事務局 2009年度年報もくじ

第2部 教育センターと各研究会の活動

教科教育研究会・国語部会
         2009年度活動のまとめ

         浅尾 紘也(教科教育研究会・国語部会事務局)



1.活動の概要

 今年度の活動として、以下の具体的な活動を進めた。

(1) 「国語部通信」の発行

 今年度の「国語部通信」は、

4 月  第36号 「全国一斉学力テスト」国語問題、その内容の批判的検討を
10月  第37号 09全国一斉学力テストの「結果」から 見えるもの・見なければならないもの
11月  第38号 国語科指導の内容として何が示されているか
 〜全国一斉学力テストのために 「授業アイデア」として提示されているもの〜
1 月  第39号 京都教育センター研究集会案内
2 月  第40号 センター研究集会/国語分科会報告
 〜今、子どもたちの力をのばす国語教育            

の創造を〜 を発行してきた。

 これは、国語部会としての活動の中心となる、「国語教育の現状を確かにとらえる」こと、「国語教育の課題を的確に提起する」こと、さらに「国語教育の実践の方向性を示す」ことが、通信発行のとりくみによって、具体化していくことをめざし、とりわけ、今後の大きな論議課題となる問題などについて、提起し、国語教育の変質がどのように進められようとしているのか、問題点や課題を提起し続けてきた。それは、さらに国語分科会での論議の深まりに繋がっていったと考える。

(2)センター冬季研/国語教育分科会

 1月のセンター冬季研では、国語部会の分科会を開催し、提起と討議を深めた。今年度の参加は、16名と増え、京都府下だけでなく他府県からの参加もあり、論議が深まった。
         *詳細については、センター研・分科会報告を参照


2.国語部会が提起し続けてきたこと

 国語部会は、今年も国語教育が今直面している問題について提起続けてきた。それを「国語部会通信」から再掲して提起したい。


3.公開研究会について

(1)第36号より 〜「全国一斉学力テスト」国語問題の批判検討を〜

 この号では、学テ国語問題のもつ問題点を5点あげて指摘している。


 2007年度は、「知識」と「活用」というテスト構成が提示されたことについて、国語教育の構造をおさえた観点から、その内容が「知識」とされた国語教育としての「基礎・基本」がたいへん貧しい内容であること、そしてさらに「活用」という観点が、現行学習指導要領・国語科の「活動主義」「言語技術教育」が、日常の生活場面に歪曲されたものであることに批判の観点がおかれなければならないことを指摘してきた。さらに2008年度は、「知識」と「活用」がその区別がなくなるようなA問題のB問題化、つまりほとんどすべての問題が、「活用」の名の下に「言語処理」ばかりをめざすものとなったこと、そしてそれは改訂学習指導要領・国語科の内容と強く連結し、その「愛国心注入教科」と「PISA型学力」の絶対化、すなわち「国語の学力」の矮小化がはっきりと具体化されたことを指摘せざるを得ないものであった。2009年度は、それをおさえて、何を視点としてもたねばならないのであろうか。それは、次のようなものではないだろうか。

@ 「知識」と提示されたものは、まったく貧しいものであることの再確認

 07テストは、「漢字」、「文法」として「接続語」と「指示語」、「文構成」が示されたが、これは学習指導要領・国語科の「言語事項」に示されたものに限定されている。したがって、問題となるのは、それ以外の「表記・文字」「文法(品詞・構文)」「語い」の問題がないことである。つまり、学習指導要領・国語科の「言語教育」の極めて貧しい内容は何も問題にされずに、その「結果」がよしとされたことを問題にしなければならないのである。08テストは、それが「漢字」のみとなり、07テストでの指摘が重要なものであったことを立証したものとなった。さらに09テストは、「漢字」以外に「ローマ字」が入ったが、極めて簡単な問題である。それは、07テストでの指摘を覆すものではない。

A 国語教育の「基礎・基本」が、「言語処理能力」に矮小化されていく

 @で指摘したことは、そのまま国語教育における「基礎・基本」の崩壊につながる。国語教育の基礎・基本となるのは、言語の体系や系統、法則について学び、それを「ことばの力」の土台としていくことしかない。それが、「葉書の表書き」や「報告文の構成」「メモの取り方」などという、「技能・技術」としても瑣末な「言語処理」に矮小化されては、『基礎・基本の崩壊』と指摘せざるを得ない。07年テストで懸念をもち、08年テストで明らかになったものは、09年テストでさらにはっきりしたものとなったと言っていい。

B「活用」とは、場面設定を卑近な生活次元に下ろし、その言語処理に狭めたもの

 この傾向について、一部は「実用化」という評価をしたが、これらが本当に「実用」としての内容なり方法をおさえていると言えるだろうか。どこかに会議で、「プレゼンテーションができない」「報告・連絡・相談などの力が不足」などという、国語教育がまるで経済活動を進める機械の歯車としての人材や能力をつけるためのものであるかのように考えての、それらの具体化をしたとしか考えられないものになっていることは、この三回のテスト問題内容が示しているが、その視点からみれば、それへの批判はもっとも重要であると考えられる。

C国語教育の解体は確実に進んでいることに危機感をもつべきではないか

 それは、当然、これまで私たちが積み上げてきた「言語の学習」「説明文教育」「文学教育」「作文教育」という国語教育の構造と内容をおさえての、子どもたちに「ことばの力」をつけ、人間的成長=人格形成をめざす国語教育の否定であるととらえるべきではないか。

D「PISA型学力」としても破綻したもの

 08年テストでは、国語問題の内容と構成が、改訂学習指導要領・国語科で示されたものと相まって、その「絶対化」と「偏重」が示されたが、09テストでは、それすらが形骸化・形式化し、PISA調査が明らかにした日本の子どもたちの「主体的に理解」することと「主体的に表現」することをまったくスポイルし、その形式だけを無理矢理問題形式にあてはめようとしたものであることが明白となった。これには、さすがに「形式化が過ぎ、これで国語の学力が測れるのか」という批判が、識者と言われる人達からも出始めている。


 国語部会では、学力テスト問題は、その実施方法や目的、「結果」がどのように使われるかということの前提として、問題そのものを分析・検討していくことの大切さを指摘してきたが、その視点からの提起が、この5点として現れてきたのである。


(2)第37号より 〜学テの「結果」から見えるものは〜

 さらに、その「結果」が公表された時には、次のように分析した。


 このような問題内容をどのようにとらえるのかについては、前号で5点にまとめて提起した。(略) それは、「結果」が公表され、「点数」がより詳細に公表されることになっていくと、より強調されていくこととなるだろう。また、より強くその傾向が現場を覆うこととなると思われる。この問題内容は、もはや国語教育の内容と構造を基準として分析するに値しないものである。だから端的にいうと、これが国語の学力を測定し、その課題を明らかにするものではないといわざるを得ない。わたしたちは、これまでからこの「全国一斉学力テスト」国語問題は、その内容をこそ問題にすべきだと提起してきたが、そうでないと、あたかも正しく測定できているかのように装って「点数」ばかりを問題にしていき、国語教育を意図的に歪めていくこととなる。正答率を見ると、それが50%を切っているものは、A問題では18問中3問、B問題でも10問中3問ある。それを60%とすると、Aでは5問、Bでは6問となってしまう。この数はかなり多い。


 そして、次の点について新たな提起をした。


 その「結果」をもって、「点数を上げろ!」という「脅迫」はさらに強まってきている。その低正答率の内容を見ると、B問題でそうであるように、まさに「言語処理能力」の瑣末な技術的技能的な問題である。その「点数」をあげるとなると、その瑣末な技術的技能的な訓練をしていくことしかない。本来は、国語教育の内容と構造をしっかりとおさえた実践を進めていくことで、それを応用し、活用していく力をつけていくのであるが、あまりにも瑣末で断片的な技術的技能的な問題は、それでは遠回りになりすぎるということになってしまうだろう。これは、「学力」が意図的に歪められてとらえられ、矮小化されていくことが、本質をおさえ学力をつけていく教育実践を、子どもからも教師からも遠ざけてしまうこととなってしまうという状況を生み出してしまうと言えるのである。さらにこのことを強く感じさせるのは、「点数をあげろ!」と「脅迫」されている地域では、いわゆる「過去問」といわれる、この「全国一斉学力テスト」の問題の類似問題が、インターネットを通じて簡単に入手できるようになっていること、その問題数が膨大なものであり、それをかなり多くの学校で使うとりくみがされていることすら、研究会で報告されている。そうであれば、それは「国語」学習つまり国語の授業時間にとりくまれるのであろうから、国語教育は、かなり技術的技能的問題の訓練に費やされるのだろう。つまり、国語教育は、すでにその「解体」ともいうべき状況はすでに進んでいると思える。こうした状況は、全国的に広がっていくことが予想される。それは、学習指導要領・国語科の改訂によって具体化されていることを見ることが出来るが、それにくわえて、今回の「全国一斉学力テスト」の「調査結果」の公表の文書に、とりわけ正答率の低かった問題、無答率の高かった問題の「分析」の末尾に、「授業のアイデア例」が添付され、具体的な指導法や内容が記されているページがあることからも、より具体的なとりくみが進められていくことが分かる。



(3)第38号より 〜国語科指導の内容として何が提示されているか〜

 前号の提起をさらに具体的に述べ、「授業のアイデア例」を具体的にあげて、次の点を指摘し
た。


 このように見てくると、これは改訂学習指導要領国語科の「言語活動」を具体的な「活動場面」 として提示されたものを想起する。改訂指導要領・国語科(小学校)では、指導のための場面や活動として、出されているものを羅列すると、
  説明・報告・応答・話し合い・紹介・観察・記録・手紙・メモ・音読・抜き書き・発表・感想・演技・司会・提案・調査・物語作り・・詩・学級新聞・依頼状・案内状・礼状・引用・要約・図鑑辞典利用・助言・討論・推薦・短歌・俳句・随筆・編集・朗読・比べ読み・記事 
などである。つまり、改訂学習指導要領・国語科で示された内容が、より具体的に「全国一斉学力テスト」で示され、それがさらに「アイデア例」で提示されたということになる。さらに、A問題の「アイデア例」は、その言語活動をすることそのものが提示されているようだが、B問題のそれは、明らかに改訂学習指導要領・国語科で提示された、「次のような言語活動を通して」と「内容」の中に提示された個々の「活動」を意識してのものとなっていることは、これまでの「活動主義」から一歩進めて、国語科指導の内容そのものを規定・規制するものになるであろうことを見落としてはならないと思われる。

 つまり、私たちが考えてきた、「言語の学習」を国語教育の基礎・基本とすることが、「活動にとりくむ」ことに変えられ、さらに「言語教育・説明文教育」「文学教育」「作文教育」として国語教育の構造と内容をおさえてきたものが、「活動における言語処理能力」に矮小化されていくことがここに示されたのではないか、ととらえることが必要となってくるのではないか。


 国語部会では、国語教育をめぐる問題をこのように分析し、それを打ち破っていくための課題を提起し続けている。それについては、まだまだ論議を深めることが必要ではあるが、京都の国語教育運動をさらに発展させていくためのとりくみを続けたい。        (国語部会事務局)

 「京都教育センター年報(22号)」の内容について、当ホームページに掲載されているものはその概要を編集したものであり、必ずしも年報の全文を正確に掲載しているものではありません。文責はセンター事務局にあります。詳しい内容につきましては、「京都教育センター年報(22号)」冊子をごらんください。
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              2010年3月
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