事務局  2016年度年報目次 


京都教育センター第47回研究集会 基調報告


「子どもと教育をめぐる情勢」

                 京都教育センター運営委員会

 

全体情勢

 「時代に殺された電通の新入社員」― 昨年12月に過労自殺した電通の新入社員、高橋まつりさん(当時24歳)の働かされ方は異常の一言に尽きるものであり、労働環境の時代性を象徴する死だったといわれています。労働者を、さらに残業代なしの長時間労働に追いやる安倍政権の「働き方改革」のうそうそしさが透けて見えます。

 同時代を生きる教職員の働き方、働かされ方はどうでしょうか。

 6月に京都教育センターが主催した公開学習会で問題提起をした氏岡真弓さん(朝日新聞編集/論説委員)は、昨年8〜9月に全国の公立小中高の教員を対象に教員養成系の4つの大学で行った共同プロジェクトの調査結果(5373人が回答)に注目しました。

 この調査結果によれば、教員の仕事について「楽しい」と答えたのは、小86%、中82%、高81%に上る一方で、「授業の準備をする時間が足りない」と答えたのは小95%、中84%、高78%。「仕事に追われて生活のゆとりがない」も小77%、中75%、高68%でした。この結果から、仕事にやりがいを感じつつ、多忙さに悩む教員たちの姿が浮かび上がってくるのと同時に、教員の8割以上が教育の仕事に「楽しさ」や「やりがい」を感じているということに希望の光が見いだせると氏岡さんは指摘しました。

 本来、教育とは自由で創造的な営みであり、教育の仕事の「楽しさ」や「やりがい」の源泉もそこに求めることができるのではないでしょうか。

 多忙さに悩む教師たちの姿は、電通の高橋まつりさんの過労自殺に繋がる長時間・過密労働に悩む教員の問題としてとらえることができますが、これと複合的に絡み合いながら教育の自由の抑圧や教職員管理の強化によってがんじがらめに縛られ、思うような教育ができないことからくる教師の苦悶と絶望の問題は重大であり、問題の根っこと背景、政策の動向などをより掘り下げることが求められています。

*

 今日の現場教師の苦悩は多様であり、これをひとことで言うことは困難です。

 しかし、敢えて言うならば、「しんどい」が言えない、出せないところにあるのではないでしょうか。

 一方で、ゼロ・トレランスの圧力に同調する「強い教師」、「学校スタンダード」で思考停止していく教師…。そうして、子どもに寄り添えない、子どものしんどさが受けとめられない教師がつくり出されています。

 こうした人間としての自由や民主主義に根差した問題状況を転換する筋道を見出す試みのひとつとして、例えば本研究集会のパネルトーク「もっと自由に、もっと人間らしく」を設定しました。あらためていま、教師としての、人間としての「私の」storyをふり返る時間を持つことが大切になっているのではないでしょうか。

 教師としての、人間としての未熟さに自信を失い、憔悴していた私を励まし、支えてくれたのは誰だったのか。「こんな先生になりたい」、「こんな実践をしてみたい」と心震えた人や実践との出会いはいつ、どんな場面だったのか。教育の仕事の「楽しさ」や「やりがい」を「私に」実感させてくれたエピソードとは何だったのか。

 昨年3月に定年退職をした小学校教員のFさんは語ります。

 「私にとって、手を焼いたM男の存在は格別。そして、S小時代のお母さん方の励ましがあったからこそ教師を続けることができたと思う。T小時代の5年担任の学年会の楽しさの中から、共同性や同僚性の大切さを実感。そして教師としての生き方を支えてくれたのは何といっても教職員組合です。」

 −もちろん、それぞれに「私の」storyに刻まれた真実や実感の軽重のちがいはあるでしょう。それぞれが大切にしてきた人との出会いやエピソードの意味を問い、語り合い、聴きとり合うことが「しんどい」問題状況を転換するひとつの、しかし大きな力になっていくように思えるのです。

*

 いま、「しんどい」が言える職場づくり、子どもを真ん中に父母・同僚が心をひらき、語り合える「土俵」を広げる学校づくりが切実に求められています。

 子ども、父母、教職員集団を信頼・尊敬し、ここに依拠して子どもと国民のための教育をすすめる。これが本研究集会のテーマである「憲法公布70年、学問・教育に憲法を生かす」道ではないでしょうか。父母・地域との教育共同と教職員組合運動、そしてサークルや組合教研などの自主的教育研究運動の前進を基軸に、安倍「教育改革」に対抗する教育実践と研究をすすめましょう。



 いま安倍政権が仕掛けている教育「改革」のまず正体を最初に言えば、二つの政治目標を実現するための教育「改革」です。@戦争できる国づくり A世界でもっとも企業が活動しやすい国づくり。これです。二つとも個人よりも国家を重んじます。国家のためにがんばる人づくり(「人材」づくり)が必要です。そのためには、国家の支配者に都合の悪いことは隠し、国家のやってきたこと、これからやることを美化する必要があるのです。

 そりゃあそうでしょう。国民にこんなに「イイ国」のためにオレタチはがんばるのだと思い込ませないといけません。そのために偽造、歪曲した歴史を教え込み、愛国心と国家への奉仕の精神を叩き込む「道徳教育」をやらなければならなりません。それをやるために、教育を自分たちの都合のよいように、統制(コントロール)しなければならないわけです。

 今、一般の親や教師にとって教育といえば、どういうことに一番関心があるかといえば、最大公約数的には「学力」なんでしょうね。自分の子どもや児童生徒の将来を心配してしっかり学力をつけてほしい。そう思ってらっしゃる方が多いことでしょう。でもちょっと待ってください。もっと広く教育がどうなっていこうとしているかに関心をもっていただきたい。子どもたちのためにです。そしてその子どもさんたちが住むこの国の今後を考えるためです。

 そもそも、教育というものは何のためにあるのか、それをもう一度立ち止まってしっかりと考えてみていただきたい。安倍政権の教育「改革」は、学力テスト、教育委員会制度、教科書検定・採択制度、道徳の教科化など着々と進んでいます。それら一つひとつ見ていても、「なんのこっちゃ?」としか思えません。しかし、よくわからないことも、それらの各ピースをはめ込んでつないでいくと、全体像が見えてくるのです。ああ、こういうことを狙っているのかと。そういうことがドンぴしゃりと見えてくるのです。

 たとえば、教科書のことなどあまり関心を持っておられないかもしれませんが、子どもたちがそれで教えられる教科書にも関心を持っていただきたく思うのです。たとえば教科書の検定審査要綱も変えられました。第一次安倍内閣のときに教育基本法が変えられました。

 「愛国心を育てる」ことを教育の目標にする教育基本法に換わりました。その新しい教育基本法の目標に照らして重大な欠陥がある場合は不合格になるのです。つまり「愛国心」を育てるような教科書でないと不合格になるということでしょう。これは教育内容への政権の介入を許すことです。

 ハッキリいえば、国は国のために死ねる「兵士」(人材)やグローバル企業のために貢献する「戦士」(人材)を養成したいのです。個人として尊重されるべき人間を育てることは教育の目的から綺麗さっぱり、捨て去ったようにみえます。国境を超えて飛び回るグローバル企業が愛しているのは「儲け」だけではないのでしょうか?「愛国心」を教えるなら、彼らにこそ教えたらどうでしょうか?

 現在、すぐに人と比べられ、人材として役に立たなければ「お前の代わりはいくらでもいる」と捨てられるような社会状況のなかで、「ダメな自分だ」と自分を責め、否定し、嫌っている子どもや若者たちが少なくありません。彼らにとって悩み苦しむことは、自分がダメな人材であることの証拠でしかなく、悩み苦しみを漏らすことは、コストのかかる「厄介な」人材だと評価されることでしかありません。

 もし、自らを人間と同一視しているならば、人間は悩み苦しむことを通して成長するのだと、自分の苦悩を価値あるものとして尊重できるはずなのです。でも、彼らは苦悩することを自分が「ダメな奴」であることの証拠と受け止め、それを他者に語ることをしません。そんな彼らに必要なのは「愛国心」以前に、人間として「自分を愛する心」です。日本国憲法には第13条「すべて国民は個人として尊重される・・」とあります。一人ひとりが個人として尊重され、かけがえのない人生を生きる主体として尊重され、愛される社会や国をまず作るべきでしょう。いまの安倍政権は逆のことをやろうとしています。こういう「教育改革」は教師と親、国民が手をつないで阻止し、本当の意味での「教育再生」を実現していかねばなりません。


当面する課題

1.現代の子どもをめぐる状況と課題

 「いじめ防止対策推進法」実施から3年経ちました。法律を厳しくし、「学校のスタンダード」「ゼロトレランス」「数値目標」では子どもの問題は減少しません。不登校、いじめ、体罰、虐待、暴力、子どもをめぐる事件は、その背景に、過度な競争主義、格差、貧困問題等、深い社会的原因があります。子どもに夢と希望を持たせ、憲法の精神を生かした、未来への展望と発達の社会的保障が大切です。

(1)「いじめ問題」と教育行政・学校・教師―「小学校いじめ最多」報道―

「いじめ防止対策推進法」は「厳罰主義・道徳主義」の傾向があり、学校現場では、「報告文書」が増え、集団論議・対応以上に教育委員会への報告が優先される傾向があります。「いじめ最多、低年齢化」と文科省の調査結果・府県別数が発表されました。しかし深刻な「いじめ・自殺事件」は減っていません。「ネットいじめ」も新しい課題です。「学級担任全責任論」や「いじめ情報共有おこたれば懲戒」(朝日10月12日)と学校現場への脅かしは教師を萎縮させます。「いじめ件数報告減らし」よりも学校全体で どう取り組んだかを大切にして、 一人一人の子どもと集団の成長と発達に繋がる実践が大切です。

(2)不登校・登校拒否3年連続増加、小学生割合最高、大切な「親と親」「親と学校」のつながり

 文科省は5月調査で3年連続不登校が再び増加、とくに小学生の割合は過去最高と発表しました。これは行政の「不登校対策」が強化されている一方で、「学力テスト点数競争」「管理主義教育」「学校スタンダード」が一層進んでいることの現われでもあります。不登校対策の「教育機会確保法案」は特別委員会で可決されましたが、何が不登校の子どもと親に大切か充分論議されることが必要です。不登校の「親の会」との連携を大切にし、学校現場の集団的な取り組みが期待されています。

(3)根強く残っている「体罰」、中学「部活問題」課題

 大阪の「桜宮高校体罰自殺事件」以降学校内外で体罰問題が関心を呼びました。生徒指導における「体罰」には「ゼロトレランス」指導が背景にあり、「部活・クラブ活動」での体罰には「勝利至上主義」「スポーツ推薦入試競争」が背景にあります。厳しい体罰批判が寄せられる反面、「体罰肯定論、根性論」もまだまだ残っています。「部活と体罰」には「中学校教師超過勤務問題」解決と「部活指導のあり方」等、重要な課題があります。また新たに養護施設や地域のスポーツ少年団、学習塾における体罰も問題に上がりました。

(4)小学生の暴力が過去最多、中高生前年より減少、指導困難は深刻

 「きしよい、きもい、ガイジ、死ね、ぶっ殺す」等の暴言が、日常化している中で子どもの暴力問題行動が増えています。子どもの暴力が集団化し「恐喝・傷害事件」になった場合は警察との連携は仕方ないとしても、中学校現場に 日常的に警察が「指導」に入るのは、行き過ぎではないかと、批判されています。子どもの暴言・暴力の背景には、自分の感情・思いを言葉で表現する力が弱いこと、集団活動での話し合い・討論の場が減っていることも原因しています。

(5)児童虐待通告、過去最多、背景に親の貧困、格差などの経済状況

 生活保護家庭数は最高になり、虐待件数も年々増え続け最多になっています。生活に追われ子供を育てる余裕を失った親が増えているのです。「指導困難」と言われる子どもの背景には「虐待経験」があります。又「勝ち組」といわれる「経済的」に恵まれた子どもの中にも、親のその地位を守りたい願いから子どもに精神的虐待とも言える過度な進学競走を強いる犠牲も増えています。学校は地域や福祉の援助を得ながら、共に子育てをする姿勢で親に接する事が大切になっています。

(6)深刻化する「子どもをめぐる事件」、子どもの豊かな成長と安全を守る課題

 相模原市の「重度障害者19人刺殺事件」は全国に衝撃を与えました。犯人は元職員の青年ですが背景には「役に立たない人間は存在価値がない」と言う社会的弱者に対する攻撃思想があります。子どもの世界にも「弱いものいじめ」となって影響を与えています。「集団リンチ殺人」事件や「釣り人突き落とし事件」など子ども少年をめぐる事件背景には、経済的に厳しい中で、家庭が安心出来る居場所になっていない現実と、携帯やスマホでつながり、夜中に徘徊する子ども・少年が増えていることがあります。一方「学力優秀」な子どもが起こした事件では、「勝ち組の競争」に晒された子どものゆがみ、苦悩が原因となっています。

 「いじめ防止対策推進法」を更に厳しくしても深刻ないじめ事例は減っていません。11月に明らかにされた「横浜原発避難児童いじめ恐喝事件」に現れているように立場の弱い避難者・弱者いじめは現代の社会制度そのものからきているのです。生活保護、高齢者、社会的弱者に冷たい福祉、いじめ政策が子どもの社会に反映しているのです。不登校・ひきこもりが増え続けているのは、現代の教育政策が「人材育成のための選別」「一握りのエリート育成」と言う方針からきているのです。かけがえのない一人の人間として子どもが本当に大切にされ、一人一人の子どもの可能性と発達が個人として尊重され、保障されなくてはなりません。そして家庭と学校・地域が安心して生活できる場所となっているかが問われているのです。

 京都の学校現場や地域では課題を持った子どもの「宿題塾」「勉強会」や「子ども食堂」「居場所」づくりの実践も取り組まれています。「苦しみ悩む」子どもたちが「ここに生きて存在していても大丈夫なのだな」と安心と共感を得られることが大切です。厳しい生活現実に晒されている子ども達に将来に対する夢と希望を与える憲法を生かした福祉と教育の充実と 子ども・父母・地域の期待に答える学校・地域づくりが私たちの課題です。

2.学習指導要領と「道徳」の教科化

(1)次期学習指導要領の問題点

はじめに=公教育の大改変の予兆

 「日本の公教育の大改変の予兆が透けて見える」「今回の改訂は、教育課程の改革を単独で行おうとするものではなく、その背後に、あるいはパートナーとして学習指導要領改訂の趣旨に沿った公教育改変を進めるための諸改革を携えている」と児美川孝一郎氏(法政大)は断じています。さらに注目すべきことは、アクティブ・ラーニングの導入、道徳の教科化、小中学校の英語の教科化、高校の「歴史総合」「地理総合」「公共」「数理探究」といった新科目の設置が取りざたされる中、児美川氏は「―これだけでもかなりの改変ではあるのだが、そうではなくて、(改訂の目玉は)『教育内容ベースから資質・能力ベースへの転換』であり、『学校教育を通じて、子どもたちにどのような知を獲得させようとするのかという意味での【知の転換・再編】』だと論究していることです。

何を変えようとしているか。 (2020年度以降に実施)

 中央教育審議会「教育課程企画特別部会における論点整理について」(2015.8)で明らかにしています。

@国が子どもへ要求する内容へと変質させようとします。

 「社会に開かれた教育課程でなければならない」と提唱。「社会に開かれた教育課程」とは、つまりは「社会が要請する教育課程」です。子どものさまざまな能力の成長・発達を促すという視点からではなく、社会の変化を前提にそれへ子どもたちを適応させることであり、このことが教育課程の根幹におかれています。

A学校制度全体の変更の要として次期学習指導要領が位置づけられています。

 道徳の「特別の教科」、教科書検定で政府の見解に言及するように要求、大学のあり方や教育養成の変更など、これら「教育改革」の要として、位置づけられています。

B教育内容、指導法、評価、学校管理を一体として統制しようとします。

 「アクティブラーニング」「カリキュラム・マネジメント」の二つが学校改善の鍵であると位置づけています。

(ア)指導法=「アクティブラーニング」アメリカの大学教育指導方法からもたらされたものだが、すでに日本の教師たち(とりわけ小・中)には、一方的講義型教授法によらない豊かな学習方法の蓄積があります。アクティブラーニングそのものは否定されるべきものではないが、個別意見から集団討議へと新たなパターン化も懸念されます。

(イ)評価=「ポートフォリオ評価」(紙ばさみ評価)「パフォーマンス評価」等も細目の評価に追われ、本来の教育内容や指導法の改善に届かず、評価自体がパターン化する恐れもあります。

(ウ)学校運営=「カリキュラム・マネジメント」(PDCAサイクルで学習指導要領の趣旨を徹底。経営管理の手法を教育に持ち込み、評価による競争と従順で子どもも教員も息苦しくさせ、学校の姿をピラミッド型の上下関係に変えます。即ち、人間を育てる学校から、人材を育成する学校へ。それらをチーム学校という名の下に進めようとしているのです。

「育成すべき資質・能力」とは何か

 何を教えるか(教育内容)から、どんな「資質・能力」を育てるかへ移行します。「育成すべき資質・能力」とその「三つの柱」とは、@「個別の知識・技能」(何を知っているか、何ができるか)「知ること」より、「できること」にウェイトを置きます。A「思考力・判断力・表現力等」(知っていること・できることをどう使うか)「問題解決を協働で行うため」の思考・判断・表現と限定(許される枠内で)しています。B「学びに向かう力(態度)・人間性等」(どのように社会・世界とかかわり、よりよい人生を送るか)。そもそも「態度や人間性」を(国が)育成しようなど(育成と言う名の押しつけ)してはなりません。これが道徳教科化と密接に関連していることを指摘しておきます。

私たちは何をなすべきか

 「論点整理」においてさえも、「―育成すべき資質・能力の上位には、常に個人一人一人の「人格の完成」と「平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質」を備えた心身ともに健康な国民の育成があるべきである。」(9頁)とし、「教育課程とは、…学校の教育計画であり、その編成主体は各学校である」(22頁)と言わざるを得ません。私たちには、これらの文言をてこにしつつ、それを実質化していくための柔軟で粘り強い教室実践と学校づくりの取り組みが求められています。

(2)「道徳の教科化」と道徳の授業

 国民の道徳思想まで一つの型に

 「『その時々の政策が教育を支配することは、大きな間違いのもとである。…ことに、政府が教育機関を通じて、国民の道徳思想まで一つの型にはめようとするのは、もっともよくないことである。…』(文部省 高等学校用教科書「民主主義」1949年)と文部省が自戒し禁じたことが、いま安倍政権による「道徳の教科化」という露骨な形で破られようとしています。」(京都教育センター代表 高垣忠一郎 文科省副読本「私たちの道徳」批判パンフ)

 改めて「私たちの道徳」批判パンフで指摘した三つの問題点を挙げておきます。

@子どもを「よいこ」の枠にはめようとしている。上からの指示に従順な子どもをつくり、自由な精神や自分で考え判断する力、批判精神を育てない。
A現実の子どもの生活や思いに根ざしていない。今日の子どもの苦悩、不安、生きづらさを理解しようとせず、子どもたちの実感からほど遠い内容(資料)を提示している。(生活現実との乖離) 例えば、「家族のあり方」については、現実の多様な家族形態には目を向けず、祖父母・父母・兄妹がそろい、優しく幸せいっぱいの家族像を提示する。それによって大勢の子ども心を傷つけている(反道徳的)ことに無自覚である。
B偏狭な愛国心を押し付けている。世界の人々とともに平和な世界を希求する憲法の精神が尊重され、憲法13条の「私たちは個人として尊重される」ことこそ真に道徳的であるはずである。ところが富士山を背景に「この国を背負って立つのは私たち」(高学年版)」と記述する。「この国を背負って立つのは君たち」ではなく「この国を背負って立つのは私たち」とする。上からの押しつけ調ではなく、自ら自覚的に自主的にと誘いこむところが巧妙である。

*「教科化」によって新しく作成される「検定道徳教科書」は、「私たちの道徳」を下敷きに作成されることは間違いないでしょう。

では教育現場では、どのように受け止めればいいのだろうか。

 佐貫浩氏(法政大)は、生活指導と合わせて、教科教育の重要性を指摘し、「教科教育の教科固有の科学的探究活動をいっそう発展させること」が「教科学習が本来もつべき道徳性形成の機能を意識的に高める」とする示唆に富む論を展開していますが、紙幅の関係上、ここでは道徳の授業に限定して記述します。「道徳―改善等について」(2014.10中教審答申)では、価値観の押しつけだとする批判に押されて、「―道徳教育の本来の使命に鑑みれば、特定の価値観を押し付けたり、主体性をもたず言われるままに行動するよう指導したりすることは、道徳教育が目指す方向の対極にあるもの」とし、「多様な価値観の、時に対立がある場合も含めて、誠実にそれらの価値に向き合」う(道徳教育の使命)と言わざるを得ませんでした。それを受けた学習指導要領解説(文科省)では、本音は別としても、「答えが一つではない道徳的課題を一人一人の児童が自分自身の問題ととらえ」る道徳へ「変換を図る」と言っています。この文言を現場で充分に吟味し論議しつつ、(この文言を)現実のものとする実践をつくりあげていくこと大切です。

「道徳の授業いかにあるべきか」

1.既成の「道徳の授業」批判の視点を持つこと。@徳目を押しつける授業(徳目主義の授業)への批判。A子どもの自由で多様な発想や意見が規制される授業への批判。(誘導と規制の授業)(子どもを枠にはめる) B主体的、能動的であるかのように見えていて、実は許容される枠内(徳目内交流)で終始する授業への批判。

2.対抗軸となる私たちの授業をつくること。
@一つの事象を多面的にとらえる授業。
A多様な意見や考えを自由に述べ合う授業。(本当のことを言ってもいい授業)
B子どものリアルを大切にする授業
(ア)現実の生活に題材を求める。(学級・学校での出来事や日記や詩・作文をとりあげる)
(イ)良質の資料を提示する。【資料(題材)選定】の基本的視点として、憲法と「子どもの権利条約」   を取り入れる。・「個人として尊重される」・「人権・意見表明権」・「自由と民主主義、平和」・「権利としての学び」・「共生」・「批判精神の涵養」等。予想されるテーマ;貧困・いじめ・家族・生きるということ、生まれるということ(命の尊厳)・世界の子ども(飢餓・少年兵・医療・学校)など。
 *(留意点)たとえどんなに立派な項目・テーマを立てたとしても、それを一方的に注入しようとするなら、押し付けです。自分の頭で思考し、判断できる子どもを育てることこそ、最も大切なことです。

 同僚や仲間とともに共同の論議を=そもそも道徳とは何か、道徳の指導はどうあるべきか。同僚、仲間とともに常に原点に立ち返った論議を展開しつつ、地道に実践を構築していくことが求められています。


3.教科書問題・歴史認識

(1)教科書問題

 2015年度の高校教科書検定結果が今年3月に公表されました。2014年度に改悪された教科書検定基準に基づいたものです。新検定基準は、@政府見解、最高裁判例に基づく記述を求めるとともに、A近現代史記述における「通説的見解がない数字などの記述」については「通説的見解がないことが明示」されなければならないとしています。何が「通説」かは研究者による学問的な判断に基づくものであり、それを政治権力が決定することは学問の自由の侵害にほかなりません。

 今回の検定では、@の事例として、安倍内閣の「積極的平和主義」に関して「広範な地域で自衛隊の活動を認めようという考え方」と記述した現代社会の教科書に対して、「自衛隊の活用を(中略)認めることにより、国際社会の平和と安定及び繁栄の確保、に積極的に寄与していこうとするもの。」と改めさせた例がありました。このほか、集団的自衛権、解釈改憲、アフガン戦争、専守防衛、原子力エネルギー、戦後補償、パレスチナ問題などに検定意見がつき、修正させられています。Aの事例としては、関東大震災の虐殺数、南京虐殺の中国人被害者数を記述した本文を「おびただしい数」と改めさせたうえに、「人数は定まっていない」と注記させました。このような検定の実態から、執筆者や教科書編集者が争点となる数字の記述を回避する傾向が懸念されます。2014年度に『学習指導要領 解説』が改訂され、社会科ではすべての教科書の領土問題の記述が日本政府の見解にもとづいて詳述されるようになりました。このような教科書検定の実態に対して教科書連絡会では7月に高校歴史教科書の学習会を行い、歴史認識のゆがみを正す視点について議論しました。現在、2016年度小学校道徳教科書の検定が行われており、来年3月に公表予定です。戦後初めて作成される道徳教科書の内容を注視していく必要があります。

 教科書採択をめぐっては、東京都教育委員会で始まった実教出版『高校日本史A』に対する採択妨害問題に改善の兆しが見られました。実教版が「一部の自治体で公務員への強制の動き」という記述を今年は「教育現場に日の丸掲揚、君が代斉唱を義務づけることに反対する運動」と変更したことに伴い、都教委は実教版を「他の教科書と同じ扱いと」したのです。しかし、神奈川県教委や大阪府教委では実教版を採択した高校への圧力や指導計画の報告などの不当な採択妨害が未だに残っており、教委による採択介入を許さない運動が必要です。

 昨年来、一部の教科書会社が学校関係者に白表紙本を閲覧させたり、謝礼を渡していたりした問題が取り上げられ、今年に入ってから文科省は教科書会社に調査を命じ、公正取引委員会も警告を出すに至っています。明治期、「教科書疑獄事件」を口実に国定教科書制度が導入されたことを想起するなら、文科省がこの事態を採択の統制強化、ひいては教科書の内容、つまり検定の強化に利用すると見ておく必要性があります。この事態に対して、秘密裏の検定や教育委員の恣意による採択よりもむしろ、執筆者、編集・営業担当者、教師、市民による教科書改善のための意見交換、交流をこそ進めていくべきであり、そのために必要な検定・採択制度の改善、教育の条理に則して政治介入や統制を排した教科書制度こそが求められています。

(2)歴史認識問題

 5月、オバマ米大統領が初めて被爆地広島を訪問しました。彼は核廃絶を目指して大統領に就任しながら核兵器を使用したことに対して謝罪することはありませんでした。それでもアメリカは核兵器先制不使用を宣言する動きを見せましたが、日本政府がそれを阻止しようとしたとされます。現に10月、国連委員会(軍縮)が核兵器禁止条約の交渉に入ることを決議した際、被爆国の日本政府はこれに反対しました。

 12月下旬、安倍首相が首相として初めてハワイ真珠湾のアリゾナ記念館を訪問します。「慰霊」のための訪問であり、謝罪はしないといいます。真珠湾という戦争の故地への歴史的な訪問は、日本にとっての第2次大戦を日米戦争とのみ描き挙げ、「歴史的和解」を遂げた日米が強固な同盟を結んでいることをアピールするものとなります。陸軍によるマレー半島上陸作戦が先に始まっていたにもかかわらず、真珠湾攻撃によって日米戦争が開戦されたとの歴史像は、日本がアジア諸国と戦争・植民地支配を行った事実を後景に押しやることになります。安倍首相は「慰霊」を口にするなら、中国の南京、シンガポールの「血債の塔」、マレーシア住民虐殺追悼碑などの戦争故地を訪れるべきでしょう。今年の安倍首相の戦没者追悼の場におけるスピーチは、4年連続で戦争の加害責任や「深い反省」に言及しませんでした。安倍内閣の戦争認識が問われます。

 「沈静化したとはいえない」(法務省報告書)ヘイトスピーチに対して、5月、ヘイトスピーチ解消法が成立しました。禁止規定を持たない理念法であるなど課題は残りますが、在日外国人に対するヘイトスピーチを「不当な差別的言動」と規定したことにより、直後に川崎市がヘイトデモのための公園使用の不許可処分を出すなど、実効性があります。一方、沖縄のヘリパッド建設に抗議する人々に対して、大阪府警の機動隊員が「土人」の語を投げかける差別行為が行われました。しかるに鶴保沖縄問題担当大臣が「土人」発言は差別とは限らない、と擁護する答弁をしています。閣僚の差別思想が問われます。

 日韓の「従軍慰安婦」問題は昨年12月末の合意により、今年、韓国側財団が発足して日本政府はこれに資金拠出を行いました。しかし、安倍内閣は未だに第1次内閣時の政府答弁書「強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」との立場に固執しており、この日韓合意は被害者の頭ごなしに曖昧な「軍の関与」を認めたものに過ぎず、事実に向き合おうとするものとなっていません。河野談話で表明された「歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ」るための施策を政府がとらないために、巷には「従軍慰安婦」が性奴隷制度であること、女性の人権問題であることを認めようとしない言説がはびこっています。「慰安婦」にされた女性がオランダ、台湾、中国などにも及んでいることからすれば、日本政府はこうした国々・地域とも問題解決を果たさなければなりません。
改憲勢力が3分の2を占めることになった参議院選挙の直後、天皇が自らの「生前退位」の意を表明したことは、改憲シナリオに影響を与えることになりました。これを改憲と結びつける議論がありますが、皇室典範改正と憲法改正は別個であり、皇室典範の改正は国会の議決で可能です。国民世論は天皇が誠実に象徴天皇としての責務を果してきたことを評価し、「生前退位」を肯定しています。これは戦争責任を「言葉の文」として向き合おうとしなかった元「大元帥」昭和天皇と違い、天皇が戦没者の慰霊を通じて戦争の歴史に向かい合ってきたことを国民も支持していると見ることができます。天皇の発信だから意味があるのではなく、戦争の歴史に向き合う健全な国民の理性がそれを意味あるものにしています。憲法は天皇の国事行為のみを規定し、天皇は政治的権能を有しません。天皇が言う「象徴的行為」は憲法規定外であり、象徴天皇の地位は「我が国の長い天皇の歴史」(ビデオメッセージ)に基づくのではなく、「主権の存する日本国民の総意に基く」(憲法第1条)ものです。天皇制を男系血統主義の伝統的価値の核としてその権威のみを政治利用することを目論む勢力は、平和を志向する国民とともに戦争責任に向かい合う人間天皇の意思を封印すべく「生前退位」問題に対処しようとしています。象徴天皇制を含む日本国憲法の条項を完全に履行するために、この問題を国民的に議論し歴史認識を正す機会とすべきです。
今年の11月3日・文化の日、日本国憲法は公布から70年を迎えました。憲法9条の内容を提案したのが幣原喜重郎首相であったことを裏付ける史料が新たに公表されるなど、「押しつけ憲法論」は既に過去のものなのです。一方で、2018年に「明治維新150年」を迎えるのを前に、「文化の日」を戦前の「明治節」の復活として「明治の日」にすることを求める動きが進んでいます。鹿児島県、山口県では「明治維新150年」を顕彰する行事が計画されており、安倍内閣も11月に関連施策推進室を設置しました。憲法、明治維新、天皇をめぐる歴史認識が問われています。


4.高校教育をめぐる状況と課題

(1)北部高校再編問題

 丹後地域の高校統廃合問題が大きな問題となっています。交通の便が悪く、高齢化と人口減が進む地域も多く、高校の再編は地域の将来にも大きな影響を与えます。それだけに教育の問題だけに矮小化することなく、これからの地域づくりと結んだ、住民全体の課題として慎重な議論が求められます。小中学校の現在の保護者の意見を聞くことは当然ですが、それをもって地域住民の意見とすることには無理があります。京丹後市議会、与謝野町議会が出している「地元住民の声を聴くこと」「住民に丁寧な説明をすること」という意見書を府教委が重く受け止めるのは当然として、京都府政全体の課題として真摯に受け止める必要があります。

 9月に実施され、4千名近い小・中学生保護者が回答したアンケートでも「本校を継続する」(32.4%)が最も多く、府教委が進めようとしている学舎制(キャンパス化)を支持する回答は16.9%しかありません。また、必要な教育内容として普通科教育を挙げた回答は84.2%です。地元の高校で安心して普通科教育を受けさせたい、そんな保護者の願いは明白です。

 人口減に伴う高校入学生の減少は避けられません。しかし、それはデメリットばかりではありません。学級定数を思い切って減らし、十分な教職員を確保して丁寧な教育を保障する絶好の機会です。文化的な環境に必ずしも恵まれているとは言えない地域には、地元の最高学府としての学習環境を手厚く保障することが必要です。

 今回、伊根・間人・弥栄の分校の統合が言われていますが、もし実施されれば遠距離通学は避けられません。交通事情や冬場のことを考えた場合、通学にはかなりの負担を強いることになります。また、少人数の中でこそ居場所を見つけ、力をつけていける生徒たちもおり、そうした学習環境が失われないか危惧されます。

 住んでいる地域によって教育を受ける機会に不平等が生じることなく、安心して暮らせる、それは基本的人権の保障の問題で理、丹後地域の高校統廃合を考える上での基本的な視点です。

(2)特色化の名のもとで

 高校の特色化の名のもとに、学校間格差・学校内格差が広がっています。困難な課題を抱える生徒たちが特定の学校に集中する傾向が顕著になったり、定員割れによる存続が危ぶまれる学校も出てきました。また、普通科の類型制度はなくなったものの、点数によるクラス分け、大学進学に特化した専門学科の設置、中高一貫制度の導入と相変わらず点数と競争による「振り分け」は止まりません。人格の完成という教育の目的にそぐわない、大学進学を意識した教育課程が編成されている例もあります。こうした中で生徒たちの間に強い劣等感や無気力感、また、優越感や競争による精神的な不安を抱えるなど深刻な問題が深く進行しています。中途退学していく生徒も少なくありません。今、改めて学校と名何か、教育とは何かが問われています。

 高等学校基礎学力テストという名の「高校版学力テスト」が2019年度から施行される予定です。基礎学力調査という反面、各学校が学習指導要領を守って教えているかをチェックする意味合いもあるという指摘もされています。また、多額の費用をかけてまで行うだけの効果があるのか疑問も残ります。

 定時制の統廃合が進んでいます。丹後地域の例はすでに書きました。京都市内では府立朱雀、桃山、鳥羽の3校になり、市立では西京と伏見だけになり、西京も廃止の予定です。朱人数でじっくり学び、高校を卒業していく貴重な機械の門を閉ざすことなく、これからも保障していくことは極めて大切です。

(3)高校での主権者教育

 今年は18歳選挙権に基づく国政選挙がおこなわれました。こうしたこともあり、高校での主権者教育が注目を集めました。しかし、自民党や文科省は「政治的中立」をことさら強調したために、学校現場は委縮し、現実の政治問題や政党について触れる授業は多くなく、選挙制度の仕組みや投票を促すような授業に流れました。また、副読本を配布し説明するだけといった例もありました。生徒からは個別の政党のことや政策が分からないという声も出されました。

 日々の暮らしの中にある具体的な問題を積極的に取り上げ、それと結んだ主権者教育が求められます。また、立憲主義や憲法そのものを深く学ぶ学習を一層重視する必要があります。「政治的中立」についてはこれを守らなければならないのは、強大な権力を持っている政府や政権与党です。教員にとって大切なのは、自分の実践が生徒の方を向き、学問的真理に基づいているかどうかであって、管理職や同僚からどう見られているかではありません。

(4)就職問題

 就職内定率が上がり、求人数も増加していると報道されています。しかし、地域や職種の偏りがあり、非正規の場合があるのも事実です。また、せっかく就職しても短期間で離職する例も少なくなく、就職後の働き方がどうなっているのか、追跡調査を含めた実態把握が必要です。自衛隊による強引な勧誘がないかどうかも注視する必要があります。

 2020年から現在の大学入試センター試験に代わって「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」が導入されます。テストの実施が高校生や現場教職員の負担増につながらないか懸念されます。


5.大学改革問題

 今日の大学改革のなかで、政府が支出する高等教育予算は削減され、競争主義が大学の教育と研究をむしばんでいます。近年の大学改革は、経済界の意向と結びつきながら「国家戦略」の名のもと、学問の自由や大学の自治と民主主義を破壊しながら行われています。また、世界一高い学費、事実上の「ローン」となっている奨学金、ブラック化するアルバイトや就職先が学生や大学院生を苦しめています。こうした情勢の基本的特徴は、すでに『ひろば』186号(2016年5月)の特集記事で明らかにされているところです。

 それでは、実際に2016年の情勢はどのように動いているのでしょうか。第一が、5月に国立大学法人法が改悪されて「指定国立大学」制度が書き込まれたことです。この制度は、世界最高水準の教育・研究活動を行う大学を指定し、外国から高い報酬で役員や研究者を迎えることを可能とし、いっそうの産学連携や経営力強化を行おうとするものです。構想はすでに13年の「国立大学改革プラン」や昨年の「日本再興戦略・改訂版」で示されており、さらに「卓越大学院」構想も提起されています。こうした一連の改革は、政府の選んだトップ大学に資金と人材を集めて、多くの地方国立大学や私立大学を切り捨てようとする極めて危険なもので、学問の自由と教育の権利を侵害する差別的なものに他なりません。

 第二が、防衛省による大学・研究機関への軍事研究費(安全保障技術研究推進制度)がさらなる拡大を遂げていることです。2015年度に3億円(9件採択)で始まり、今年度は6億円(新たに10件採択)となっていましたが、5月に自民党国防部会が予算を100億円規模に増やすことを提言し、来年度概算要求では110億円が計上されています。防衛省・大学や研究機関・大企業(軍需企業だけとは限らない)の連携=軍産学複合体がつくられる危険性が差し迫ったものとなっています。その一方で、大学関係者の「軍学共同」反対の運動も粘り強く行われており、推進制度に採択された北海道大学・東京電機大学・大阪市立大学などでは大学内部からの声が挙がっているほか、新潟大学・関西大学などで軍事研究を拒む決定が行われています。

 第三が、給付制奨学金の創設に向けた具体的な動きが始まったことです。首相は3月の今年度予算成立後の記者会見で給付制奨学金の創設する考えを表明し、7月に行われた参議院選挙ではすべての主要政党がこの公約を掲げました。しかし、文部科学省が設置した検討チームの中間報告は、2018年度の導入を示しつつ、厳しい所得制限、国公私立への傾斜配分、給付方法の不透明さや大学院生の排除などの問題点を抱えています。これらの問題点の改善を要求するとともに、全員一律・無条件給付・大幅増額といった基本理念を踏まえた原則的な運動が今後求められています。加えて、給付制奨学金の導入と引き換えに学費値上げが行われることも警戒しなければなりません。実際に、昨年10月に財務省が国立大学法人への運営費交付金を私立大学なみにまで削減する構想を発表しており、私立大学の学費は消費税増税が行われた14年以降、再び上昇傾向を見せつつあります。あくまでも、「国際人権規約」社会権規約13条の示す学費の漸進的無償化と奨学金の充実の実現をめざすことが大切です。

 こうした情勢の特徴を理解するうえで重要なのは、新自由主義的な大学改革、政治の大国主義化と社会の軍事化、さらには右翼的なマスメディアの動きを一体のものとして把握することです。たとえ人文・社会科学系の学問であっても、この大きな社会の動きに絡め取られる危険性を持っているのであって、研究者・大学関係者の社会的責任はより深く捉えられなくてはなりません。こうした点から、日本科学者会議が若手研究者総合学術研究集会を11月に開いたことや、八大学工学系連合会が基礎研究の推進のための基盤的研究資金の確保や若手研究者の支援を5月に提言したことは注目すべきことです。

 大学と学問は広く市民によって支えられているのであり、教育を受ける権利と学問の自由は、限られた人のものではなく、本質的にすべての市民のものです。ここに、現在の大学関係者の運動が市民運動として立ち現れる必然性が示されています。京都では「生きやすい京都をつくる全世代行動」(LDA-KYOTO)が活動を進めており、11月に入って、首都圏では安保法制に反対する運動のつながりから、新たに「本物の奨学金のための学生緊急アクション」(Rights to Study)が生まれたほか、奨学金問題対策全国会議と労働者福祉中央協議会が奨学金拡充を求める市民集会を開き、民進党・公明党・共産党・社民党・自由党の代表が参加しました。韓国では奨学金運動が市民運動として広がることで、高負担の流れが本格的に変化しており、さらなる政治変革を求める運動へと発展を見せています。同じように、安保法制反対の市民運動や野党共闘における大学関係者の果たした役割や、平和のための科学者組織である日本パグウォッシュ会議の改組の動き(今年11月)などには、これからの市民社会と大学・学問との関係の取り結び方を模索する重要な動きを見出すことができるのではないでしょうか。


6.教職員をめぐる状況と課題

(1)麻痺する教職員の人権感覚

 「今の日本、戦争もありかと思う」…最近の学校現場の状況を見て、ある人はこう言いました。何が起こっても不思議ではないことをこのように表現したのです。新自由主義的「教育改革」による教育支配、その中でおこる管理と統制の教育、奪われる教育の自由と学校職場の自由が教職員の人間らしい感覚を奪っているのです。

 高校現場を例にとってみると、校門指導、頭髪検査、ソックス規定など、生徒をがんじがらめにする生徒指導が横行し、そのことに疑問を呈することさえ憚られます。生徒を一人の人間としてみるのではなく、管理の対象としてとらえ、常に生徒指導の観点からしか見られず、ちょっとした「はみ出し」にも「不寛容」が貫かれます。それは生徒へのひどい声かけにも表れます。

 それは教職員どうしの中にも見られます。講師不足で代替の先生が来ないので、素直に同僚の妊娠を喜べない現状があると聞きます。教育条件の悪化が深刻です。

 学校現場の教職員が立ち止まって考える余地もなく突っ走っている、そうした日々の中で確実に教職員の人権感覚が麻痺しているのではないでしょうか。

(2)劣悪さを増す教職員の労働実態

 2014年に全教青年部が行った「働くものの権利に関わる実態調査」には、「今のままでは教員の自己犠牲の上に成り立っているので、若い人が夢を持って働くのは難しい」「とにかく忙しい。『休みを取れ』と言われるが、取る暇さえない」「土日のどちらかは休みがほしい。疲れたまま次の週が始まるので平日に体調を崩してしまう」「授業づくりや学級経営に時間がとれない。今の働く方が10年後もできるとは思わない」など、悲鳴のような声が寄せられました。

 同様の声は、2015年に全労連女性部が行った「女性労働者の健康・労働実態及び雇用における男女平等調査」や「妊娠・出産・育児に関する調査」などにもあらわれています。

 学校現場の多忙化、教職員の長時間過密労働は確実に教職員、とりわけ次代の教育を担う青年教職員の健康を奪い、体と心を蝕んでいます。背景には「学テ体制」と学力向上策の押しつけ、土曜活用事業(土曜授業・土曜補習)、部活動の過重な負担など、上からの押しつけられる「教育改革」があり、「やらされる教育」が教職員の意欲を奪っているのです。

 2015年12月に自ら24歳の命を絶った電通の橋まつりさんの過労自殺が労災と認定され、時間外労働を過小に申告させていた電通の責任が社会的に指弾されています。今日の学校現場では、いつ第二・第三の橋まつりさんが出てもおかしくない状況があります。

(3)自由にものが言えない教職員

 18歳選挙権の開始とそれにともなって高校生向けに始まった「政治的教養をはぐくむ教育」の展開の中、教職員は自由にものが言えず、萎縮する姿があります。

 自民党はホームページで6月25日から「学校教育における政治的中立についての実態調査」を実施しました。「子どもたちを戦場に送るな」などを「政治的中立を逸脱するような不適切な事例」として、実態調査と称して国民に密告を求めるたのです。18歳選挙権実施以前から、山口県立高校での主権者教育への攻撃、北海道高教組のクリアファイル配布、宮城県立高校での社会研究部アンケート問題など、授業や組合活動、自主活動への不当な圧力がありました。最近では「密告」によると思われる授業への圧力(北海道・高校)など、学校現場を萎縮させ、正当な政治教育を歪める動きが広がっています。

(4)行政も動かざるを得ない状況

 国際的にも異常さが際立つ日本の教職員の長時間労働が教育活動にも重大な支障が出ているとの認識が広がり、文科省も6月17日に「学校現場における業務の適正化に向けて(通知)」を出してようやく重い腰をあげつつあります。とりわけ部活動の業務改善が喫緊の課題になっており、「部活動における休養日の設定」「勤務時間管理の適正化」などを謳っています。

 これに先立って、京都市教育委員会は小学校部活動についてのガイドラインを策定し、中学校についても策定する予定です。部活動の過熱が教職員の勤務だけでなく、子どもたちの発達段階にも重大な影響をもたらすと指摘し、「部活動は土日も含め週3日まで」「常態化した休日の部活動は行わない」「1日の活動時間は1時間半程度」などのガイドラインを設定しています。

 京都府教育委員会が「学校の組織力向上プラン」を策定しましたが、特別支援教育と並んで部活動についての教職員の負担軽減を大きな柱としています。また大阪府教育委員会が週1日の部活動休止日を設けるよう通知したことなど、教職員の働き方の改善が重要な課題になっています。

(5)教育と教職員の困難に立ち向かう

 このように非常にきびしい状況の中で、私たちは教育と教職員の困難に立ち向かっています。

 第1は、戦争法反対の運動に見られたような、戦争を許さず、平和憲法を守っていかす地域でのたたかい、共同のとりくみの広がりです。京都から少なくない青年教職員が自発的に国会前にかけつけ、声をあげました。多くの教職員が憲法の大切さに気づき行動をはじめています。

 第2は、それをバックアップする教職員組合のとりくみです。「クミアイ」は教職員が人間らしさを取り戻す場です。

 第3は、教職員組合のとりくみに支えられた職場、学校現場のたたかいです。

 第4は、教育研究活動の重要性です。教職員、とくに青年教職員の成長にとって、憲法にもとづく民主教育の理論と実践を学ぶことはきわめて重要です。教研集会等のとりくみとともに、京都教育センターの果たす役割は大変大きいといえます。

7.震災・原発問題

(1)事故処理の遅れ、「安い原発」の虚構と核燃料サイクルの破たん

 福島原発事故は、6年近く経った今も汚染水対策や廃炉作業も見通しがつかず、廃炉や除染、賠償の費用は当初試算11兆円を大幅に超え21.5兆円に膨れ上がりました。電気料金値上げと税金で賄おうとしています。「原発の電気は安い」は完全な虚構であり、2013年9月〜15年8月のように電力も稼働原発ゼロでいけることは明白です。「もんじゅ」の廃炉と未完の再処理工場で「核燃料サイクル」の破たんは決定的で、このまま原発を稼働すれば数年で使用済み核燃料貯蔵プールは満杯になり、核のゴミで完全に行き詰ります。

(2)原発再稼働への暴走は、国民への犠牲押し付けと危機の増大に

 原発再稼働の暴走は、原発政策の破たんをさらに深刻にし、事故の危険性と国民への矛盾のしわ寄せを一層強めます。福島の棄民政策を許せば政府スタンダードとして全国に適用されます。

@ 被害は継続中であり、棄民政策をやめさせよう

 福島では、小児甲状腺がんが多発し、震災関連死は直接死をはるかに超え10月5日時点で2081人になりました。政府は被害を見かけ上終結させようと、2017年3月に賠償や補助を打ち切り、年間20mSvという放射線管理区域の4倍近い線量下での生活を子どもにまで強いる帰還政策を進めています。県外への避難者へは、行政に住宅提供等の支援を続けさせる必要があります。

A 大地震の危険が迫る中、原発再稼働を許さず、住民・子どもをまもる避難計画を

 原子力規制委員会の新規制基準の実態は、EUの基準に及ばない過酷事故対策、基準地震動の過小評価、重要施設の耐震強化なし、熊本のような連続地震の想定なし等々問題だらけです。地震空白が続く若狭と京都では地震活動期の今、いつ大地震が起きてもおかしくありません。8月末の広域避難訓練は、行政側の極めて形式的な手順確認に矮小化されました。特に、初動の24時間の訓練(情報伝達や避難中継所設置等)を全て欠落させたこととヨウ素剤服用基準を国が決めていなかったことは重大で、規制基準に避難計画の実効性を含めないことが問題を深刻にしています。しかし、規制委員会は超老朽原発の高浜1・2号機、美浜3号機の20年運転延長を認めました。

 再稼働を許さないことが安全への最大の道であり、同時に、避難計画の実効性を少しでも高めることと、全住民へのヨウ素剤事前配布が必要です。とりわけ保育園や学校で30q以遠を含め、ヨウ素剤備蓄の指定場所にし、子どもの迅速な服用を可能にするよう自治体に要求することが必要です。

(3)偏った原発受忍教育ではなく、子ども自身が主権者として未来を展望できる教育を

@「出前授業」や「教職員セミナー」の形で強まる原発受忍教育

 鹿児島・新潟2つの原発立地県の知事選挙で、原発再稼働が最大争点となり、野党と市民の力で勝利しましたが、強まる再稼働反対の世論を覆すために、教育への介入が強まっています。

 文科省は放射線に関する出前事業と教職員セミナーの委託事業を2014年度から始め、「エネルギー環境理科教育推進研究所」(エネ理研)にやらせています。9月末の堺市M小学校での出前授業で極めて非科学的で偏向した内容が明らかになり、堺市教育委員会はその後の今年度の出前授業を中止しました。熊本での出前授業では「原子力発電の必要性についても考えさせる」と明言しています。これは委託事業の公募要領に「原子力の推進又は反対に係る特定の立場によらず、中立公正に本事業を実施」とあることに反しています。しかし、エネ理研は放射線について「子どもたちの安全・安心を確保するため」を目的として委託され、内容は文科省発行の「放射線副読本」に忠実であり、その本音が原発受忍教育にあることを受けて期待通りにやったものです。

 「エネ理研」(2014年1月設立)は委託事業を独占し、全国で教職員セミナーや出前授業を展開し【表】、京都府では昨年度出前授業7回、教職員セミナーを3回実施しています。昨年度報告書には、教職員がセミナー受講後「放射線は有用・必要」という考えが激増したと記しています。

 同様の出前授業や教職員セミナーは、日本原子力産業協会の今年8月調査では全国で45あり、電力会社や関連団体主催も多く、今年は10月にも原子力についての不安解消を掲げた「原子力文化財団」からの案内が府教委から府立高校に送られ、攻勢が強まっています。教員免許状更新講座に認可されたセミナーもあり、強制力を利用して教員を絡めとろうとする「中立公正」に反した講座の認可を許さないことも重要です。

A あるべき原発・放射線教育とは? 教職員自らが学び、つくりあげよう

 福島原発事故と被害を教訓にした放射線教育は、被害を二度と出さないためであって、被害とその根源・放射性物質の危険性をしっかり教えることは大前提です。また、放射線に限定せず、放射性物質を大量に生み出す原発と事故の異質性と危険性を扱うことが不可欠です。自然放射線や放射線利用に限定して「安全・安心」に導くのは学ぶ権利を愚弄した偏向教育であり、危険性を教えないのは人権侵害です。まやかしの放射線教育は避難してきた子どもへの差別やいじめも助長します。原発・放射能の学習には、原発の是非、地球環境や社会のあり方を含めて、未来の主権者である子ども自身が考え、判断できるための内容が不可欠です。

 これまで原発・放射能問題で教職員の学習はあまりすすんでいません。その結果、エネ理研などの介入を広げています。教職員自らが積極的に学び、原発・放射線について子どもたちに正しく伝えることが急務です。そのために、テキスト『原発・放射線をどう教えるか』(京都教育センター編集)や『原発再稼働?どうする放射性廃棄物―新規制基準の検証―』(京都自治体問題研究所発行)や教育センターが紹介できる学習会講師を積極的に活用しましょう。

8.障害児教育

(1)相模原事件に見る思想と、スキル偏重の教育

 7月に起こった、相模原市の障害者施設での殺傷事件は、障害者への差別意識・極端な優生思想にもとづくヘイトクライム(憎悪犯罪)に他なりません。「人間の生存を保障するために社会がある」という認識が薄まり、逆に「社会を存立せしめるために人間の生存が許されている」という考え(自民党憲法草案の思想に酷似)が広がっていることが、事件の背景にあります。「労働能力という経済的価値で、人が序列化される格差社会。その中で人は孤立と不安を、他者への敵意にすり替えてしまう」と福島智氏(東京大学)は、事件に関して指摘しています。

 「労働能力」を最優先する価値観は、障害児教育にも持ち込まれており、企業就労を目標とする実習・作業学習偏重の教育課程が、特別支援学校の高等部などで押し付けられています。人とつながる力を広げより豊かに生きるための人格の発達より、測定可能なスキルで子どもを評価する傾向も強まっています。

(2)支援学校・特別支援学級の現状

 この10年間で、全国の特別支援学校で学ぶ子どもは1.3倍に、小中学校の特別支援学級で学ぶ子どもは1.8倍に、通級による指導を受ける子どもは2倍に増えました。京都市内の小中学校の、発達障害の子ども対象の通級指導教室は、10年前の9校から、今年度は73校に設置されるにいたっています。

 これは、通常学級に在籍する、発達障害などの「困り」を持った子どもが急増していることを示しています。しかし、どの学級にも発達障害(またはそれが疑われる)子どもが数人在籍する実態に見合った条件整備には、まだ程遠い現状です。

 さらに通常学級で不適応の状態に追い込まれ、特別支援学級に入級する子どもが多く見られます。国連障害者権利条約では「インクルーシブ教育」(どの子も排除しない教育)が謳われているにもかかわらず、通常学級で不適応状態になった子どもが結果的に特別支援学級に入級する、という例が少なくありません。その背景には、全国学力テストをはじめとする「極端に競争的な環境」(国連子どもの権利委員会勧告2010.6など)に子どもたちが置かれていること、「規範意識」「ゼロトレランス」などの管理的指導の下で息苦しさを募らせ居場所を失う子どもが数多く存在していることなどが指摘されています。

 また、特別支援学級では、在籍する子どもが激増して、1校で20人〜30人の子どもがいる過密・過大学級も珍しくなくなってきています。くわえて、在籍する子どもの障害種別や発達段階が多様化し、指導の困難な学級が急増しています。

 一方、南山城支援学校(精華町)の過大化に対応して、井手町に2020年開校をめざして支援学校の新設が決定されたことは、大きな前進です。国の特別支援学級の設置基準は子ども8名まで1学級のままですが、府内では一昨年から、厳しい実態のある学校については8名以下でも学級の増設が認められています。

(3)高等学校での特別支援教育の課題

 昨年、本基調報告では文科省が2009年より「高等学校における特別支援教育の推進について」のワーキンググループが活動をはじめ、2015年には調査研究協力者会議が発足したことなどが報告されました。また、京都では中学校特別支援学級卒業生のうち、20〜50%が特別支援学校の高等部ではなく、高校(主に専門学科や定時制)に進学しているという実態も報告されました。

 その中で文科省は2016年3月に「高等学校における通級による指導の制度化及び充実方策について」という報告を出し、2018年4月から高等学校で通級指導教室を開設する方針を固めました。ここでは高校でも「通級による指導」を制度化し、中身は「特別支援学校の自立活動」に相当するものとし、担当者を加配定数として求めていくことなどを提言しています。これに先立ち、「高等学校における個々の能力・才能を伸ばす特別支援教育事業」として全国17地域19校で3年間の研究指定を行い、京都でも田辺高校で研究がおこなわれています。

 残念ながら具体的な制度導入のみが急ピッチで進められようとしており、研究指定校の状況も多くが放課後の取出し指導で進める形態を取るなどしています。しかしながら、それらは、生活上の就学困難を抱える生徒の増大、教師の目の行き届かない学級定数、部活や進路指導で余裕のない教員の多忙化など、現状の高校教育の矛盾を解決することなく、形だけの「教室」に終わる危険性をはらんでいます。高等学校における特別支援教育を根付かせていくには、特別な教育的ニーズのある生徒を全校的に受け止める校内体制の充実や、いわゆる「適格者主義」にとらわれることなく障害を捉え、豊かな人格の完成を主眼にしたカリキュラムづくりなど、多くの課題が残っているといえます。

 現実に思い悩んでいる高校生を支援するための一歩が踏み出されたことは大きなことですが、在学時の支援だけでなく、進路保障の観点からの福祉分野との協力など、実際に高校現場で模索されている実践に学びながら、今までの障害児教育で大切にされてきた生徒の全面発達を保障する視点で、高校における特別支援教育を検討していく必要があります。

 また、特別なニーズを必要とする生徒たちが排除されない真にインクルーシブな学校がすべての高校生に望まれています。青年期の高校生たちの願いに応え、一人ひとりの成長や発達を実現するためにも、2018年の通級指導導入を見据え、小中学校、高校、特別支援学校の豊かな実践に学びながら、学校づくり、教育課程づくりについて模索していくことが求められています。

(4)「与謝の海の理想」を未来にひきつぐ
「子どもを学校に合わせるのでなく、子どもに合った学校をつくろう」、これは創立当初の与謝の海養護学校の理想の1つです。適応主義でなく、一人ひとりの子どもに内在する発達の力に依拠して、これをひき出す教育のあり方を、若い教職員にひきついでいくことが、いま緊急に求められています。

9.学校統廃合と小中一貫教育

(1)「財政効率」を掲げての学校再編の動向

 総務省が主導する「公共施設総合管理計画」(2014)による公共施設床面積の縮小と、財務省による教育予算削減による教職員削減が進められるもとで学校統廃合が全国的に広がっています。そして、この教育破壊攻撃と結びついた安倍内閣の「教育再生プラン」による規制緩和路線と新自由主義教育観による小中一貫教育がこの10余年間にわたり押しつけられている実態があります。また、文科省もこうした動向に追随して「公立小中学校の適正規模・適正配置等に関する手引き」(2015/1)により58年ぶりに通学距離や通学時間を見直し、学年単学級学校の統廃合を促す一方で、「義務教育学校の法制化」(2015/6)により小学校の早い段階からの中学校方式の教育を可能とし、今年全国で22校が開校しました。京都でも来年度からの開校が予定されています。

 学校統廃合は、今日の学校教育を支配する「格差と競争の教育」を推進する理念から、小規模の学級や学校では「切磋琢磨」の機会がなく競争心が薄らぐとする歪んだ教育観にもとづくものです。小規模校での豊かな教育実践に蓋をして、その地域に根づく学校の灯を消してしまい教育と地域破壊をすすめる策動です。そしてこの学校つぶしの「ムチ」を緩和する「アメ」としての施策が小中一貫校の構想です。小中一貫教育のもとに行われる「4−3−2制」や「5−4制」の教育制度は戦後の日本で定着する「6−3−3−4制」の単線型制度をなし崩し的に改変するもので、中高一貫教育や大学の再編等ともリンクしてエリートコースと非エリートコースの複線化を狙う選別教育路線として機会均等教育の原則を根底から崩すものです。また、過疎地でも小中を一貫校や義務教育学校にして財政効率を優先した安易な学校リストラが増えてきています。

(2)学校の灯が消える中で「再生」される小中一貫校

 こうした動きは小泉内閣から始まった「規制緩和路線」を「教育再生路線」に結合させた第一次安倍内閣以降の10余年で、中教審などでのまともな教育論議を経ないままに急速にすすめられました。全国では北海道や東京をはじめとして毎年400〜600校の小中高校が廃校になり、文科省資料によっても2002年度から2013年度の12年間で5801校が消えています。併行して2000年度に開校した広島県「呉中央学園」から始まった小中一貫校は2014年度(中教審調べ)には1130校に広がっています。施設分離型が8割を占めるものの施設一体型は九州、大阪、京都等で際立っています。

(3)京都市内や口丹以北で広がる学校つぶし

 京都での特徴は、コミュニティスクール等で「教育先進都市」を自負する京都市の動きが突出しています。この20数年間で歴史ある番組小学校を壊滅させ、市街地を中心に68校を17校に減らす統合を強行しました。そして、その学校跡地を「経営資源」として民間資本に活用させる市民財産の悪質な転用を、これも全国の先進モデルとして強行しつつあります。京都市では統廃合と引き換えに小中一貫校や連携校を設立させる要望をPTAや地域組織代表から出させ、末端の会員や住民を置き去りにした「仕組まれた住民合意」の手法で強行しているのも他では見られない歪んだトップダウン方式と言えます。小中一貫校は施設一体(隣接)型として花脊小中学校(2007)、大原学園(2009)、開睛館小中学校(2011)、凌風学園(2012)を、施設分離型として東山泉小中学校(2014)を相次いで設立し、今後も向島地域、京北地域等でも計画しています。

 府内でも宇治黄檗学園(2012)、福知山夜久野学園(2013)、亀岡川東学園(2015)、綾部上林小中学校(2015)が既に開校され、今後、綾部の東綾地区や福知山の三和、大江地区など過疎地域での設立が見込まれ、小中一貫校が掲げる「中1ギャップ解消」などの課題は検証されないままに先行されようとしています。

 学校統廃合は府内でも北部を中心にこの数年、急速に進められました。京丹後市ではこの5年間で小学校31校が19校に、中学校9校が6校になりほぼ半減し、南丹市でも2015年度から17小学校が7校に統合されました。福知山市ではこの5年間で5小、1中が統廃合されましたが、住民運動で小規模学校を存続させる粘り強いとり組みで歯止めをかけています。また、合併に組みせず小規模で輝く自治体を志向する伊根町では2009年、住民投票で小学校の統合を中止させています。そして今、昨年の「文科省手引き」を地でいく学校再編が目論まれているのが亀岡市です。「適正規模」の名のもとに、大規模校での通学区域の変更や小中一貫校に照準した小学校区の再編、小規模校での統廃合を視野に入れた特認制度活用、保育所の統合など、何もかも一気に強行しようとする「欲張り」な計画が出され、住民や教育関係者から「拙速、反対」の声が起こっています。

 一貫校でないところでも小中学校の合同行事等の実践交流や新学習指導要領を見すえた小中連携の一貫教育が宇治市、八幡市、舞鶴市、綾部市、宇治田原町などで実践されていますが、乙訓や山城地域の多くでは検討する計画もありません。

4)「まちづくり」を軸にした学校つぶしに抗する運動を

 こうした学校つぶしと学校再編の強行を許さない運動の視点として重要なことは次の点にあります。第一に、この問題の背景にある「格差と競争の教育」を是とする今日の教育政策を批判的に学習し、「社会に有用な人材養成」よりも「すべての子どもの人間らしい発達保障」を掲げる教育を推進することです。第二に何処で決められるのかという民主的手続きの問題があり、学校現場での教育論議や納得のいく「住民合意」が必要です。そのために、議会や委員会の傍聴などを通して住民に経緯と事実を知らせる情報公開が重要になります。第三に、小規模教育の成果に確信を持つとともに、既に統合された地域での検証から学ぶこと。そして教育の問題にとどまらない「まちづくり」の観点での議論が運動を広げるカギになると言えるでしょう。

 
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              2017年3月発行
京都教育センター