事務局 2009年度年報もくじ
第3分科会
子どもの生活と学力の実態を明らかにして、学びの要求をくみとる授業づくりを考える

                 小野 英喜(学力・教育課程研究会)


.1 はじめに

 今年度の研究テーマは、「子どもの生活と学力の実態を明らかにして、学びの要求をくみとる授業づくりを考える」とした。経済の危機と、生活破壊が進行する中で、子どもの生活と学習環境は危機的な状態にある。今日の生徒の荒れや学校教育の課題は、学力問題として捉えることができるが、私たちは京都の小学校(京田辺市立田辺東小学校)と中学校(福知山市立日新中学校、京都市立洛北中学校)の具体的な優れた実践に学び、その取り組みを広げていくことが、多くの課題を克服できる方途であると確信している。

 今回の第3分科会の参加者は、教員志望の大学生の参加も含め、14名であった。


2 .基調報告  「学力問題をめぐる研究動向と学校における取り組みの課題」
                       鋒山泰弘 (追手門学院大学)


 基調報告は、学力問題をめぐる最近の動向を出版されている文献を基にして解題し、その本質を明らかにした。高校を中退した若者体の貧困の実態から、「問題の本質は、学校崩壊ではなく、膨大な貧困の登場であった。子どもの貧困を生み出す中途退学、低学力、不登校も家庭の貧困が最大の原因である。生徒の学力は驚くほど低い。この学校では定員割れをすると中学校の成績がオール1でも入学できる。高校入学まで、小学校の低学年の学力のままで放置されている生徒が相当数いる。」「高校中退する生徒の中には、9歳、10歳の壁を越えられないまま高校に入学して生きている生徒が多い。」(青砥恭著「ドキュメント高校中退」ちくま書房)など、現在の子どもの学力実態は以前にも増して格差が拡大し底が抜けている状態である。学校制度の規格がなく、自分の学力は他の生徒と比較することでしか認識できない体制が作られている。

 現在の学歴社会は、大卒と非大卒という分断線でさまざまな格差を生み出している。昔、高卒の親は子どもを大学に行かせることを求めたが、今は大卒の親だけが子どもの大学進学を見もとめるようになり、階層と学歴による分断が進んでいる。

 それは、「学力格差は、もはや教育問題ではない。格差が社会的競争のルールや社会構造事態に由来するからである。学力格差を緩和するためには、その基盤として所得格差の緩和や雇用の促進する政策を必要とする。」(耳塚寛明著「誰が学力を獲得するか」金子書房)という言説からも分かる。

 今教育界に必要なことは、「教育行政は、教育格差の実態を点検し、格差是正に必要なモノ、金、財源を投入する政策を講じるべきである、教育の成果は、子どもを指導し家庭を支援する学校現場に依存する。学力低位僧に焦点付けられた家庭教育を含む『ていねいな底上げ』指導が必要である。」(耳塚寛明著「誰が学力を獲得するか」金子書房)という指摘もある。

 最後に、免許更新講習の経験から、「家庭学習の課題としては、学校全体で宿題の出し方、内容、量について共通認識を持ち、学校と家庭の連携を深めないと、家庭で落ち着いて勉強する環境がなかったり、学習に対する認識が弱かったり、家庭学習の時間の確保など親と協力するシステム作りが必要である。」という意見があり、家庭学習をどのようにするかということについても工夫がないと所期の目標を達成しない時代になっている。


3 .実践報告の概要
   (1)「さまざまな困難を抱える子どもたちに、学ぶ意欲を」
                   深澤 司 (京田辺市立田辺東小学校)


 現在の子どもの実態は、急速に進む貧困化で、子どもが学習する権利が奪われている。例えば、A小学校の就学援助受給率は、2004年度で25%であったものが、2009年度には50%を超えた。母子家庭や父子家庭もふえ、学童保育の未納金は、京田辺市内全体で2005年は7万円程度であったものが2008年度には55万円と8倍程度に急増している。

 小学校が抱えている問題は、@低学力問題で、知識や技能の剥離現象が顕著になっていることである。知を求め、思考する内的な意欲や能動性の虚弱さを感じる。子どもが家族と共にくぐってきた、おせち料理や映画を見るという文化的な生活や体験がなくなり、ゲーム文化におぼれている一方で、平和や人権や民主主義などの社会事象について関心が低い。これは親の文化を反映している。A保護者によるわが子への暴力・虐待があるが、これは保護者自身が幼児期にネグレクトを体験していることから来ている。子育てや家庭生活のイメージが作れない。朝食を作らないし、子どもは弁当を作ってもらえないので遠足などに参加しない。Bモンスターペアレントの対応で、教職員が振り回されている。

 これを克服するためには、@子どもの実態と教育課題がずれている。親の生活の中で子どもに手が回らない実態を厳しく捉えなおすことが必要である。A就学援助の拡大、給食費・学費の無償化などの経済的支援と共に、学習意欲を育てるという教育的な側面が重要である。さらに、B経済的貧困の中で生きている子どもは、生活や学習に意味を見出せない状況がある。

 このような実態の中で、田辺東小学校は、子どもの対応や学級崩壊などこれまで経験したことがない困難な事件などや管理職から一般教員まで健康破壊が起きている。しかし、「競争と管理の教育」から現状を自覚した管理職の変化もあり、学校の取り組みに変化が起きている。校内研修は、算数を重点にして全学年の取り組みを進めている。たとえば、「1あたり量」をしっかり教えることの重要性は、管理職も指摘するなど学習指導要領も含めて教材を検討している。

 子どもの学力保障のためには、補習ではなく「放課後塾」を教員が開講している。補習では学校の延長になり、子どもの意識が学校の授業の同じ感覚で宿題をするだけになる。「放課後塾」は、いったん家に帰ってから再び学校に来ることによって5時から1時間半程度学習することが、意識を切り替えることになる。超過勤務になっている問題があるが、今はこれが有効であることから続けている。

【Q&A】 (略)


3 .実践報告の概要
  (2) 中学校の学力回復の取り組みと教師集団づくり
                     西原弘明 (京都市立洛北中学校)


 学校の荒れは、「服装、喫煙、交通マナーの乱れ」として現われ、「乱暴な言葉遣い、いじめ、暴力、教師反抗」として拡大し、「学習規範がなくなり、学習が成立しない、指導が入らない」というように発展する。荒れの背景には、学力問題があり、中学入学時点の漢字テストと計算テストや生活意識調査などで子どもの荒れの実態が分かる。

 洛北中学校では、教育課程づくりの考え方として、@学力をつける、Aできる・わかる、をめざす授業づくりとできた喜びを味わう評価へ、B行事を後退させない、をあげることができる。 @の「学力をつける」は、朝読書、10分間の選択教科、今後、社会、数学、英語の時間増を図ってきた。10分間の選択教科は、回復指導で、国語、数学、英語の問題演習をして合格点に達しなければ再テストをして全員合格点を取らせる。合格するとどんな生徒でも喜ぶ。 Aの「できる・わかる、をめざす授業づくりとできた喜びを味わう評価へ」は、教育評価の意味を3年間にわたって京都大学の田中耕治先生に来ていただいて研修をした。具体的な取り組みとしては、各教科の基礎・基本を明らかにすること、目標と評価規準・基準づくりをすること、目標に応じたテストをつくりと実施、生徒と保護者への説明会の実施、何がわかり、どこができ、どこでつまずいているかが分かる改善した通知表の作成で、できていない内容については、回復指導をする。

 Bの「行事を後退させない」は、授業時間を確保するために行事を減らす学校が多くなったが、洛北中学校では、文化祭・体育祭などを積極的に取り組むことで生徒の力を伸ばすという観点をもっと取り組んできた。総合的な学習の時間については、「共生・共活」をテーマにして、修学旅行の取り組みの中で教科を横断する学習にした。また、本物に触れる取り組みでは、「障害のある人と共に、職場体験、専門学校訪問、平和学習」など、荒れた心に浸みこむものをあげている。

  「職場・地域で夢を語る」職場作り、教師集団作りでは、意見の違いは尊重して、「どの子も見捨てず、どの子も伸ばす」ことを合意して、学力取り組みを学年集団で学校づくり体制の中で行ってきた。荒れた頃を経験した先生は取り組みに賛成するが、後から転勤して来た人は「なぜこんな忙しいことをするのか」ということで反論するようになる。

 「わかる授業」について、西原先生は、次のように定式化している。

 @授業がわかるとは、言葉の意味がわかる、言葉の意味が時系列や因果関係、社会関係を通してわかることであり、そのためには、A分かるための条件として11項目を挙げている。例えば、先生の言葉が聞き取れる、板書の文字の見安さ、声の大きさ、聞かせる場面と書く場面の区切り、生徒が意見を出すことができる指導があるか、などである。

 社会科の授業を進めるでは、診断的評価、その授業の目標(何がわかればいいのか、その時間の見通しを持たせて意欲を持続させる)、目標に迫る発問・教材、形成的評価、提起テストによる総括評価をしている。

 すべての生徒に確かな学力をつけるためには、良い教材を作り出し、資料やプリントを作り討論が出来る生徒が脳を使う授業をする、そして簡潔でわかりやすい評価をする。

【Q&A】(略)


3 .実践報告の概要
  (2) (3) 中学生からの「地生輝づくり」 吉田武彦 (福知山市立日新中学校)


 ここでは、現任校の福知山市立日新中学校と前任校の綾部市立東綾中学校の取り組みを報告された。

 東綾中学校では、地域の人たちとのつながりの中で、受験学力でない学びをしてきた。ここでは、ふるさとの地域に生きる、ふるさとを根っこにして世界に生きる人間作りでもある。特に国際理解・平和・異文化共生・環境・福祉など現代社会の課題に目を向けさせ、同時に必ず自分たちの住む地域を見つめさせ、高校段階で学びを深め、自主性を高めようとした。

 日新中学校は、福知山市最大の大規模校で、毎日トップダウンで集団を管理する生徒指導を行い、行事を集団で取り組むことがない。保護者・高校の世論を過度に意識した通知表の評定の改訂や進路学習の行事を行っている。進路大集会には、小学校6年生も参加させている。通知表では、評価の観点の達成度を公表することを全教科で行っている。学期のはじめの授業で全教科・全学年の評価の観点を知らせるガイダンスを行っている。

 また、体育祭の実技や合唱コンクールを廃し・縮小するという教育課程が出され、指導要領の改訂に伴って行事の精選が言われ、行事をやめていく。しかし、教育課程編成についての文章を書いて配布したら、合唱や体育祭のマスゲームは取り組むことができた。体育祭マスゲームは、3年生がリーダーとなって下級生を引っ張り、それが次々と伝えられるという集団づくりの実践として生かされるものであることを教職員で確認した。学級の仲間作りにつながる行事を削り、学習・進路の取り組みに集約させる学校づくりは、生徒にとってしんどい学校になる。

 これらは、生徒・地域の厳しい現実に迫られた課題のように見えるが、何か欠落している。それは、本当の学びとは何かという点で、前任校で実践した地域づくりにかかわる地域の人たちから直接的・体験的に学ぶという学びの実践である。

 東綾中学校では、地域というフィールドで学ぶことを総合的な学習の時間に行い、@総合的な学習の時間を総合学習と位置づけ、1999年からはじめた。その内容は、古い道を歩き「昔ながらの生活を知る」、「朝鮮学校との交流」、「異文化との共生」、「特産品を味わう」、「地域の人びとの生き方に学ぶ」、「山家・口上林を学ぶ」、マンガン鉱山の坑道を歩き考える「差別の実態を現地で学ぶ」など、地域の文化や実態に学ぶものである。

 修学旅行についても、東京でゴミ処理場を見学したり、川崎市で在日外国人のことを学んだり、文化祭では、創作人形で地域の課題に迫り、社会化の授業では地域の「ほりだしもん」を学ぶなど、地域というフィールドを最大限生かした学習を構成した。

 吉田先生は、「現代社会の課題に目を開かせ、人生をかけて語りかけてくれる人たちに出会うことは、中学生の発達課題としての自立を促すことにつながる。それは、自分自身を振り返り、自分と置き換えることにより、将来的には主権者として地域社会のかかわり働きかける、世界を変えていく力につながると思う。」と、総合学習の取り組みの意義をまとめられている。

 東綾中学校での取り組みの全容は、吉田武彦著「水郷の里・綾部で文化を紡ぐ」(ウィンかもがわ)に詳しく報告されている。

【Q&A】(略)


.4 討論

 基調報告と3本理の実践レポートを受けて、現在の学力問題をどのように捉えるかについて、討論した。ここにその中の一部を、個人のメモに基づいて紹介する。

@ 今日の報告を聞いて、私たちは学力を検討する時「学びの質」を問題にしなければならないのではないか。なにを持って学力というのかを共通認識しないと、このような実践には結びつかない。

A 学力の欠落の問題をもっと深刻に捉える必要がある。学力の欠落は、小学校や中学校だけでなく、大学生を見ていても唖然とすることが多い。そのいみでも、吉田実践で、「将来的には主権者として地域社会のかかわり働きかける、世界を変えていく力」を学力として位置づけたとき、その変える力を避けるためには各教科・科目の基本的な事項の認識を育てることが前提となるのではないか。

B 色々な経済的背景や環境の中にあっても集団の中で学習することにより、その環境を克服することができるのではないか。その意味で、集団をつくって学ぶことと、各教科の学習の中で学力を育てると子を同時にやっていく実践が必要だ。

C 吉田実践や西原実践のように教材を自主編成した授業をやりたくても、研究授業などでは、指導主事も来るし、校長の点検があり教科書教材から抜けられない。その中には、一年間の目標や一時間毎の学習の目標を書かなければならず、週案の提出もあり、自主編成した教材を使うことはものすごいエネルギーが要ることになる。結果的に指導書に頼り授業を進めていくことになる。しかも、理科や数学が学習指導要領の選考実施で教材が増え、教師は追いかけられている。 教科書教材を使っていても、到達度評価を入れていかないと子どもの学力を保障できないこともわかっている。

D 私は、1980年ごろ、戦後の第5の非行のピークになり、この頃から子どもたちがどのように成長していくかということに興味があった。それで、学級通信を卒業生に出すことをはじめ、現在では毎年1,500人に出し続けている。中学校で問題行動があった生徒でも、25歳を過ぎてからまともになる。 しかし、現在21歳の子どもたちは、仕事もなく、学校も続いていない。自分にスキルがついていないので、アルバイト的な仕事しかできなくなっている。子どもたちは、全員高校に進学したいと思っているが、基礎的な学力が見についていないので行くことが出来ない子どもたちもいた。優れた実践を糸口にしながら、すべての子どもたちに展望を持たせることが大切である。  

E 今回のレポートに共通していて、現在の学校教育で取り組みなければならないことが明らかになった。それは、第一には、「生徒の荒れは学力問題である」こと、第二は、教科教育と特別活動は共に必要なことで、「学級・ホームルームをいい加減にしたり学校行事を削減したりするようでは、子どもの発達は不十分なものになる」ことで、第三には、学校の取り組みには仲間が必要であること、言い換えると「集団的な取り組みこそ必要」であるということだ。

 「京都教育センター年報(22号)」の内容について、当ホームページに掲載されているものはその概要を編集したものであり、必ずしも年報の全文を正確に掲載しているものではありません。文責はセンター事務局にあります。詳しい内容につきましては、「京都教育センター年報(22号)」冊子をごらんください。
事務局 2009年度年報もくじ

              2010年3月
京都教育センター