事務局  2015年度年報目次 


第8分科会

「真実のことばを子どもたちに」
ウソとごまかしのことばが飛び交う戦後70年、
それに対して、若者たちが自分のことばで理想と希望を語りだした。
今こそ子どもたちに真実のことばを

   相模 光弘(教科教育 国語部会事務局)

 

Ⅰ. はじめに

 今年度の京都教育センター教育研究集会の「教科教育国語部会」分科会は、標記のテーマで開催した。以下、報告された内容の概略を報告する。


Ⅱ. 基調報告

「今こそ、真実のことばを子どもたちに」  相模光弘(教科教育 国語部会事務局)

 「真実のことば」とは何か…。「真実」とは、自分の実感だと思う。教材文を自分はどう読んだか、何を思ったか。自分で感じ、考えたことを自分の言葉で発する。言葉を自分で受けとめ、そこから自分で考える。「ことば」によって考え、相手にも伝えたいことを伝える。そこにどれだけの実感が伴っているかは、そのことばの背景にある「事実」と強く関係している。豊かな体験や実際の事象に触れた事実が、言葉に実感を含ませるのだと思う。そういう実感を伴ったことばの力を、子どもたちに育てたい。

 実感を伴った「自分の言葉」を持つためには、ゆっくり考えることも必要だ。ゆっくり考えることで、言葉の意味を深め、イメージを広げ、言葉と言葉を繋げていくのではないか。短時間であらすじを確かめ要約するだけでは、文章の表層を撫でているだけにすぎない。文章をていねいにしっかり読み込んだ上での要約でなければ、意味がないと思うのだが…。

 また、相手の考えや思いも「ことば」によって受けとめたい。自分一人で学習するのではなく、他の子どもの読みや思いが聞ける。他人の考えや思いを聞き合って、自分のものと重ね合わせながら、さらに考える。相手の「ことば」を聞くことによって、「ことばの力」はさらに広がり深まっていくのだと期待する。そういう学び合いが成立する前提として、個々の「聞く姿勢・力」をつけていくことも重要だ。聞く姿勢や聞く力には個人差があるが、授業での「話し聞き合う」活動を通して、一人一人に力をつけていくことが大切だ。

 指導者は、一人一人の読みや思いをどう引き出していくか、その子が出した読みや思いをどう受けとめ理解するかについて、苦心しなくてはいけない。子どもの読みや感想は、一人一人違う。その一人一人の違い(その子らしさ)を認識する必要があると思う。そして、そういう個々の読みや感想が子どもから出てきたときに、「ああ、○○はそう読んだか、感じたか…」と、それを楽しめることが大切だと思う。


Ⅲ. 報告(1)

 「小学校・中学年の作文教育『Rを語る』~書きたいことを書かせてきて~ 」 S(府内小学校)

 Rを2・3年生と担任している。Rは、落ち着きがなく、授業中、ちゃんと座っていられず、よく立ち歩く。4月当初から行動を注意しても、聞き流している風で、なかなか自分で受けとめ改善しようとはできない。友だちにも嫌がられることをたびたびする。だが…、日常の横柄・奔放な行動とは裏腹に、授業中の発言の仕方や作文の書きぶりからは、本当は自分に自信がないのかな…と思ってしまう。この2年間、Rとどのように付き合ってきたか。「下校中、お姉ちゃんに出会った話」「家庭訪問の様子」「体育大会後のハチマキの洗濯」…、Rにまつわるエピソードをことある時に、みんなの前で紹介した。作文や詩を書く前には、「題材」指導の実例にRを取り上げた。そういう関わりの中で、Rがどのように変化してきたか…


Ⅳ. 報告(2)

 「小学校・低学年の文学教育「かさこじぞう」~子どもの感想文をどう読むか~」 H(府内小学校)

 授業の中で作品のことば・文に即して、登場人物の様子や気持ちを思い浮かべる。友だちの発言を聞いて、さらに読みを深める。そして、各場面の学習を終えた後に書く「まとめ・感想」。そこに、その子の学習の足跡が素直に自由に残ることが大切なのでしょう。 第4場面(K):つぎはぎの手ぬぐいもじぞうさまにあげたから、じいさまはすごく体がひえていたんじゃないかな。でも、ばあさまがほめてくれて、いろりの火にあたって、あったまったんじゃないかな。じいさまは、もちつきができないからちょっとさみしくなって、そのさみしさをいやすために、もちつきのまねごとをしたのかな。ばあさまもちょっとはずかしいけど、じいさまにしか見られていないから、あいどりのまねをしたのかな。つけなとおゆだけたべて、ねたら、夜中は二人のおなかがいびきのかわりに、グ~グ~ってなるのかな。


Ⅴ. 報告(3)

「高校/文学・論説文の教育 「少年飛行兵」「ナガサキの郵便配達」「私はヒロシマ、ナガサキに原爆を投下した」の授業 ~日本・イギリス・アメリカの文章から考える~」 K(市内私立高校)

 高校2年生では、「原発」について扱った教材を学習してきた。高校3年生で、加害の側からの「戦争」を教材として読んだ。教材は指導者自らが発掘し、学習計画を組み立てた。生徒は北原白秋の詩「少年飛行兵」を読んで、日本兵が中国の都市を爆撃し地上の人々を殺戮しているのに、詩の調子が「ポップ」なことに違和感を覚えている。イギリス人作家が長崎で被爆した「谷口稜曄」を取材して書き上げた作品「ナガサキの郵便配達」、長崎に原爆を投下した当事者が55年後に当時のことを回想した手記「私はヒロシマ、ナガサキに原爆を投下した」、2つの教材は加害者側から書かれた作品である。生徒はこれらの教材をていねいに読むことによって、「戦争とは何か」を真剣に考えている様子がうかがえた。


 
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              2016年3月発行
京都教育センター