事務局 2009年度年報もくじ

第3部 自主的教育団体の活動

登校拒否・不登校を考える京都連絡会

「登校拒否・不登校問題全国のつどい」から広がるネットワーク・・・・


                   林 敬子・窪田 雅孝



 縦糸と横糸が紡いでできる織物。それは、1998年、2008年の2回「登校拒否・不登校問題全国のつどい」を経験した京都での活動を象徴しています。

 そして、今年度14回「全国のつどい」は岩手で開かれ、全国でつながり、そして各地で紡がれています。

 「日本で不登校(登校拒否)が問題になりはじめたのは、1960年のころでした。そして高度経済成長の時代、不登校の子どもは増え続けました。その増え方が一段と激しくなったのが、1970年代の半ば以降、日本の社会に競争原理が一層濃く影を落とすようになってからのことでした。教育や子育てもその影響をこうむり、子どもたちの生活がだんだんと高速道路のような生活になっていったのです。そういうことと不登校の急激な増加との関係を無視することはできないでしょう。また、その時代はそれまでの家族や地域共同体というコミュニケーションが解体し、つながりが断たれ、個人がバラバラにされ、企業の論理と競争に回収されていく時代でもありました。そういう時代の光と影が、子どもたちに投影された一つの姿が、不登校問題なのだと思います。」(「不登校支援ネットワーク」かもがわ出版 高垣忠一郎さん)

 親の会や居場所が各地で生まれ、「登校拒否・不登校問題全国のつどい」でさらにネットワークが広がりました。「当初は特別な子どもの神経症的な問題だと理解され、本人の性格や家族が問題にされ、もっぱら医療の対象として扱われていましたが、やがて学校教育の問題、ひいては社会の問題としてとらえる認識の視野が広がり、その援助も医療にとどまらず心理臨床、教育、福祉の諸領域にまたがり、家族や学校、地域が連携して取り組む援助へと発展してきたわけです。」(同・高垣さん) 

 登校拒否・不登校を考える京都連絡会は1998年の全国のつどいを京都で開催することを契機に生まれました。それから10年が経ち、現在連絡会に参加している親の会は、京丹後、舞鶴、福知山、綾部、亀岡、宇治、東宇治、八幡、木津川、京都、西京、東山ですが、昨年京都府南部には「山城地域ネットワーク」が発足されました。「親の会」だけでなく、「居場所」や様々な支援グループ、行政とも連携しながらネットワークを広げています。

 各「親の会」の独自の活動を大切にしながら、学習しながら交流し、さらに広げていく、これが「つながり、紡いで、そしてまたつながって」いる京都の姿です。

 「京都連絡会」では年に1、2回、学習交流会を開催しています。今年度は、2009年10月4日、親子支援ネットワーク♪あんだんて♪主催「高垣忠一郎氏講演会」(ひとまち交流館)に協力参加、11月29日、山本耕平氏を講師に招いて「ひきこもりつつ育つとは?」学習交流会(アスニー山科)を開催しました。2008年には、綾部展望の会(親の会)ができ、12月には京都連絡会の世話人会を綾部展望の会の「つどい館」(囲炉裏のある素敵な館です。)で開き交流しました。また、京都府青少年課による「ひきこもりネットワーク」に団体登録し、行政や多くの団体・個人とゆるやかにつながっています。

 織物は縦糸だけでは丈夫な布にはなりません。横糸としっかり紡いでこそりっぱな布になるのです。これからも京都や全国での活動もそうでありたいと思っています。

 なお、昨年から今年にかけて、映画「アンダンテ〜稲の旋律〜」の製作支援上映運動を各地で進めています。旭爪あかね原作「稲の旋律」の映画化で、昨年12月に完成しました。

 昨年6月には、製作支援京都の会として他団体の人たちと共に原作者をお招きし、「フォーラム〜ひきこもりから働くことの意味を考える〜」をひとまち交流館で200名以上の参加者で開催しました。10年以上「ひきこもり」を体験してきた2人の青年や親、中小企業主(京都中小企業家同友会)もシンポジストとなり、人として尊重し合い、共に育ち合い、支え合って社会を形成しているのだという思いが熱く語られました。会場に来られたすべての方々に心強くあたたかいメッセージが伝わったように思います。

*当日の発言から・・・「『ひきこもりは撲滅すべきもの』という発言があったが、だれにでもいろんなことがあるように、ひきこもりは、そんなたいそうなものじゃないです。」(元当事者青年女性)

 この映画は、自主的に実行委員会を立ち上げて上映できるので、これからも各地で上映運動が広がることを期待しています。人が育つということや人間らしく生きるということについて共に考えて行きたいと思います。

*「稲の旋律」原作者旭爪あかねさん・・・「千華(主人公)やかっての自分と同じように苦しんでいる人たちに、『悩んだり、苦しんでいるのはあなただけじゃないよ』と伝えたい、という気持で、この小説を書きました。泥から生まれる美しい稲の海が、銀幕一面に揺れている様子を想像します。その中を、ときには立ち止まったり後退もしながら、ゆっくりゆっくり歩き始める千華の心が、観てくださる方々の胸に届きますように。」

 「京都教育センター年報(22号)」の内容について、当ホームページに掲載されているものはその概要を編集したものであり、必ずしも年報の全文を正確に掲載しているものではありません。文責はセンター事務局にあります。詳しい内容につきましては、「京都教育センター年報(22号)」冊子をごらんください。
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              2010年3月
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