事務局  2013年度年報もくじ


第4分科会
人はいつでも、どこでも発達を求めて育つ

               大平 勲(発達問題研究会)

 

 3年ぶりの開催でした。参加者は7人で多くありませんでしたが、今日的なテーマでの実践的な3本の報告をじっくりと聞くことが出来ました。限られた時間での討論でも、各々の経験に基づく意見が出され、今後「例会」「公開研」などで継続して深めることを確認しました。

◇ 司会は午前中は運営委員の北村彰、午後は大平勲が行いました。

1.【基調報告】浅井定雄(発達問題研究会代表代行)

 3年ぶりの分科会開催に際して、「この10年間の活動を振り返る」報告を行いました。 [別掲:「活動のまとめ」参照]

2.【報告】


【報告T】「高校の現状と課題−特別支援教育から高校中退問題を考える」
京都府立高等学校特別支援・進路支援教員 谷口藤雄(福知山高校三和分校)


1 はじめに

 @「競争」と「選別」の教育が進行するなか、高校が危機的な状況に落ちいっている。
 Aまた「特色化路線」「多様化路線」が拍車をかけ、中学生及び高校生にしわ寄せが来ている。エリート校づくりと中高一貫制中等教育学校づくりの陰で、進行していること
 B「希望の高校を受検」するという名目の通学圏の拡大により、地域の学校が崩れ、地域のつながりが無くなり、地域崩壊に拍車をかけている。遠距離通学など
 Cいまこそ地域の学校としての高校の再生が求められている。【地学地働】をめざそう
 D生徒も先生も地域ももっともっとつながり、人間の復権、高校の再生、地域の再発見を。
 E一方、高校授業料無償化という新しい状況も生まれている。無償化時代にふさわしい新たな高校像の構築が求められている− 国民教育としての高校教育、高校進学率98%時代
 F「子どもの貧困対策法」制定−貧困の連鎖を断ち切る実践を
 Gネット依存の進行−新たな危機に対応する枠組みが必要

2 高校を取り巻く状況

(1)高校をめぐる状況

 @高校の序列化が進行、通学圏内の「よい中学生の青田刈りの進行−教師のセールスマン化」、通学の広域化。
 A休・退学の拡大、心や体に課題をもつ生徒の急増。
 B勉強する生徒と勉強しない生徒の二分化。従来の一類と二類の格差
 C京都は非行件数日本トップクラス。勉強しない生徒の割合近畿トップクラス。

(2)高校に進学してくる生徒達の実態と課題−特別な教育的ニーズ

LD,ADHD,高機能自閉症、アスペルガー症候群等発達障害 自閉症 非行少年 虐待児
病気療養児 外国人子弟の教育 不登校・登校拒否 学力不振 盲・聾・肢体不自由・  知的障害などの障害児 その他(難病、貧困、家庭問題など) 
 
 障害児教育の経験も知識もほとんど無い高校教員にとって、特別な教育的ニーズのある生徒の指導は困難である。研修の機会や特別支援学校との人事交流など条件整備が必要である。

 また、高校には、小中学校にある特別支援に関する標準装備である「特別支援学級」「通級指導教室」「個別の支援計画」「別室登校」制度などがなく生徒規模も大きい中で支援は限られる。

(3)高校教育の課題

 @最近の退学率の傾向−京都の公立高校の場合
  ・全日制高校の平均(平成19年〜平成24年までの平均) 5.9%
  ・職業高校やいわゆる教育困難校が高く、「進学校」ほど低い傾向にある。学校間格差
  ・定時制は15%前後で、かなり高い。4年間で半減。
  ・進学校でも、発達障害をもつ生徒が在籍しているが、ほとんど支援がなされていないため、卒業後に大きな問題が出ている。

A卒業率をみてみると−入学生の卒業した割合
  定時制では、市内、郡部を問わず約半数が途中で退学していく。
 【退学の原因】―「高1ギャップ」−「義務」教育と高校教育のギャップと「適格者主義」
  ・学校生活・学業不適応が約40%
  ・進路変更が約35%
  ・問題行動と家庭事情が5%ずつ
  ・経済的理由は、授業料の無償化により激減
  ・欠席時数問題  ×5  ×7  ×12(三分の一)

B中学校特別支援学級卒業生の進路

   京都府教育委員会特別支援教育課によれば、平成23年度の高校進学率は99%で、中学校特別支援学級からの高校進学率は、府全体で45.9%(府南部地域で32.4%、府北部地域で69.4%)となっている。

【ある自治体の事例】(省略)

(4)中高連携と関係機関との繋ぎ

 中退率や卒業率、支援学級卒業生の高校進学状況を見てみるとき、高校1年生の退学率が非常に高く、この時期の支援が重要である。このことは中学校と高校の連携が非常に重要であることを示している。
 しかし、京都府教育委員会のいわゆる「特色化路線」「希望の高校が受検できる制度」により、中学校卒業生の進学先は多様化、広域化し、連携を困難にしている。
 従来の地域を重視した制度のもとでは、小学校も含めた中学校と高校の連携は多岐にわたっており、両者で生徒を見守る制度となっていたのであるが、現在は異なり、連携は困難になっている。

3 高校の取り組み

(1)特別ニーズ教育(特別支援教育)の制度化−2007(平成19)年4月から義務制で

 @文部科学省「特別支援教育の推進について(通知)」
 A校内委員会の立ち上げと特別支援教育コーディネーターの指名←しかしほとんど形骸化
 B関係機関との連携(一部で)
 C「適格者主義」に関する問題意識
 D障害者の権利に関する諸法令の整備

(2)先進的な取り組み事例−組織的な取り組みへ

 @福知山市内中学校特別支援教育コーディネーターと高校のコーディネーターの連携
 A中丹地区府立学校特別支援教育研究協議会(平成23年4月〜 )
 B両丹地区府立学校特別支援教育研究協議会(平成24年4月〜 )
 C京都府立高等学校特別支援・進路支援教員の配置(平成24年4月〜 )
 D南丹圏域全日制高校と福祉関係機関との懇談会(平成25年11月12日)
 ESSW(スクールソーシャルワーカー)の配置要求
 F関係機関会議の設定(問題に応じ必要な機関と学校が懇談)
 Gその他

4 社会的不適応をおこす人たち−定時制退学者の特徴−最近の事例から(省略)


【報告U】「特別支援教育と生徒指導」
谷 進太郎(宇治市・中学校)

 退職後のある年、夏休みの終わり頃に知り合いの先生から連絡があった。「うちの学校の担任が2学期直前になって長期の休職に入った。2学期から特別支援学級の担任を引き受けてもらえないだろうか」ということ。状況を聞くだけでとても大変なクラスだと直感した。が、断るつもりが断り切れずに引き受けてしまった。支援学級の4人はこだわりが強く多彩な面々で、前担任が疲れて長期の休職に入ったのがうなずけるクラスだった。この子たちは小学校時代にも担任を休職に追い込んでいたのです。覚悟して、9月の初日を迎えるが、私の指導を試す生徒に振りまわされる日々が続く。もはや二日目で私は引き受けたことを後悔した。

 悪戦苦闘した実践を、職場の先生に配付した職場通信「メッセンジャー」にそって半年間の報告をします。
(通信は当日配布されたが、「取り扱い注意」のためここでは省略します)


【報告V】 「高齢期をどのように生きるか」
年金者組合 左京支部  中山善行(京都教育センター発達研・京都発達研究会)


○高齢になってもできれば
 高齢になっても健康で、人にあまり迷惑をかけないで過ごしたい。
 高齢になっても意義ある活動(仕事)を長く続けたい。

 だれもが定年を迎えるとき、還暦や喜寿を迎える頃、自分の将来を明るい方には考えにくいものである。高齢者は老いるもの、衰えるものとして社会生活に参加させてもらえないで、「静かに」「のんびり」「歳だから」「無理をしないで」と言われる。そのような気分でいるとますます老いを感じる。

 しかし、驚くほど元気に生き生きと活動されている人がいる。私が所属している卓球のクラブには90歳を迎えた人が居られる。体の動きもよく、交流試合にも出場される。また87歳で全日本のハイシニアの部で3位に入賞された人も居られる。

 70歳から卓球を始められている。そんな先輩の中で週1回の練習は楽しみである。クラブの人には「80歳までは元気で続けたい。」と言っているが、本心はもっと先を目指して精進している。それは90歳になっても卓球を楽しんでいる先輩と卓球の練習をしているから。

 人間国宝の人は死を迎える直前まで芸術・文化の道に励んでおられる。歳を召されるほどにより高いレベルに向上される。そのような人は特別だと考えてきた。「一般庶民はそんなふうにはなれない」と言う。

 私達はその人が到達されているレベルで比較すれば到底及ばないし、また、比べる事が間違いであろう。しかし、真剣に人生を生き抜き人々から慕われ、老衰で(病名が見当たらない)一週間余り床につかれ、この世に別れを告げる人を見てきた。私が中学生の頃、母方のお祖母さんがそうであった。89歳であった。その後、連れ合いのお祖父さんも元気をなくして2年後に91歳で亡くなられた。仲の良い祖父母と理解していた。祖父は農業が主であっつたがその他に養鶏、養魚池で鯉を飼ったりして多忙であった。互いに支えあって生きてこられた。私がまだ小学生の頃であった。

 少なくとも人間は誰もが人生を有意義に過ごすことができる生命力と発達する力を備えている。そのことを保証するためには安定した生活環境と生活を維持する“保障”=制度=が必要である。このことを示す言葉として“高齢者の発達”と“高齢者の発達保障”を用いたい。

 ○高齢者の発達は ひとの発達について。
 人間は生まれてから死ぬまで脳の活動は続けられる。その思考は前進することができるといわれている。
 人は自分の目や耳など五感を働かせ、外部のことをとらえ、それを考えて様々に表現することができる。生まれた乳児から始まって、幼児期、児童期、少年期を経て社会に巣立つ。この間には成長の節目を越える飛躍があり、着実に前進する段階がある。これらの事柄を発達研究にまとめられつつあるが、高齢期については未知の領域といえる。

 一人の人として社会に出るために自分中心に物事を考えてきた幼い状態から、他者のことが理解できて自分と他者をあわせて考える客観的な思考が出来始める。

 それを発達理論的には少し難しいが次元可逆操作から変換可逆操作と言っている。たとえば、自己中心では他者に対する時、自分の思うようにいかないと“いじめや”“暴力”で物事を解決しようとする。自分で考える時に客観的な思考ができないと、他者との協力や共同がすすまない。人々の中に入るとき、自己客観的思考は物事を広く深くとらえ、物事の真実をとらえるためにも科学的に判断するためにも欠くことのできないものである。民主主義、人権などを理解するためにも必要である。

 田中昌人氏は 古代中国には人の発達を色と季節で表していたと、話されました。
○少年期・思春期から青年期に向かう。 発達の色は青・季節は春
 幼さを残しながらもたくましい少年期・少女期に入る。青春時代。
 少年期は集団やグループの中に入った自分はどうしたら良いのかを考える。思春期に入る中学生の頃には自分の入っている集団のことを考え始める。
 より良い集団を目指してリーダーになったり、リーダーを支える役になったり、信頼される一員になろうとする。そしてみんなでルールを作り、努力して頑張る。ここには、尊敬する大人の存在がある。成人になるための準備をする。様々に心揺れる思春期の時に発展していく発達の姿である。ここでも、自分を磨き強くなるためには、自分で考えて他者に意見を求め、それをまた考えることが必要で、そのために大人は命令や強制で行動させたりすることは避けなければならない。またそうしなければならない時は最小限して問いかけて自らが考えるようにすることが大切となる。これは大切な発達を育てることである。

○人生の充実期である。家庭をつくり、職場や地域で働く 発達の色は赤・季節は夏。
 さて、大人になればどうかといえば、生きるために無我夢中である。わが子の子育てのことでさえ無我夢中で、子どもの成長の姿を思い出せないほどである。実際に孫の子育て支援をしてみてよく分かる。子どもというのは日々、月々にこんなに変化を見せながら大きくなっていくのかと気づく時は何時であろうか。
 社会の中で自分の性格や長所、短所に気づく。しかしほとんど自分で修正できない。他者との付き合いも下手である。意思も弱い。そんなこと思いながらの30代をすごすのではないか。そして、自分というものがある程度つかめて自分らしさを発揮し始める。
 それが40代ではなかろうか。中国の発達を示す言葉では“赤夏”と表現している。
 無我夢中でとは言いながら、集団の変革に職場の仲間と頑張ってきたこともある。物事の根源に政治的な変換があることに気付き、職場だけでなく更に広く人々とともに変革の道を歩む。社会的には阻もうとする勢力に対する挑戦である。
この戦いの道は様々な道がある。紆余曲折の末、挫折する場合から、それが基になって自分というものを理解し、自信を持って飛躍する時でもある。

○人生の秋 発達の色は白 しかし人生第二のスタート
そうしたことが解り始めた頃はもう50代である。そして、50歳の後半から60歳台の頃を“白秋”といっている。人生は長いようで短い。高齢期の過ごし方として一般的な姿は『晴耕雨読』という言葉があった。世事に無関心であるかのようで悠々自適。このような生活を過ごすことができるのは極一部の層になっている。憲法25条のいう「国民は文化的で最小限度の生活を営む権利を有する」は9条の不戦の誓いと同様にどんどん壊されている。若い時から壮年期と、常に国のあるべき姿を求めきた人たちにとって世事に無関心を装うことはできない。労働条件が悪くなり、地域からは労働者の姿は休日の外は見ることができなくなってきている。そうした状況が政治変革の働き手として退職して間もない人々に期待がかかっている。
 職場から離れ地域の中で生活するように変わって来た時に、自分の周りに人がいなくなることは単に寂しいなどとのん気なことを言っておれない問題である。それは、人との交わりが少なくなるということは大脳の働きが旺盛で無くなる。最初の頃はあまり感じないが大脳の細胞は使われないと消滅するという性質をもっている。だから、自分にとって変えようと決意し、努力の結果いつか変わっている自分に気付く。哲学的用語では弁証法の「否定の否定の法則」である。だから高齢期の自己変革は難しい。
 少し横道にそれたようだが働いているときは楽しいこと、感動すること、辛いことなどが渦巻いている中に居る。これらは、みな人間環境の内である。それが退職などによって小さな人間環境に変わる。こうなると大脳の働きは緩やかになって、長期に続くと老化といわれる状況が忍び寄る。
 こうしたことは男性に多く見られる。女性はどうでしょうか。多くの家庭では女性の仕事は少しも変わらない。3度の家事のこと、毎日考えるだけでも大変である。ちょっと料理番組でやっていた料理を作るとなるといろいろ工夫しなければならない。洗濯・掃除、みな体を使い、頭を使う。男性は仕事、仕事であたまが固定化してることが多い。
警察官の場合は目つきまで職業的になっている。このように顕著ではないが人それどれに持っているものがある。
 発達的に“白秋”といわれる頃は第二の人生のスタートである。85歳まで生きるとしても20年から30年ある。この時期を生き生きとした人生を送ることは思いを新たにしなければ出来ない。しかしは若い頃からやってきたこと等を継続することは、職場から地域に移っても違和感を持たない。新たに楽しみをもって活動するには喜んで迎えてくれる人たちに出会わないと。 そこで出合った楽しみを「どうしたら巧くなれるか」を日々考えながら一生懸命になる。そうしたことを出来る時間を持っているのが高齢期の強みである。いろんな人に接していると多分65歳、70歳からスポーツを始めても結構楽しむことが出来る。人からの強制でなく、自分がやりたいと思うこと、ここが大切である。

○ 中国の古書にはそれから先の高齢期を“黒冬”といっている。色は黒、季節は冬である。
 何か人生の終末を暗い言葉で表現しているようであるが、決してそうではなく、クロウト=玄人と言い換えることが出来るのである。道を究め百歳を越えてなお制作を続ける人もいる。しかし少ない。発達し続けながら人生を全うすることは難しい。
無我夢中ですごしてきた時代を思い返す時、児童期から少年期、思春期にかけてどのようにすごしたかをみると、人生の基礎をつくってきたことに気づかれる方がおられるであろう。児童期、少年期のところを読み返してほしい。自分の中に客観的自己の形成はどうであったか。他者のこと、世の中のことを広く、深くとらえ考える自分が出来ていただろうか。人は様々であることがご理解いただけると思う。
 民主主義は人間社会を築く上でなくてはならないものであり、人の人権は互いに尊重しあうものであり、これが、軽んじられると大変な集団であり、大変な社会になる。
そして自分というもの振り返って見ると、幼い頃の思い出がある。懐かしい楽しい思い出をもてる人は幸せである。歳をとっても心が和む。
 以上、人の発達を科学的心理学の見地で生まれてから高齢期までを考えてみた。

◇高齢期の発達に入る前に人類がどのように発達してしたかを考えてみる。

○人類は哺乳動物の中の霊長類に入る。チンパンジーから進化して類人猿として登場した。発掘調査では最新の情報ではおよそ700万年前頃のことである。400万年前ごろの頭蓋骨から推定される大脳の大きさは350ccを超える位であったのが、私たちの大脳の容量は約1200ccである。今から約15万年前の人類が私たちの祖先と確認された。その特徴は言葉を話せる構造を備えていることが解った。現代人は言葉を話せる遺伝子をもっている。このことから人類は現代につながる文化をもつことになった。

○人類は類人猿の時代から集団で生活する動物である。
 高齢者は群れの中で尊敬されてきた。家庭で大切にされてきた時代があった。
高齢者の知恵と知識が必要とされる時代を経てきた。
  自然の変化を事前に察知する予見する能力。何が食べられて、何が薬になるのか。どんな物がいつどこに現れ、育つのか。それらの知識を伝え、どうすればよいのかを考える知恵と洞察力。
 高齢になればより鋭く深い視野が広がる。 言葉や文字を持っていない旧石器時代以前の昔から、伝えるということ、学ぶということが生存のために必要であった。
それは、高齢者の発達が生かされる時代であったということ。そのことが人間の進化であった。

○人間の脳・大脳は死の直前まで働いている。
 それぞれの動きや活動をするとき、大脳の働く場所がその働きに応じて異なり、他の場所と連結する。考えると大脳の中のネットワークが働いて新しい思考を生み出す。大脳は使わないと生き生きと活動してくれない。使っていると新しいことが出来るようになる。そして新しいネットワークが広がる。この新しいネットワークは思考することが中心の学問の分野、物を作ったりする生産や創造の分野、そして健康のためにと始めたスポーツの分野、と実に多彩で奥が深いものまで広がる。65歳・70歳と高齢になっても実際にその道に入っていくことができる。実に不思議である。(70歳で新しく卓球を始めて90歳になっても卓球を楽しむことも出来るのであるから)勿論ずっと続けてきたことを継続すること、更に高めることは可能である。ただ新しいことが出来るのは何歳ごろまでなのかということは、今のところ私ははっきり言うことはできないが70歳ごろかと思う。高齢者のサークル活動などを調べてみる必要がある。

◇人間について = 生涯発達ということの一つとして。

1)人間は人とのかかわりを持つなかで生きている。それは、哺乳動物・霊長類の特徴を備えながら。  家族と集団(群れ)。

2)人間は弱い生き物である。今でも一人になると生きていくことは難しい。
弱い生き物であったから、よく考え、助け合い、よきリーダーのもとで伝え引継ぎながら。言葉をもち、細やかな表現や感情を伝えることが出来てきたのはおよそ12万年前頃からと最近の研究で明らかになってきた。文字は6・5千年前以降からいといわれている。それなのに類人猿の頃は400cc、言葉を持つ頃には1200〜1400ccと大脳が大きくなってきた。

3)人間は殺しあうことを避けてきた。環境が変わってくると新しい環境を求めて移住の旅に出た。(自然環境の変化だけでなく、類人猿・原人の群れが増えてくると新しい場所を求めての旅に出た形跡が証明されている。更に現代の人類は南アフリカで進化したといわれている。この人類の同じ遺伝子を持った人類が世界に広がっている。)

 殺し合いを避けて水と緑を求めて、そして新しい環境に慣れるために苦労した。その新天地の環境を住み易い場所にしようと考えた。採取生活に狩猟や漁猟を取り入れ、さらに牧畜・農耕を生み出した。それが文化の源である。
 また、人間は基本的に相手を殺すのでなく、助け合い交流することが出来るようになった。それが人の思考を豊かにした。生物は進化の過程でその環境の中で生き残るためにその生き物特有のものを身につけている。人間だけが牙や鋭い歯、そして殺傷する爪等を身につけていない。人間とは何かを考える時に外してはならない大切なことだと思う。有史時代に入り文化の大交流が華やかになった。

4)人間として大切なところは、まず二足歩行であるということ。そして、直立二足歩行が完成する頃には手は開放されて道具を石や棒切れを使って生きてきた。新しい道具を創り、どの動物も恐れている火を使うことができるころには大脳は類人猿・原人から3倍の大きさになっていた。

 それは150万年ぐらいから100万年ぐらい前であった。それでも、会話できる言葉の遺伝子をもち現在の文明の基になる文化をもつようになったのは15万年ぐらい前と考えられている。これは発掘内容を科学的に解明した結果による。
 1歳頃から歩行が始まり、物を使う手は1歳半頃から。手と足は一生つづく大脳と直結した活動の基本線である。人間の大脳が大きくなったのは自然に負けないで生き抜くために考えて、考え続けたからである。私たち一人ひとりは考えて生きている。
 人間は集団の中で生きる生物である。一人ひとりの考えを共有し協力し合ったから集団は発展することができた。そして、大きな変化と発展をもたらしている。
 人と人との交流は交流する集団の能力や質が関係するが集団が発達するためには不可欠な事のようである。交流するということは広く深く物事を考える。自分中心になってくると狭い範囲で考える。発展するには常に客観的に物事をとらえ、広く深く考えて交流する。発達の基本である。

5)人の発達は人間の進化の過程と深く結びついて形成されてきた。心理の研究として様々な活動がされているが、科学的に人の進化は解明されてきている。そのなかに私は個人の発達の系 集団の発達の系 社会の発達の系 =故 田中昌人氏の提唱された3つ発達の系= を深めていくことが科学的に理解するうえで必要と思う。

◇人の交わりは、生まれたときはお母さん。そしてその家族。保育所では幼児のときから、保育士という大人を通してまじわる。少年期では子供同士でまじわる。高校・大学は大人の世界の架け橋。社会に出て仕事をする。社会的な活動と家庭、家族をもつ。そして定年がやってくる。人の交わりが急に小さく、狭くなる。狭くなるが精一杯生きている。

 人間社会の生産の仕組みが変わり、生活環境が変わってきた。家庭という最小単位の集団の単位は祖父母から孫までの3世代がこれまでは普通であった。しかし、現代では父母と子どもの2世代の生活が普通になっている。特に高齢期を迎えると夫婦2人きりの生活に入り、老老介護を経て1人ぼっちになる。実に寂しい。

 これが、科学的進化を続けている人間の姿かと思いたくない。人の生活を全て個人の責任とする、悪しき資本主義の成せるもので、決して改革できないものではない。

 先に述べている3つの発達の系のうち、個人の発達と集団の発達を研究する事がさしせまった緊急の課題といえよう。

◇高齢期の発達保障の課題として

五感=五官を磨くこと。
五感とは聴覚・視覚・触覚・味覚・臭覚である。
五感は、人が生まれ、誕生してから育ちの中で体に備わっていくものである。つまり、生命維持機能である。
刺激などは、目や耳などの器官から脳の仕組みを通って大脳につながる本能的・情動的な大脳の場所=局所=つながる。(旧皮質、本能的な思考や行動)そこから、人らしい考える脳である大脳新皮質につながって、思考や判断が生まれる。これが理性と言っている。

 老化は生き物の宿命である。予防医学では以下のように言われている。脳が疲れていると不快として記憶される。これがストレスある。大脳は疲れをとるために活動を弱める。長く続くと体のあちこちに老化といわれる故障が出てくる。大脳にも使い方がにぶくなった局所の脳細胞が消えていく。人と交わり、おしえ、学び、笑いあう。五感を心地よく刺激し、五感の機能を回復させば、自然に脳疲労も解消して元気になれる。その為に、意識して自らの生活をつくる。

 「京都教育センター年報(26号)」の内容について、当ホームページに掲載されているものはその概要を編集したものであり、必ずしも年報の全文を正確に掲載しているものではありません。文責はセンター事務局にあります。詳しい内容につきましては、「京都教育センター年報(26号)」冊子をごらんください。

事務局  2013年度年報もくじ


              2014年3月発行
京都教育センター