事務局 2009年度年報もくじ

第5分科会

地域で育つ子どもたちの発達課題を考える

                大平 勲(子どもの発達と地域研究会



 本分科会の持ち方については、10月に開催した公開研究会の企画を含めて、事務局メンバー(棚橋、、中須賀、姫野、大平)で4回の議論を重ねて検討してきた。今日の学校教育が教職員の苦労が伺えるものの、すべての子どもたちの豊かな発達を促す観点から見たときに必ずしも肯定できない実態にあることから、地域の視点から子どもたちの発達課題を検証していくことの重要性を考えて企画した。

 当日は、例年並みの11名の参加であったが内容豊かな報告と濃い討論が展開された。運営については午前中は浅井(センター)、午後は大平(センター)が司会を担い、新谷城啓氏(相楽教文部長)が記録を担当した。


T.基調提案 「子どもたちの地域での生活と発達」
  棚橋啓一 (地域研事務局)


1.子どもと地域

 子どもは地域で育っている。地域の自然と地域社会が子どもの成長・発達の基本的な基盤である。父母・家族も地域(社会)で生活を営んでいる。“お国言葉”は教えられて身につくのではない。

 人間の発達には@環境 A文化を身につけた人々との共同の営み B能動性 が重要である。 子どもは、友達や周囲の人との関わりの中で成長・発達していて、地域社会は子どもの人格形成に重要な役割を担っている。

2.子育てと父母

 「子どもの権利条約」(第18条)に明記されているように、父母は子どもの養育・発達について第一義的(primary)責任者である。その父母は地域社会で周囲の人と関わり合いながら生活している。地域でのつながりや地域の習慣などは生活に大きな重みを持っている。 父母が主体的に周囲の父母と共同して子育ての取り組みをするとき、どんなにそれが進み、子どもたちはどのように力をつけ発達するかについて、私の関わった実例をもとに検討してみたい。

3.子どもの要求、きっかけ

 私が近くの公園の「ちびっこプール」(京都市管理)の運営に当たっていたときのことである。去年までこのプールで遊んでいたのに今年は小学生になってそこには入れない子どもたちが4〜5人、「入りたいなあ」とプールのそばで顔を並べていた。私が、「毎日の朝のプールの掃除をするか。そしたらここに入れるよ」と声をかけたのがきっかけで、この子どもたちとの集団的な取り組みが始まった。子どもたちはどこかへ行って相談してきたらしく、「掃除をする」と言ってきた。私は、「遊びではない大事な仕事だから、おうちの人に話して、よいと言われたら掃除をしてもらおう」と、親の了解を得るように言った。

4.親の参加、親のつながり

 1年生の子どもだけでは〜というのだろう、何人かの親も交代で参加してプールの朝の掃除が始まった。(子ども7人)親たちは日々の当番表をつくってきた。日によっては当番に当たってなくても掃除にくる子どもがいたり。親たちは参加したりしなかったりであったが。

 掃除の仕方は丁寧に教える必要があった。最近の子どもたちは仕事をする機会があんまりないこともあり、仕事の要領や指の力、手足の動かし方など課題がいっぱいであった。仕事に対する認識も重要である。この仕事は小さい子どもの健康・衛生に関わることだと説明し、1年生相手には少々厳しく注文をつけた。それが本モノ体験であろう。子どもにとって、子どもの発達にとって重要であると思われる。親たちも仕事の意義や社会的責任、子どもにとっての活動の意味などを認識することが重要である。

 親たちは何人かのつながりを持っていた。あとで聞いたのだが、それは同じ幼稚園に子どもを通わせ、毎日の送り迎えで親しい仲であった。地域ではこのようないろいろなつながりがあって生活している。地域の問題を考えるときには、それが大きな役割を果たすことを、見逃してはならない。

5.集団の自立と活動の質

 この「ちびっ子プール」では、休憩時間を単なる休憩にせず、幼児の遊びを少しずつ取り入れていた。親たちは子どもたちの朝のプール掃除から一歩進めて、地域の子育て活動への協力だと考え、幼児の簡単な水遊びの道具を子どもたちと力を合わせてつくって持ってきた。この取り組みは更に進んで、プール終了の日のプールサイドでの「つどい」の時の歌やゲームへの協力となった。

 親たちと子どもたちの支援・協力は、翌年以降さらに広がって、子どもたちの大型紙芝居政策上演、スイカ割りなど小学生も含んだ行事を行うまでになった。

 これらの取り組みを親たち子どもたちは楽しくやっていた。最初は誰かひとりの発案であろうが、それを集団のみんなが“よし、やろう”となったに違いない。この集団が、他人に強制されたものでなく、制度的に縛られたものでもない、自分たちで決め、自分たちでやるという自主的で主体性を持った組織であるから、自由に幅広く考え計画を立て、協力して楽しくやれるのである。

 このような集団の活動の中でこそ、子どもたちは(親たちも)主体性を持った行動や相談の仕方、決定の仕方、共同のすばらしさなどを学び身につけていくのである。こんなことは、文字や理屈の学習だけで出来るものではないことは明白である。

6.要求、見通し、やる気

 子の親と子の集団は、プール終了後、秋になって子どもの勉強と遊びの会を持つことになった。親たちからの申し入れがあり、私も子どもたちがやる気なら、そして、学校の勉強の補習ではなく、幅広く自由に学習する、野外にも出る、ということで一致して、週に一回(2グループ)ということで始まった。

 親は子どもに勉強してほしいと思っているし、私の願いも了承している。問題は子どものやる気である。周囲には塾に通っている友達が何人もいる、親も願っていることなので、言葉の上では「やります」と言ったが、これを本モノにすることはその後の取り組み次第である。

 私は最初の日から、部屋に入ったところで挨拶のあと、「勉強しにきました」とか「勉強を教えて下さい」などと、一人一人自分の言葉で決意を言うことにした。これはその後、「僕は○○の勉強がしたいです」とか「今日は図工がしたい」とか、自分のやりたいことを言ったり、今日の学校や家での出来事を報告することに変わっていくのだが、最初の1〜2日は、知らない家に入るのが嫌なのか、入り口で泣いている子どももいた。その子が「今日はもっと難しい問題を出して下さい」と言うようになったのだから、子どもはどんどん発達するものである。

7.主体性と共同

 この子どもたちと、いわゆる勉強を机の上で始めた頃、驚いたことがある。隣の子との間に筆箱や下敷きを立てて、隣から自分のしていることが見られないように隠そうとする、それも一人がすると他の子もみな同じようにするのである。どこでこんな事を覚えたのだろう。勉強を(そして社会的な生産・労働の活動まで)他の人と対立的競争的なこととする今の社会の歪んだ面を見せつけられた思いであったが、3回目あたりからそんなことはしなくなった。 私が「なぜ、そんなことをするの?」と疑問を出したこともあるが、子どもたちは余り深く考えてやっているわけでもないのである。最初は人がするから真似ている、面白いからやっている程度であろう。そして知らぬうちに自他の関係を身につけていく。そしてものの見方、考え方、行動の仕方までこうして周囲から集団的に学習していくのである。子どもたちの属する集団(学校、クラス、友達集団など)や地域社会が子どもたちの育ちや発達に深く関わっていることを軽視しては、発達も学習、子育てを語ることは出来ないのではないだろうか。

 子どもたちは助け合い、教え合い、励まし合い、共同でつくる活動をしているうちに、和やかな仲良しの集団になっていった。

〈その活動の例〉
@文字を書く、線を引く(指先の動き、集中力)測る(実測の難しさ)、面、測面、8分音符の箱 
Aバス賃、河原、草、藻、虫の採集、写生 
B紙芝居の政策、上演 
C数列 
Dバザー、老人センターでのつどい

◎ 質疑応答(略)


U.報告A 子育てのまち京都の夏・地蔵盆 [スライドを見ながら]
           神谷 潔 (京都PTA問題懇談会・写真家)


・京都特有の伝統行事である「地蔵盆」のようすを、「お地蔵さん」「数珠廻し」「提灯」「お飾り・お供え」「プログラム」などのジャンルごとに編集された約200枚の写真をスライドで紹介しながら報告された。

(以下、掲載写真を省略)


V.報告B 「勉強会」の活動を通して見えてきた子ども・青年の姿
           澤田 稔 (京都子ども勉強会 代表)



1.京都子ども勉強会の年譜

(年表略)


 1980年に民商婦人部から要望の声が上がり、当時私がいた京都私教連のアドバイスも得て、翌1981年に「塔南塾」を立ち上げた。1986年には「京都子ども勉強会」を設立し、今日まで小学校高学年から高校生までのべ3400名ほど(実質1150名ほどの生徒たち)の子どもたちと父母に関わってきた。最近では積極的な募集活動を控えていることもあって塾生徒は徐々に減ってきており財政的にも厳しくなってきている。

 青年の講師たちは累計して実質で160名程になり、うち26名が教師になっている。講師には教職希望者を優先して採用しており、ここの出身は採用試験に受かりやすいと言われている。それは5教科を教えることにより一般教養的な実力が蓄積されることによるかもしれない。


2.「勉強会」が大切にしてきた取り組み

(1)子どもとの関わりの中で

@基礎学力をつける学習指導:小学生は国語と算数を中心に、中学生は数学と英語を中心に分かるから出来るまで徹底して学んでもらう。自信をつけ、成績を上げることで自尊感情を育む。そして仲間と学ぶ。人に教えることによって自分の理解を深める機会になることを理解して実践できるように指導する。

A夏季キャンプ:遊びやイベントを通して仲間と自然を満喫させる。あわせて「自由研究」宿題を一つ済ませること。

B春(夏)合宿:1教科、絞り込んだ単元を徹底的に学習する中で自信を付つける。おもしろ学習(理科実験、銀細工の加工など)

Cクラス行事:希望により多彩に

(2)父母との関わりの中で  

@交流集会〜子ども・青年・父母の対話集会:青年(高校生・大学生)が自立を中心としたテーマでレポートを書き、討論を組織する。親子で「私の中3のころ」をテーマにして話してもらう。「お母さんにも中学時代があったんやなあ」。  

Aクラス父母会:クラスの学習指導がどのように進められているか、その成果は上がっているか?いないか?シビアな話し合いを進めている。講師が父母の高いハードルのチェックを受ける。

(3)講師集団の中で  

@講師会・講師合宿:学年会、模擬授業などで講師陣の指導力量を高め合う。  

A講師レク:「いっぱい飲み会」などを通して講師陣の交流と成長を促す機会。

(4)青年の自立支援について

・80年代――構造社会や制度の縛りが強かったのではないか。だから、青年が社会のレールに乗らない生き方を選ぶとき大きな悩みにぶつかっていく。レールに乗ると安心だが、外れるとイライラ。→社会や制度が決めた時間で動かなくてもいいんじゃないか。自分で自分の時間を作っていけばいいのではないか。

・90年代以降――企業・学校・家族が新自由主義的なシステムへと急速に移行していく過程で、「自分探し」とはむしろその新システムに見合った人間形成の文脈にずれていったのではないか。

 高校に行くことが当たり前の社会にあって、「高校に行きたい」「高校に行かせてほしい」。そして「何をしたい」という人生設計を考え、家族に語るチャンスである。3人のわが子にも実践。

(5)子ども・青年・父母の対話集会から見える青年の姿

 日常の活動を通して生まれてくる問題意識を深める場として、レポートによって自分自身や真実に向き合う。


【討論】

〜「地蔵盆」について〜

・京都に長く続く子どもを真ん中にした地域行事であり、全国的にもその取り組みに関心があり見事に編纂されたスライド写真とともに全国的に発信していく価値がある。

・主役の子どもたち自身が「地蔵盆」の取り組みにどのように関わっていくのか(単なるお客さんか?) また、これらのとりくみ・行事をどのように受け止めているのか。子どもの地域における発達課題と結びつけて深く検証できる絶好のテーマである。(これからの課題) ・自治会としては大きな行事であり、地蔵のもたないマンションなどでも「夏まつり」と称して子ども主体のイベントを実施している。経費がかかり各家庭への分担金なども結構高額になっている。

・旧来の地域集団と新しい(転居・新居など)人々との交流を通して地域社会をつくり、考える取り組みである。

〜「子ども勉強会」について〜

・受験にも対応出来る基礎学力をつけるために+αになることは何か?→遊びや手作りの文化活動ではないか。消費文化(携帯やゲームなど)に埋没している現状は憂うべき現象。

・男の子はゲームにはまりやすく、他人との交わりの場でも論争を好まず平和主義的な?一面が伺える。反して女の子は、自分の世界を持ちながらも他人との“おしゃべり”を通してうまく交わっていくことが出来る。

・高校教育は必要だが、親の方から「高校へ行くのが当たり前」のような感覚で対応すると、子どもの自立のチャンスを逃してしまう。「勉強会」のような、学力形成とともに人間的自立を促すような「塾」があることは心強い。私の地域にもあればいいのに。


【まとめ】

 今回も示唆に富んだレポート報告が続いたために、じっくりと討論で深めていく時間が十分に取れなかった。しかし、基調報告を含む3本のレポートから学ぶべきことは多く、これらを理論的にまとめて「わかりやすいコトバ」で整理提起することがセンターに求められる。事務局を中心にそうした整理を早急に行うことを期待し、申し合わせた。


【感想】(一部)

・ 大変勉強になる分科会でした。家では3人の子どもに振りまわされているので、このような場で落ち着いて「子どもの発達」を学ぶと、自分の子どもが愛しく思えます。棚橋先生のわかりやすい提起は自分の子どもとダブらせて考えさせられ、「ちゃんと発達してるやん」と嬉しく思いました。神谷さんの地蔵盆のスライドはとても美しく撮れていて、町内という地域性の濃い取り組みであることも興味深かったです。澤田先生の話はいつ聞いても学ぶべきことは多いなと今回も感じました。子どもは本当に無限の力を与えてくれるかけがえのない存在でありもっともっと学んでいきたいと思います。(N・Nさん)

・ 学校が余りにも管理的なので、子どもたちが緊張を強いられていると思うと可哀想です。地域は学校みたいにしめつけは強くないので、地蔵盆のようなつながりが子どもの成長にとって欠かせないと思った。ただ、思春期になるとそういったところにも入り込めず、思春期の子どもの組織化は難しいのかな。学校のようなしめつけがない場が地域に必要だと痛感。(T・Yさん)

・ 「地域とは何か」について深めることが出来ました。地域の教育力が衰退している客観的な事実をしっかりと把握して創造的な見通しを模索していく必要がある。地蔵盆の報告はすばらしいもので社会教育学会や全国教研などで全国的に発信していく価値があると思います。(N・Kさん)

 「京都教育センター年報(22号)」の内容について、当ホームページに掲載されているものはその概要を編集したものであり、必ずしも年報の全文を正確に掲載しているものではありません。文責はセンター事務局にあります。詳しい内容につきましては、「京都教育センター年報(22号)」冊子をごらんください。
事務局 2009年度年報もくじ

              2010年3月
京都教育センター