事務局  2013年度年報もくじ


京都教育センター 第44回 研究集会(2013年度)

 -- 記念講演 --

構造改革は地域・学校に何をもたらしたか
―住民・子どもが主人公の地域・学校のあり方を考えるー

                   岡田 知弘 (京都大学・経済学研究科)

  この講演記録は、2013年12月21日に行われた岡田知弘先生の講演を、京都教育センター事務局の責任で編集したものです。なお岡田先生の講演では、資料として多くのグラフや表がありますが、ホームページ上ではずべて省略しています。詳しくは「京都教育センター年報」第26号(2013年度)に掲載されていますので、それをごらんください。 
 

Ⅰ はじめに 報告者の立脚点と「地域」把握

 ただ今紹介された岡田です。地域経済学を研究しています。地域に関わる歴史とか現状とかをできるだけ現場に入りながらそこでの人々の営みあるいは要求について政策提起したり、日本の地域をどうとらえるかという研究をしてきました。今日は、地域経済学を専門にしている立場から、地域を見ていく中で、学校という存在をいろんな視点でお話できればと思います。

 「地域」と一言でいっても、これはなかなか難しい言葉です。人にとって想像する範囲というのは異なります。例えば、左京区聖護院という範囲からはじまりアジアという範囲まであります。その中で一番根源的、原理的に見ても重要なのは人間が生活している領域です。それは、原始時代から現代まで変わりようがない。原始時代から人間は自然に働きかけ、ここから衣食住の生活手段、つまり食料だとか衣服とか建物を作る素材を採取加工し、そしてそれを消費した後は自然に返す。返された自然は地力を肥やす、有機的なゴミですから人間社会の肥やしになるわけですね。より多くの食糧などを作ってくれます。それで人口は増えていく。こういう形で発展したわけですが、ある時期から経済活動の内容が変わっていくわけです。人間そのものでなくて、資本主義企業が主役になります。そしてその活動の広がりはどんどん国境を越えて拡大し、現代のグローバル化時代にいきつくわけです。

 安倍政権は「グローバル人材」を育成する大学政策をかなり強く打ち出しています。世界で戦えるビジネスマンを作る大学に補助金をいっぱい与えます。これを要求したのはグローバル企業のグループです。このグローバル企業はいつから生まれきたかというと、そんなに古いことではなくて1980年代半ばです。今からせいぜい30年前です。そういう中で、人間の生活はどうなっているのか。たしかに鉄道とか、高速道路とか、車とか、生活領域は若干拡大してきたけれども、企業の活動領域の方は地球規模でものすごい速さで拡大していきました。しかも高齢化が進み、後期高齢者が増えていきます。75歳以上のみなさんの一日の行動範囲はどれだけかというと、半径500mと言われています。半径500mというのは市街地で小学校区くらい、農山村では集落の範囲です。つまり原始時代から現代まで変わりようのない生活実態です。京都市内でいうと区がありますが、他のところでいったら地方自治体(市町村)があります。それをカバーする形で京都府というような広域自治体があります。さらにカバーする形で関西エリアを対象にした国の出先機関の行政エリアがあります。そして日本という範囲。これも一つ空間単位です。これが重なっているわけです。さらに国の方も国際的な形で商品取引とか、人の流れがあって、東アジア地域、あるいは最終的には世界、地球レベルとなります。その中で一番力を持っているのがグローバル企業です。世界の経済ルールも自分達が活動しやすいルールに変えていこうとします。

 もう一つ。地域がどういう形で作られているのかというと、いろんな要素、単に経済活動をしているだけでなく、医療や通信、そして教育、文化。これを維持するために、地方自治体とか国が行政サービスをやっていく関係になっているわけです。あらゆる問題が地域の中につながりながら存在しているというような構造があります。

 その中で私たちはよく錯覚に陥るのですが、世界とか日本が先にあって、今住んでいる自分たちの地域が後でできているみたいな感じがあります。毎日毎日、朝起きたらNHKでさえニュ-ヨークの株式市場の終値を報告し、為替市場のデータ―を出しています。そうすると世界経済が自分たちの生活を決めているかのような錯覚に落ちてしまうわけです。逆に、例えば京都の人が毎日働いて、どれだけの企業が、どれだけの経済的な取り組みをなし、今どれだけの失業者がいるのだろうか、このことを子どもたちに調べさせようとしても、こんなデータ―はありません。

 例えば失業者のデータ―一つとっても国勢調査で初めてしっかり調査ができます、ただし5年おいに。最新の2010年のデータ―が発表されるのが2012年です。今、直近でどうなっているかというデータ―はありません。つまり「灯台下暗し」の状態で世界の情報がどんどん流れている一方で、足元の地域に関わる情報がほとんどない。だから錯覚が起こる。客観的に考えてもおかしいですね。各地域の経済なしで、日本経済があるか?あり得ません。そういう各国経済なしに世界経済があるか?これもあり得ません。

 そういう地域の経済がわからないから、これを探る学問が必要になりました。それが地域経済学です。地域をだれが作っているのかといえば、明らかに人間です。そこに住む、働く、あるいはそこで様々な活動をする人々。こういう住民の活動が個々の地域の個性を創り出している。そういうふうに捉えていきますと先ほど言いましたように現代では生活が難しい。資本の経済活動がどんどんグローバル化する中で、人間の生活領域が壊れてきている。いったいこれから誰が個々の地域の住民の暮らしを支えていくかというと、みなさん方の子どもや孫の世代です。

 これまで通りグローバル企業を誘致しようとする地域は存続しえるのだろうか。こういう問題に突き当たってきます。これは人類史的課題といってもいいと思います、これまで経験したことのない問題が起きてくる。資本のそういう活動をある程度コントロールしながら自分たちの地域の持続可能性を作り上げていく必要がある。日本の場合、災害問題が関わってきます。地震の活動期はほぼ30年続くと災害学者は言っています。その間、直下型地震としての首都圏の予想被害が出ましたし、南海トラフ地震の被害予想も出ています。かなりの確率で起こりそうです。そういう中で、人の命が守られて、しかも再生できるような地域の経済を、あるいは社会構造をいかに作っていくのかということが問われてきます。これに対してグローバル企業は明らかに自らの活動がしやすいように国に求め、「世界で最も活動しやすいビジネス環境を作るんだ」というのが安倍内閣の経済成長政策の一番の基本的な考え方となっています。そのために、規制緩和を根本的にやっていく国家戦略です。そして、GPPを活用していく。これは小泉構造改革と考え方は同じです。多国籍企業が自ら活動しやすいような制度、あるいは国の政策の構造を変え、法人税を安くする、そして消費税に転嫁していくというような内容です。

 そしてもう一つは、市町村や府県のあり方を根本的に変えていく、平成の大合併や道州制の推進です。京都でもだいぶ進行しました。これは「道州制の露払い」と言われています。京都府をなくして関西州にする。これは関西の財界が1960年代から望んできたものです。それは大規模な公共事業が集中してできるからです。「多国籍企業が活動しやすい国のかたち」として道州制を要求しています。その金儲けに即した形で、自治体も国のあり方も、形も変えていく。これを「グローバル国家」といいます。実はこのようなにやればやるほど根本的な矛盾に突き当たっています。

 自治体の領域はいったい誰のための領域がふさわしいのか。グローバル企業が広大な領域で活動しやすいように大きくしていくのではなくて、一人一人の住民の生活をきちっとサポートしていけるように小さな自治体でいくべきなのか。そういう中で学校の問題も大きな焦点になっています。

 
 

Ⅱ グローバル化・構造改革の中で、日本の地域はどうなっているのか

 後で報告があると思いますが、京都府内でも市町村合併が多くのところでなされています。これは全国的な傾向です。けれども合併した地域では、周辺部が中心を失って人口が一気に減っていく。

 こういうところが増えているというような実態もあるのです。そういうデータ―を示しながらお話していきたいと思います。

 まず表1。国勢調査に基づいて人口を減らした県の数がどうなっているのか示したものです。これは大変面白い動きです。人口減少県数が増えているのは3つの時期です。1つは1935年~40年、戦時下。生産力拡充期で、京浜工業地帯の重化学工業化がすすみ、そこへ地方から人口が流れていく。これは戦時中の高度成長期です。そして2番目が「大高度成長」期の1955年~70年。過疎・過密という問題や、民族大移動という言葉が生まれた。ここでも3大都市圏に人口が集中した。そして3つ目。1985年~90年、ここが「バブル景気」です。つまり景気拡大をおこないますと、人が足りなくなって東京に周辺から人々が吸引されていく。

 少子高齢化が指摘されるのは2000年代からです。2004年に初めての人口減少を記録します。それまでは横の移動です。これがなぜ起きるのか。地域で住み続けることができなくなるからです。雇用削減で所得がない。日本列島の地図で、1995年から2000年にかけての市町村ごとの人口増減率を見ると、人口を減らした市町村が日本列島の周辺部に広がっていくことがわかる。三大都市圏とその周辺だけが人口が増えている。

 なぜかというと、「二重の国際化」が進行したからです。一つは海外に工場移転をしていく。それが図3で示してあります。特に自動車と家電です。これが1986年に前川レポートが出される前提となった貿易黒字を生み出した二大基幹産業です。アメリカの貿易赤字の75%はこの二大基幹産業がつくりました。黒字を減らすために、海外への工場進出を政府は奨励した。逆に言えば日本での成長産業がどんどん縮小していくことを意味しました。

 表2は、企業の海外進出にともなう生産や雇用の減少がどれほどなのかということを示した政府のデータ―です。90年代半ば以降マイナス△印が増えていきます。今はこのデータ―は公表されていません。かなり大きな数字なので伏せているのではないかと私は見ています。海外からみますと、資本を受け入れるという代わりに、自分たちが作っている農産物とか中小企業製品の関税を引き下げてどんどん輸入して欲しいという要求が当然強まってきます。これがガット(GATT)やWTO交渉です。そして、今のTPPに繋がってきます。輸入の自由化をはじめとする「政策的国際化」が第二の国際化の側面です。

 表3を見ると、中小企業性製品の輸入がどんどん増えました。3倍強輸入が増えている。実は大企業の方も輸出を増やしていまして、大企業の絶対額の金額欄の輸入額と輸出額を差し引いたら貿易黒字が逆に増えていったことがわかります。つまり、大企業が作り出した黒字額を減らすために中小企業製品を中心に輸入をどんどん増やし、当時は西陣とか丹後縮緬産地の事業所が5年間で3割も減少しました。そんな犠牲を強いながら、大企業の方はむしろ輸出を増やした。こういう状況です。そして図4の棒グラフが農産物の輸入増加を示しています。バブルがはじけた後、91年以降も右肩上がりに増えていきました。結果的に折れ線グラフの一番下の線ですが、農業生産額はどんどん右肩下がりに減少し、穀物自給率は先進国最低水準に落ちこみました。

 実はこういう中で一人利益が集中していく地域があります。図5でわかるように、グローバル化に伴って輸出と海外投資の利益の7割が東京に集中しています。東京の丸の内、品川、汐留。しかもそこの4割が外国人持ち株です。大阪と名古屋にも多国籍企業の本社がありますが1割です。そして京都ですけども、ほとんどありません。こういうようなグローバル化に伴う大きな格差が地域的に広がっていく。

 働く人の数がどうなっているかを表4で見ると、一言でいえば農林水産業、製造業、建設業、ここが大きく減らしている。モノ作りが減り、そして医療、福祉関係、サービス業が増えている。京都市内で80年代前半に一番雇用力があった産業細分類は、織物業でした。西陣がありましたから。2000年ぐらいになりますと、なんと病院業が一番働く人が多い。これは大阪も同じです。こういうような形になっていきますが、考えてみますと、農林水産業、製造業、これを基盤にしたところは京都でいいますと丹後です。これが郡部経済です。輸入促進政策とか海外進出の結果として打撃を受けたのです。

 これに小泉構造改革が重なってきたのです。2001年に小泉純一郎氏が首相になった時に「改革なくして成長なし」と言ったことを覚えていますか。その後どうなったのか、「通知表」を作ってみました。それをデータ―として示したのが資料4の下のグラフです。都道府県別に見て経済成長がどれだけ成し遂げられたかを県内総生産と県民所得、2つのデータ―で見ました。まず一番言いたいのは全国平均ですが、小泉構造改革期に実はマイナスを記録しています。つまり改革しても成長しなかったというのが一番はっきりした事実です。ただし、増加した都県がいくつかあります。一つは東京、もう一つは愛知、トヨタの所在地です。ここが増えている。しかもこの東京の飛び出方がひどいんですけども、資料5のデータ―を見てください。県民所得は3つの構成要素からなっています。雇用者報酬、財産所得(株とか土地取引による所得)、そして企業所得。これを分解してこの間何が増えたか減ったかということを都道府県別に見た。東京を見て下さい。一つだけ棒グラフが飛び出ています。300%を超えるような伸びですが、これは東京の財産所得の伸びです。つまり村上ファンドとか、ホリエモン事件とかがありましたよね。そこの利益です。小泉構造改革で金融緩和をして、ここにぐっと集中して増えたのです。これが2008年リーマンショックでドーンと落ちたのです。そういうような不労所得の集まりでもあるのです。

 ともあれ、構造改革期には人口が東京へ東京へと動きました。この時期に東京に向かう人口移動の山がぐっと伸び、東京首都圏もそれに続きました。他方で北海道と並んで大きく減っているところは大阪です。大阪はなぜ減ったのか、この間メガバンク化という金融再編が行われ、大阪を拠点にしてきた住友がなくなり、三和銀行もなくなる。しかも、ものづくりの街で繊維関係が衰退して船場も崩壊していくわけです。働く場が狭くなっていった。完全に東京一人勝ち状況というようなことになっていったわけです。こういうような形で、地域間格差が広がっただけではありませんでした。

 社会的な問題として、自殺者数ですが、98年にぐっと増えます。昨年まで自殺者数が連続して3万人を超える事態が続きました。その多くが中高年、男性で経済的理由です。不良債権処理が本格的に始まった。生命保険を落とす、借金を返すため自殺者が増えていったのです。近年では子どもたちを含めた若者の自殺が増えています。これはまさに未来を悲観した自殺です。男女別に見た場合、折れ線グラフの上を走っている男性の方が弱い、精神的に折れてしまって、女性よりはるかにぐっと自殺率が上がってしまうというようなことがあり、失業率もずっと上がっていくというようなことになります。

 そしてこの小泉構造改革期に市町村別合併も推進されました。この市町村合併に関わって、自治労連と自治体問題研究所が連携して2008年に調査をやりました。そのうちの一つが私も関わった佐賀県唐津市での調査でした。表10を見てもらったらわかるのですが「合併してよくなかった」という評価が旧唐津市から遠ければ遠い地域ほど多くなっています。ここでそれまで行われていた福祉サービスとか様々な行政サービスの水準が落ちてしまったからです。あわせて表11を見てください。これは全国4か所の市民を対象に「構造改革をするにあたって、地域で暮らしていくうえで困っていることは何ですか」と尋ねたものです。都市部でいきますと、守口と東大阪で調査しました。特徴点としては、「隣近所のつながりが弱くなった」。これが唐津や北秋田を含めてトップです。しかも災害への心配も高い比率です。これに加えて、金融機関、ATMの問題、交通の問題、買い物の問題が大きな問題としてあがっています。これはすべて小泉構造改革に出てきた問題です。一気に暮らしにくい地域が作られ広がってしまったのです。

 「強いものはより強く」という新自由主義の考え方での改革です。地域としては東京だけが強くなっていく。デビット・ハーヴェイ、彼は経済地理学者です。私たちの大先輩です。彼が『新自由主義』という本で、先進国で共通した改革の方向を研究して、その本質について、「新自由主義改革の主たる実績は、富と収入を生んだことではなく、再分配したことであった」と鋭く指摘しています。つまり、新しい冨は生まれていないのです。限られた冨をより豊かな階層により多く再配分する方式に変えただけということです。これは社会保障改革とか、あるいは税制改革、そういうものを通してでした。まさにそういうことが小泉構造改革の本質でしたし、今安倍内閣がアベノミクスで税制改革をおこなっている考え方にも通じるものです。

 さて、そういう中で日本の将来を考えていくと、一つだけ違う話になっていきますが、海外との取引関係で大きな構造変化を遂げている点に注目しなければなりません。資料2の図6を見てください。これは、海外との取り引き関係の推移を示しています。折れ線グラフでのこぎり状のものが貿易収支、つまり貿易の輸出入の差額です。ずっと日本は貿易黒字を続けてきました。これが今年も貿易赤字が確実ですので、3年連続貿易赤字国になっています。それを2000年代半ばで追い越したものがあります。それは所得収支というもので、海外投資に伴う収益です。海外の株を買う、証券を買う、そして海外に工場を作る。それによる利益です。これをもって日本は「投資立国」になったと『通商白書』2006年版は書きました。イギリスやアメリカに次ぐ先進国的な経常収支構造だといういい方をして、さらに投資立国の道を歩むべきだということを言っているわけです。これは極めて危険な道だということを、私は当時から批判しています。それまで日本は貿易黒字をつくって翌年の原材料とか油とか、そして食料を買って再生産をしてきたのです。貿易黒字がないわけですので、お金は投資の収益しかないわけです。ところが投資の収益は先ほど示したように7割が東京に集中して、そのうち4割が外国の持ち株です。いったいどうやって安定的に海外から油や食料を買うのか。しかも隣の中国が台頭して、外貨保有高は日本を超えています。日本の農山村は荒れたままです。なぜ農地をもっと活用しないのか。あるいはバイオマスエネルギーとか、あるいは小型水力、こういうものをしっかり作っていくことをしないのか。再び原発を稼働しようとしている。そういう方向ではなく、国内の食糧や再生エネルギーへの投資、これこそが戦略的に求められる必要がある。そういう時代認識を持つべきではないかということを一つ付け加えておきたいと思います。いずれにしろ、地域の経済そして日本人にとっての生活・経済は、持続可能性の危機に陥っているといえます。
 
 

Ⅲ 「グローバル国家」型構造改革とその推進過程

 次に、誰がこういう「国のかたち」をどういう理由で作ってきたかということです。ここでは財界の「グローバル国家」論を紹介します。もともとは1996年の橋本行革ビジョン、これが作られる前に経団連ビジョンが作られて、ここで初めて「グローバル国家」という言葉が出ます。これは地球規模の国を作るという意味ではなくて、グローバルに活動する企業を応援するような国のかたち、政策内容をもつ国を作っていくという意味です。そういう形で行政改革が進行して、市町村合併政策も行われました。この市町村合併に関しても実は経団連が絡んでいます。

 経団連がなぜ市町村合併に口を出すのかということがよくわかる文章が2000年の政策提言に出ています。「例えば中小規模の自治体における電子化への取り組みの遅れとともに、地方自治体ごとの煩雑な許認可等の申請手続き、庁内の縦割り行政等が効率的・合理的な企業活動の展開を阻害し事業コストを押し上げ、グローバルな市場競争面での障害となっている」と述べられています。グローバル競争に打ち勝つには、小規模自治体があることが障害だ。だから例えば電子入札だけで価格だけでも受注していけるような、あるいは大規模開発がしやすいようにするためには小規模自治体が乱立してはだめだ。大きな自治体で住民の声が届きにくい方がよい、そういうふうな自治体に対する考え方がこの文書の中に潜んでいます。このような論理から市町村合併政策推進ということになります。

 2003年、小泉構造改革の真っ最中に経団連と日経連が合併します。そして新しく日本経団連が作られて新ビジョンができまして、「メイド・イン・ジャパンからメイド・バイ・ジャパン」というふうな考え方が出ます。「これまでは日本でできたもの、国内でできたものを輸出するという政策でよかった。でももうそういう時代じゃない。日系企業であれば、アメリカで作ろうがあるいは中国で作ろうが同じ日系企業による生産であれば、国内にこだわらずそれをすべて応援しようじゃないか」。こういうことで「メイド・バイ・ジャパン」という言葉をつくります。そのために第一に内外資本のためのインフラ整備を行う。公共事業のバラまきではダメだ、多国籍企業の国際活動を支援するような空港、港湾、高速道路整備に重点的に金を投入するということです。

 そしてもう一つ、法人税率が高すぎるからこれも引き下げる。この時点でEU並みの税率が必要だとされ、消費税を2段階で10%台にするとされていました。法人税率の引き下げは税の財源を縮小しますので、それを消費税に転嫁するという考え方をしています。さらに道州制を入れていくという。300基礎自治体、つまり当時3232あった市町村を10分の1の300にする。平均人口30万人以上です。
その行政内容に関しても、個人の能力や個性にあった教育、学校選択制とか、そういうものを含めた教育の自由化を強調しています。そして働き方です。派遣の枠の拡大を、選択できるという表現で推進しています。そして医療です。「死に方」とは言いませんけども「最期の迎え方」が選べる社会と文章には書いてあります。老人医療が高すぎるから一定年齢までは公費で負担し、そこから先は個人が自己決定できるような社会にする。つまりお金があれば長生きができて、お金がなければそれまでよということです。そういうふうな世の中にすべきだという提言がある。これが高齢者医療制度として具体化します。

 日本経団連はもう一つ、憲法問題にも嘴をはさんでいます。2005年1月の段階で、自民党も民主党も改憲を政策に入れていました。それを念頭に置いて国民投票法を早期に成立させて、憲法9条と96条の改定を先行すべきだと経団連が提案しているのです。このようにして憲法を改定しやすいようにする。もうひとつ武器三原則廃止。武器輸出がしたい。軍需産業の代表格が三菱重工だし、東芝、日立です。これらはすべて原子炉メーカーです。原子炉メーカーで作っている安倍後援会にさくら会というものがあります。これは安倍氏の有力な後援会組織です。そういう政治経済関係ですが、彼らは憲法があるから武器輸出ができないんだという認識です。企業活動がグローバル化して極東有事だけではなく、アフリカであるかもしれない。その時に、日米共同で集団安保体制を作る必要があるという認識を持っています。だからこそ解釈改憲や明文改憲を求めているというような経済的理由がある。決して復古的な主張ではないところが注意点です。

 そして道州制を「究極の構造改革」と位置づけて2001年に提起しています。京都府をなくすと8000億円ぐらいの財源、8000人近くの一般職員が京都市内を中心に消えてしまうことになります。そして財源は大阪に集中していきます。大阪で関空のような大規模な開発をやっていく財源となります。

 多国籍資本にとって無駄にみえるような社会保障とか教育等のナショナルミニマム、これを切り捨てながら、儲かることは市場化に委ねる。そうでないところは住民の自己責任にするわけです。さらに、そういうことを受忍するような価値観を子どもに植え付けることが考えられているのではないかと思います。これに応えたのが小泉構造改革だと思います。

 『週刊現代』という雑誌で2002年5月に麻生太郎氏がインタビューにこたえていまして、小泉氏の評価とあわせて、憲法問題に関して本音を語っています。国立大学の法人化が決まった直後のインタビューです。「いま行政の簡素化や透明化に伴って人員的には絶対的に小さな政府が求められています。だけど同時に、防衛とか外交とか教育という面に関しては小さくて強い政府というイメージが正しいんだ。そういう意識をきちんと持って国家を運営していこうとする人ですな。やっぱり憲法改正とか教育基本法とかいうのが避けて通れなくなってきているんですよ」。これを受けて第一次安倍内閣の時には、憲法改定と教育基本法改定と道州制、これを三大政策目標として公約して首相になりました。「この三つをそろえて首相になったのは安倍さんが初めてだ」と渡辺治さんは言っています。けれども小泉構造改革の矛盾が噴出して第一次安倍内閣は崩壊してしまいました。けれどももう一度その夢を、今第二次安倍内閣で実現しようとしているのではないかと思います。

 そういう中で、「グローバル国家論」に基づく教育政策への圧力が加わっています。特に最近「グローバル人材」と言いだしました。大学だけではなく、小学校でも英語教育を増やしていくという話が出てきています。多国籍企業のために国際的な商戦で勝ち抜けるような人材を育成する。「これが最大の国家目標である」といういい方を下村文科大臣あたりが言っています。

 今現在10歳前後のところでの同一年齢人口は100万人か110万人です。大卒のところで一部上場企業内定者は、大体2万人です。大卒の学歴を持つものが50万人です。大卒者すべてが一部上場企業に入るのではない。もう一つ、製造業だけとっても、海外進出をやっている企業は2割にもいきません。人間というのは単に企業人という側面だけではなくて、文化的側面とか、あるいは社会的側面において全面発達をしていく。そういう契機も能力もあるわけです。そのうち国際的な企業戦士だけを育成するために、すべての子どもたちを対象に引きずり回していく。そして大量の落ちこぼれ的な人が生まれてくると思われます。多くの社会的な犠牲が生じてしまうのではないかと考えているのです。しかもそういうことをやるために競争原理が地域間、学校間、教員間、そして生徒・子どもたちの間で組織されていく。あるいは、「自立・自助」を価値意識として大事にする生き方を求める。「公徳心」というのは財界が提案した言葉です。「道徳教育」これは文科省、中教審で堂々と言われていることです。そういうような価値観を入れていくことがおこなわれています。

 一番典型的なことが隣の大阪の教育改革ではないかと思います。大学にしろ、高校にしろ、成長戦略の一環として学校というものをとらえて、その再編をしていく。そのために教員の統制や公務職員の統制をおこなって、もの言えぬ教員だけではなくて、もの言えぬ将来の主権者をつくっていく。そういう意味では民主主義の圧殺です。いま議論されている教育委員会制度改革についても、首長の支配下に置くことになっています。一定の教育の持続性なり、系統性なりを、どうやって保障するのかという問題がかなりの大きな問題だとなるわけです。そういう意味において教育そのものが非常に大きな焦点になっているのではないかと思うのです。「グローバル国家」論的な成長戦略の一環として捉えるのではなくて、子どもたちの全面的な発達を保障していくのかどうかで見ていく必要があります。
 
 

Ⅳ 新自由主義的「構造改革」への対抗軸の形成

 次に、財界や政府のねらい通りにはいってないことを話したいと思います。政府は「平成の大合併」に関しては当初「3232自治体を→1000自治体にする」ということを閣議決定いたしました。実際のところ、合併は2006年に一旦終了しています。旧合併特例法の期限切れの時点での達成率は64%でした。「昭和の大合併」の目標達成率は98%でした。これと比べますとかなり低いことがわかります。現在1719市町村になっています。

 「大義なき合併」と私たちは言います。そういう形でできた基礎自治体というのは人間の生活領域をはるかに超えた「行政領域」になってしまうところが多いわけです。高山市では、2000㎢を超える。みなさん想像できないと思います。これは東京都の面積とほぼ同じです。大阪府とか香川県より広いのです。そういう一つの基礎自治体を作ってしまった。そこで何が起こったか。一番端っこの高根村。野麦峠がある村ですが、高山市街地から車で一時間半くらいの山村です。合併後4年間で人口が3割も減りました。役場がなくなり、支所になった。それに伴い小中学校が統廃合されてなくなりました。その結果として、小学生や中学生の子どもを持っていた相対的に若い層、彼らの多くが高山市街地に移住しました。そうすると冬場雪がすごく降る所ですから、年寄りだけでは安心して冬を越せません。雪崩をうった形で住民がどんどん減っていったわけです。

 「死ねというのか」の声。これは私が奈良県南部で聞いたことばです。吉野郡の合併です。下市町という近鉄の特急が停まるところから熊野灘に近い下北山村にかけての県が進めた「郡単位に合併すべきかどうか」という住民投票がありました。下市町と下北山村の間は、バスで3時間半で片道3500円ぐらいかかります。下市町に市役所ができてしまうと、下北山村の方では村役場はもちろん診療所がなくなる可能性があり、下市町の病院まで行かなければならなくなる。往復バス代だけで7000円かかる。だとすれば、自分たちで生きていけない。お年寄りが、こういうようなことを切々として訴えておられました。まさに生死をかけた改革として、住民側には映るわけです。圧倒的多数の住民が自立賛成という判断を下しました。合併しませんでした。

 市町村合併にともなって小中学校が統廃合でなくなるということは、地域にとっては大変なショックです。逆説的な話になりますが、昭和の合併をやって、それ以降小中学校がなくなるなかで、地域づくりをどこを拠点にするかというと、宮津市、舞鶴市で見ますと、元の学校施設が活用されています。施設設備だけじゃなくて、学校の同級生ネットワークも大きな役割を果たしています。例えばいろいろな職種の人が結びつきながら、再生可能エネルギーを活用した地域があります。そういうような形で見えない資産が学校というところに入っているわけです。こういうものを残っている所で活用していくことが必要なことではないかと思います。

 さて政府の方は、一層の合併を進めるべきだと考えていましたが、2009年6月に第29次地方制度調査会答申がでまして、政府側でも現場の声を聞く限り「これ以上合併推進政策をとらない」という結論を出しました。理由があります。資料2のところです、京丹後市の合併協議会の合併シミュレーションによって描きました。今回の合併にあたっては財政的なおまけがついているのです。一つは本来合併して大きな自治体になると人口規模が大きくなっています。人口規模が大きくなると、一人あたりの交付税単価が下がっていきます。総務省が財務省と一緒になって合併を促進しようとした。全体として国が支払う交付金の総額が増えている。合併翌年にガタッガタッと落ちてしまったら、職員を減らし行政サービスを落とすことになります。そんなことはできないから、合併特例という形で10年間は合併前と同じ計算で旧町村単位で計算して、それを合算します。あと5年かけて20%ずつ減らしていき、16年後に本来のあるべき水準に落ち着く。図7のグラフでいくと、一番上を走っているのはおまけがついた部分です。しかも合併特例債という公共事業です。「5パーセントの頭金があったら95%は借金でいいですよ。全体の7割が後で交付金という形で差し上げます。これで公共事業もいきますよ」というものです。ところがこれを差し引いて真水部分だけを見るとどうなるか。おそらく、△印の方になると考えられます。

 10年たって合併しない場合の交付金総額をはるかに下回ってしまいます。京丹後市は来年、合併10周年迎えます。あと5年たったら、もっと交付金が削減されることになります。それが大きな課題になります。図7の下のところに地図があります。合併前に6つの役場があって、それぞれ40億円ぐらいの財源を支出していました。地域内に発注しておれば地域内でお金が循環して、建設業とか文房具屋さんとか飲食店とかが潤っていた。その投資の核である役場が消えるのが合併です。大型合併で一つになっても、新市役所から支出される財源規模は小さくなっていくわけです。何が起きるのか。周辺部から民間の経済力がない所ほど地域経済が崩壊していく。人が住めなくなる。京丹後市の場合、合併前と比べますと、周辺部を中心にほぼ2倍の人口減少を起こしている。

 このように、「合併したら地域が活性化する」ことにはなっていかないことは歴然としたことです。道州制も同様なことになります。関西州になれば、大阪に州都がいき、京都は周辺部となり地域は衰退します。さて、「平成の大合併」の際にはそういう道理を知った地域で、合併をするかどうかは住民が判断すべきと、住民投票条例の直接請求運動が京都でも起こりました。

 全国的にみますと4分の1の自治体で取り組んでいます。そのうちで半分のところで住民投票をやり、その半分が自立を決めていくというようなことになりました。それまでは原発の住民投票が年間にして4~5件ある程度でした。それが3年間400カ所近くで住民投票が実施されたわけですから。地方自治体の根幹である住民自治の破壊をやろうとしたのですから、逆に住民自治の広がりを作ってしまったわけです。こういうふうなことが2004~2005年に起こっていったわけです。その時、あちこちで子どもたちが参加しています。特に長野県です。中学生が勉強して住民投票に参加していった。高校生が合併派・反対派の町会議員を招いて、討論会だとかディべートをやる。さらにアンケートをとる。そして投票に参加していというように。

 諏訪湖に面した茅野市では漫画家が高校生と一緒に、市が実施した住民アンケートにとりくみ、わかりやすい漫画やメールを活用して反対をしていく。そういう形で次の地域の将来を担う子どもたちが、真剣にまじめに議論し、取り組みに参加していくということも見られたわけです。合併しない自治体を応援する知事も生まれました。長野県の当時の田中知事、福島県の前の佐藤知事。逮捕されてしまいましたが。こういう方々が自立を決めた市町村を応援していき、合併しないようにする。『小さくても輝く自治体フォーラム』というものが2003年から長野県栄村で広がっていきました。最初はわずか5人の呼びかけ人だったのが、60人規模になり、今恒常的なフォーラムの会に発展してきています。10年間、毎年2回フォーラムを続けています。

 例えば、原発推進県の福井県西川知事。彼は自治省出身であり『ふるさとの発想』(岩波新書・2009年7月)を出版しました。この日付が大事です。つまり先の政権交代選挙の直前だったのです。この本のなかに「地方自治というのは、そこに生活する住民の意思をいかに汲み取るかが重要なんだ。大きければいいというのではない」と述べ市町村合併政策と道州制を強く批判しているわけです。加えて、合併で本当によかったのだろうかと、私も自治労連の皆さんと調査をやりながら、先ほどの唐津市での調査データ―を住民に発表し、それをマスコミが報道することによって、周辺部選出の議員が選挙で当選し、市長が周辺部に配慮する発言をする。また、他の地域でも合併後の問題が噴出したところで、現職を落として新人が当選する例が相次ぎました。そういう動きが京都の福知山市長選挙でも合併後出てきたのです。

 『小さくても輝く自治体フォーラム』運動の取り組みとして、10周年記念集会をやりました。その際、呼びかけ人で元全国町村会長も務めた保守系の、日航機が墜落した御巣鷹山のある群馬県上野村の村長だった黒澤丈夫さんがメッセージを寄せてくれました。その文章がものすごく格調高くて本質をついた文章でしたので、ここに引用しました。

 『我々は平素「自治」という言葉を安易に使用しているが、それは人間が生きるために構成した社会の経営に関する深遠にして重大な行為の一つである。動物の多くは成長して独り立ちができるころになると、一匹一羽で生きていくが人間は知性によって他人と協力して生きることが有利なることを悟り、同じ地域に定住する者たちで扶け助けられつつ、協力して生きてきた。この社会の経営を律する方策は種々あるが、住民の意思に従って方策を決するのが、自治と呼ばれる制度だ。自治する社会においては、常に他人を意識し協力の恩に感謝する心を持たなければならない。この理を学び育てる教育が、不足しては居るまいか』
かなり静かなタッチですけども、合併政策に対する本質的な批判もあるし、自治というものって何だろうか、人間の本質に立ち戻ってもう一度捉えなおすような文章になっているのではないかと思います。小さな自治体だから住民の心を吸い上げて、自治体の職員と協力しながら地域で生きていく。

 これは長野県栄村などで実践されてきたことでありますし、このネットワークを通して全国に発信されていきました。資料3の図11を見てください。栄村では高齢者率が40%超です。長野県の高齢者率でいきますと、上から数えて5番目です。これは後期高齢者医療制度が始まる前の「一人当たりの老人医療費」を、全国、長野県、栄村、京都市を並べて比較したものです。栄村が低いことがわかります。なぜか。一つはこの村では長野県の他の自治体と同じくPPK運動、ぴんぴんころり運動を展開してきました。日本語です。戦後長野県では乳児死亡率とか成人病の死亡率が大変高かった。佐久総合病院の若月俊一さんたちが勉強しながら、在宅医療・在宅介護サービスをずっとやってこられました。そうすることによって、住民は自分たちでケアできるところはケアをする。大きな病気だと大きな病院で手術するとかいうような医療体制をつくります。そしてこのケア体制を住民とともに自治体と診療所が協同してやっていきます。それに加えまして、栄村では「下駄ばきヘルパー制度」というものを作っていきます。2000年度から介護保険制度が開始された時に、雪が3か月近く3m近く積もる地域で安心して冬を越すにはどうしたらいいのかを議論する中で栄村では住民たち自身がヘルパー資格を取ろうじゃないかということで、2400人のうち200人がヘルパー資格を取っていきます。自分たちが自ら行う。これは社会教育があってこそのことです。彼らは社会福祉協議会の臨時職員として働いています。だから、福祉対策と現金収入の機会ともう一つ防災対策、こういうものがつながった形で混合された政策です。かつ財政効果も高いのです。国民健康保険料と介護保険料の基準額は県内最低です。みんな元気です。得意技がそば打ちとか、あるいは稲わらで猫の家(猫つぐら)を作ることとかで、生涯現役として働く。坂道が多いですから毎日毎日上り下りする。健康な体でいますし、大変きめ細かなケア体制がありますので、グラフのような成果が出ているのです。隣の京都市を見て下さい。一人当たりの老人医療費が大変高いです。

 「大きくて強い自治体をつくる」と小泉さんは言いました。でも私は「大きくても輝かない自治体だ」というふうに思います。自治体というのは小さいからこそ住民と自治体の距離が近くて、そして福祉も教育も繋がった、総合的な政策をつくり、実施することができるのです。こういう自治体こそが本来あるべき地方自治体であると示しているのではないでしょうか。この栄村では、3.11のあと3.12に大きな直下型地震が起きます。被害が出るわけですが、この6月には、木造の復興公営住宅が完成しまして、仮設住宅はみんな撤去しました。東日本大震災地域はまだまだです。

 さて、こういうところでも地域づくりによって栄村では子どもたちも元気です。和太鼓チームがあります。アメリカなんかへ国際公演をする。自信をもって太鼓を打つ。そしてもう一つは給食。伝統食というものを作って農家の方から村がちょっと割高で購入します。それを食材として給食として食べてもらう。村のおいしい味、これをしっかり子どもの時に覚えてもらう。これも大変重要な取り組みなわけです。次の担い手づくりを意識したものです。

 社会教育による学習の力、自治力があります。栄村でも公民館活動がベースですし、長野県阿智村でも公民館活動がベースになって 地域づくりをしています。単に勉強しているだけではありません。ここも1000人に満たない村が2つ周辺にありまして、ここと合併して、今学校づくりをやっています。学校づくりというのは建物から始まります。できるだけ地元の材料を使って地元で仕事を作ろうじゃないかという発想から始まりました。また僻地校に指定された県立高校がありますが、ひょっとしたらなくなるかもしれない。けれども地域から高校がなくなってしまいますと、さらに一層厳しい状況になるので高校を守ろうということで高校の先生たちと村が連携しながらとりくみを強めています。例えばこの村では昼神温泉の旅館と連携してインターシップ方式で生徒たちに仕事の現場に入ってもらったり、あるいはいろんな職種の方の話を学校で聞いたりしています。それに加えて、村が主体になって塾も一緒に併設することもしています。学力を上げて、飯田の高校の方は進学校がありますが、それに負けないように学力をつけてもらおうじゃないかという取り組みもちょうど今開始したところです。そういう形で、社会教育と学校教育をつなぐ。こういう実験がスタートしています。いずれにしても、団体自治と住民自治、これを結合する。これを地方自治という。問題はどう具体的にそれぞれの自治体にあった形でそれをやるかということです。

 小さい自治体ほどやりやすい。ところが京都市のような大都市が難しい。そこで新しい制度として地域自治組織というものが地方自治法の改正によって使えるようになりました。これは政令市だったら左京区という単位、あるいは左京区の中でも吉田という地区に住民が参加できる地域協議会というものを作ろうと思ったらできます。そこに事務所を作る。そこでの行政サービスは、今区役所がやっている、住民票発行とか、あるいは税務とかだけではなくて、その地域に限られた、例えば建物の補修とか商業施策とか、場合によっては教育的な仕事も各区の個性に合わせて、市長や市議会がやろうと思ったらできるのです。

 今合併したところで、新潟市と浜松市でこれができています。そういう中に住民が手をあげて公募委員で入れる自治区があります。もっと進んだところに、新潟県上越市があります。ここは政令市ではありませんが、「公募公選」という形で住民が立候補して全員がその中から、場合によって選挙で選出されています。28の地域自治区が、20万人、面積1000㎢の広域合併都市の中につくられました。地域の個性があまりに違い過ぎるから各地域の個性に合わせた地域づくりをするためにということで、こういう制度ができました。しかも地域づくりの資金までが自分たちで決めて活用できます。ハード事業で、普通の事業もできます。私が気になったのはこの28のうち旧上越市、直江津と高田市の地域区分の考え方でした。そこで、「ここでの地域の範囲はどういうくくりですか、小学校区、中学校区、あるいは昭和旧村、どういうくくりですか」と市役所に聞いたところ、「学校というところは、校区の範囲がかなり頻繁に変わるのでこれはとりません。昭和旧村なんです」。というのは、「多くの地域組織・団体がこの単位で残っており、地域の取り組みをするために一番ふさわしいものだ」といういい方を担当者はされていました。そういう形で自分の生活領域にふさわしい範囲で地域自治組織を作り、そこに行財政権と住民の参加権、行政の参画を保障していくことによって、大きな自治体になったとしても住民自治と団体自治の結合ができる。こういうふうなことが現に可能だということを示しています。

 ちなみにヨーロッパの例をみますと、遠い世界の話かもしれませんが、道州制がらみで興味深いことがあります。例えばドイツもフランスも州があります。ドイツは連邦制ですから、日本のような単一国家と違いますから比較対象から外しまして。同じような単一国家体制であるフランスの場合の州をみてみます。いったいどれだけの広がりか、大きさかと調べてみますと、人口規模は州平均で200万人です。京都府の人口は240万人です。つまり、州といいながらスケールが違う。その下にコミューンがあって、これが基礎自治体です。人口1000人以下が全体の8割です。行政サービス、例えば小学校とか中学校とか福祉サービスとかをどこでやるかといったら、コミューンやその組合、連合体です。コミューンができなければ県がやる。県ができなければ州がやっている。重層的構造です。最初言いましたが、地域の重層的構造に合わせた形での自治組織が揃っている。すべて住民の代表が選挙で選ばれて議会をつくる。こういうような形で住民の声を活かしていくような仕組みを日本でも作っていけばいいのではないでしょうか。財界とか自民党が標榜しているのは30万人基礎自治体を並べていって300個。その上に10個ぐらいの道州制を乗っけていく。5000万人を超える先進国でこんな国はありません。こんな乱暴なやり方はあり得ないのです。そういうことはやらしてはいけないのではないでしょうか。
 
 

Ⅴ 新しい福祉国家を彫刻しつつある地域社会運動の展開

  私は「新しい福祉国家構想研究会」を、渡辺治さんたちと一緒にやっているわけですが、そういうものを実現するために、いろんな取り組みがされているんじゃないかと考えています。みなさん自身がやられた取り組みがあったかもしれませんし、現に取り組まれているかもしれません。構造改革の後の格差是正とか、「派遣村」の運動もありました。今、原発再稼働反対、TPP反対、改憲策動に対する反対運動など、かなりの幅広い年代へ広がっていると思います。そういうふうな基盤が生まれてきている。かつての保守と言われている方々も生活しづらいし、問題視せざるを得ないような事態が広がっているのではないかと考えます。さらに公共サービスをどんどん民営化していって、一部の企業の利益になってしまう。例えば図書館の指定管理者を「ツタヤ」が請け負う。佐賀県の武雄市の話ですが、図書館機能がごくわずかになっている。他方で「ツタヤ」の商売スペースをグッと広がったという、そういうものに税金を投入した施設が活用されてしまう。これでいいのだろうか。あるいは社会教育施設の公民館がカルチャーセンター化している。こういう形で活用されてしまいますと、本来の社会教育による発達する場としての役割がなくなってしまっている。こういう問題が広がっていることに対する批判なり反対運動が起こっているわけです。

 大阪でも橋下改革に対して大きな批判のうねりが拡大していまして、つい最近も泉北高速鉄道の外資売却が否決されて、維新の会が過半数を切るという分裂騒動に発展しました。そういう土壌の中で橋下氏の支持率が初めて過半数を切りました。なかなか地下鉄民営化条例が通らない。こういうようなところでの協同だけではなくて、「公契約条例」とか、中小企業振興基本条例を作って自治体が地元の地域の経済振興をするために中小企業と連携しながら事業を展開していく取り組みが広がっています。今、中小企業振興基本条例は、全国で135自治体に広がっています。道府県レベルでは26で過半数を超えました。京都府内でこれを制定しているのは残念ながら与謝野町だけです。京都府が制定しようとしないんです。そうなったら、なかなか市町村のところでも制定の動きが進まないことになっています。地域づくりの担い手である中小企業をきちっと応援するような首長さんでなければならないと思います。愛知県でさえ、愛知県中小企業振興基本条例が制定されました。これまでのように、トヨタに依存せず、地域経済を担う中小企業を重視していくということとか、「金融機関の役割」という規定を設けて、中小企業支援を宣言しました。愛知県では東海銀行がメガバンク化でなくなり、地域金融が他地域の銀行の草刈り場となりました。そこで、金融機関に関して、地域の中小企業に貢献するような取り組みを行うよう求める姿勢になります。愛知県条例ではこういう趣旨の条項が入っているのです。そういうようなことを京都でもやっていく必要があるのではないかと思います。

 社会運動全体が広がりを見せていく中で一番厳しい局面にあるのは被災地ではないかと私は考えています。被災地の「創造的復興」ということで、これまでにないような規制緩和で復興特区を指定することによって推進していこうというのが民主党政権時代の復興政策の基本内容です。宮城県では特にひどくて、ハード事業として防潮堤を15mの高さにすることに初めからこだわり、あるいは仙台での植物工場、あるいは太陽パネル工場を外資系企業も入れてかつ補助金を活用しています。一方でそこを居住制限地域という形にしているのです。そこでは家を建てることができません。そこで無理やり土地を植物工場などの形で活用するしかないわけです。住民は先祖伝来の土地から追い出されてしまっているわけです。まさに「惨事便乗型復興」です。そうではなくて、「被災者自身が生活を取り戻していく。人間らしい生活を取り戻していく。ハード事業より被災者一人ひとりの復興こそが大事だ」。これが関東大震災の時に、福田徳三という東京商大(現一橋大学)教授が言った言葉です。そういう視点の取り組みが必要ではないかと考えたわけです。
 石巻の雄勝という、大変大きな津波被害を受けたところで、小学校6年を担任していた徳水先生の話を紹介したいと思います。みなさんの中にも知っておられる方がいると思いますが、実は昨年気仙沼でシンポジウムをしまして、そこでお話を聞いたり、交流もしたりしました。そこでのお話を若干紹介しておきたいと思います。この雄勝は石巻市と合併した周辺部です。もともと人口が減っていました。その中で被災をしたわけです。小学校6年生の子どもたちと一緒に徳水先生はこの雄勝地区の復興をどうするかということを必死に考えてみようじゃないという取り組みを始めます。子どもたちは、最初は「ゲームセンターが欲しい」とか、子どもらしいそういう絵をかいてくるわけですけれども、「これじゃあいけないんじゃないか」と徳水先生は思います。ここは硯石の産地です。職人さんがいます。そこに話を聞きに行き、体験もする。あるいは漁民から漁業や港の話を聞く、海の話を聞くというような形で子どもたちと一緒に雄勝の「宝物さがし」を始めます。それをもとにしながら子どもたちがこの雄勝の海の景観が、高い防潮堤を作ると見えなくなるのではないかという認識に発展します。そして漁港のあり方、そして硯産業をどうするかということを考える。自分たちで硯石で表札を作っていきます。仮設住宅に入っていってお年寄りの部屋の玄関に掛けていく。話もしていくわけです。こうして、復興計画として説得力あるものになっていきます。他方で、この地域のまちづくり協議会の場で雄勝地区の復興プランづくりがされていました。徳水先生自身がこのメンバーにも入っています。ここで子どもたちが、自分たちが考えた復興プランを発表しました。そしたら、大人のみなさんものすごく感動し、最終的に出来たプランの中に子どもたちのプランが入っていきます。防潮堤に関しても全部完備するのではなくて、一部切り取るとか、縮めるとか、こういうような形で本庁の方に提案していくことになりました。私は次世代の主権者の子どもたち、彼らが復興の主体であるべきだという徳水先生の考えにものすごく共鳴します。徳水先生自身が、実は私の本を読んでいまして、へき地の子ども達自身が考えて自ら計画して行動する、こういうことが必要ではないかと考えていたそうです。それでこういう実践を通して次の世代の主権者を作っていくことをされているそうです。

 気仙沼でも中学生の子どもを持っているお母さんと話をしました。気仙沼では瓦礫の処置をはじめとする作業に子どもたちが参加することは禁止されていました。たまたまその親子が長野県の事業で八ヶ岳のふもとにある原村に招待されて、そこで過ごして労働体験をしました。原村の子どもたちは朝早くから野菜採りとかしている。それを見ながらお母さんと子どもが疑問に思っているのです。「なんで自分たちは自分たちの被災地の現場で働けないのだろうか」。こういうようなことを考えて、気仙沼で問題提起していく。
 私は文字通り生存の危機を体験した被災者だからこそ、何を感じ合うかということを絶えず意識することができたと思います。たんに、「人間の復興」、ハードよりソフトが大事だという意味での復興論じゃなくて、「人間らしさ」を取り戻すような教育や広い意味での社会的実践、これに子どもたちが参加することが重要ではないかと思います。それは、以上で紹介した取り組みが示していることです。実はそれは新自由主義的な改革の考え方とは真っ向から対立しています。そういう意味では対抗軸としては重要な本質的な要素ではないかと考えます。
 
 

おわりに

 野放図なグローバル化とそれに対応した新自由主義的な構造改革政策によって、自然と地域社会の持続可能性が失われていっています。その中で、一番大事な人間にとっての人間らしい暮らし、基本的人権が危機的な状況にある。これに対して多くの人々が共鳴し合いながら社会矛盾を解決していこうという取り組みが広がってきているととらえることができるのではないか。その契機は様々な局面から生じているように思われます。医療現場、保健の現場、教育の現場、あるいは産業の現場、雇用の現場、環境の現場、こういうところでの関わり合いを持っている方々がつながりあうことによって、地域社会を作っていく運動が非常に大きく広がっている。そのようにみますと、従来の地域の中での古い保守層と言われ方をした人々と例えば左翼的と言われてきた団体とが一緒になって取り組みがおこなわれてきています。少数の多国籍企業の利益だけを保障するような「国のかたち」や地域をつくっていくという方向ではなくて、圧倒的多くの普通の人々の暮らしを保障していく。こういうふうな合意づくりが出来る基盤がものすごいスピードで広がっている。こういうふうに捉えることができるのではないか。それは、「類的存在」というヘーゲルの難しい言葉を借りていますけれども、人間存在の本質に関わることです。人間というのは一人で生きることができない存在です。人間として類を作る、つまり集団を作る。共同生活を作りながら自然とも共生しながら生きていくという存在です。これが本質的な中身ではないかと思います。こういうものを保障していけるような地域をつくる。先ほど言いましたグローバル化のあらしの中で作っていく。あるいは災害が起こったとしても、自らそういうものを再建して地域を再生していく。そういうものを作っていくためには先ほど学校教育と社会教育の総合と言いましたが、両者の連携を常にやっていくことが求められているのではないかと思います。

 以上で、私の話を終えます。長時間ご清聴、ありがとうございました。
 
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              2014年3月発行
京都教育センター