事務局  2013年度年報もくじ


第44回京都教育センター研究集会 基調報告

 -- 子どもと教育をめぐる情勢 --

                京都教育センター運営委員会
 

全体情勢   独善的な「高揚感」で暴走する安倍政権の特徴

1.安倍政権の基本的特徴

(1)従属的「日米同盟」下での新自由主義的・右翼的ナショナリズム政策

 安倍政権は、憲法、特に9条を改定することを歴史的使命としてアメリカと一体となって「戦争する国」へと邁進しています。「秘密保護法」をセットにして「国家安全保障会議」の設置を急いでいます。いま日本は民主的国家とは異質な「右翼的国家」へと暴走していると言えるのではないでしょうか。

 他方でグローバル化を狙う財界の要求に忠実に従い、教育・福祉・医療を含めてあらゆる分野において、競争と規制緩和を基本に捉えつつ、新自由主義的政策を強行しています。国民要求との矛盾はますます拡大しています。その間、橋下・石原代表「維新の会」の先兵的役割も活用しています。「維新の会」は、その本音が露呈しつつあり低落傾向を示しています。

(2)安倍内閣の国民的要求から乖離する具体的政策

 安倍政権の具体的政策の矛盾を指摘します。

@「アベノミクス」の経済・金融政策は、大企業への奉仕を狙いとするもので国民の暮らしに更に格差を拡大していくでしょう。
A消費税の増税は、賃上げができない中での消費税アップで、国民の暮らしに壊滅的打撃を与える危険性が大いにあります。
BTPPへの参加は、農業分野だけでなく広範囲にわたって甚大な被害を与えることになるでしょう。
C原発推進政策は、原発再稼働だけでなく原発輸出までするというもので、「いのち」の尊厳をまったく無視する無責任な暴挙です。
D集団的自衛権行使の容認は、論理的矛盾を平然と無視する「権力的解釈」で乗り切って、改憲への道へと暴走することになるでしょう。

 これらの政策は、国民の間に格差と貧困の拡大をもたらし、矛盾をさらに激化させていくでしょう。憲法を守り、生かす多面的なたたかいが強く求められています。


2.安倍政権の教育政策の特徴

 第二次安倍政権は、「教育再生実行会議」において教育改革論議をすすめ、これを政策化し実行しようとしています。この本質は、第一次安倍政権でおこなった改悪教育基本法の具体化であり、憲法改悪のねらいと一体となった「戦争できる国」「貧困と格差拡大の経済社会」という国策のための人づくりに他なりません。そして、この「教育再生」は、教科書問題・歴史認識問題から教育委員会制度の改悪など、多くの教職員、父母・府民の教育への願い・要求からも乖離しています。具体的には、

(1)教育委員会制度の改悪のため来年の通常国会に地方教育行政法、地方自治法の全面改定をおこなおうとしています。これは教育の自主性を保障するために、一般行政から独立して設置された教育委員会制度を事実上廃止し、教育行政を首長直結にするものです。その狙いは、これまで以上に競争や統制の教育を強行しようというものです。

(2)小・中・高と本格実施となった学習指導要領は、京都市教組のおこなったアンケートによれば「内容が多すぎる」「学習が定着しているか心配」などの不安の声があがっています。それに加えて今年度小学校6年生と中学3年生全員に行われた全国一斉学力テストは、各地で成績公表が取りざたされたり、自治体独自のテストが行われたりすることにより、ますます競争の教育に拍車をかけています。さらに「君が代を歌えるように指導する」とした改定学習指導要領の押し付けや「口元チェック」など子どもの内心の自由を侵し、道徳教育の教科化など、新教育基本法の人間像の押しつけをすすめようとしています。

(3)昨年全教がおこなった「教職員勤務実態調査」によると、教諭などの時間外勤務は月95時間32分となっています。それに加え教員評価制度により教員同士競争させられ、上意下達の職場での人間関係の希薄さの中に置かれています。教員をさらにものを言えない状態にする「学校教育法改悪」(中間管理職の必置、土曜日授業制度化)、「新教職員特例法」(上司の命令の絶対化、政治活動の制限)、「新教職員免許法」(免許を「準免許」に格下げし、権限を奪う)を制定しようとしています。

(4)世界で活躍できるスーパーグローバル・リーダーの育成、グローバルな視点をもって地域社会の活性化を担う人材育成のため、これからの大学教育を抜本的に改めようとしています。そのために大学入試改革、「6・3・3・4」制を変え義務教育5歳から、飛び級制度、「義務教育学校」の導入などの検討も始まっています。


3.憲法の精神に基づく教育実践を

 いじめが社会問題化する中、「いじめ防止対策推進法」が施行されました。ゼロトレランスや厳罰化ではなく、何よりも子どもの命を大切にし、憲法と子どもの権利条約に立脚した教育を学校と地域で、教職員、父母・府民が力を合わせて創り上げていくとこが求められています。


当面する課題


1.地域と学校

(1)貧困の広がりが地域を苦しめている

 現在の「地域」の最大の問題は、「職住遊学」、つまり「働く・住む・遊ぶ・学ぶ」という生活の四条件が十分に満たされていないという点です。別の言葉で言えば、「住民が安心して住み続けられること」、つまり、健康で文化的な生活を営めること、子どもを安心して産み育てられること、そして健やかな老後を過ごせるまちにすることこそが最大の課題です。

 しかし住民の暮らしの現状は、若者には職がなく、高齢者には低い年金給付、生活保護世帯も急増しています。また、高すぎる国民健康保険料が払えず、保険証を取り上げられたため病院に行くこともためらう人が増えています。とりわけ、規制緩和による格差の増大、貧困の広がりは子ども達の生活や発達にも深刻な影を投げかけており、子ども達の就学援助率も高く、貧困・生活苦のしわ寄せが子ども達にまで押し寄せており、家庭崩壊・虐待・家庭内暴力といった問題が後を絶ちません。また、地域によっては、急速に高齢化が進み、バリアフリーだけでなく、近所に買い物ができる店がある、公共交通機関の利用が便利、など高齢化社会に対応するまちづくりが切実な問題となっています。そして、住民の転出入や、高齢化・少子化の進展に伴い、町内会・自治会への未加入者が増えるなど、「支え合い」「助け合い」「交流」という住民相互の連携を基盤とした地域コミュニティが危機に瀕しています。

 こうした地域の中で、学校の果たすべき役割は、きわめて重要になっていると言えます。学校は今日もなお、地域の文化センター的な役割を果たし、学校を通じて地域住民が集い交流する場ともなっているし、学校に地域の未来を担う子ども達が通い、生活するということを通して、また子ども達が地域を学ぶことを通して、地域の未来に希望を与えています。

(2)地域を顧みない教育行政

 しかし、今日の教育行政は、こうした地域を顧みないものとなっている。教育の本来のあり方は「主権者を育てる教育」「国民教育」であり、今まで多くの教育関係者により多彩な実践が展開されてきました。

 しかし、今、政府の進める教育行政は、「教育基本法改悪」を大きな契機として、主権者を育てる教育から、国家・企業に役立つ人材を育てる「教育」へと、大きく変質を遂げてきています。新自由主義路線の下、文教予算の大幅「圧縮」に加え、その配分も「できる」子どものために予算を注ぎ込み、「小中一貫校」「学校統廃合」など学校制度も変えられようとしています。教育の中に「競争」と「差別・選別」がかつてと比較にならないほど大きく持ち込まれています。

(3)“地域に根づく学校”の今日的展望

 従来民主教育とその実践は「地域に根ざす」「地域と共に歩む」学校を目指してきました。こうした視点から展望すれば、今日的な学校のあり方は、貧困・地域衰退の拡大の下で、福祉と教育の結合の場としての学校、地域や家庭崩壊を底辺で支える学校を目指すべきではないでしょうか。かつての日本には、昭和初期、戦前の大恐慌と貧困の広がりの中でも、子どもや家庭を支える実践があり、また生活をリアルに見つめ、科学的な認識を培おうとする「北方教育運動」や「綴り方教育」の実践がありました。

 戦後の地域においても地域の中では、「子どもまつり」「地域少年団活動」「良い映画を観る」運動など、住民たちの力で「地域の子どもを育てる」取り組みがあったし、それはまた現在も続けられています。

 こうした実践に学び、今日的な国民教育運動は、「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」(47基本法1条)を中核としながらも、学校は、地域における「子育て運動」と連携しつつ、国民の基本的人権、生存権を視野に入れた学校像を展望しなければならないのではないでしょうか。


2.全国学力テストと子ども・教育

 文科省が調査を名目に2007年度から実施。毎年4月に小学校6年と中学校3年全員を対象に、国語と算数・数学(12年度は理科も)で行っています。10年度と12年度(11年度は東日本大震災のために中止)は約3割の学校を抽出して実施しましたが、今年度から全員対象に戻しました。

(1)全国学力テスト、異常な「点数競争」

 学校教育は子どもの人格を育て、真の学力を身に着けさせる役割があります。真の学力とは何か。どのような学力を高めることが大切なのかが真摯に問われなければなりません。

 ところが、そういう根本的な論議抜きで、学力テスト(学テ)の点数を上げることに躍起となる自治体各教委の例が様々報告されています。

 北海道では、4月に全国学テが実施される前に「24日に行われる文部科学省の全国学力テストに向け、道教委が各市町村教委などに対し、過去に行われた同テストの問題(*『過去問』という)を事前に子どもたちに解かせるなどの『適切な指導』をおこなうよう通知」(北海道新聞)していました。道教委作成の子ども・保護者向けのチラシには、「北海道の子どもの結果は、5年連続で全国最低レベルです」とし、子どもに向けて「くやしいじゃないか、そろそろ見せてやろう!道産子の本気を!!」とまで書いています。常軌を逸した内容です。

 福島では行政・教委から福島が震災に負けていないことを学テの結果で示そうと叫ばれ、「学力向上」の「数値目標」、その達成のための「指導計画」達成状況と自らの指導への「自己評価」などの文書作成・提出などに教師たちは追われています。「学テの平均を落とさず、上げることが『復興』だ」などという声が、震災で傷ついている子どもたち一人一人に丁寧に向き合いたいとねがっている教師(自身もまた震災で傷ついている)を二重,三重に傷つけています。

 京都でも『過去問』練習、或いはそれに似せた問題集を作成して点数アップを図ろうとしています。平均点以下の校長は教委より「指導」されています。

 さらに、学テの結果を学校別に公表しようとする動きが強まっています。静岡県では知事が平均点下位の小学校校長名を公表しようとしたものの市民の反発にあい、ならばと上位の校長名を公表しようとしました。大阪市教委は学校別の平均点の公表を実質義務化しました。文科省も従来の方針を変え、各教委の判断で学校別結果を公表することを認める方向で検討を始めています。

 京都で、舞鶴市が実施している市内学力テストの結果を希望する保護者には順位を知らせるとして子どもに結果入りの封筒を持ち帰らせているのも、その流れに乗ったものです。

 学テの過去問題や予想される問題を繰り返しやらせて、本当の学力は身につくのでしょうか。点数を上げることに躍起となる学校で、子どもたちがゆがんだ学力観を身に沁みこませることになるのは誰の目にも明らかではないでしょうか。

 ここまで異常な点数競争に走る学テですが、はたして出題される問題は学力を診断するにふさわしい問題なのでしょうか。検証の一部を紹介します。

(2)学力テスト問題を検証する

【小6国語】=A問題の「宣誓文」やB問題の「五・六年生が話す出題文」は、論理に飛躍があり、実体や実感が伴わない文章です。こういう文章を繰り返し読み、それをもとに解答していくことに慣らされていくと、文章やことばを批判的にとらえる目は鍛えられず、書かれていることを漫然と鈍感に受け入れてしまうようになります。実体が込められたことば、真実を探求することばの学びこそ、何よりも大切です。また、設問には、文学作品を豊かに読み取る能力を問うことはなく、また論理的な文章を読んだり、考えたりすることもなく、生活や事実にもとづいた自分の考えや意見を書くこともありません。日本語教育の本質的な部分が抜け落ちていると言わざるをえません。

【小6算数】=B問題の振り子の実験に関わる問題では、設問そのものの妥当性が指摘されています。実験の結果から、振り子の長さと往復する時間が比例しないことを説明させる問題があります。ところが、中学校の理科では「振り子の長さが振り子の往復する時間(周期)の2乗になる」ことを教えます。正比例ではないが2乗に比例するのです。こうしたことを比例しない例として出題することは果たして妥当なのか。また他の設問では、グラフのデーターの信ぴょう性も問われていています。

(3)全国学力テストは廃止しかない。

 かつて1950〜60年代に実施されていた全国学力テストは、各自治体教委や学校間競争を激化させ、成績の悪い子どもをテスト当日に欠席させたり、教師が机間を歩きながら答えを指さして歩いたり(田植え)などの教育荒廃を招き廃止されました。同じ愚を繰り返してはなりません。全国学力テストは廃止しかありません。


3.いじめ・体罰問題

 子どもと教育をめぐる現在を考えるとき 「大津いじめ・自殺事件」と「大阪桜宮高校体罰事件」は「いじめ問題」「体罰問題」だけに限らず教育全体に大きな影響を与えています。事件を口実にして安倍内閣は教育改革で「教育委員会制度」そのものを根本的に変えようとしているのです。

(1)今一度 子どもと親・教師関係を見つめ直してみる

 大津いじめ事件、大阪桜宮体罰事件以降 昨年から教育行政から全ての学校に「実態調査」「アンケート調査」が命じられて実施されていますが、充分な職場・教職員の論議・話し合いがされているでしょうか。実施前にその調査の内容が妥当か、結果をどう生かしていくのか話し合っておくことが大切です。いじめでは形式的な1回のアンケートだけでは充分実態、事実がつかめるとは限りません。何より居心地の良い学校生活を送れる学級集団づくりを進めるなかで、安心、信頼がなければ子どもは本当のことは書きませんし、話してくれません。体罰問題も学校・教師への信頼の中で実態が明らかになるのです。

(2)「いじめは犯罪」論の一面的強調の影響 いじめと警察の関係

 大津事件に対する 警察の捜査、介入以降 「いじめは犯罪⇒犯罪は警察⇒警察外締め解決」という世論が広がり、学校への警察介入が進んでいます。学校生活の中で起こったいじめ問題は父母の力も借りながら学校教育の責任で取り組むべきです。ただ、今日では 学校外の事件や、相手に大きな怪我を与えるひどい暴力、犯罪と呼べる恐喝などについては、やむなく警察と連絡、協力を得なくてはならない現状にあります。

(3)「いじめ」が起こる社会的・教育的背景

 格差・貧困の現代社会では、弱者に充分な社会福祉が保障されず、「自己責任論」で責められています。一方、テレビやゲーム文化の中では、強い者、力のある者が、弱い立場の相手を痛めつけ、物笑いにする嘲笑・いじめ文化が溢れています。このようないじめ文化の影響は大津いじめ事件にも大きな影響を与えました。「足と手をくくりガムテープで口を塞ぐ」「プロレスごっこで首を絞める」「じゃいけんゲームで殴りつける」などが「ふざけ・遊び」と言うことで日常化していたのです。また 「学力テスト点数公開」に象徴される「必要以上の点数競争」、子どもの数が減少しているのに益々厳しくなる「受験競争」等、今日の教育システムは点数で人を評価・差別する考え方が子ども・親にも影響を与えています。こんな中で集団生活をしている子ども達の中ではどこにでもいじめが起こっても不思議ではありません。また最近は「ネットいじめ」が増えています。集団でのいじめを動画映像に撮影して投稿するという事件も起こっています。ネット社会が問われています。

(4)いじめられている子、いじめている子、学級の他の子

 今日いじめが全くない学級・学校は残念ながらあるません。「いじめが何件起こったかの数値より、どれだけいじめ解決に取り組んだかが大切だ」と言うことが大津事件以降広がっています。これはいじめ件数だけを問題にしてきた教育行政を変えつつあります。
まずいじめられている子を守ることが最優先されねばなりません。つらい思いをする時には「学校休む」事もひとつです。一方「いじめっ子はかつていじめられていたり、大切にされていない」「今のいじめられている子がいじめっ子になった」事例もあります。厳罰主義では本人を変えることはできません。なぜいじめるのか、いじめる子どもの状況を良く聞き、家庭と本人に粘り強い指導とケアーが必要です。そして何より学級の他の子ども達に「いじめはいけない、止めよう」の指導が大切です。

(5)いじめと「子どもの自殺」の関係

 いじめが指導されず、集団化、長期化、ますますひどくなっていくと 子どもは不登校になったり、うつ的状況になり「こんないじめられている自分はダメな人間だ」と自己否定して自傷行為、自死願望になっていきます。子どもの自殺はいじめでなくとも「進路、学習」「恋愛、友だち関係」「家庭問題」などでもあります。子どもの自殺は、現代日本の重要な問題です。自殺予防、命の大切さ指導・教育と共に「死にたい」と言うつぶやき、訴えを見逃さない、友達、教師、家族のありかたが問われているのです。「死にたい」と言う、訴え・信号は「生きたい、助けて欲しい」の叫びでもあります。

(7)「いじめ防止対策推進法」の問題点と課題

 2013年6月21日 日本で始めてのいじめ対策の法律「いじめ防止対策推進法」が成立し、9月28日施行されました。この法律は「厳罰主義」と「道徳主義」の問題点があります。度重なる「少年法改正」で「厳罰主義」が重ねられても「少年事件」は変わらなかったし、大津事件の0中学は市内唯一国の「道徳教育推進指定校」でした。この学年は「規範教育」に取り組んだ学年だったのです。
法律に問題点はありますが、初めていじめ防止の法律が出来た事を評価してこの法律を生かしていくことです。これから「地方いじめ防止基本方針」がつくられ 各校に「その学校の実情に応じ」「いじめ防止基本方針」をつくり 組織を作る事になっています。
各学校で充分論議し、全職員の意思で「方針」「組織」つくり取り組むことが課題です。

(8)体罰を許さない学校・教育をつくる討論と合意を

 体罰は「授業態度や生活指導」めぐって、もう一つは「クラブ、部活指導」の中で起こっています。教師の体罰主義は「子どもの暴力、いじめ」を生みます。そんな中で「生徒会、暴力追放の取り組み集会」で「体罰教師が自らの暴力を謝罪し誓った」という京都府南部中学の実践は 教訓に満ちています。

 「体罰」生む背景に「クラブ試合成績至上主義競争」があります、クラブ活動と体罰問題では 何より職場での「話し合い」「暴力否定」の合意が今問われています。

 いじめ問題取り組みも「暴力・体罰」問題への取り組みも 児童・生徒の自主的な自治活動が重要です。そして社会全体にある弱いものいじめの風潮、いじめ文化批判を広め子どもの権利条約と憲法の精神を 基本にて、いじめ・体罰問題を父母・子どもと、教師が共同して進めていくことが期待されています。


4.教科書・歴史認識問題

(1)教科書問題

 「教育再生」を掲げる安倍内閣は教科書の統制強化を進めようとしています。文科省は来年度から教科書検定基準を改訂することを打ち出しました。教科書に記述すべき事柄を具体的に定める方式にし、特に歴史教科書については政府見解や最高裁判例などの多数説とそれ以外の少数説を区分することや、歴史的事項に関する数値についてはその根拠を明記させるなど、明らかに南京大虐殺などの記述をねらい打ちする教科書統制策です。同基準のいわゆる「近隣諸国条項」の見直しは行いませんでしたが、これにより実質的には骨抜きになることが予想されます。これらの教科書統制策の法制化に加えて、教科用図書検定調査審議委員などを国会同意人事にしようとする教科用図書検定法(仮称)、「教科書統制法」ともいうべき法案を準備しつつあります。国定教科書づくりを狙ったものです。

 育鵬社の公民教科書を拒否した沖縄県八重山の竹富町に対して国が教科書無償給付の対象からはずした問題は今年度も継続しており、これに対して竹富町では独自に生徒への無償給付を実現させています。竹富町に教科書を給付しないという法律解釈・運用に非があるにもかかわらず、国は3月に義家政務官が竹富町を直接「指導」し、10月に下村文科大臣が沖縄県教委に対して是正要求を行うよう指示しましたが、県教委は指示に従っていません。国側に明らかに非があるからであり、下村大臣はその後法律の改正に言及し自らの法律解釈の誤りを認める形となっています。

 教科書へのさまざまな統制・締め付けは進行中です。昨年度来の高校・実教出版『日本史A』・『日本史B』に対する採択妨害は今年度においても東京都、横浜市で引き続き行われています。4月、自民党は実教出版を含む教科書会社の経営者を呼び出して聴取を行うという圧力を加えました。大阪府教委は同教科書が日の丸・君が代の公務員への強制の動きを記述している点を問題視し、府教委の見解を各校長宛に通知しました。8月には大阪維新の会府議団が同教科書の採択除外を申し入れるという露骨な政治介入が行われています。それに先だって同府議団の勉強会に中原府教育長が出席し同教科書を採択した学校名を伝えるという逸脱が行われています。結局、大阪府教委は府立高校から上がってきた同教科書を条件付きで採択しましたが、9月、同教科書に府の補助教材を使用することを通知し、補助教材には府教委サイドの見解のみが掲載されています。大阪市でも同様の動きがありますが、来年度からの採択にあたって教科書選定候補を記す答申書に二つ以上の教科書を順位を記さずに記載することとし、府教委において採択を行う方式をとることを決議しました。学校の意見を排除するためです。教育への政治の介入をやめさせ、高校の学校ごとの採択権を守らなければなりません。

 文科省は、来年の通常国会に教育行政の権限を首長に集中しようとしています。大阪のように首長が教育行政に介入する事態が全国的に広がるとなると、2年後の中学校教科書採択は重大な局面を迎えかねません。私たちは再度教育課程の編成権が学校と教員にあり、教科書を選ぶことも教員の最も大切な仕事であることを確認し、私たちの手に取り戻さなければなりません。教科書検定についても安倍内閣がめざす国定教科書の方向でなく、検定制度の廃止を視野に入れながら検定過程の公開、著者側の反論権の拡大、国の関与をなくして第3者機関に移行させるなどの改善を働きかけていく必要があります。

 今次学習指導要領にはすべての教科に道徳教育の要素が取り入れられていますが、政府の有識者会議では2015年度を目指して道徳の教科化が検討されています。教科化にあたり数字による評価は行わないとしていますが、すでに指導要録には文章による評価の記述が行われており、文章表現を通じた道徳評価の害悪が心配されます。教科化により道徳教科書の作成が急ですが、すでに安倍内閣になって『心のノート』の配布が復活され、安直な道徳教科書の作成が危惧されます。一部の自治体では「つくる会」系の道徳教材『13歳からの道徳教科書』を副読本として配布するという問題が生じています。教育統制とともに教育の規範主義化が進んでいます。

(2)歴史認識問題

 このように安倍内閣と各地自治体の右派勢力が教育を権力的に統制する目的の一つは、過去を美化し戦争の加害と被害の事実を覆い隠して、戦争をできる国家・社会に改造することです。歴史認識の問題をめぐって安倍内閣は4月28日に初めて「主権回復の日」を記念する式典を開催しました。これは日本の戦後がポツダム宣言と日本国憲法によって出発したことを無視し、占領終了によって戦前の体制が復活したという歴史認識の表明です。8月15日の政府主催戦没者追悼式典において、安倍首相は式辞から細川内閣以来続いてきた戦争と植民地支配への反省及び不戦の誓いの言葉をカットしました。ここに侵略戦争と植民地支配における加害の事実を糊塗しようとする安倍内閣の歴史認識の問題性が端的に示されています。8月には漫画『はだしのゲン』を学校図書館や公立図書館において閲覧制限していました事例が表面化しました。社会的な批判によって松江市教育委員会においては先の措置が撤回されましたが、これも戦争の悲惨さ、日本兵の加害の場面、天皇の戦争責任の問題を子どもたちの目からそらさせようとする歴史修正主義の動きにほかなりません。8月には麻生副総理が、ナチスがワイマール憲法の効力を停止したことを引き合いに出し「あの手口を学んだら」と発言しました。憲法に緊急事態条項を盛り込むことで基本的人権や法の適正な手続きをないがしろにすることを目論んでいるとみえます。

 2月から3月にかけて安倍首相が「従軍慰安婦」の強制性や侵略戦争の事実を認めることを回避する言動をとるたびに国際的な批判を浴び、安倍内閣の歴史認識の孤立は明らかになっています。5月、橋下大阪市長が「従軍慰安婦」を容認するとともに在沖アメリカ軍に風俗産業の活用を促す発言をしました。内外からの批判に対して橋下市長はアメリカには謝罪しながら、「従軍慰安婦」容認発言についてはマスコミの誤報とごまかし、軍事性奴隷は日本だけの問題ではないと今も主張し続けています。対米追随と「従軍慰安婦」の強制性だけは絶対に認めようとしない点は安倍内閣と全く共通しており、日本の右派・新自由主義勢力の内外からの孤立がこの点にあることが明らかです。こうした情勢に対して、京都府議会は3月「慰安婦」問題の早期解決を求める意見書を可決しました。府民の世論で誤った歴史認識をただし、歴史修正主義と教育の国家統制を許さない運動を発展させていかなければなりません。


5.高校の実態と高校教育課題への提言

(1)常態化する成績による輪切り

 平成25年度までは京都市・乙訓地域では総合選抜が残っていましたが、平成26年度より京都府の公立高校のすべてが単独選抜になります。京都市乙訓地域の公立高校がこれからどのように変化して行くかを見守っていかねばなりませんが、他府県の状態が教えているように、やがて塾などが提示する「偏差値」によって公立高校がランク付けされるのもそう遠い事ではないでしょうか。
 かつては比較的近くの高校に通っていた生徒たちが、遠距離通学を余儀なくされることも予想されます。中学までは地域の学校で学んでいた子どもたちが、中学卒業後、バラバラになってしまう。何とか安心して地域の高校に通える仕組みを作っていくことがこれからの大きな課題になるのではないでしょうか。

 中学生に対して京都府教育委員会は「各高校が提示している特色を参考にして、高校を選んで下さい」と説明し、中学生やその保護者が、各高校の教育内容を閲覧できるようにしています。多くの高校は、1年次より標準コースや学力伸長コースなどのコースを用意しています。

 府教委は、講座がクラス数より伸びることによる講師時数の増加は認めていません。それ故、講座の人数を40名の倍数にするという事は必須条件であり悩ましい事態であることは歪めません。ではどのようにして割り振るのか。入学後の診断テストや希望などを考慮して割り振ると説明してあったり、「習熟度別編成」をうたったりしている学校があります。いずれにしても希望を考慮しつつ、テストの点数で割り振ることが一般的な方法となっています。

(2)1985年より始まった京都府の公立高校制度「類・類型制度」は何をもたらしたのか。

 1985年以前の京都府公立高校は「自由選択制」を敷いていました。つまり進路希望によって必要であったり、個人の興味関心により希望する教科科目を選択したりする制度です。生徒が1年生のころは、ほとんどがクラス単位の授業であり、2,3年生になると共通科目以外は教室を移動して、自分で選択した授業を受けていました。そこには成績による輪切りはほとんど見られません。学校から出来る限り差別をなくし、等しく教育を受ける権利を保障しようとする価値観を大切にしていました。

 ところが、1985年に始まった「類・類型制度」により高校の姿は一変しました。教育委員会高校教育課の指導は「類・類型によって教科書を変えること」、「類・類型によってカリキュラムを変えること」などなど、全国に例を見ない同じ学校内で成績による輪切りが常態化しました。

 教える内容も類・類型によって異なり、成績評定でも類・類型によって異なっているのが現状です。この間、学校現場は成績によって分けることが「当たり前」になり、分けることをしなければ中学生に選んでもらえないのではないという感覚に支配されていると言っても過言ではありません。

 さらにかつての自由選択制では保証されていた「高校生の豊かな交流」がほとんど不可能になってしまいました。U類の生徒に至っては、高校3年間で同じ類のメンバーとしか知り合う機会がないなど、大変狭い人間関係しか結べなくなっています。
 このような制度を導入した大きな理由は、”公立高校の進学実績が良くない”ということです。では1985年以降公立高校の進学実績が向上したのか。確かに一部の公立高校ではいわゆる「難関国立大学」への進学実績は向上したが、他の学校はいかがであったのか。受験産業の出すデーターは必ずしも向上を示すものではありません。このことに対する検証は全くなされていないのが実態です。

(3)成績で輪切りにすることによる青年への深刻な影響

 小学校から大学までのすべての教育機関で、高校だけが「成績による輪切り」が当たり前になっています。学校間での輪切り、学校内での輪切りという競争原理が徹底して支配しています。いわゆる「勝ち組」と「負け組」という選別を16歳から18歳という最も多感な時期に強制されるのです。その結果、自己肯定観をもてない青年が育っていきます。豊かな能力にあふれた青年が、分けられることによって疎外感を持って社会に巣立っていくことになります。何という大きな損失ではないでしょうか。

(4)どうすることが大切なのか。

 まず、安心して地域の高校に通える仕組み作りが大切です。受験産業のはじき出す「偏差値」に振り回されるのではなく、中学と高校の豊かな交流を通して、中学生もその保護者も安心して近くの高校に進学を希望できる環境を作り上げることが何より大切です。
 また、各高校は、学校内での成績による「輪切り」をなくす工夫が求められます。異質者集団による教え合いを通した「教育力」を信頼して、勇気を持って「自由選択制」を取り入れる工夫が大切です。

 そして、生徒間の豊かな交流を保証し、自己肯定観を高められる人間関係を築き、なぜ学ぶのかという学習への啓発を深める、などの豊かな教育環境を築き上げてほしいものです。

 いまこそ学校あげて旺盛な教育論議を期待しています。


6.震災・原発問題

 未曽有の東日本大震災から2年9カ月となりました。しかし、いまなお多くの被災者が厳しい避難生活を強いられ、先の見えない苦しみのもとに置かれています。東京電力福島第1原発事故は、原因の多くが未解明で、ネズミ一匹に翻ろうされ、放射能に汚染された地下水が海洋に流出し、タンクから高濃度の汚染水が漏れ出す事態が続いています。

 安倍首相は、国際社会に向かって、「状況はコントロールされている」「完全にブロックされている」などと、事実をねじまげた発言をおこないましたが、汚染水問題をとっても、とても「コントロール」されているとはいえません。そればかりか、就任直後から原発再稼働を掲げ、「成長戦略」の一環として、みずからのトップセールスで、原発輸出の先頭に立っています。

 政府は、子ども・被災者支援法成立から1年以上、基本方針の策定を放置してきました。そのことを原発事故被害者から裁判所に訴えられると、被害者の意見も聴かずに基本方針案を発表、同日パブリックコメント募集を行い、しかしその結果公表を待たずに、10月11日に基本方針を閣議決定しました。

 この基本方針に盛り込まれた119施策のうち、新規は14件にすぎないことや帰還向けの支援が30件あるのに比して、自主避難者への支援は実施済も含め、4件にとどまっていたことなど不十分なものとなっています。

 「震災が起こらなかったら、世界で私が一人になることもなく、家族がバラバラになることもなく、今でも、みんなで食卓を囲んでいたでしょう」(原町高校2年)「防ぐことのできたはずの原子力災害は、土地を汚し、多くの人に不安を植え付けた。何より『福島』と言う名前を汚されたことが許されない。」(福島西高2年)「周りには放射能を気にしてない『ふり』をしている人が多いから、あまり話すことができない。『被曝するのは当たり前』になっているのが怖い。ニュースで復興のことばかり取り上げられ、原発が今現在どうなっているのか報道されないことに違和感を感じる。」(同)福島県高等学校教職員組合女性部が作成した文集「福島から伝えたいこと」に掲載された文章です。福島県内の高校生の中には、教師と共に、震災後に発足した「平和ゼミナール」に参加し、放射能の歴史や化学を学び始めた人もいます。この困難な現状に直面し、怒り、悲しみ、それでも学びながら自分の思いを発信し始めた福島の子どもたち。彼らは、私たち大人が今この時をどのように生きているのか、原発災害にどう取り組もうとしているかをしっかりと見つめています。

(1)「安全神話」ではなく、事実と科学に基づく私たちの原発教育の推進を

 原発の必要性と安全性をベースにして作成・普及されてきた文科省の『わくわく原子力ランド』『チャレンジ原子力ワールド』は、「大きな地震や津波にも耐えられる」などの記述が随所にあり、「原発安全神話」を吹聴する多くの問題点がありました。原発事故を受け、「放射線について考えてみよう。」など、放射線の解説を主とした新たな副読本が文科省から発行されましたが、その内容は、福島第1原発の第事故の実態やその原因、地震と津波の影響などについては一切触れてなく、新たな「安全神話」を基調としたものとなっています。さらに12月に発表したエネルギー庁の、「エネルギーの基本計画に対する意見」(案)では、多くの国民の切実な願い「原発0の日本」を無視し、原発推進を打ち出しました。「原子力は、安定供給、コスト低減、温暖化対策の観点から、安全性の確保を大前提に引き続き活用していく、重要なベース電源」「原子力の「安全神話」と決別し、世界最高水準の安全性を不断に追及」「エネルギーに関する基礎的な知識を教育プログラムの一環として取り上げることは大きな効果が得られる」「エネルギーの専門家や事業者、行政官のみならず、エネルギー問題に関係する様々な人が積極的に参加していくことが求められている」と学校で原発教育を推進させようとしています。現在54基すべての原発が停止していても電力は足りている現状と、深刻な福島の原発事故の実態を無視したもので、到底認められるものではありません。私たちは、子どもたちに科学的な認識と判断力を育てる教育を進める立場から「「原発・放射能」のことを正しく教えるテキスト「原発・放射能をどう教えるか」(編集京都教育センター、発行京都教職員組合)を作成しました。このテキストも活用して、まず私たち自身が学び、事実と科学に基づく実践を広げていくことが大切です。

(2)子どもの安全と学校給食

 文部科学省は,3月に「学校給食モニタリング事業」を変更し,東日本大震災関連9県の事業に縮小してしまいました。それを受け、京都府は、3月で「学校給食モニタリング事業」(府下19市町が参加した調査)を廃止しました。結果、独自に検査機械を購入している、京都市、亀岡市、長岡京市の3市が検査を続けているだけです。府の責任で安心して食べられる学校給食を保障すべきです。府や市町村に対して、「学校給食の食材は安全」の調査を要求していくことが大切です。


7.京都府の教育を検証する

 来春の京都府知事選は、人間らしい暮らしと教育などを府民と子どもの手にとりもどすたたかいであり、私たちも「民主府政の会」とともに奮闘していくことが求められています。4期目をめざす現職知事はこの12年間、新自由主義・構造改革路線による国民への新たな攻撃に追随して、府主導の市町村合併や学校統廃合の押しつけと道州制への傾斜、府職員の大幅人員削減や給与減額、京丹後に米軍レーダー基地建設容認などで京都経済、府民のくらしとセイフティーネットを壊してきました。また、関西広域連合を足場にした全国知事会長として、集団的自衛権行使、原発再稼働促進、大型公共事業中心の安倍暴走内閣を地方から一体となって支える舵取り的役割を果たしてきました。しかし、こうした府民不在の府政運営は府民との矛盾と混迷を深め、新たな情勢下での共同を広げる可能性をはらんでいます。

 このような府政下での京都の教育は主に次のような問題点と課題があります。

(1)京都式少人数教育

 世論に押されて現在、国の制度として小2までの「35人学級」が実現していますが、小学3年以上は放置されたままで、府では国から配置される「少人数教育」のための教員を活用して少人数学級・少人数授業・複数指導を選択するという「京都式少人数教育」を数年前から実施しています。しかし、県単位で学級編制基準を緩和している他県と異なり編制基準は40人に据え置いているため、小3をはじめとして多くの学級で35人を超える実態があり、「30人程度学級」を求める府民の根強い願いに背を向け続けています。当面、小中学校のすべての学級を35人以下にすることは切実な課題です。

(2)教職員配置

 全国的に「定数崩し」等による非正規教職員が多用されるもと、京都府でも人件費抑制のために多様な名称、任用形態の臨時講師を1,263人(2012年度、京都市を除く)も任用し、定数内講師も年々増え続けています。講師の身分保障と計画的な学校教育推進にとってこうした実態を改善していくことは急務になっています。また積年の課題である「小学校専科教員」配置についても各教育局1名の試行にとどまり、他府県より遅れをとっています。全教が実施した「勤務実態調査2012」でも京都の教職員の残業は全国平均を上回り、過労死ラインを超す月95時間半に達しており抜本的な教職員定数増を図ることが職務の精選とともに課題となっています。

(3)「土曜日活用」問題

 学校五日制が完全実施され10余年が経過した今日、その定着が見られる一方で府立学校での「土曜補習」や中高校での部活動実施、新学習指導要領に対処した授業時間数の確保等を根拠として、今年度から約7割の府内小中学校で土曜授業を本格実施し、東京都に次ぐ規模となっています。府教委は「土曜活用のあり方検討会議」での拙速な「まとめ案」に基づき先行実施させた実践研究指定校をモデルとし、京教組との週休日の振替等に関しても十分な協議を経ないままに実施拡大を強行してきました。文科省が土曜授業の全国的普及を図るために実施要件を緩和する法整備を打ち出す中で、今後子どもと教職員に更に過重な負担を強いることが懸念され、大人も子どもも「週休二日制」が名実ともに実現させる条件が整備されなければなりません。

(4)高校教育制度

 来春の高校入試から京都市・乙訓通学圏でも「類型制廃止・一通学圏・総合選抜制廃止」を柱とする制度改変が強行実施され、「生徒が選べる高校」の名において「高校に選ばれる生徒」の実態が広がり、結果的に高校間での「合格点格差」が拡大することが危惧されます。府教委は民主府政時代に「全国の宝物」として評価された高校三原則を30数年の年月をかけてなし崩し的に潰し、「戦後京都の高校教育の総決算」と称した改悪を府民的議論も反映させない「有識者あり方検討会議」での「はじめに結論ありき」の形式的な議論を経て強行しました。併行して行われた「府立高校特色化推進プラン検討会議」で打ち出された特色づくりを各高校に出させ、特色の名のもとに格差を助長する新制度に踏み切りました。同時に入試制度についいても、三段階の入試日設定のもと、前期選抜での過激な競争でふるい分けを強めるなど中3生を新たな競争と不安に巻き込もうとしています。既に2004年から一通学圏・単独選抜となった山城通学圏では、それまではおおまかな「格差」でしかなかった9高校が年々、「輪切り入試」により9序列のついた高校に「再編」され、入学後の夢を持ちにくい生徒が増えてきていることが指摘されています。市内・乙訓通学圏でもこうした状況が近いうちに生まれることが必至であり、すべての高校生に豊かな学びと生き方を保障する制度への再転換が求められています。

 こうした京都府の教育施策は上記のように国のすすめる教育の構造改革を推進する立場を明確にするものですが、全国的に名を馳せた「京都の民主教育」の流れを汲む府教委独自の見識でのまともな施策も部分的にあり、教育長が変わって以降どのような方向に進むのか注視していかなければなりません。

 
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              2014年3月発行
京都教育センター