事務局  2015年度年報目次 


第4分科会

「学校・地域で平和を伝え、すべての子ども・青年の豊かな発達を」

   大平 勲(発達問題研究会)

 

 再開3年目の分科会です。参加者は例年並みの7人で多くありませんでしたが、テーマに即した幅広い報告内容を討論含めて深め合うことができました。

◇司会は北村彰(運営委員)が行いました。

Ⅰ. 基調報告(要旨) 浅井定雄(研究会代表代行)

はじめに

 「戦争法」に象徴的に示されている日本の進路に対する大きな不安が、子どもや青年の心の中に暗雲を投げかけている中で、地域での活動を紹介しながら戦後70年を振り返ります。また、学校や地域で平和を語り伝えていく意義や未来への展望を、共同で模索するための材料を提供できればと思っています。

(1) 私の過去の実践から

◎2002年当時、総合的な学習を活用した平和教育を行った。<その実践例>

単元構想「世界の平和について考えよう」(全42時間)

【第1次】 サイド・オマールさんのお基を訪れ,円光寺の住職さんから話を聞き,ヒロシマに関心を持ち,折り鶴集会を企画する。・・・・12時間

・地域の史跡を歩く(円光寺見学)(3H)  

・オマールさんについて調べる(2H)

・原爆や戦争について調べる(4H)     

・折り鶴集会の準備をする(1H)

・平和学習の発表会をする(2H)

【第2次】 原爆が投下されたヒロシマ・今の広島・宮島に目を向ける。・・・・12時間

・ヒロシマの原爆や平和公園について調べる(4H)

・修学旅行のまとめ「絵本づくり」(6H)

・絵本発表の準備をする(2H) 

・たてわり集会で絵本の発表会をする。(特活)

【第3次】 日本の戦争中の事・京都の戦争中の事・地域の戦争中の事・現代における戦争と平和の事について調べて,まとめの会を持つ。・・・・18時間

・戦争中の人々の暮らしについて調べる(4H) 

・国際平和ミュージアムを見学する(4H)

・調べたことを新聞やホームページや本にまとめる(6H)

・発表会の準備をする(2H) 

・発表交流会をする(2H)

○成果と課題

・地域の円光寺へ行き、オマールさんの話を聞いて、戦争や原爆について身近に感じることができた。

・太平洋戦争や原爆について調べ、新聞にまとめることができた。

・修学旅行に向けて、広島に落とされた原爆や、平和公園について調べることができた。

・修学旅行では、原爆ドームや原爆資料館・平和公園を回ったり、被爆者の話を聞いて、平和への願いを新たにすることができた。

・「ヒロシマ物語」の絵本を作成し、たてわり活動として下級生に「読み聞かせ」ができた。

・運動会では「命」をテーマに組体操を創作し発表することができた。

・学芸会では、「テリカマシ・オマールさん」「ムッちゃんの詩」など、劇を創作し発表できた。

・立命館大学平和ミュージアムを見学、京都の戦争や平和について理解を深めることができた。

・それを新聞などにまとめて発表ができ、一連の学習の中で、平和・人権について理解を深めた。


(2)山科における“戦争の爪痕”調査(略) 戦争時のすし詰め教室(山階校高等科)


(3)山科における“戦没者墓碑”調査(その一例)


4)教育現場への提案 (2014.8.22 O小講演)山科地域から「総合的な学習の時間」を構想

① 児童の実態を分析し、教育的課題を考える。

② 課題を実現する上で「総合的な学習の時間」の学習がどのように作用していくのかを考える。

③「総合的な学習の時間」単元の目標を設定する。

④ 地域の実態や特徴を教材化する。

⑤ 学習の構想をたてる。

⑥ 指導計画にもとづく実践

⑦ 中間的な総括や計画の修正

⑧「総合的な学習の時間」単元の成果や課題

⑨ 児童の教育的課題がどこまで実現したのか

⑩ 今後の課題や発展の方向性

*これらの事は専ら教員の仕事であり、地域のものが代わることはできないし代わってはいけない。

(5)戦争体験をいかに引き継ぐ~なぜ地域での平和学習が大切なのか~

① 教育基本法や学習指導要領から

②「次世代を担う子どもを育てる」という教育という本来の仕事から-人類の歴史・伝統・文化・科学・技術の全財産を子ども達へ-

③ 地域の歴史・伝統・文化の継承

・地域の住民の学校に対する期待と熱い思いに応える

・地域の「跡継ぎ」を育てる営み~地域の未来づくり~

④ グローバル時代におけるアイデンティティ形成の場としての地域-懐かしい思い出と結びつかなければふるさととは言えない

⑤「知れば知るほど好きになる山科」-そんな魅力をこの山科は持っている


Ⅱ. 報告(1)「平和な未来のために、戦争の事実を語り継ぐことの大切さ」 足立恭子(国際平和ミュージアム・ガイド)

◆戦争体験者として、戦争責任をどう自覚し、今をどう生きるか。
―80年を経過した自分史をふり返って―

➀ 国民学校児童だった少年・少女にも戦争責任問題は存在する。

「神がかり的」軍国主義教育の被害者であったが、成人後に子ども時代の意識・言動を自己批判、点検反省ができたか? それを今、どのように生かしているか?

② 戦後、新制中学校で学んだ「平和憲法」の強烈な印象。

食べ物にも飢えていたが、学ぶことにも飢えていた時代の体験。

1950年の朝鮮戦争で、日本が経済復興することへの矛盾。

③ 1955年~教職について。

  毎年8月6・9日の「広島・長崎」は取組んだが、平和教育全体の取り組みは不十分だった。

在日韓国の教え子へ、何もできなかった反省。

④ 1970年~家永三郎氏の「教科書裁判」に学ぶ。

   1981年以降の「平和のための京都の戦争展」の取り組みに学ぶ。

   1991年「戦争遺跡に平和を学ぶ京都の会」起ち上げ。

     自己の戦争責任問題と向き合えるようになった時期。

➄ 2003年以降、立命館大学国際平和ミュージアムのボランティアガイドとして

  15年戦争の説明と自己の戦争責任問題に向き合う日々。

   *教育の力の持つ怖さ

   *加害者であり被害者であった日本人の全体像

   *中・高校生に対する「日本軍慰安婦問題」の説明

   *「憲法」のコーナーでの自衛隊についての説明、等など。

Ⅲ. 報告(2)「緊急保護される子どもたち」  谷 進太郎(児童相談所指導員)

 荒れた中学校での生徒指導の豊かな実践経験を生かし、退職後に児童相談所の指導員(嘱託)として取り組んだ実践報告。

 非行、虐待、性虐待などで緊急入所してくる子ども・青年(5歳~18歳)を一時的に保護し、就学・就労支援に結びつくまでの間、午前中の学習、午後の体育・工作などで生活を共にする。彼らの真っ当な成長を願いつつも、夢や展望を失いがちで荒れまくる彼らへの対応は困難を極める。時には暴力や暴言を浴びせられながら、厳しい条件下での対応を余儀なくされる。

 具体的な実践例をリアルに報告されたが、配慮のいる内容なのでここでは紹介できない。

Ⅳ. 報告(3)「思春期・青年期から成人期を見通した支援を探る」 谷口藤雄(高校特別支援・進路支援教員)

1. いまの高校はどうなっているか

(1)公立高校の制度-府立高校は4つのグループ化と競争

(2)在籍生徒の実態

① 高校進学率99%の中で、どんな生徒が高校進学するか

② 中学校特別支援学級卒業生の一般高校進学率が増加している。京都では50%を越えている

③ いわゆる「ボーダー層」生徒の指導・支援の困難さ

(3)適格者主義の克服-「学習成績」と「出席時間数」、いわゆる「停学を伴う生徒指導」等

(4)高等学校学習指導要領では、「障害のある生徒」「学習に遅れのある生徒」の支援が明記

2. 具体的な支援

(1)就・修学支援-学習空白生徒、不登校生徒、非行・触法生徒、貧困家庭生徒、障害ある生徒

(2)学習支援と学校定着支援

(3)学校からの「排除」を防ぐために-中退防止と社会的損失

(4)高校卒業後の支援

  ① 進学の場合

  ② 就職の場合-就職困難者の支援

(5)支援の中で感じること

  ① 最近顕著なこと-「場面緘黙の生徒」「色覚異常の生徒」「聴覚障害の生徒」が目立つ。

  ② 成長・発達のための基礎的条件が保障されていない生徒が増えている。-「過保護」「過干渉」「やさしい虐待」も含めて。

3. 教職員のあり方

(1)教職員に求められる資質・視点-わからないのは生徒のせいではなく教師の教え方に課題が

  ア.より深い生徒理解が必要となっている-生徒の背景、家庭状況も含めて

  イ.福祉的な視点が必要

  ウ.生徒目線にたった「合理的配慮」が出来る力が求められている

(2)高校における「支援(サポート)」とは

  ①「平等」が問題となることが多いが-なんであの生徒だけ支援する必要があるのか

  ② 支援とは具体的に何をすることなのか

  ③ 自立と社会参加にむけて、高校が出来ること

4. 高校教育の展望-「希望」としての教育を実現するために

(1)民主教育の遺産を継承する-私の経験でいえば、「同和教育」の歴史から学ぶ

(2)教育は何よりも、児童生徒の未来を保障するものであるが、「いじめ」や「中途退学」、「希望外選択」などの実態がある-教育に希望を取り戻すためにはどうすればよいのか

(3)特別な教育的ニーズを持つ生徒達にとって、高校も大学も就労もその選択の幅が非常に狭い

  選択幅をどう広げるか、大きな課題-特に障害ある生徒達の進路先、就労先は限定されている

(4)義務教育と高校の接続を-「ゆりかご」から「はかば」まで切れ目のない、一貫した支援

(5)特殊教育から特別支援教育への移行

  ① 特別支援教育で何が変わったか-特別支援学校、義務制支援学級、義務制通常級、高校

  ② 新たな段階を迎える「合理的配慮」の提供-上から目線の「合理的配慮」か、同じ目線か

  ③「特色化(競争)路線」に特化された教育制度の中で、出来ること、出来ないこと

  ④ 学校からの「排除」を考える

5. まとめ-特別支援教育とは

高等学校に在籍する支援の必要な生徒とは-これまで支援してきた生徒達

  ◇今年担当している生徒達-学校への定着と進路の保障に向けて

    ・療育手帳を持っている生徒  ・高次脳機能障害  ・不登校、引きこもり

    ・精神保健福祉手帳を持っている生徒-統合失調症、ASD、ADHD

    ・身体障害者手等を持っている生徒-生体肝移植、高度難聴、心臓障害

    ・場面緘黙症の生徒  ・色覚異常の生徒  ・手帳は持っていないがボーダーの生徒

Ⅴ. 報告(4)「学校統廃合の現状と課題」  大平 勲(発達問題研究会事務局代行)

1. 歯止めがかからない戦後の学校リストラ

 戦後長く、公立小中学校の適正規模とされてきたのは、「標準学級数を『12~18学級』とし、通学距離を小学校で4キロ以内、中学校で6キロ以内」とした1956年の文部省次官通達であった。しかし、そのもとでも戦後の学校統廃合政策は三つの時期をピークとして推進されてきた。第一期は1950年代の「昭和の大合併」(自治体数が10,000から3,000へ)によるもので、「市町村建設促進法(1953年)」等のもとで、合併して統合校を建設する際は校舎建設費の国庫補助率を引き上げる(1/3を1/2に)等の優先的財政補助、地方債許可などが認められた時期である。第二期は1970年代の高度経済成長の都市への人口流出による地方の過疎化に伴うもので、「過疎地対策緊急措置法(1970年)」により、校舎建設費の国庫補助率が2/3まで引き上げられた時期である。そして現在も続く第三期は構造的な少子高齢化、「平成の市町村合併」、学校選択制度や小中一貫校導入等による時期である。文科省の調査によっても1992年から2007年の15年間で3,212小学校、858中学校、636高校が廃校になっており2003年以降は毎年400~500校の公立学校が消えている。この実態に追い打ちをかけるのが2015年1月、科省が58年ぶりに「改正」した「公立小学校・中学校の適正規模・適正配置等に関する手引き」である。その内容は、小学校「6学級」以下、中学校「3学級」以下の単学級校は統廃合を速やかに検討せよ、通学距離は据え置きながらも通学時間を「概ね1時間以内」を目安とすることとある。この背景には歪んだ新自由主義的教育観を唱える一方で少子化率に呼応した学校数や教職員数の減少が伴っていないとする安倍政権の効率優先の財政論があり、今後この新「手引き」による学校リストラが一気に加速することが懸念されている。

2.京都における学校統廃合問題

 全国的状況と同様、京都府にあっても学校リストラが強力に進められ、1992年以降の15年間に77小学校、18中学校、5高校が消えている。京都は民主府政時代の“遺産”として地域と共同する学校づくりが根づいていた経緯もあって小規模校でも残存してきたが、平成の大合併以降は京都北部をはじめとして行政が主導する統廃合が強力に進められてきている。また、京都市にあっては小中一貫校建設とリンクした都心部での学校統廃合が「全国の先進的とりくみ」と自負して遂行されてきた。以下、府内各地での学校統廃合の実態とそれに抗する運動ととりくみを紹介します。

【京丹後市】【福知山市】【伊根町】【南丹市】【京都市】の場合(略)

3. 小規模学校こそが光り輝く

 全国には小規模校でありながらも光り輝く学校は数多くあるが、その一つに京田辺市立普賢寺小学校がる。142年の歴史をもち京田辺市の西南端に位置し、市内9つの小学校では全児童数(2015年度71人)が最少の学校である。しかし、この10年近く児童数が大きく減少しないのは地域住民が学校を支えているのと小規模特認校(2007年、京田辺市教委指定)として校区外の市内児童(2015年度 33人)を受け入れていることがある。

 この学校に8年間勤務し2年前に退職した(昨年は新採指導教員)府金隆清さんは最終年度に13人の6年生を担任し、年間154号に及ぶ学級通信「輝く瞳」を発刊。その実践をまとめた教研レポートで次のように報告している。(その要旨)小さい学校『でも』光り輝くのではなく、小さい学校『こそ』光り輝くのです。まさにスモール・イズ・ビッグです。6年生は異年齢縦割りの全校集団のリーダーとして、全校朝礼や児童集会を仕切り、夏祭りや運動会、グループ遊びなどで指導的役割を果たし、13人全員の出番がいっぱいあります。彼らもそうだったように、下級生はそんな6年生の姿を見ながら学年を重ねていき、やがて『6年生らしい6年生』になっていきます。クラスの中で勉強や問題行動などで課題があっても、同じ歴史を共有してきた「小規模学校の少人数学級」だからこそ課題をオープンにし、みんなが我が事として考え合い、学び合い成長の糧にしていけます。かつて勤務してきた大規模校ではみんなを輝かせることが出来ず、教師としても悩み落ち込むことも多かった私ですが、この『小さな学校』によって「学校観」そのものが変わり、教員として息を吹き返し“有終のやりがい”を胸に教師生活を終えられて本当に幸せです。『小さな学校』ならではの“子ども・教職員・保護者・地域相互の近く、親しく、濃いつながりが醸し出す空気”に勝る教育環境はないと私は確信しています。 

 「京都教育センター年報(28号)」の内容について、当ホームページに掲載されているものはその概要を編集したものであり、必ずしも年報の全文を正確に掲載しているものではありません。文責はセンター事務局にあります。詳しい内容につきましては、「京都教育センター年報(28号)」冊子をごらんください。

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              2016年3月発行
京都教育センター