事務局 2009年度年報もくじ
第4分科会
子ども観を深める
−−地域・集団・自然をキーワードに−−


                 浅井 定雄(発達問題研究会)



基調報告「『手と脳の複合体』の進化とヒトの子の探索・学習活動」
                     関谷健(発達問題研究会)


T 子どもの探索活動の発達的意味−ホモ・サピエンスの子孫の今日 −

 公立高校の宣伝に「探求」を売り物にした学科の開設もあったが、動物としてのヒトの子が持って生まれた探索能力を、青年期に今更?の感がない訳ではない。子どもは自然の一部だが、わざわざ「自然探検」などと自然を外部のモノとして考えねばならないほど、情報化社会はヒトを自然から遠ざけてしまったのか。新たな生態心理学的考察の諸論に参照しながら、進化した今日のヒトを生物、また地球環境に生きる動物、更にその子どもとしての環境との関連性を考える。

(1) 動物と環境との相互性と相補性・・・・有機体が地球環境の中で発生し、環境に備わるモノを利用して繁殖・進化し、それがまた自然環境を変化させ、動物自らの生態をも変化させてきたことは今や論を待たないとして、そのヒトと環境との関係はどの様な質的関係なのかを考察する。 今日の生態心理学では、先ず有機体と環境は結合して一つの全体−生態系を形成するとして、有機体と環境の二元性を否定、一元性として理解すべきだとする。そこから相互性と相補性を取り出して、 相互性 …先ず、有機体と環境の関係は、互いに取引を遂行できるような同一 性 − 共役可能な次元 − の相互の関係性。 相補性 …お互いに独自ではありながら、補い合うような相補的なやり方で作用・反作用し合う関係性 を考える。こうして有機体と環境とは結合して一つの全体 −生態系− を形成すると言うことができるとする(M.T.Turvey & R.E.Shaw 1995)。

(2)人間行動の特質からの検討 − その子どもの能動性と予見性を中心に −・・・・ホモ科の1種の現代人ホモ・サピエンスがアフリカから地球全域に移動・展開でき、地球史で初めて他の動植物を支配できたのは、ヒトの繁殖、行動の特質によるのだ、として挙げられた次の5点に先ず注目したい( E.J,Gibson 1994) 。

★ 能動性(agency) (コントロールする自己)
★ 予見性(prospectivity)(行動の、未来志向的な性格)
★ 柔軟性(flexibility) (手段の転移可能佳)
★ コミュニケーション上の創造性(コミュニケーションの手段の多様性)
★ 回顧性(retrospectivity) (行動の、過去志向的な性格)

伝統的学習心理学の主流(それは今日なお教育論に深い影響を残す)は、かつてヒトの子対象の実験方法が開発困難だった時代に、飼育されたネズミ(時にハト、サル)の実験結果をヒトの子に適用して『学び手は受動的であり、有能でない』との判断をもとに教育方法に関連して「動機付け」という研究領域をもうけ、今日もなお存在感を示している。ヒトの子と環境との相互関係を考察すれば、子どもは環境に生きる装置と能力をもって生まれていることが理解できる。それは日常意識の中に現れ難い面だが、「ヒト−環境の相補性」の発達過程と見なされる重要な段階である。結果だけから考察すれば、それは種の生存・繁栄に必須の条件であるに止まらず、種の形質、活動様式までも制約するものでもある。その中で生きる行為の中心となる最も重要なものは、どのような単位から成り立つのであろうか。

(3)探索活動と学習の発生・・・・「新生児は、既に音、明暗、接触、圧、自分自身の動きによって作りだされるエネルギー、様々な大きさの格子、ドットの配置、表面の動き,三次元の物体といった世界にある様々な特性を弁別出来る。」 (Slater & Morison 1991)

探索活動の三つの原理(J.J.Gibson)とは・・・・@自発的に起こる。A結果の観察→←学習の起る原理となる。B方法の選択である、と言われる。そしてそれは生物にとって、「探索は、呼吸と同じように、発達する有機体に生来備わった機能である。動物は自発的に発達システムを働らかせて、自分自身についての情報 (自らがもっている能力)と取り囲む環境についての情報を探る。知覚とは能動的なプロセスである。」 (J.J.Gibson)
探索活動の結果が知覚学習のきっかけ・・・・乳児期の子は、或るモノに触れたり、口に入れたりすることでそれが何かを試したりして、不安定に重ね置かれた物体系でその重力とその方向(鉛直下向) を認識できるまで解明されてきている(旦ほか2007) 。これらの活動が未知の物理的或いは生物的現象への好奇心を呼び起こし、飽きることなくこれを繰り返し、そして眺めるのである。これら乳児〜幼児期の認知・認識の発達については今後の研究が期待される分野である。


U カラダとココロの協働の進化

 哺乳動物の子ども達のジャレ合いから類人猿の木の枝のべツド作り、石の台上で石を当て種子を割る技能など道具利用の進化が報告さている。ヒトの子の場合には、児童初期の子どもどうしの「石蹴り」「隠れんぼ」から、中・後期のコマ回し、凧揚げなどモノを媒介とする力学的遊びやセミ、トンボなど昆虫類の捕獲、飼育にみる生物学的遊びは、遊びの身体技法としてカラダとココロの協働を促し、その結合体は力学的・生物学的自然観の発達を促してきた。具体的事例で検討したい。

(1)児童期 手・足からの力学的概念・理論の発達・・・・人類は好むと好まざるに関わらず地球という物体に発生・進化し、生命・生存の知識とともに力学的知識を発達・伝承させながら厳しい自然環境に耐えながら、共存の道を探ってきた。今日、子どもが育てている知識に無関心なまま、文科省は理科教育で「科学を判り易く教える」と内容編成を続けているが、筆者が独自に行ってきた子どもの自然観とこの文科省の自然韻とは全くすれ違ったものとなっている。子どもは地球の力学的世界に生きる知識を育てており、自分の身体を力学的に働かせて生活しているのであり、手足を中心に知覚が抱えている働きと密接に関連させながら、力とはどういうことか、どうすればモノを上手く使えるかという力学的知識を育てているのである。それは年齢とともに発達的に変化することが示唆されている。一つの事例を用いて、児童期の力概念の発達の様相を紹介する(関谷 2006 子どもと自然学会誌第2巻第3号)。

【事例研究】(略)  

 児童後期までに人体内部の筋力的な「力の部位」が、人体活動によるの対象活動的な「力の意  味」と関連をもって認知され、それが主物体から客(従)物体へ (青年期には物体相互に作用する  力ヘ)と発達的に変化すること、学習による科学的概念への発達の条件が整ったことを示唆してい  る。即ち、児童後期の力学的概念は次にような発達的段階にあると推察される。児童後期に手・  足を通じての身体的な知覚が生態的意味と発達的に一体化して生態的力概念群を形成し、青年期  にはそれらを組合わせて生態的な力学理論を形成する条件を整えている。

(2)乳児期〜児童期 手と脳の協働による探索活動・・・・フランク・ウィルソン(1998)は手と脳と言語はいかに結びついたかをテーマに、マリオネットの人形使い、アメリカの車好きの額縁屋、クラシック音楽のピアニスト、イタリア料理のシェフ、奇術師で歴史家の外科医、最初ピアノの天才少女だった教育者などから、子どもの手の発達と脳、言語の発達の関わりを詳細に学び取って次のように説明する。

○<手と脳による身体的探索準備>  乳児期…『指が独立して仕事を始める前に神経筋の発達で、二つの明らかな別々の決定的な出来事 が必要になる。つまり、腕は目に誘導されて目標の方向に動く方法を学んだはずであり、手は目標 を掴む準備で手自体に関心を向け、方向を定めたに違いない。

 こうした段階の第1段階は、普通は生後5か月以前に完了され、第2段階は10か月以前に完結さ れる。手に生涯にわたる身体的探索の準備ができるのは、その後のことである。』

 児童期…『手の中には入るボールをキャッチする方法を学ぶには1年近い準備が必要であり、それ はまた神経学的発達の大きな目印になる。キャッチングが上達し、ますます早く動くようになるよ り小さなボールの方向に動いてキャッチするには − 運動を予測し、遮断する戦略を立てて実行す る方法を学ぶには− 試行錯誤の数年の経験を必要とする。』


V 子どもと自然…その必然性と親近性

 今日、日本での生活は無機性のモノに囲まれ、消費生活に馴れさされている。自然物の加工品で衣・食・住し、「情報」という記号による人工物を日々消費して暮す。更に都市に密集した暮らしは、人問を自然と別個の存在と感じる傾向を生みやすい。個人では疾病に悩まされたとき、社会では自然災害に脅かされたとき、自分も自然の一部であり、自然の中に生きていることを今更のように思い知らされる。

(1) ヒトは自ら変化をもたらすことで、自然の法則を認識・応用できる

(2)子どもが得意な擬人化・推論…諺の理解に見る


W 『手と脳の複合体』の進化として

 経済的『競争原理』が教育概念から教育制度まで浸透し、身体的能カと精神的能力の分離が進行する日本では、子ども理解における自然性の矮小化とともに文化的世界の貧困化が進行、日本の将来に暗い影を落としている。最後に今一度、ヒトの全面発達の観点からモノとしての『手・足』の発達とココロとしての『脳』の発達との一体性に関する問題提起に戻りたい。

《 ヒトの進化における「手と脳の複合体」の役割 》

 フランク・ウイルソンの記述(1938年生まれアメリカの精神科の医師フランク・ウイルソンの420ページに及ぶ著書『「The Hand- How Its Use Shapes The Brain, Language and Human Culture 」邦訳藤野邦夫・古賀祥子 手と脳と言語はいかに掬び付いたか−手の五百万年史−』)より、『われわれは人間の学習の性質について生物学から知ったことを、個々の人間に体系的に適用する方法をまだ学んでいないように思われる。人間の「手と脳の複合体」は、二本の足を使う移動と手の構造の比較的ささやかな変化と結び付いて存在するようになった。』また、ホモ・サピエンスに至るヒトの手の進化について含蓄のある解説を試みている。『われわれが用心深く仮定できるのは、約二百万年前から全体的影響を受けて変化した握る潜在能力をもつ手が、少なくともある種のヒ卜科の先例のない独自に成功した生存戦略の一部になったかもしれないということである。そのヒト科は遺伝的基盤にもとずいて、その手をもったのであった。』『それはこの手がヒト科に表れるのに、飛び切り都合の良い時代だったようである。 “手と脳の複合体”が進化し続けるにつれ、ヒ卜科の手は改良し続けられた。われわれの最も初期の先租は創意に富む道具使用と、象徴的表現や指示や伝達の手段としての身振りの大きな助けを受け、危険の多かった放浪生活を世界的な移住に転換した。ホモ・エレクトスの世界規模の分散や手と脳の共進化と一致して現代のホモ・サピエンスが出現し、われわれが人間の知能として論じるものが出現したのである。』


X ホモ・サピエンスが身に着けた基本的装備;『一次・二次発見法』

 イギリスの心理学者のへンリー・プロトキンは、ダ一ヴィニズムの視点からホモ・エレクトゥスからホモ・サピエンスに移行する期間に、人間が成功した二種類の生存の『装置』 (か戦略)の作用を必要としたと主張した。それは、『一次発見法』…「ホモ・サピエンスの種に特有の身体的・行動的特色の全体を構成する人間の生存の基本的装備のこと」。『二次発見法』…「それぞれの個人が出会う特定の環境から発生する、予測できない要求にあわせて考えつく新しい行動上の適応戦略のこと」。フランク・ウイルソンは、この発見法の構成は「教育理論と教育実践に鬨わる人たちにたいして、少なくとも二つの重要な帰結をもつ」として、「第一に…手と脳の複合体がわれわれのそれぞれに、精通しなければならない極度に多様な一連の古くて新しい技能と、選択するに当たって生活の予測できる要求が意外な要求に、出会う自由を与えることである。」「第二に、それと同じく重要なことに、この発見法の構成はすべての古典的な心・からだという二分法の不自然さを明らかにする。…文化的行動のもっとも複雑な形式の実例を考えてみれば、心・からだという古い分離法は最新の綿密な調査にも耐えることはできない。」(F,ウイルソンからのアドバイス)

 府立田辺高校での工業単独から普通科併設への運動の中で、理科の教師の私は工業科の教師たちと「アタマとカラダの教育」を目指し、旋盤を習い、実習を見学させて貰い、普通科生徒の選択教科の「技術一般」の開講にも参加したりした。退職後の大学聴講生の10年は子どもの発達と教育学を学び、手と労働によるヒトの進化・発達に確信を持ち、研究を続けている。

 今後ともご指導ご支援をお願いしたい。




実践報告@「園内での自然とのふれあいで育つ子どもたち」
    池添鉄平(京都市・たかつかさ保育園5歳児担当保育士)


 子どもは、遊びを通じて育っていく。自然の中で遊ぶというよりも、子どもたちが自然そのものである。何も教え込まなくても、子どもには既にさまざまな力が備わっている。大人たちの役割といえば、子どもの知りたい学びたい育ちたいという素朴な好奇心を妨げない環境になるように援助していくこと、愛されているという実感を常に持って生活しているという状況を作るように努力すること、時には温かい壁となって背伸びをさせてやること。

 たかつかさ保育園年長児のお米作りの実践から見えてくる子ども・クラス集団の成長や、各年齢の栽培活動・食育活動を通しての子ども達の様子を紹介したい。また、園庭での自然とのふれあい(アオムシの飼育や園庭での遊び)や、蚕の飼育を通して地域や異世代とのつながりの様子なども伝えたい。今年で6年目になる。父は教師だったが、私は勉強が嫌いで、こうして発表するのが不思議なくらいだ。しかし、今自分が父親にもなり、勉強中である。

 まず、保育園の紹介をしたい。たかつかさ保育園は北区にあり花園団地から歩いて10分ぐらい。30年たった。園長が木を植えたりして、保育園の中で夏の蝉とりなどしている。わりとめぐまれた敷地で、竹に水を流したりして遊んでいる。夏の終わりには子どもたちのセミ捕りもうまくなっている。畑にトマトなどをつくったりしている。雨水を溜めて、子どもたちの遊びにもいかしている。秋は落ち葉で遊んだりしている。0歳から年長児まで。銀杏の葉で髪飾りなどをつくっている。落ち葉プールなどをつくったりして遊んでいる。7・8月にはプールに入るが、他はほったらかしにして、ヤゴの観察や飼育をしている。10mプールである。バケツにメダカを入れて、冬にはプールに戻している。大きい魚はいない。こういう保育園だ。

 定員は120名だが、150名入っている。7:15〜19:15、土曜日も開園している。自然に恵まれているので、「緑のオアシス」と言われている。豊かな自然があっても大人がそれの使い方を知らないと、子どもには教えられない。近くに仁和寺などがあり、元は工芸繊維大学の敷地だった。保育指針の中にある自然とのふれあいの中で、自然との関わりを学ぶ。7年前から「バケツイネ作り」をしている。数粒の種籾からたくさんできることを知ってもらいたい。「お米はどこでできるのか」知らない子も多い。子どもたちにリアルに体験してもらいたいと思っている。

 まず、一人20粒ぐらい水にいれる。子どもたちは話しかけながらやっている。いつも走り回っている子どもも、その時は「こぼさないように」と、やっている。10日ほどしたら芽が出て、それをバケツに移している。また、並行して「土づくり」をしている。固くなった土を踏んで柔らかくしている。米の土は5年ぐらい使っているのを入れ替えたりしている。田の土を使っている。子どもたちは最初はいやがっていたが、次第にどろだらけになってやっている。これを各バケツに入れて、芽を出すようにする。日光に当てて育てている。

 稲刈りは、できたところを大人といっしょに刈り取りをする。一人バケツ1個でやる。苗は3本植をしている。育たない子どもはいない。保育士もいっしょになっていっしょうけんめいにやっている。外に干すとカラスが食べに来るので、すぐに部屋に中へ入れる。冬の間はバケツ毎、土をプールに入れておく。まわりの水に藻ができている。年長さんは22人で、30個ぐらいバケツで育てる。労働の役割の話があったが、協力してやっている。

 根の様子もみたが、根は土に戻っているのか、ほとんどなくなっている。給食のお米も当番を決めて、「米とぎ」をしている。米は、今は収穫して、籾を取って、もみすりをしている。すりばちで軟球でゴリゴリとしている。今年はそれを玄米にして、「どうやって食べようか」という話をしている。次の年の年長さんには、新しい種籾をしている。品種はコシヒカリともう一種である。

 栽培で「三尺ささげ」をつくっている。「これは長いなあ」という感激を味わせたい。夏野菜を、種まきからして育てている。まず子どもたちに保育者が見ることを見せると、子どもたちも見るようになった。それから、味噌すり、ごますりなどをして、ほうちょうも使って、自分たちでやったという印象が強い。三尺ささげをいっぱい食べた、という。お家にもたくさん持って帰ってもらって、たくさん食べてもらった。

 新しいものにさわるのに躊躇する子もいるが、最初はさわれないが、友だちがさわるのを見て、だんだんとさわれるようになったり、3歳児のさわっているのを見て、あこがれがあって、さわるようになってきた。2歳児は「ごっこ遊び」が好き。自然の中で無限に広がる遊びがある。友だちと世界を広げている。女の先生はアオムシが苦手だったが、子どもがさわるので、自分もさわれるようになってきたという。

 かいこの飼育もしている。工業繊維大学の土地柄もあり、桑の木も多く、全園的に広がった。子どもたちも最初は気持ち悪がったが、だんだんと慣れてきて、やさしく持ったりすることができるようになった。異年齢での教えあいも生まれた。桑の木は花園団地に取りに行ったりしている。また買えるところもある。




実践報告A「学び合いが生まれる」
             野村 治(綴喜・田原小学校)

 子どもたちの発見した事実を大切にしながら、学習意欲と観察力を伸ばすための道筋について、認識の道筋を意識して試行的に作成してみた。まずは、直接、自然と実物と向き合うこと、そして、自分で感じること。つまり、豊かな感性的認識が出発点である。そして、記述し、見つけたことをまとめること。まとめた事実で、話し合い、考えあうこと。どこがうまくできているのか、それはなぜなのかと、少しずつ関連させて物事を理解し、意味付けしながら本質に迫ってほしいと考えた。認識のレベルが本質的なところまで進めば、比較することで物事を見つめようとする。事実をベースにしながら、より深い追求へと進む。その後、法則の理解、生物観、自然観の形成が可能となるだろう。大まかであっても、認識の深まりも押さえながら、楽しさの内実を豊かにしたいものである。

 子どもたちの現状を見ながら何が大切かを考えている。やはり「学び合い」か。理科教育をやっている。自然から学び、直接経験が大事。今、宇治田原に勤めている。自然が多い。大人でも子どもで、「初めて知る」ことが多い。

 生物領域から話したい。学校校庭の中に「草を取るな」という領域を確保した。ひとつの生態系ができる。それから手に持つことをしている。感性、脳を刺激させる。また書くことで認識が確かになり、話し合うことで認識が深まる。事実が共有化され、一般化される。知識が使えるものとなる。

 榎の木下にゴマダラチョウがいる。幼虫や成虫で越冬するチョウチョがいる。カマキリはぜひ飼わせたい。そのためには草ぼうぼうの所がいる。カマキリが食べているところを見せると、おいしいところを好んで食べている様子がわかる。子どもたちは、様子をみながら1時間書き続けていく。子どもたちは黙々と見て、黙々と書き続ける。

 ・瞬間を見せることは脳を刺激する。大地の上でのいのちの連鎖、関係の上で見ることが大切。カブトムシの飼育、観察では、必ず手に持たせる。そして書かせることが大切。越冬昆虫、小動物の観察に取り組む。飼育、観察を大事にすると、生物の生態がわかる。変態の仕方、脱皮の仕方、食べ物 ふん 敵 土の大切さ バッタは土にたまごを産むなど。そして、観察したこと、分かったことを絵本にすると認識が深まる。ダイナミックに自然に入る。川には入らせる。森に行って滝などで遊ばせている。

 また、物質とエネルギーの分野では、実験と観察を重視している。そして、話し合いのある授業を 心がけている。わかったことをもとに予想させ、話し合わせ、再度確かめさせる。科学はだまされない力を育てるものである。「ものの溶け方」でも、砂糖のつぶを顕微鏡で100倍300倍と見せて、ものがとけたあとで顕微鏡で見ると全く見えないことに気づく。




実践報告B「高校生の成長を支える組織・集団」
            久田晴生(府立朱雀高枚定時制)

 定時制高校に入学する生徒は皆「過去」を背負っている。そして、高校生活を送る中で、その「過去」を克服し、今と未来を生きる力を獲得していく。では、それはどのようにして獲得されていっているのか。かれらの成長を支える組織・集団のありようを中心にして、学校全体で取り組んできたこと、学年団として取り組んできたこと、さらには春季討論集会で取り組んできたことを、どのような課題があるのかということも含め、報告したい。

 Aさんをめぐる取り組み。家庭環境は、片親家庭が半分以上で、経済的な面を含めて困難な家庭が多い。全員面接を2日間かけてやる。また全生徒の中学校訪問をする。三者面談。続けていくならば覚悟を求める。1年の終わりに「退学指導」をする。

 生徒会文集「北斗」。子どもたちの変革で一番大きい役割を果たしている。PTA・生徒会交流会、校長先生と生徒会懇談会、三課程生徒会交流会、生徒会活動の改革。それまで生徒会は人材がいるのに、先生の下働き。生徒会生徒は「久田先生がきて、自分たちの要求を言ってもいいんだ」と思った。修学旅行については、やるかどうかを含めて議論している。教職員の体制。職員会議だけのような学校。しかし議論はたくさんしている。年間の分掌の総括も時間をかけている。校長独裁と言うよりも、職員全体でやっている感じのする学校である。部長会、HR運営会議、教育相談会議。特別支援教育をやっている。  職員個人と職員会議とをつなぐ中間会議をつくるというのが自分の目標。ある程度できてきた。担任会を定例的に行うことを提案。せっかく定時制に入ってきているのに途中退学が多い。それを何とかしたい。数値目標はひとつのバロメーター。

 全体として82名で始まった学年、63名が進級した。ダントツに高い進級率であった。生徒の中に前向きで取り組んでいこうという気持ちになった。

 分会の役割について、赴任してがっかりした。分会要求アンケートをとった。正解だった。トイレにウオッシュレットをという要求で、ウオッシュレットがないと困る先生がいた。また、実態に合わせた職場教研に取り組んだ。

 春季討論集会は、今年で58回目。1986年に弾圧が始まり、ビラ配りだけで不当配転された時代。2000年をすぎてから、こちらの問題がリアルにでてきた。生徒の7時間授業など、先生、生徒の集まりなどで、矛盾がでてきた。そこで議論して「顧問団」をつくって支えようということになり、今は春季討論集会と共に10月と1月に「高校生のひろば」をしている。ホームページもつくり、交流をしている。

 まとめと教訓。子どもの発言「この社会、捨てたもんじゃない」。子どもが「2008年教育の集い」で舞台の上に立った。08年8月28日付け新聞で「これは私の土台になることだから、これからも続けていく」と言っている。


質疑・応答(略)


感想文

○保幼小中高の発達段階・年齢の中で、自然に関わることの大切さや、本物を知ること、また、手足を使った活動の大切さを感じました。そのために、何を取り組んでいくか、今後、創意工夫をしていきたいと思います。

○進化から見た人間というテーマにふさわしい4本の報告でした。どれもすばらしい実践です。自然・人間・社会・進化がキーワードでした。

○レポートの保育・小学校の二つが直接的に結びついていて、認識が深まりました。

○定時制の報告では、人達が集団の中で変わっていくことを示されました。

○保育園の先生の話は、大変参考になりました。子どもがドロンコになり、とっても楽しそうでした。素材はたくさんあります。それをうまく生かされていると実感。

 「京都教育センター年報(22号)」の内容について、当ホームページに掲載されているものはその概要を編集したものであり、必ずしも年報の全文を正確に掲載しているものではありません。文責はセンター事務局にあります。詳しい内容につきましては、「京都教育センター年報(22号)」冊子をごらんください。
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              2010年3月
京都教育センター