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第3分科会

「国際化時代を生きる学力とは ―国際相互理解のために、英語教育と歴史教育に何が必要か― 」

   島貫 学(学力・教育課程研究会事務局)

 

T. はじめに

 「国際化」が叫ばれて久しい。その間、教育の世界で進行してきたことは、歴史教育における伝統や文化に名をかりた偏ったナショナリズム、愛国心の鼓吹であり、英語教育(外国語教育)における教育目標の実用主義的な矮小化と早期化(低年齢化)、その結果としての日本語教育の相対的な軽視という事態である。人や物や情報が国境を越えて行き交う時代(=国際化時代)に生きる現代人。その現代人にとって必要な能力・技能(=学力)とは何なのか。平和・共生・民主主義・人権・環境保全などを目指す世界の人々との交流と協働の基礎となる相互理解(=「国際相互理解」)こそが、最も重要な教育課題だと言える。

本分科会では、この視点から、英語教育及び歴史教育の直面する問題と課題を議論した。参加者は13名。


U. 基調報告

「国際化時代を生きる学力とは」    鋒山 泰弘(追手門学院大学)

 『英語化は愚民化』(施光恒著、集英社新書、2015年)という本が話題になっている。同著では小学校から大学や企業まで、日本人が英語でコミュニケーションできることこそが、国際競争の下で日本が生き残る道とばかりの諸政策に対して警鐘が鳴らされている。私立大学でも生き残り戦略として、英語化(英語授業、留学、論文)による大企業への就職奨励が盛んである。日本語という母語で専門知識から人間関係の機微までコミュニケーションできる意義の再評価をふまえて、各教科教育が果たすべき役割について深く議論していく必要がある。

1.『英語化は愚民化』の指摘する問題点(英語化でこわされるもの)

・「言語は単なるツールではなく、人々の自己意識のあり方、道徳の見方まで影響を及ぼす」ので、人間関係形成能力という意味での道徳における「日本人らしさ」

・「ものづくり」を支える知的・文化的基盤(益川氏「母国語で専門書を読むことのできる日本の優位性」)

・良質な中間層と小さな知的格差(知的格差を作らない日本語の力。漢字の音訓による外来概念の日常語への変換)

・日本語や日本文化に対する自信(オールイングリッシュ授業は、英語・英語文化の優位性を印象づける)

・多様な人生の選択肢(日本の貿易依存度は低く、国内市場中心の経済構造。日本語の下での就業が多数)

・民主主義の前提として連帯意識(日常の言葉で政治を論じる大事さ。言語の分断が格差を生み、国民の連帯意識を壊す。福祉政策にも連帯意識が必要)

2. 小学校英語教育の方法への疑問

・約20年に及ぶ英文法から英会話へという英語教育の変化のなかで、ことばが身に付かない「引用ゲーム」が広がる。覚えた英文を再生することで精一杯の子どもたち。中学生の会話練習も暗記で、ファストフード店を舞台とした3人一組のロールプレイ(ウェイターと中学生)もコミュニケーションの楽しさを体験できるものになっていないという。

・これに対して、先進的な実践者(横瀬陽介・小泉清裕『小学校からの英語教育をどうするか』)からは、他教科の学習内容とリンクさせて英語という新たな言語を学ぶ「内容・言語統合型学習」、あるいは言語活動に現実世界のリアリティを持ち込む「課題遂行型言語教育」が提起されている。創造性のある活動の設定には意義はあるが、果たして公立校で可能な取り組みなのだろうかとの疑問が残る。

3. 外国語(英語)教育の目的と課題
・「学校英語教育の目的は、母語に対する気づきの発達を支援し、それによって、母語を効果的に運用できる力を増進させることにある」「英語の仕組みにつて説明する部分では母語を十分に活用」(大津由紀御雄)する。
・高校現場の中には、「His is~」と書く生徒がおり、その生徒が国語学習では文章の主語・述語、「てにをは」といった基礎的な概念の習得も切実な課題となっているケースがよく見られる。こうしたところでは、コミュニケーションよりも「ことば」を科学的に理解する力をつけることが、教科横断的な学習目的となっている(メタ文法能力の育成と教科の連携)。

4. 英語と社会科のつながり

 ・「天皇の布告文、人間宣言、日本国憲法、サンフランシスコ条約、日米安保条約など、占領期につくられた重要な文章は、最初は英語でかかれています」、「現在の日本の国家体制は、すべて占領期に成立したそうした形が基本になっています。まずアメリカが基本方針をきめる。それに合わせて日本側がアレンジする」(矢部宏治)。教科連携という観点からは、高校での学習においては、テキストにおける翻訳のズレなども切り口になるのではないか。

【参加者の感想・意見】

・『英語化は愚民化』の著者の施氏は政治学者。そもそも英語で喋れることが知的レベルが高いことになるのかとの疑問がある。

・帰国子女の学校での戸惑いを感じる。英語コミュニケーション能力が高いので大学入試が優遇されているが、専門的な知識は十分付いているのか。英語圏で大学を卒業し、科学ジャーナリストを目指している学生が、日本語の能力が不十分であるために大きな困難を抱えている例もあった。

・就職では、英語の習得者は「英語で何ができるのですか」と問われ、中国語の習得者は「中国語は話せればよい。内容は他人に任せてある」と言われることがあるというが、こうした区別の背景には何があるのか。

・学術用語が英語であることが背景にあるのではないか。中国語への需要は、人間関係づくりによる商機の拡大といったところにあるためではないのか。


V. 実践報告(1)

 「安易な早期教育に未来はあるか」      徳丸浩一(京都市公立小学校)

 小学校の「総合的な学習の時間」にあるのは「外国語」ですが、実際には「英語」に限定され、三年生からになるとか、時間数も増えるとか…どんどんエスカレートしてきた。中学校に入学した時点で既に英語嫌いになっている子どもがいる、豊かな日本語の習得をこそ重視すべきではないか等、批判はあるが、大きな流れは変わりそうにない。問題の本質はどこにあるのか、現場の様子から報告する。

(1)議論の前提として

@ 現行の小学校学習指導要領(外国語活動)

  ・5・6年生で外国語を用いてコミュニケーションを図ることができるように指導する。

  ・外国語活動においては、英語を取り扱うことを原則とする。

  ・外国語でのコミュニケーションを体験させる際には、音声面を中心とし、アルファベットなど文字や単語の取扱いについては、児童の学習負担に配慮しつつ、音声によるコミュニケーションを補助するものとして用いる。

A 「今後の英語教育の改善・充実について」(英語教育の在り方に関する有識者会議 平成26年)

・小学校中学年から英語活動を開始

  ・高学年では、身近なことについて基本的な表現によって「聞く」「話す」ことに加え、「読む」「書く」を含めたコミュニケーションの能力を養う。

  ・小学校高学年の教科化の評価方法は今後検討。

  ・指導体制については、中学年は学級担任が外国語指導助手(ALT)等とティーム・ティーチングで、高学年では学級担任が英語の専門性を高めて指導する。

(2)京都市の公立小学校では

 ・勤務校のALTの現状は、カナダ人ALTが月一度来校し、5・6年生1時間ずつ授業に入る。

 ・教員向けには英語検定、TOEICの「お勧め」(=押し付け)がなされている。

 ・研究発表校の様子を見ると、6年生では、限定した職業を列記した上で、「積極的に自分の将来の夢について交流しようとする」ことを課題とし、5年生では、「時間割についての表現や尋ね方に慣れ親しむ」という非現実的な架空の課題設定を行っている。

(3)人格の完成と英語格差

バトラー後藤裕子氏は「学習開始年齢よりも、学習時間数と学習の質が習得の程度を左右する大きな要因になっている」という。その点で現状には多くの問題点がある。

・英語ができる教師が少なく指導体制がない。

・グローバル化で英語が必要となるのはエリートに限られる。

・効果的な指導法がわかっていない。

・日本語が確立されていない段階で英語を教えて弊害がないのか。

・英語塾に通わせられるか否かという経済格差が英語格差となる。

・学習指導量のパンクと多忙化に拍車。

【参加者の感想・意見】

・小学校でのローマ字学習はどうなっているのか。ヘボン式を最低教えてもらえれば、中高の英語学習は助かる。

・小学校3年生で配当時間5時間で指導しているが、日本語の音の仕組みを理解する学習という位置づけである。その時1回限りの指導で、高学年ではやらない。

・小学校現場の実情は、ALTが授業に入っても年間35時間中28時間程度で、残りの7時間は担任が一人で進めなければならない。担任配置も週1時間の英語活動を基準にはなされない。

・中高の英語免許で小学校の英語教育ができるようにしてきているが、中学校英語の持ち時間数が多いので、小学校まで出向することは出来ない。出向しているのは、中学校での時間数が減少している教科科目の場合である。

・中学校の免許を持っている者を入れたら、授業が成立するとは限らない。担任制の小学校の特性をしっかり踏まえるべきだ。

・学校現場を離れている免許取得者を学校に取り込もうとしても、免許法改悪により「免許休止」状態にある場合には研修を受けた上で、その翌年度にならないと教壇には立てない。

・教員養成の大学では、「道徳」「小学校英語」の導入に備えて、新たな履修科目を設けて指導に入っている。

・(日本語の確立との関連で、日本人の英語教育はいつから始めるのが望ましいのか、という質問に対して)両者の違いが分かる、あるいは母語の確立を阻害しない年齢ということになると、小学校高学年ではないのか。

・(小中学校での「英語のシャワー効果」は効果を上げているのかという質問に対して)中学入学段階で英語嫌いを作っているのではないか。ゲームを取り入れた授業展開も、ゲーム自体が「しょうもないもの」が多く、面白くないと思っている生徒も多いはずだ。

・ALTは英語教育や教育そのものの専門家ではないことを忘れてはならない。


W. 実践報告(2)

「何のために英語を学ぶのか〜目的に立脚した方法を〜」   西田陽子(府立乙訓高等学校)

 英語は何かと経済界の要請を受けやすい教科です。「グローバル人材育成」のかけ声のもと、小学校英語が導入されたり、「英語の授業は英語で行う」ことが中学校にも求められたり、多方面にわたって英語教育改革が喧伝されています。しかし本来英語を学ぶ目的はもっと豊かで多様なはずです。その目的に沿った英語教育とはどんなものなのか、現状を踏まえて問題提起をします。

(1)英語教育をめぐる情勢

 @「グローバル人材育成」の掛け声のもとで

 ・「英語が使える日本人」育成のための行動計画(2003年)に始まって、小学校における「外国語活動」の時間数増と低年齢化、英語の教科化。中学校時よりは「英語による英語教育」。

 ・大学入試改革で外部入試の活用

 A「グローバル化」と「国際化」の違い

 ・「グローバル化」は経済界の要請で、世界を単一化して経済活動がしやすい状態にすることを求める動きで、アメリカ化を意味する。他方、「国際化」は民族や宗教、言語や文化の多様性を認め合いながら協調・協働して行く動きである。両者を区別する必要がある。

(2)高校の現状

 ・特色づくりといわれつつ、いずこも同じ「文武両道」と「よい子」獲得合戦を展開している。

 ・進む序列化と厳しくなる生活指導、早くからの「コース」分け、受験指導を意識しすぎた、貧しい追込み型の指導方法が目立っている。「覚えろ」「やれ」という指令型がはびこり、学ぶことの楽しさや意義は置き去りにされている。

 ・習熟度別編成(学校、学科、コース、講座)の下で歪んだ優越感と劣等感が講座内の人間関係をよそよそしいものにしている。

 ・学校は評判のために「生徒の見栄」を第一に考え、管理的な生活指導を強める。こうした指導は生徒に対して、「行動」させることはできても「認識」は育てられない。

(3)英語(外国語)を学ぶ目的は何か

 学習指導要領では、言語や文化に対する理解を深め、積極的なコミュニケーション態度を育成し、情報や考えの的確な理解と適切な伝達のためのコミュニケーション能力を養う、となっている。

 一方、新英語教育研究会の場合は次の4点にある。

 @世界平和、民族共生、民主主義、人権擁護、環境保護のために、世界の人々の理解、交流、連帯を進める。

A労働と生活を基礎として、外国語の学習で養うことのできる思考や感性を育てる。

B外国語と日本語とを比較して、日本語への理解を深める。

C以上を踏まえながら、外国語を使う能力の基礎を養う。


(4)目標を達成するための教材と方法

 @ 教材論・・・・優れた教材は生徒の頭と心を動かす

 (例)アレン・ネルソンの戦争論(「9条を抱きしめて」)、チャップリンの「独裁者」(ラストの演説)、マーティン・ルーサー・キングの公民権運動・・・・

 A 方法論

  ・本当に「英語の授業は英語で」するのがよい方法なのか?

   人は母語を通して考える。英語は日本人にとって「第二言語」ではない、「外国語」である。

  ・協同学習で育てる学び合いの可能性

   アクティブ・ラーニングが流行りつつあるが、発表や討論などの単なる形式にとらわれない取り組みが必要。

  ・主体的に学び続けることのできる素地を作る

卒業後、必要になった時に自分で勉強できる力を養うために、基本の文法と語彙、発音、辞書を正確に引ける力をつける。何よりも学ぶことはおもしろい、と実感できる授業を。


(5)現代の情報化社会の可能性

 世界の様々な人々との草の根のつながり、お互いに顔の見える関係を築くことから得られる豊かなコミュニケーションが世界平和に寄与する。

【参加者の感想・意見】

・英語で考え、英語で表現するという教育目標がよく語られるが、実現は大変に困難である。私の場合には大学の卒論でそれを初めて体験。今年はオランダでの研修セミナーに参加した。偏見と闘うための方法を英語で考え、発表する、とても厳しい4日間の体験だった。英語で考え、表現するなどは、特別な環境の下で特定の人において可能になるものに過ぎない。

・近年、アクティブ・ラーニングなどの協同学習が盛んに推奨されるが、習熟度別授業の下では成立しない。そのため、1年生の英語授業においては均等な少人数講座編成で臨んでいる。

・(英語学習が日本語理解を深めるとはどういう意味かという質問に対して)例えば、英語においては、原則的に主語のない文はないが、日本語においては主語が明示されない文がある。関係性が絶えず明示的である言語(社会)と非明示的な言語(社会)の相違。

・(会話の重視、小学校で英語活動、更に教科化、と推移してきたが、生徒の英語学力、とくにコミュニケーション能力はついたのか。英語教育の到達点の評価についての質問に対して)英語の学力は、一部の恵まれた環境にいるトップ層の子どもたちでは向上しているが、生徒全体として見た時には、必ずしも上がっていない。外国語としての英語学習の場合、実際の授業展開は、文法をしっかり教えることから始めなければならない。プレゼン(「ショー&テル」)も型を与えて取り組むが、高度な目標を達成するのはきびしい。中高の学習によって習得する英語力のレベルは、体験的な感覚でいうなら、外国映画における英語字幕で会話の意味を掴み、映画を楽しむことができるというところかもしれない。

・英語教育の現在の動き(早期化)は、「第二言語化」を目指す動きである。一部の知的エリートの目標を国民全体に押し付け、落ちこぼれを作り出している面がある。本来あるべき「外国語としての英語学習」に変えて行く必要がある。

・私立の中学校の中には、「英語漬け」によって、早くも「英語嫌い」が生まれてきている。


X. 実践報告(3)

「中学歴史教科書記述と植民地・戦争認識の関係」    大八木賢治(立命館宇治中学校)

 中学校社会科歴史教科書の記述が国際相互理解をすすめるものになっているか、とりわけ近現代及び戦後史の記述と学習の検討をしてみたい。「日本はどこの国に戦争に負けたのか」と聞けば、大部分の人たち(大人も生徒も)「アメリカ」と答える。果たしてそうなのか?そのことに疑問を持たないのはなぜなのか?そこには、現代と戦後の歴史を含む近現代史のどんな理解のうえに成り立っているのか?

(1)アジア太平洋戦争の教科書記述はどうなっているか

@ 日本文教出版の歴史教科書

京都で多く使用している<日本文教出版>の記述の特徴は凡そ次のようになっている。

 (国民政府による統一事業)山東出兵→(戦争熱)満州事変→(華北進出)日中戦争→(抵抗を受けながら戦線を拡大、南京虐殺)→(戦争の行き詰まりの打開)太平洋戦争→(日本本土への空襲)沖縄戦→(ポツダム宣言の拒否)→(8.15)日本の降伏

 これまでの歴史研究を踏まえて、それなりの事実に基づき記述されている。侵略戦争に反対する人々の取り組みや戦争の悲惨さを示す説明は本文にある。しかし、住民虐殺や婦女子への強姦、731部隊の細菌戦や三光作戦など侵略戦争としての事実、国民党軍や民衆と一体となった共産党軍の戦いなど中国人民の戦いについて具体的な記述や資料が十分ではない。その結果として、日本は中国との戦争に「行き詰まりながらも」中国には負けていないが、沖縄戦に象徴的なように、経済力や工業力が圧倒的に優位にあるアメリカに敗北したという認識を生み出すことになっているのではないか。その敗北の相手であるアメリカのおかげで日本に民主主義と平和がもたらされた、という戦後認識につながっている。この戦後認識の落差が沖縄と本土の間の基地問題に表れている。

 戦後、憲法と安保の対立が続いてきたが、その底流にあるのは原爆や空襲などの「被害」体験による戦争拒否意識に支えられた平和希求に支えられてきたのではないか。多くの戦争学習は被害体験意識を元にしたこの戦争拒否意識の上に立ってきた。しかし、南京虐殺や強制労働など数は少ないが侵略戦争の記述の登場は、80〜90年代の運動と研究の成果の反映であった。しかしその後、95年以降の歴史修正主義の台頭に直面するなか、実際の学習の場において、この新しい記述を元に戦争の実相に迫った授業実践がどれだけ展開できたのか、検証することが必要になっている。教育実践に対する不当な偏向教育攻撃に萎縮してしまっていないか、心配でもある。

A 「学び舎」の歴史教科書の挑戦

 そんな中に、「学び舎」の歴史教科書が登場してきた。この教科書は歴史教科書のあり方について、一つの問題提起を行っている。これまで多くの教科書は、歴史的評価に立ち入ることをタブー視し、歴史の基本的事項の表面的な羅列にとどまることが多かった。その結果、子どもたちの歴史認識を促すものではなく、教科書記述通りに暗記することが歴史学習であるかのように教師も子どもも考えた。しかし、この教科書は具体的事実に基づき、歴史的評価を明確にして記述や資料を配置して歴史的思考をうながすものとなっている。具体的記述を挙げてみたい。

○中国革命を食い止める・・・「中国統一の革命が、山東省や中国東北部(満州)におよぶのを食い止めようとするものでした。革命がすすめば、日本が満州などにもつ利権が危うくなるとみていたのです。」

○戦禍は上海から南京へ・・・「(南京で)国際法に反して大量の捕虜を殺害し、老人・女性・子どもを含む多数の市民を暴行・殺害しました(南京事件)」

○重慶への大爆撃・・・「(無差別爆撃について)空襲で住民に恐怖をあたえ、日本軍への抵抗をやめさせることがねらいでした。1940年になると、空襲は112日間連続して行われ、市民の死傷者は9,000人を超えました。中国側は、市民も作業に参加し、1,865本の防空トンネルをつくって、避難しました。重慶市民の抗日の気持ちは、空襲によって、むしろ高まっていきました。」

(2)戦後史学習の前提としてのアジア太平洋戦争の実相

 慰安婦問題などの歴史認識をめぐる問題が現代日本の課題になるのは、戦前の権力構造がそのまま生き残り、アメリカの世界支配戦略と結びついて戦後の日本の支配構造がつくられてきたことが根底にある。今日の歴史認識問題を解き明かすには、日本の植民地支配と戦争の実相を踏まえ、戦後それがどのように隠蔽されてきたのかを明らかにする戦後史学習が必要になっている。そのためには単に戦後の歴史過程をたどる歴史学習だけでなく、その根底に慰安婦問題や日本の侵略戦争の具体的実相そのものに対する問題意識が必要です。

(3)教科書採択方式の問題点

 今回、京都では育鵬社の採択を許さなかったが、採択方式の変更によって今後とも予断を許さない状況にある。公平を装うため教科書を点数化して評価する方法を取り入れたが、選定の観点としては伝統文化や「わが国」の歴史への愛情などの項目を立てることによって、歴史修正主義教科書に有利に機能するものとなっている。

【参加者の感想・意見】

・(教科書での慰安婦の記述の削除についての質問に対して)高校の教科書の記述は残っている。中学校教科書では「学び舎」教科書に再登場してきた。

・今の子どもにとってアジア太平洋戦争は遠い過去の出来事。70年という年数は、1945年時点の人にとっては明治維新期ほど離れた過去であってリアリティがない。それほどの過去に向き合うためには、現に生きている現代社会の問題とリンクさせる必要がある。東北アジアの協力関係こそが平和と発展の唯一の道であるのに、それが阻害されている現実(日中、日韓の対立)。その原因となっている領土問題、歴史認識問題を正しく解決するために必要な、過去の理解、ここに今の子どもたちも戦争の歴史を学ばなければならない理由がある。どう歴史認識問題を解決するのか、その判断力を養うための知識を提供することが必要だ。その目的にとって、どの教科書が有益か自ずから明らかになるようなアプローチが重要だ。歴史教科書もヨーロッパのように、対立的側面(差異)よりも、相互依存的側面(共通点)を重視した記述に改善してゆくべきだ。国際相互理解という観点での学習が大事だ。

・教師はついつい正しいと思う知識・考えを押し付けてしましがちだ。学習資料も対立する観点のものを提供し、学生間の議論を促すという実践を重ねてくると、皇国史観を注入されて育った学生にも変化がみてとれる。また、近隣諸国の学生との交流を通して彼我の歴史認識の格差に気づき、進んで日本の過去の歴史に向き合う学生も出てきている。


 
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              2016年3月発行
京都教育センター