校の統合案は、これまで培ってきたこうした弥栄分校の教育の成果を考えてくれているのか甚だ疑問です。口では「弥栄分校の教育を評価している」と言いますが、3年でも4年でも卒業できるというフレックス制は、専門学科の教育課程とは相容れない性質のものだからです。

 私たちは、弥栄分校での実践を通して、弥栄分校だけでなく、丹後全体の高校生が、一人一人大切にされ、成長できる教育の実現を目指して、今後も奮闘したいと考えています。

【報告A】 「学校規模適正化」問題について  木下和久(亀岡教職員組合)

(1)亀岡で今起こっている事態とその本質・ねらい

☆亀岡市のプランは全国でも例をみない学校再編計画〜何もかも一気にやろうとする「欲張り」な計画

@大規模な通学区域の変更
〜そのねらいは大規模校の緩和(「適正規模化」)と小中一貫化〜
 ○安詳小の一部地域→詳徳小・つつじヶ丘小へ校区変更
 ○つつじヶ丘小の一部地域→南つつじヶ丘小へ校区変更
 ○東輝中の一部地域→詳徳中へ校区変更    ○亀岡中の一部地域→東輝中へ校区変更

*この結果、今まで安詳小校区の子どもたちは詳徳中と東輝中に分かれていたが、詳徳中に一本化され、同じく、つつじヶ丘小校区の子どもたちは東輝中と亀岡中に分かれていたが、東輝中に一本化される。
詳徳中=安詳小・詳徳小  東輝中=つつじヶ丘小・南つつじヶ丘小  亀岡中=亀岡小・城西小

*過去の経緯や保護者・地域住民の思いを無視した通学区域の変更と、市教委の強引な姿勢に対して、保護者や住民、自治会関係者らから激しい反発

・亀岡中から東輝中への校区変更が示された亀岡東部自治会の激しい反発の中、教育長は「まだ保留で確定ではない」と言明。

・東輝・詳徳ブロック協議会(12月1日)では、安詳から詳徳への校区変更で新たな案が提案

今まで第6見晴地域の中の「馬堀駅前2丁目」だけだったのを、「見晴1丁目」も追加

地域で新たな署名に取り組む相談が行われ、新婦人の会員や京教組の組合員が参加している。

東輝中の校長も「保留」の地域があって平成29年の秋までに準備ができない。30年度からの実施は難しい、と発言

A小規模校の統廃合   〜そのねらいは学校教育予算や教職員の大規模な削減〜

*財務省にとって「学校統廃合」ほど「おいしい施策」はない

平成23年に4小が統合した京丹波町瑞穂小では、教職員数が42名→18名に

*小規模校・複式学級はダメなのか?小さくても輝く学校

○東別院小・西別院小・・曽我部小への統廃合を視野に入れつつ、当面は特認校制度を導入し存続

*特認校制度については、学校間格差を生み出す面もあるが、制度によって学校の存続が可能になるのであれば応援する

○別院中・・30年度から南桑中へ統合

・東西別院小は当面存続させるのに、なぜ別院中の統合だけを急ぐのか?

・市教委の基本方針には、別院中と東西別院小を統合し小中一貫校を開校する選択肢も

・保護者が市教委に申し入れ     ・ここでの運動が緊急に求められる

○保津小・・亀岡中への統合の方向を持ちつつ、当面は駅北開発の推移を見守る

・パブリックコメントに保津地域から多数の存続を願う声が反映

○曽我部・吉川・稗田野・・将来的に統合の方向

○本梅、青野、畑野・・将来的に統合の方向

東本梅保育所の本梅保育所への統合方針に地元から激しい反発

説明会に50名が参加、子育て世代を中心に30名がいずれも反対意見を言い、市教委は「30年実施が31年・32年・33年になっても妥協点を見いだしたい」と発言

B小中一貫校(一貫教育)の推進 〜そのねらいは学校統廃合と「格差と競争教育」の推進〜

*小中一貫校はいわゆる「エリート校」としてではなく、大半はあくまで統廃合の方途として、大学および後期中等教育の「エリート」づくりに資源配分するための経費削減のための意味合いが大きい

○川東学園・・29年度から府下初の義務教育学校へ

*多くの問題点を抱えている

・小学校高学年のモチベーションの低下、リーダーとしての活躍の場が保証されない。

・中学校文化の前倒しにより、早くから管理主義・競争主義の文化にさらされる

・「中1ギャップの解消」という理由には根拠がない  ・教職員の多忙化

・全国的にもその教育効果は検証されていない

○南桑中ブロック、育親中ブロックでの1中・3小統合の小中一貫校建設の方向

○他の中学校ブロックでの小中一貫教育の推進

(2)今後、どういう運動を展開するか

☆運動を進める上での大切な視点(大平氏、原田氏の指摘)

@この問題の背景にある「格差と競争の教育」をすすめる今日の新自由主義的規制緩和の教育施策を批判的に学習する

A住民の総意による「住民合意」(議論を尽くし、反対の人も納得しうる)が大切

*「いつ、どこで、誰が、何を」決めたのか

B「まちづくり」の観点での議論が不可欠  *学校はまちのシンボル

*学校の適正規模については意見が分かれても、地域に学校が存続するデメリットは何もない

C入り口となる「校区変更問題」での徹底した議論と運動が必要

D統廃合問題の背景に財政問題があることを、広く明らかにする

E情報をオープンにする。特に行政がにぎる資料を手に入れ広げる

☆「亀岡市の『学校規模適正化』問題を考える市民ネット(仮称)」を、団体・個人に呼びかけて結成へ

@目的  

○名称を焦点化させて、市民的にアピールする

○名称にふさわしく、幅広い個人や団体を結集する

○亀岡における行政側の総合的な学校再編計画全体に対置する運動を組織する

A運動内容 ○行政側の方針や取組、起こっている事態や行政側の方針や動きの正確な把握と分析を

○宣伝、署名、申し入れ、懇談会、シンポジウム、集会

○教育委員会・議会の傍聴、記者会見等マスコミへのアピール、

〇自治会やPTAへの働きかけ、ニュースの発行

【報告B】「福知山での学校統廃合に抗して」  玉井陽一(子どもと教育を考える会)

【はじめに】

 福知山市における学校統廃合は、2007年の雲原地区の住民への行政当局の「裏切り」から始まります。地元の要望に基づいて市も本腰を入れて具体化していた北陵・公誠の小中一貫校建設の計画が予算化された矢先に、地元には何の了解もなしに「灯りをつけておいて、コンセントを抜く」ように、市当局と教育委員会は計画中止を決定したのです。市の地域活性化の施策を、中教審答申をうけて「全市的な学校の適正規模・配置の検討」に方向転換し、以後地域振興を見限り統廃合へ邁進することになります。2008年に発足した福知山教育ネットは、2009年3月に答申された学校教育審議会答申や2010年の学校教育改革推進プログラムと以後全面的に対決していくことになります。

【闘いの経過と特徴点】

1.徹底した真正面からの分析と追求

 福知山市学校教育審議会「答申」(最終)について(2009年4月)

・今回の答申は、公誠・北陵小中一貫校建設中止の押しつけから始まり、学校教育審議会の設置、中間答申、そして、本答申と、教育論議や市民的合意をめざし民主的手続きを装う手法をとりながらも、実は文科省や財務省の方針に沿って、学校の統廃合を進めるという行政の一貫した考え方が貫かれ、結論に向かって本答申まで準備されてきたことを示すものと言えます。

・適正化部会等で扱っている資料は、現在の府の設置基準ではなく、文科省の「標準法」を基にしており、これまでの現場・父母・地域が願いを積み上げ、府当局が独自に制度化してきた到達点を見ないで、文科省基準を絶対視する進歩のない姿勢で「福知山の教育」の将来を見ている、官僚的、閉鎖的体質が読み取れることです。

 今回の福知山市学校教育審議会の答申は、「結論」に向かって「20人程度学級」「適正規模校」が一人歩きして、地域や子どもたちが見えていない最終答申となりました。

2.徹底的に『ウソ』を暴く  教育委員会が「財政的理由」を認めたことについて(2009年12月)

  7月23日福知山市教育委員会の福知山市学校教育審議会答申の説明会(大江会場)で、市教委・芦田豊文教育部長が「同規模の市と比較して学校数が多く、財政問題が諮問の背景の一つにあったことは事実」と学校統廃合の理由を認めました。(7/25毎日)は明白であり、審議会でも「財政的検討を行うべきだった」と嘆いているのが実情だったのです。

 教育ネットは「財政論(教育の合理化、安上がり教育)が本質」と指摘し「拙速な統廃合でなく、ゆきとどいた教育こそ」果敢な申し入れ行動を行いました。

3.情報発信による市民レベルでの闘い

  @ニュース化  A学習会・交流会の開催  BPTAとの連携

【闘いの到達点と今後の課題】

〈到達点〉 2007年の雲原地区の住民への行政当局の「裏切り」から始まった学校統廃合攻撃は、10年を経過しました。学校教育審議会の最終答申(2009.3.27.)、それに基づく「福知山市学校教育改革推進プログラム」(案)(2010.12.24)、「福知山市学校教育改革推進プログラム」後期計画が2016.3.23に発表され現在に至っています。この間、前期計画で統廃合の対象にされ26校を21校にするとされていた小学校(天津・中六人部・上六人部・佐賀・三岳・金谷/精華・育英・明正/美鈴・有仁/川合・菟原・細見)のうち太字の5校が統合されましたが、9校は2020年を目途にした「後期計画」の対象として繰り延べになっています。そのなかで、夜久野学園につづく一貫校の構想が三和町でほぼ確定、大江町では、統合はやむなし。しかし何故小中一貫校に?という声が多く、現在協議中となっています。

 夜久野町で見られたような、当局サイドの地域の有力者の意向を住民の声として利用し、「小中一貫校にしなければ夜久野から学校がなくなる」のウワサで強引に統廃合がなされた経過はありますが、上記のような闘いの到達として、「保護者や地域の理解が前提。拙速、強引にはすすめない」という見解を引き出した結果を大きく反映しています。三和町でも、「保護者の意見を最優先に」として、PTAアンケート、保護者説明会、夜久野学園視察、自治会長会での説明、PTA総会での承認、三和町地域協議会特別部会の開催、PTA合同研修会、そして2度目の地域住民説明会(2016.11.)で合意、という経過を経ています。また、佐賀小地域では、小規模特認校制度の適用をすすめる趣旨の懇談会の案内がPTA会長と学校長連名で地域に出され、果敢な地域上げてのとりくみが進んでいます。

〈今後の課題〉 〜教育の条理に照らして〜

 「後期計画」に見る市当局の姿勢と、私たちの取組の基本方向について記しておきます。

 「後期計画」に前期の総括はあっても、計画がどこまで進んだかの総括であり、子どもの視点、保護者の視点、地域の視点、教職員の視点からの総括は一切ありません。また、前期計画発表時に提出された多くの地域からの要望(パブリックコメントなど)は全く反映されていません。

 福知山教育ネットは、学校統廃合問題に取り組んできた闘いの成果に基づいて、統廃合問題だけでなく、学力問題、貧困と格差、食の安全と放射能、教科書問題など、子どもの視点、保護者の視点などを大切にした教育の条理に沿った闘いを今後も続けていきます。

【報告C】京都市立高校の学校改革   秋山吉則 (京都市高教組書記・佛教大学大学院)

1.報告のねらい

 1990年代以降の京都市立高校の学校改革の推移と、それぞれの学校改革の動機と進められたプロセスを明らかにし、これらの学校改革は生徒の進路選択(アイデンティティの獲得)にどのような意味があるのかを考察したい。

 学校改革=学科の改編や新設などカリキュラムの大幅な改編を行う教育内容・活動の大幅な変更

2.職員会議の実際

@ 職員会議の位置づけ

・議決機関説 ・補助機関説 ・自治体の管理運営規則 ・学校教育法上の位置づけ

A 京都市立高校の職員会議の特徴

a. 構成員 全教職員(全職種)

b. 開催頻度・時間帯 全日制:隔週水曜日の放課後 定時制:毎週水曜日の始業前

c. 内容 教育目標・年間行事・教育課程・校内人事・研修・教育活動の実施計画・生徒の状況

d. 議題の整理・合意の形成 事前に運営委員会で整理する 報告・提案は全教職員の合意を

B  職員会議を中心とした学校運営

a. (狭義の)校務分掌 担任会(団)、生徒指導、教務、進路、図書、保険部など

b. 各種委員会 運営・教科(カリキュラム)・同和(人権)・HR委員会など

c. 実行委員会 文化祭・体育祭・修学(研修)旅行など

d. プロジェクト 将来像検討(構想)委員会、プロジェクトチーム、新学科準備・推進室など

3.京都市立高校の学校改革

@ 普通科 類型制の導入

●1990年代以降 各校に特色学科が開設される

1993年:紫野高校・V類(体育系⇒英文系) 1995年:日吉ヶ丘高校・英語科の新設

1999年:堀川高校・探究科の新設 2003年:西京高校・商業科⇒エンタープライジング科

2007年:塔南高校・教育みらい科の新設 2008年:日吉ヶ丘高校・英語科⇒国際コミュニケーション科

2014年:紫野高校・V類英文系⇒アカデミア科

A 工業科 工業高校は地域の産業構造の動向から影響を受け、定期的な学校改革が必要である

1990年度の改革 一巡目 技術革新に応じた学科の改編・新学科の設立、推薦入試の導入

1998年度の改革 二巡目 伏見:学科の統合、洛陽:細分・専門化

2007年度の改革 三巡目 くくり募集(2年次専門へ移行) 伏見:システム工学科、洛陽:創造技術科

2016年度の改革 四巡目 洛陽・伏見の統合移転⇒京都工学院高校

B 定時制 募集人員の削減や募集停止による定時制教育の縮小 4校体制⇒1校体制(数年後)

1997年 最初の募集停止 堀川定時制:募集停止

1998年 新学科 洛陽定時制:工業化学科⇒コンピュータ科 伏見定時制:建築・土木科⇒都市建設科

2003年 3卒制の導入 西京定時制:選択的3年卒業制の導入

2007年 2回目の募集停止洛陽定時制:募集停止 伏見定時制:機械科・都市建設科⇒工業技術科

 ? 年 学校の統合(定時制は1校に) 伏見・西京定時制の統合

4.学校改革と職員会議の関係(略)

5.学校改革における行政と学校(職員会議)との関係の分類

@ 教育行政が学校改革を行う

 学校現場に改革の内容を選択・準備する余地がない=普通科の類型制度の導入 工業高校の三巡目以降
改革問題点を新たな改革の実施で解消・改善=改革の悪循環(工業改革)、類型制の改善⇒特色学科開設
A 教育行政による改革の動機付け

 教育行政による改革の示唆・方向性の指示を行い学校現場が具体化をはかる

 学校に裁量の余地がある場合 工業高校の二巡目までの改革、西京定時制の3卒制の導入

 学校に裁量の余地がない場合 銅駝美工のくくり募集(進学対策の強化)

B 学校からの改革

 学校での将来像の積極的な検討に基づく学校改革の実施 学校での決定⇒行政の承認・認可⇒条件整備

 紫野高校:体育系⇒英文系 堀川高校:探究科=校舎の新築 洛陽定時制:工業化学科⇒コンピュータ

6.高校教育の中での青年のアイデンティティの確立 若干のまとめ

@ 自分自身の経験から

 奈良工業高専(機械工学科)中退⇒広島大学文学部地理学専攻(学部・修士)⇒京都市立高校教諭(紫野、伏見工(全)―洛陽工業(定)―堀川高校 「どんな職業に就くか」から「何を学びたいか」への思考の転換

A 高校生のアイデンティティ獲得に何が必要なのか

 高校の時に自分を見つめ、将来の姿を見つけられるようにすることが不可欠

 多くの場合は学校の授業を通して体験させることが重要であるが、クラブや学校外での自主活動も重要

 そのための意識的・意図的な活動を様々な場面で展開することが求められているのではないか?

 
 「京都教育センター年報(29号)」の内容について、当ホームページに掲載されているものはその概要を編集したものであり、必ずしも年報の全文を正確に掲載しているものではありません。文責はセンター事務局にあります。詳しい内容につきましては、「京都教育センター年報(29号)」冊子をごらんください。

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              2017年3月発行
京都教育センター