事務局  2013年度年報もくじ


第1分科会
安倍「教育改革」の批判的検討と私たちの課題
−−府知事選を前に教育行政のあり方を考える−−

                葉狩 宅也(地方教育行政研究会)
 

はじめに

 昨年12月6日、参議院本会議において特定秘密保護法案の採決が強行されました。多くの問題がある同法案については、報道、研究、映画界等様々な分野から廃案を求める意見が出されました。また、国民の多くからも拙速な採択に関しては反対の声が上がっていました。採択はされましたが、引き続き撤廃を求める運動を進めることが必要です。また、教育の分野では、「教育再生実行会議」が打ち出す新自由主義教育改革の問題を明らかにし、対抗軸としての実践、研究、運動が求められています。

 安倍自民党の教育政策について学習を重ねながら、この間の京都府下の学校・教育をめぐる実態や実践・運動から、地方教育行政のあるべき姿を検討することと、京都府知事選挙を見据え、教育条件整備に関わる私たちの「要求」を交流することを目前の課題と考えました。

 今年度は、分科会テーマを「安倍「教育改革」の批判的検討と私たちの課題―府知事選を前に教育行政のあり方を考えるー」とし、午前は市川哲氏(地方教育行政研代表)の基調報告「安倍自民党の教育政策−「日本を取り戻す」ための教育とは?−」と、相模光弘氏(京教組教文部長)の特別報告「府政を変えて、どの子も大切にされる教育を」うけて、質疑応答と若干の討論を行いました。
午後は、畔柳晋介氏(福知山市教組)、府金隆清氏(綴喜教組)、山内佳子さん(日本共産党府会議員)の3本の報告を受け、討論を行いました。


1.基調報告:安倍自民党の教育政策−「日本を取り戻す」ための教育とは?−
    市川 哲(地方教育行政研代表)


 日本における新自由主義教育改革は、臨時教育審議会(1984〜1987年)を嚆矢とし、教育改革国民会議(2000〜2001年)以降は経済のグローバル化に対応した人材養成を目的に、評価、競争、学校組織階層化等を含む一連の改革として展開されている。1990年代以降の各学校段階の「特色づくり」とその競い合いとして現れ、「学校評価や教員評価」「学力テスト」「学校選択制(通学区の弾力化)」「習熟度別指導」「大学の独立行政法人化」など、教育の民営化、分権化、規制緩和、競争・評価と選択を柱とする市場原理の教育への導入により、多くの問題が新自由主義教育改革から起こっている。

 同時に、保守主義・国家主義的教育も並行して強まってきた。保守主義・国家主義そのものは、どの国、どの社会にも存在するが、わが国の教育では「日の丸・君が代」「道徳の教科化」「ゼロトレランスに見られる厳罰主義」「教科書・教育内容統制」「教職員統制」「教育委員会制度改革」「大学教授会自治の否定」などとして現れている。

 自民党は「日本を取り戻す」をスローガンに第二次安倍政権を誕生させたが、誰が、誰から、何を、どのように取り戻すのか、また「取り戻された」日本はどんな日本なのかについては、全く不明である。情緒的な「日本を取り戻す」というスローガンのもと、民主党の失政、小選挙区制度のマジック、経済「復興」への期待、TPP等重要政策での嘘とごまかしで『多数派』を占めたのが現政権である。

 安倍は『美しい国』で、祖父の岸信介が「宗主国と植民地の関係のような」旧安保(1951年)を「対等にちかい」新安保(1960年)にしたとしている。在日アメリカ軍兵士1人あたり「思いやり予算」等で1400万円の税金が使われているのに対し、日本国民1人あたりの社会保障費はその100分の1であり、大幅な特権を与えられている軍人や軍属、沖縄や「Xバンドレーダー」のように日本政府を通して全国どこにでも基地を設定・提供させる、そして核の持ち込みも不問に付す『日米地位協定』に見られるように、新安保は対等であるとはとても考えられない代物である。ここで言う「対等」にはアメリカに一方的に保護される存在から“一緒に戦う”存在へという方向が含意されている。

 戦前「一等国」であった日本が戦後アメリカの占領で「伝統」を否定され、国民が矜持を持たぬ「二等国」となった、サンフランシスコ条約で「主権」は回復したが、旧安保では事前協議無しに米軍が駐留基地からアジアに出動でき、日本国内の「内乱」に対して日本政府の許可を得て米軍が出動できるとされており、これでは「宗主国と植民地」の関係だというのである。祖父岸信介は新安保で「対等」な日米関係にし、大叔父佐藤栄作がサンフランシスコ条約で取り上げられた沖縄を返還させた。祖父、大叔父の歩んだ道は、アメリカと「対等」な関係を結ぶ苦労の道であり、自分もこの道を進む、そして「美しい国」日本を取り戻す。つまりアメリカと共に“戦争が出来る国=対等”になるというのが安倍流の「日本を取り戻す」なのである。

 もちろん、アメリカとの間の「対等」な関係のためには、アメリカが押し付けた(と考える)日本国憲法に換えて自主憲法を制定しなければならないし、アメリカが捨てさせた「美しい国」日本の伝統を教育を通じて回復することが必要となる。

 その教育分野では、第一次安倍内閣で教育基本法改正を断行し、教育の目標を決めたが、やり残したことがあるという認識のもと、「教育再生」をスローガンに初等、中等、高等教育、そして家庭教育、社会教育、生涯教育を「再生実行」するとし、全面的な『改革』を推し進めようとしている。

 2013年10月23日の第185回国会予算委員会で山谷えり子(第一次安倍内閣教育再生担当総理補佐官)の質問に、学力の向上や規範意識、我が国の歴史や文化についての教育はいつの時代でも重要な教育の基本であり、日本の伝統文化に関する子供の体験活動の推進など、改正教育基本法に基づき、我が国の重要課題である教育改革の推進に取り組んでまいる決意であると安倍は答えている。

 現文科大臣下村との2011年の月刊誌の対談で「(前政権時に)学習指導要領も変えたが、日本の伝統文化や皇室に対する敬意をはぐくむと書いてあるにもかかわらず、教科書会社は逆行する教科書を作り始めている。危機感を強く持っている」と不満を表明している。

 「学力向上」政策(学力に階層差をつくる)は、競争と自己責任の教育を通じ、「知識基盤社会(knowledge-based society)」(中教審答申「我が国の高等教育の将来像」2006年)に即応したエリート、専門職、その他、に応じた学力修得とそれに対応する学校制度の構築(複線型学校体系、一貫校、高校の階層化、大学の階層化)を見通したものである。学テ体制・詰め込み教育による学力の階層化は、家庭の経済条件に基本的に規定された分に応じた生き方の選択を強いることになる。

 英語教育については小学校3、4年から外国語活動として、また5、6年からは教科化、中学校では英語で行う授業の導入、高校では英検等の活用と検定資格を大学入試に利用するとしている。週数時間の学校教育だけでは習得が極めて困難な英語を学校外で補えない子はさらに大きな社会的ハンデを背負うことになる。

 教育委員会制度改革については、PDCAサイクルによる「新自由主義」的手法では時間がかかるので、首長の権限を強化して政治主導の教育行政を目指すことが図られ、国の自治体に対する改善・指示権とも相まって国家主義が貫かれることになる。

 規範意識を高めることについては、道徳の「修身科」化や厳罰主義が進められており、道徳を国定教科書の突破口にすることで、教育内容の国家統制や教科書制度の改悪までも狙っている。

 教員統制は徹底した管理が目指されており、養成システム(2013年4月自民党案の概要)では大卒で「准免許」、採用試験後に学校配属、常勤講師と同待遇、場合によっては学級担任や部活動も受け持ちながら「試用期間(インターン)」として学校に3年または5年所属し、学校長が勤務態度や授業の状況、課題への対処能力を見極め、基準を満たしたと判断すれば、教委から「本免許」が交付され、ようやく常勤教諭になる。試用期間中に本免許が取得できない場合でも、准免許のまま勤務させ、「能力」や「基準」を満たす努力をさせる。本免許取得後、指導力不足が判明した場合は、受け入れた教委が責任を負い、研修などを実施する。試用教員に十分対応できるよう、担任を持たない教諭などを各学校に増やすとしている。


2.特別報告:府政を変えて、どの子も大切にされる教育を
   相模 光弘(京教組教文部長)


 京都府では1991年から小学4年生と6年生で、2003年から中学2年生で、府独自の「一斉学力テスト」が実施されてきました。その目的は「全国テスト」と同様、@児童生徒の学力の実態を的確に把握すること Aその結果を学習指導の改善に生かすこと でしたが、各学校での学習指導は、自校の結果が府や所在する自治体の「平均点」より上か下かによって縛られていました。自校の成績が府や自治体の平均点より下ならば、「今後の学力向上」のための自校の方針や努力を問われ、ある地域では、平均より1点でも下になった学校は、年度途中でも指導主事訪問が追加される実態もありました。平均より低い結果がその学校へのペナルティのごとく、縛りが強化される体制。そういう体制の中で、結果を「上げる・維持する・下げない」指導にとらわれる実態があります。

 子どもたちにどういう学力をつけるか、子どもたちがよりわかる・できるためにはどうすればいいか、それは教員が子どもの実態を把握して、創意工夫する場面です。子どもたちの「できる・わかる」よろこびに接近していくために、教員はそのアプローチを試みます。「一斉テスト」の結果のみで教員の指導が評価されれば、教員の指導はテスト問題の傾向に縛られることになります。

 教育行政による「一斉テスト」徹底の縛りは、子どもたちに本来つけるべき学力は何かを、教員個々および集団で考え検討することを妨げます。教育行政が作成した学習指導要領に則った「スタンダード」に縛られ、その枠内でしか指導できない窮屈さを産み出してしまいます。「一斉テスト」徹底強化が、教員の創意工夫に富んだ学習指導・教育実践を阻害し、子どもたちの主体的な学びを阻害することになれば、それは教育の本来のあり方を壊すことにほかなりません。

 『全国一斉学力テスト』において文科省は、来年度の実施要領で「市区町村教委の判断で学校別結果の公表を可能」「都道府県教委も市区町村教委の同意を条件に市区町村別・学校別結果の公表を可能」としました。市区町村別および学校別の結果公表がおこなわれれば、自治体間・学校間を点数だけで序列化し、さらなる競争を煽ることになります。それは結果、学校での学習指導をさらに管理し、子どもの自尊心を傷つけることにもなります。私たちは、子どもにとって必要な学力や自立するために必要な力は何かを問い直し、そういう力をつけるための指導や支援について考えることが求められています。

 京都市・乙訓地域21校の公立高校教育制度改編が今春の入試から実施されます。総合選抜から単独選抜へ、通学区の拡大など、教委は「生徒が行きたい高校を自由に選べる」ことを強調していますが、制度がより複雑になり「どの高校を選んだらいいかわからない」混乱が中学校では生じています。各高校が前期選抜を重視し、そこでより早く「できる子」を集めるために努力しており、進学後の「特色化」プランもその中心は有名大学への進学実績や部活実績の向上になっています。実際には「高校が子どもを選ぶ」制度となり、多くの子どもが「行きたい高校」に進学できない結果となることが予測されます。また、数年後には、高校間に学力格差・序列化がすすみ、人気校と不人気校を生むことも予想されます。

 「土曜授業」の充実・促進、「日本の伝統文化」を強調した着付け教室などの授業計画…、各校が設定する「特色」が本当に子どものニーズに合致し選択肢を広げるものになっているのでしょうか。多くの子どもや保護者の高校教育への願いは、「自転車でも通える近隣の高校に進学したい」「学ぶべき一般的な学習内容を、興味や関心をもってていねいに学びたい」「行事や部活では、自分のもっている力を無理なく発揮したい」など、率直なものではないのでしょうか。高校側が自ら他校との区別化を図り、生き残りを強いられて他校と競争するための「特色」ではなく、子どもや保護者の願いに応える高校教育を、どの地域でも保障できる制度であってほしいと考えます。

 国や文科省の教育政策をストレートに京都に持ち込むのが、今の京都府政と教育行政です。安倍政権と一体に、府民や教職員、そして子どもたちに痛みを強いる府政・教育行政を転換させましょう。貧困・格差・競争を拡大する教育から、子どもといのちを大切にする教育の実現に向けて運動を進めたいと思います。


3.【報告@】「強引、拙速で、子ども・住民不在の小学校統廃合を許さないために」
    畔柳 晋介(福知山市教組)


 福知山市の学校統廃合問題の現状は、「小中一貫校の建設(夜久野町の3小学校と1中学校)」「小規模校の学校統廃合」という2つの問題に大きく整理される。

 この間、市教育委員会の学校統廃合計画に対し一定のストップをかけ、保護者、地域住民、民主勢力による「学校と地域、子どもと教育」について考える取り組みや運動が、統廃合対象校の一部の学区で前進しつつある。しかし、三和町の統廃合対象校では地元から2015年4月に統合を望む声が出るなど、地域から統廃合を望む声も加速している。このような状況の中で「存続に関する協議会」を立ち上げて活動する自治会の取り組みがつくり出された。

 この間の運動で学んだことは、

(1)地域づくりの道を開拓する芽

  ・保護者、地域住民の「地域の学校を守る運動」は、新自由主義的な教育改革や地方自治構造改革とは異なる「地域」「共生」「共同」を大切にするもう一つの教育改革や地域づくりへの道を開拓する芽。

(2)子どもたちにとって地域の学校が持つ意味を話し合いを通して共通認識を図る

  ・地域の学校の存続に関わる統廃合については、以下のような過程が大切。

     → 住民参加が保障された行政による長期的な都市計画の策定

       保護者や住民の子育てや町づくりの展望のもとに行政と地域住民が慎重に交渉していく中で考えていくべき問題

  ・統廃合が実際に子どもたちにとってどのような影響を与えるのか…。

     → 通学距離の延長による子どもたちの負担増、通学の安全保障

       統廃合によって生活圏に基づいた一つの集団が解体され、より大きな、それまでの生活圏とは異なる集団に統合されることが、子どもたちにとってどんな影響をもたらすのか等の視点からの調査、研究は十分に行われていないのが実態。

     → 子どもが根無し草になることなく成長していく基盤としての地域の学校の持つ意味の大切さ地域の学校は子どもたちにとって必ず原風景となる。

     → 子育てや教育は、共同で行う社会的な営みであって地域とは、子どもの成長、発達にとって欠かせないファクター

     → 地域にとっても、次世代の子どもを育てていく機能を失うことは致命的となる。


4.報告A:「スモール イズ ビッグ−小さい学校の大きな可能性−」
       府金 隆清(綴喜教組)


 大きな集団を指導し、その中に生まれる課題に対応するには、集団の力学とでもいうべき子ども集団の捉え方と、その動かし方への見識と力量が必要になります。ましてや「困っている子」が、学校で困ったことをしている場合、精神的なタフさも求められます。やさしいだけでは、誠実なだけでは通用しない困難な学級の状況に出会うことも実際には多々あります。現実がそうである以上、教職員は知恵と力を振り絞って子どもの現実と対峙しなければなりません。その力量を身につける努力を惜しんではなりません。けれどもそれはそうやさしいことではなく、誠実であろうとしてがんばるけれど、力尽きて心身をさえ病んでいく同僚たちもたくさんいるのも日本の教職員の現実です。

 それを解く鍵の一つが、学級はもちろん、学校を小さくしていくことです。本校のような、従来からの地域性に支えられている学校でなくても、都市部にあっても、新興住宅地にあっても、そのことを通じてむしろ地域性が生まれてきます。学校が分離して地域が狭くなってからの方が、児童数が減ってきてからの方が保護者以外の地域との結びつきは強まるという例をいくつも知っています。逆に統廃合などで広がれば広がるほど、従来の地域から離れれば離れるほどそれは薄まります。

 都市部に見られる統廃合や小中一貫校の新設は過大規模の弊害から脱却し「子ども」「教職員」「保護者・地域」が近く、濃く、親しくなれる絶好のチャンスをむざむざと捨て去り、わざわざまた子どもたちを悪条件の中に引きずり込むようなものです。

 今の日本の状況では、子ども達のことを考えていったん大きくなった学校を再び小さく分割するという方向はしばらく生まれそうにありません。ならばなおさらのこと、みんなが幸せになれる、地域に支えられた小さな学校を決して手放してはなりません。

 「日本の教育界では小さいといわれる学校規模の地域に密着した学校こそが、子ども・教職員・保護者地域が共同して、親密な人間関係と豊富な出番と体験の中で人間としての力を身につけていく子どもたちを育てていくことができる」これは私の教師生活の最後の10年で得た確信です。

 「小さくても」でも「小さいけれど」でもなく、「スモール・イズ・ビッグ」だし「スモール・イズ・ベスト」なのです。「ただ小さければよいのか」という問いがあるかもしれませんが「ただ小さいだけでも随分よい」と私は考えています。スモールにすることの波及効果は、実際小さくなってしまった学校では実証的に示されているのではないかと思っています。

 一昨年開催された「小中一貫教育問題」での全国交流集会での私の報告に対して、東京の都心部にある小学校の保護者の方が終了後に駆け寄ってきて「本当に同感です。感激しました。100人より少ない規模になってきたのですがちょうどいいんです。親も子も先生も近いんです。親しくなれるんです。でもなかなかそのよさが伝わらないんです。」と語っていました。今回のレポートでは、私が最後に担任することになった5、6年生の2年間の歩みを追う中で、概論だけではなく具体的にそのよさが伝わればと思ってまとめてみたものです。

 学級規模はもちろんのこと、学校規模においても「スモール」は子ども・保護者・教職員にとって「ビッグ」なこと「ベスト」なことだということが日本でも常識になる日が来てほしいとつくづく思っています。


5.報告B:京都府議会での教育関係の論戦から
     山内 佳子(日本共産党府会議員)


 山田府政の12年間、知事は、「構造改革」路線を京都にもちこみ、トップダウンで推進し、暮らし破壊と弱者切り捨てを進めてきました。教育の分野でも安倍教育改革の先取りをする姿勢を示しています。府主導で市町村合併を押し付け、小中学校の統廃合を促進するなど、子ども・地域との「距離」を大きくしています。

 一方で、格差と貧困が拡大するもと、子どもたちの深刻な実態を告発し、30人学級など教育条件を充実させること、お金の心配なく安心して学べるための就修学保障の拡充、府立高校募集定員改善など、府民の運動と結んだ議会論戦と闘いが京都府や府教委を動かしてきました。


6.質疑応答、討論から

 午前中の基調提案と特別報告を受けての討論では、新自由主義教育改革への批判的検討とそれに対しての対抗軸とも言える研究・実践の必要性を確認しました。その上に、安倍自民党の教育政策の中でこの間強力に打ち出されている保守主義・国家主義的教育改革に対しても、今まで以上にその問題を広く職場や地域での論議に位置づけ、子どもが大切にされ、その全面的な発達を保障する教育実践を積み上げることと、教育運動の推進を前進させることが必要です。

 午後の畔柳報告では、京都府北部での学校統廃合の動きに対して、地域の運動と教職員がどのようにつながっていくのかが問題となりました。行政は「小中一貫教育」の推進を掲げて、「英会話コミュニケーション科」を設置するなど、今日の文科省路線を結びつけて、先進的な装いを加えながら推し進めようとしています。新自由主義的教育の押しつけの中でもがいている学校・教職員が、職場での合意をつくることを大切にしながらどのような学校を求めているのか、一人ひとりの子どもの豊かな成長を積み上げるためにどんな教育をしたいのかを発信し続けることが大切です。また、地域作りの運動と結んだ統廃合反対の運動は、いくつもの成果と財産を作り出しています。しかし、統廃合対象学区ごとの連携がとれていなかったり、ねばり強い運動の広がりをつくり出すという点などでは課題があります。

 府金報告に対しては、「小規模特認校制度」に対する質問がありました。「小規模の特色を生かした学校で、市町村内の全域からの通学を教育委員会から認められている。97年に当時の文部省が「通学区制度の弾力的運用」を通知したことで全国に広がった」ものであり、普賢寺小学校でも、それを活用しながらも地域に根ざした優れた実践が積み上げられていることを確認しました。「“小ささ”の産物、「子ども」「教職員」「保護者・地域」それぞれの、そして相互の、近く、濃く、親しい関係が発揮する大きな教育力」が小さな学校には、つくり出される大きな可能性があることを強調されました。

 山内報告については、12月議会での論戦を通じて、府教育委員会は来年度から実施する新しい公立高校の制度実施に際し、進路希望調査を公表したが、前期選抜の倍率は平均2.41 倍、5倍以上の学校が2割近くとなり、公立高校全日制を希望する生徒の半分近い7359人、京都市・乙訓通学圏にいたっては、65.4%、5765人が不合格となり、不安や動揺が大きく広がっていること。府教育委員会は答弁で「中学生が希望する高校を主体的に選べるよう多くの生徒や保護者の声にこたえ、入学者選抜制度を見直した」と述べたが、乙訓地域選出の自民・民主の議員それぞれから、本会議で「変えなければよかったとならないように」との指摘がでるほど、競争による学校の序列化の心配が現実化しつつあり、抜本的な改善は避けて通れないことが明らかになりました。

 「貧困・格差・競争を拡大する教育から、子どもといのちを大切にする教育へ」というスローガンが、2014年知事選挙で前進することをめざし、研究・実践・運動を継続してつくりあげていくことを確認して論議を終えました。

 
 「京都教育センター年報(26号)」の内容について、当ホームページに掲載されているものはその概要を編集したものであり、必ずしも年報の全文を正確に掲載しているものではありません。文責はセンター事務局にあります。詳しい内容につきましては、「京都教育センター年報(26号)」冊子をごらんください。

事務局  2013年度年報もくじ


              2014年3月発行
京都教育センター