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京都教育センターの活動 2008年度総括 大平 勲(京都教育センター事務局長) |
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1.第39回京都教育センター研究集会
1月24〜25日の二日間にわたって開催されました。実施時期を夏季から冬季に変更して3回目の開催ですが、恒例とりくみとして定着してきています。 「今日の子ども・学校の困難を検証し、共感とつながりを広げよう!」のテーマのもとに、閉塞した現状を突破しこれからの展望を見いだすヒントを共有することを意識した提起や議論が展開されました。全体会では、半世紀前の旭丘事件の当事者である山本正行氏の「1950年代の教育を考える」と題したプレ集会に退職教職員らが、「競争社会に向き合う自己肯定感」と題した高垣忠一郎氏の記念講演には不登校親の会などが多数参加され、この10年では最多の149名が参加しました。「格差社会と教育の貧困」をテーマとしたパネル討論でも教職員や社会福祉司、学費ゼロネットの学生らからリアルな今日実態が報告されました。二日目の分科会には118名の参加があり、二日間でののべ参加は267名となり久しぶりに活気を呈した集会として成功しました。しかし、現職教職員の参加は他の取り組みとの競合もありましたが、例年並の参加にとどまり課題を残しました。 ◇ プレ集会[1月24日(土)10:00〜12:00]80人 山本正行氏(旭丘闘争原告、京都退職教職員の会前会長)が「『旭丘事件』を通して1950年代の教育を考える」と題して講演。半世紀以上も前の「偏向教育」攻撃の背景と実態を分析され、当時の旭丘中学校の教育実践が生徒を主人公にしたあたりまえの教育であったことをリアルに語られました。参加者の多くは旭丘闘争の詳細を初めて聞く機会として聞き入りました。寺島洋之助先生の文書メッセージも紹介され、生駒佳也氏(歴史学ワーキンググループ)の、戦後の京都の教育とGHQの関係の特別発言や教え子の川口玲子さんらのコメントもあり、参加者に感動と今日の情勢にリンクする課題を与えました。 ◇ 全体講演[1月24日(土)13:00〜15:00]90人 高垣忠一郎氏(立命館大学教授・臨床心理学者)が「競争社会に向き合う自己肯定感――子どもに、自分を愛する心を――」と題して講演。教育センターとの関わりは長いものの、久しぶりの「高垣節」に参加者は改めて共感と感動を喚起されました。講演では、「自己肯定感」という言葉が「勝ち組」になるための「内的資産」として語られているのは不本意であり、「競争社会に棹さす自己肯定感」ではなく、「競争社会に向き合う自己肯定感」であることをわかりやすく説かれました。不登校問題など心理臨床実践例も紹介されながら、「自分が自分であって大丈夫」という「自分を愛する心」をキーワードとした今日課題への提起をされました。 ◇ パネル討論[1月24日(土)15:00〜17:00]75人 「格差社会と教育の貧困」のテーマで深澤司氏(綴喜・田辺東小)、仙田富久氏(京都府児童相談所・児童福祉司)、佐伯宗信氏(府学連委員長・学費ゼロネット代表)の3人をパネラー、築山崇氏(京都府立大・センター研究委員長)をコーディネーターにして、限られた時間のもとで深刻な実態と教訓的な実践と語っていただきました。全体講演での高垣氏の提起された内容とも関連して、今次研究集会のテーマを深める討論の展開で参加者に教訓と課題を提示しました。 ◇ 8研究会による8つの分科会[1月25日(日)10:00〜16:00]118人 ――プレ集会、全体講演、パネル討論、8分科会の内容については第1部、第2部を参照―― 2.公開研究会の開催 今年度は、「新学習指導要領批判と私たちの実践」、「日本の高学費問題」の二つのテーマで全体企画の公開研究会を4回開催しました。〈4つの講演内容は第1部の資料を参照〉 [新学習指導要領批判連続委学習会]「学力・教育課程研究会」や「教科教育研・国語部会」との共同企画として 1. 5月25日 26人参加
講演「新学習指導要領の特徴と実践課題」 鋒山泰弘氏(追手門学院大学)
報告 @「私はこう実践する:小学校算数」 東 辰也氏(京教組教文部長)
A「私はこう実践する:小学校理科」 平田庄三郎氏(同志社小学校)
2. 9月13日 30人参加
講演「ぶれまくる学習指導要領に振りまわされない教育課程づくりを!」
小野英喜氏(立命館大学) ]
報告 @「ヨーロッパ学習の授業づくり」 辻 健司氏(京都市立双ヶ丘中学校)
A「説明文教材をどう教えたか」 得丸浩一氏(京都市立梅津北小学校)
B「改訂学習指導要領・国語科と子どもたちの成長・発達を支える国語教育」
浅尾紘也氏(事務局)
3. 11月29日 18人参加
講演「新学習指導要領と道徳教育の新段階」 井ノ口淳三氏(追手門学院大学)
報告 @「図工・美術教育はどうなるか」 上中良子氏(京都橘大学)
A「選択廃止で技術科教育はどうなるのか」 大石祐平氏(京都市立桃山中学校) [京都の高校・大学の「高学費問題を考える」フォーラム]
京都教育センターの呼びかけで次の8団体による実行委員会を結成(9/1)。「学費無償」を常識とする世界の動向を知り、国際人権規約に背を向け高学費負担をおしつける日本政府の怠慢を指弾する立場から、学費軽減を求める世論を喚起するために企画した。私学関係者との共同が実現したのが良かった。
(実行委員会参加団体)高等教育研究会・日本科学者会議京都支部・京都私学教職員組合・京滋地区私立大学教職員組合連合・定時制、通信制教育を考えるみんなの会・京都府学生自治連合会・京都教育センター
4.10月13日 37人参加
講演「高等教育をめぐる二つの課題――権利としての高等教育をめざして――」 細川 孝氏 (龍谷大学・国際人権A規約第13条運営委委員会代表)
あいさつ 富田道男(日本科学者会議京都支部) 司会 大平 勲(京都教育センター事務局長)
報告 @「学費問題での府学連のとりくみ」(佐伯宗信府学連委員長)
A「定員増を求める活動の教訓と課題」(松元恵美子定通みんなの会世話人)
B「高校にあける高学費問題の現状と今後の課題」(高田宏之京都府高副書記長)
C「私学の学費と私学助成」(三宅進一京私教委員長)
D「私立大学における費用負担をめぐる課題」(佐々江洋志京滋私大教連書記長)
まとめ 築山 崇 (京都教育センター研究委員長)
〔体制〕3.教育研究集会への参加 京都で開催された「2008全国のつどい」には、野中代表が現地実行委員会代表の一人として参加し、企画・準備にも参画しました。共同研究者も多数参加し、全国実践に学びつつ、京都の実践と課題について確信と課題意識を深めることができました。二日目の夜に開かれた「民研全国交流のつどい」(約20名)にも開催地として準備などに尽力しました。 第58次京都教研集会(11/8,9 同志社大学、立命館大学)には、二日間でのべ51名(昨年39名)の共同研究者の参加があり、各分科会での任務を果たしました。しかし、理科・技術・学校給食・生活科・幼年・文化の6分科会に共同研究者を配置できない(他に2分科会が未成立)など課題を残しました。 京教組の民主教育推進委員会には26名(5/17)、16名(9/20)、18名(11/1)が参加しました。第17回全国教育研究交流集会(2/28、3/1 宮城)には大平事務局長が報告者として参加しました。 また、昨夏京都で開催された、教科研、日生連、到達度評価研、不登校親の会などの全国規模の集会成功にむけ協力しました。 教研集会の他に今年度は、府内・市内各地で強行されようとしている学校統廃合問題や高校入試制度の市内乙訓の「改変」、山城での告発などに共同してとりくみました。 4.季刊誌「ひろば・京都の教育」の発行 ・ 5/12(154号)
新学習指導要領と学校教育/今日の不登校・ひきこもり問題
・ 8/4(155号) ケータイ・ネット文化と子どもの世界/地域で育つ子どもたち
・ 11/10(156号) 現代社会と子どもの荒れ/教員養成の現状と課題
・ 2/16(157号) 格差社会と教育の貧困/保育園・幼稚園から小学校へ
※今年度の執筆者これらを特集テーマにして今年度も春日井編集長を軸にした刊行委員会の尽力で、季刊4回の発行をすることができました。また、毎回の発送には多くの方々がボランティアで協力頂きました。定期読者は増加する退職者の減誌分をカバーするだけの新規拡大には及ばなかったものの、あらゆる機会を通しての訴え、一定の成果がみられました。 5.出版活動 (1)「京都教育センター年報」第21号を3月に発行し、京教組定期大会代議員、共同研究者、各県研究所などに配布しました。 (2)復刊した「センター通信」は3年目に入り、今年度も8、1月を除いて月刊ペースで発行し、全職場組合員、「ひろば」全読者、関係者に配布しました。2,3面の「授業づくり」「学級づくり」の実践報告は多忙な学校現場でも読まれ期待されてきています。今後、実践の自薦・他薦が求められています。
(3)その他、各研究会作成の会誌や通信、ニュースなどを配布。 (4)「京都民報」紙の教育企画に関わり、15回にわたって今の京都の教育の現状と課題についてセンター関係者を中心に執筆した。 6.研究活動 8つの研究会がそれぞれ独自に研究活動を展開しています。年間3回の拡大事務局会議でそれぞれの報告と交流を行っています。(各研究会報告を参照) 7.資料室の整備・活用 この間、関係者の尽力により資料室の整備がすすみ、全国の定期刊行物のバックナンバーが整理された。また、この資料室を活用する形で「歴史ワーキンググループ」の若手研究者が戦後教育の研究を系統的にとりくみ、第39回センター研では「50年代の京都の教育」のテーマでその成果の一端を報告された。 8.事務局体制 ・事務局会議は(14名構成)は3週間に一回のペースで下記の日程で17回開催され、毎回7割程度の出席のもとに議論を深めてきた。企画検討会議(月一回)や拡大事務局会議(学期一回)も計画的に開催された。事務局体制の強化や規約問題、50周年(2010年)に向けての展望などについて引き続き議論を深める必要がある。
※ 事務局会議:4/12,5/10,5/31、6/21,7/5,7/19,9/6,9/26,10/18,11/1,11/15,12/6,12/20,1/7,1/31、2/21 、3/14 下線部は拡大事務局会議を含む ・ 浅井定雄氏の尽力によるホームページは5年目に入り豊かな内容を迅速に掲載され、関係者や幅広い人びとから一定の反応が返されてきている。
代表:野中一也(大阪電気通信大学名誉教授)
研究委員長:築山 崇(京都府立大学教授) 「ひろば」編集長:春日井敏之(立命館大学教授)
事務局長:大平 勲(元公立中学校教師) 事務局次長:中西 潔(元公立中学校教師)
――事務局メンバー―― (上記以外)
市川 哲(京都教育センター)
倉本頼一(滋賀大学准教授) 高橋明裕(京都教育センター) 中須賀ツギ子(元公立小学校教諭)
倉原悠一(元公立高校教諭) 浅井定雄(元公立小学校教諭) 東 辰也(京教組教文部長) 松橋秀男(市教組教文部長) 佐野幸良(府高教文部長) 事務活動担当として小田貴美子氏に協力していただいています。 ・「研究員」の登録
退職教職員を中心に依頼し、センター企画のとりくみなどを案内し、希望により各研究会のメンバーになっていただく候補者として登録する制度。昨年度より開始し、30名の方々に登録していただきました。
・各研究会の体制・構成については、研究会活動報告を参照。 |
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【職場討議資料】
確信もって「参加と共同の学校づくり」を実践しよう! 2008/3/8 京都教育センター |
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1.「学校づくり」とは何か
「美しい国づくり」を志向しながらも、短命で「崩壊」した安倍内閣の最大の「遺産」は、戦後教育の「解体」に着手したことであった。2006年12月に教育基本法が「改変」され、翌年6月には教育改悪3法(学校教育法、教育職員免許法と地方公務員特例法、地方教育行政の組織及び運営に関する法律)が強行されました。そのもとで、国家による地方教育行政や学校教育への「介入・関与」が強まり、昨年から強行された学力テストや今春告示の学習指導要領の改訂、基本法に新たに盛り込まれた「家庭教育の重視」、来年度から導入される教員免許更新制度や「副校長」「主幹教諭」「指導教諭」等の新設による職階制の強化などにより、本来、教育の主体者であり主権者であるべき子ども・父母・教職員がその立場と権限を著しく抑圧されることが危惧されます。
こうした条理に反したトップダウンの「改変」は、子どもたちの人間らしい豊かな発達を阻害することは明白であるものの、「新自由主義的経済観」や「新保守主義的道徳観」などが日々の国民生活の中に「浸透」させられ「格差と競争」が当然視されかねない社会のもとで、無防備・無策であれば教育はもはや本来の使命が見えにくくなります。 この極めて危険な状況に歯止めをかけ、国民的な「反撃」を展開していく私たちの唯一、最大の戦略が「学校づくり」(全教や京教組が提起する「参加と共同の学校づくり」)なのです。 実践的には、学習権を持つ子ども、その学習権を保障する教育権を持つ父母、その教育権の負託を受け職務権限を行使する教職員が、自分たちの「学級」「学校」「地域」などを主体的に作っていこうと、「国民の教育権」に基づく教育活動を旺盛に取り組む大運動です。そして、学校の裁量権に属する「教育課程の編成」を子ども、父母、教職員が共同して自前で作り上げることをひとつの到達目標にするものです。 しかし、「それは当然だけど、そんなこと出来っこない!」という声が多々聞こえてくるのが現状です。その背景には「格差と競争」の教育が大手をふる社会にあって、子どもの発達の危機的状況があり、父母同士や教職員同士そして父母と教職員が「分断」され、共同しにくい実態があります。1970年代から教職にあるひとなら経験してきたことですが、「文部省→地教委→学校長」のラインで降りてくる施策や指導事項を「職員会議」という権限あるところで「歯止め」をかけ、学校長を含めた「学校単位」の裁量発揮が可能であったし、子どもまつりや地域教育懇談会、学級懇談会や学級通信などを通して父母と教職員の「共通理解の場」が多く用意されていました。しかし、この二十年余の実状は各々がバラバラにされているだけでなく、一人一人も困難を強いられ閉塞感に陥りがちです。採用時から厳しい研修を強いられている青年教職員のみならず、70年代の「良き時代」をくぐった人も条理に基づく教育信念や幅広い実践観を持たなければ「管理と競争の波」から身を守ることは容易ではありません。 それでも、多くの教育関係者は困難に直面しながらも「何とかしなくては」との教育的良心や誇りを胸に秘めて日々頑張っています。そして、その良識を集めて「運動化」することに成功している学校や地域では今も「子ども主人公の学校づくり」を多様に実践しています(具体的には後述)。困難や矛盾が根深いだけにそのカベを突破したとりくみは本物であり「千金の値」をもつものとして評価されるものなのです。現状に屈して後退するのか、現状分析から出発して前進するかは今日の危機的状況下にあっては「天と地のちがい」があります。その分岐点ともいえる「学校づくり」の課題を今一度考え、実践化していくとりくみを「大運動」として進めていきましょう。 2.「学校づくり」の理論的根拠はどこに 今、教育論不在の教育施策や方針が問答無用でおろされてくる中で、現場教職員がそれらに疑念を発したときに、「不勉強な」学校長は、「国民の多数が支持をした国会で決められた法律や規則に無条件に従うのは当然」と荒唐無稽な理屈で高圧的に対処したり、「教育的には利があっても上からのことには従うしかない」と嘆きこそすれ耳を傾けない管理職が増えてきています。また、私たちの側でも、壁の厚さに屈して「何を言っても無駄や」とばかりに退いてしまっている状況が見受けられます。そこでは、「参加と共同の学校づくり」の理論的基礎としての「国民の教育論」についての見識や確信が極めて希薄であることを指摘せざるを得ません。その理論をしっかりと学習して「学校づくり」の実践を裏付ける理論的根拠をもつことなしには確信持って取り組むことはできません。 戦前の日本にあっては教育権は国家(天皇)に帰属し、親の子どもに対する教育も国家の方針によって著しく制約されたが、戦後にあっては、国民の教育権は憲法26条で「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」と明確に規定されています。また、「改変」された教育基本法でさえ、「真理と正義を愛し‥‥」などが削除されたもののその第一条(教育の目的)で「人格に完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない。」と明記しています。しかし、1956年には、それまでの公選制教育委員会が任命制に変えられ、学校教育に関する「教育の自由」は主に教職員が担うことを余儀なくされました。 また、戦後の学力テスト問題や教科書検定問題、国旗・国歌の強制などをめぐる論争で常に対峙されたのは「教育権は国家にあるのか国民の側にあるのか」の論点でした。文科省や教育委員会が教育に関する大綱的指針をもつことはあっても、教育内容や学校の細部にわたってまでの統制管理にはおのずから限界があることを戦後の有名な司法判断でも明確に指摘しています。「憲法26条は子どもの学習権を保障したもの、23条は教師の教育の自由を専門性・科学性から要請されるとし、国家の教育権を否定し国民の教育権を裁判史上初めて認めた」(1970年:第二次教科書訴訟東京地裁杉本判決)。「教育は本来人間の内面的価値に関する文化的な営みであって、国家の介入は抑制的であるべき」(1976年:旭川学力テスト事件最高裁判決)。「東京都教委の『日の丸・君が代』強制の通達は、行政の不当な支配に該当し、教職員には憲法19条の思想・良心の自由に基づいて起立・斉唱を拒否する自由がある」(2007年9月:予防訴訟での東京地裁判決)。などがそれです。 また、教育の国家的統制に加えて新自由主義教育観による教育面の「規制緩和」論によって、学校選択の自由や学校・教職員の外部評価などによる新たな「競争と格差」が持ち込まれるもとでは矛盾が激化し、子どもを真ん中にした「参加と共同の学校づくり」が妥当性をもち教育的価値を有することは必然でもあります。 3.「学校づくり」の現状と到達点 (1)戦後における学校づくりの概要 新しい憲法や教育基本法の下に出発した戦後の民主教育は、朝鮮戦争を契機にして「愛国心」の高揚をめざすなど「逆コース」と呼ばれる体制がシフトされ、その一方で「教育の危機意識」をもって日教組や民間教育研究団体などが結成された。無着成恭の「山びこ学校」(山形県山間部の山元中学校)に代表されるように、貧しくはあったが新しい教育を教師の手で作り上げようとする気風が広がった。しかし、同時に京都市教委が3教諭に退職勧告した「旭丘中事件」(1954年)に象徴されるように、当時の文部省の学校運営指針に沿って生徒の自主活動を重んじた「学校づくり」に政治的弾圧が加えられ、「偏向教育」キャンペーンが張られる状況があり、その後の勤評・学テ闘争に発展する教育への政治介入と対立が顕在化した。また、同時期に始まった群馬県島小学校での「学校づくり」は斎藤喜博校長を中心にして教師の専門性を高める「授業づくり」を重視した。60年代には京都奥丹後や岐阜恵那などに代表される「地域に根ざす教育」が萌芽し、子どもと地域の生活を通して生活を変革する教育が展開された。 70年代に入り、大学・高校の入試競争などが学校教育に影を落とし、それまでになかった学校での荒れが顕在化し、父母たちは自らの教育要求と切り結んで必ずしも「学校任せ」にしない気風が広がり、PTA組織の参画を含めて自ら教育運動に参加するようになった。その芽と全盛期にあった教職員組合運動が結合して花開いたのが、「子どもまつり」「教育懇談会」「上映運動」などであり、乙訓や宇治久世をはじめ全府内でかつてない規模で広がった。毎年、円山公園で開かれた教育要求実現の「教育府民大集会」は数千人規模が定着していた時期にあった。 (2)閉塞しつつある現状の中での「光」 その後、80年代に入り中曽根内閣による「臨時教育審議会」が指針をふるう「教育改革」が叫ばれたが、必ずしも実行化されにくい状況があった。しかし、京都にあっては78年の「民主府政の落城」以降、全国最後の高校三原則つぶしや管理運営規則の強化とあいまって、露骨な教職員組合攻撃が展開され、それは強靱な組織力を持つ京都市、丹後、乙訓や府立学校などで顕著であった。70年代に花開きかけた「学校づくり」を含んだ教育大運動は、教職員に対する管理統制の強化やPTA活動の変質・形骸化などを背景に、その後厳しい状況を余儀なくされた。 今、学校現場にあっては、主任の任命制、週指導案の提出・点検、職員会議の形骸化、指導力不足と優秀教員への分断、上からの学校・教職員評価、職場教研や分会活動への抑圧などが相次ぎ教職員同士の共同や連帯が困難に陥っている。また、父母たちも、わが子を過剰な競争教育に走らせる風潮に逆らえず、日々の生活の大変さもあってまともな子育てに参画していく余裕を失いがちになって、父母同士や教職員との共同が難しくなってきている。しかし、多くの父母や教職員たちは今の子どもたちの姿を直視して、「これでいいんだろうか」との思いに日々駆られ、「何とかしなくちゃ」の願いを潜在させています。 今、そうした根元的な願いに夢と希望をつないでいる二つの事実があります。今も継続する「父母・住民と教職員の共同」と新たな「センセの学校」です。 「共同」のとりくみは京都北部にあっては大江町で父母を世話人とする定例化された「子育て懇談会」などがあるものの、父母・教職員とも多忙化などのカベに直面し「提起すれども実らず」の実態にあります。しかし、京都市内や南部では伝統的な「共同の力」を継続させています。市内では地域の民主勢力の力もあり、行政区毎に「教育集会・シンポ」「懇談会」「子どもまつり」「上映運動」などを継続してとりくみ、乙訓では他地域より悪質な教育行政の圧力がある中にあっても、毎秋定例化した「教育講演会」を市民ぐるみで開催し、昨秋には高校問題を中心に世話人形式の教育懇談会を22会場で開きました。宇治久世では、かつてのようにPTA連合との共催は難しくなっても保育所や学童の保護者会、民主団体や他の労働組合と実行委員会をつくり、「第31回宇治市子どもまつり」を6月に1万人規模で成功させ、昨年は会場の「太陽が丘」公社も後援する新しい到達点を築いています。また、約20の地域で分会を単位にした「わんぱく親子の会」(20年ほど前に宇治久世教組がよびかけた大規模なアウトドア行事が出発、その後とりくみが大きくなりすぎて地域ごと網の目で)があり地域の子ども会学校(組合)版として定着しています。そこでは、キャンプ、星空体験、米づくり、海水浴、スキーなど多様な行事が子どもを真ん中にして父母と教職員で企画実施され、父母同士、教職員同士、父母と教職員が相互のつながりを深め若い未組合員の先生が組合を知る機会にもなっています。 「センセの学校」に代表される青年教職員を対象としたとりくみは、数年前に始まった新しい形の実践ですが、最初は組合の組織加入強化の発想からスタートしました。今では、府内の全支部でこの青年教職員を主人公にしたとりくみが多様に展開され、組織強化のみならず、本来の教育実践要求に応える活動として閉塞状況を打開する視野で旺盛に展開されています。青年教職員に実践を語るベテラン教職員も元気になるとりくみとして定着してきていますが、先進の奥丹後や与謝では未組合員の実践から学ぶ場としたり、青年自身だけでが企画運営する形に発展してきています。 4.「学校づくり」を推進するために (1)確信もって「学校づくり」をすすめる理論と情勢の学習から 今、子どもと教育がかつてない困難と危機的状況に直面しているだけに、まともな教育のあり様を模索する機運が潜在し悶々としている状況があり、ある意味ではそうした状況を突破するチャンスの時ともいえます。しかし、こうした「転換」は自然発生的に起こるものではありません。「実践を伴わない憂い」にとどまっていては事態はますます悪化していくことが危惧される情勢にあります。まず、こうした情勢認識を共通理解し、「学校づくり」が今日的に必然であるとする理論学習が始まりです。そのことに着手できるのは組織された組合(員)しかありません。支部、分会で足下の子どもたちの実態交流から入り、「学校づくり」を展望する学習会の開催です。先進の実践や理論的背景を学びながらも、多様化する子ども・地域・職場の実態にマッチした自前の発想を共有化することが大切です。なお、理論面では教職員の自主的権限を擁護するためにも「父母の教育権」への深い理解と納得を示すことが重要です。 (2)何から実践着手するのか〜父母・住民の学校参加を見通して〜 「学校づくり」は自前の教育課程づくりを到達目標にする運動ですが、現状では多くの学校でその糸口が見えないのが実態です。どこから手をつけるのか。それは、教職の専門家として子どもの願いや思いをしっかりと受け止める姿勢が前提です。東京の一部などでは「私は○○だと思います」「ぼくはそうではありません」式の子ども参加型の授業さえチェックされ、主人公であるはずの子ども自身の授業参加が否定されるマニュアル化があると言われています。子どもたちが間違いも認め合い生き生きと交流する「授業づくり」が「学校づくり」の出発にあるといってもいいでしょう。また、子どもたち自身が企画・運営する学級会や児童会・生徒会活動、そして精選されつつある学校行事なども再考する必要があります。学級通信なども教師サイドの一方通行的なお知らせを減らし、子どものナマの声や父母の思いなどを意識的に書き、事実を伝え共感する場を広げること。「学校を地域に開く」と言いながら、学級懇談会も自由にならない状況がありますが、父母がすすめ交流する場として工夫したいものです。教職員個人としては、自身の授業づくりの向上をめざして、学習指導要領を意識しながらも蓄積された民間研究団体の成果に謙虚に学ぶ立場から、思い切ってサークル活動に参加し職場教研を追求することが求められます。 今、職場は多忙化とパソコン化で職員室でさえ「営業所」のような雰囲気があり、かつてのようにお茶を飲みながら子どもや授業の様子を語ることが出来にくくなっています。周りの同僚が何を考えているのかが伝わらず、自分自身も納得できない思いを仕舞い込んで「ま、いいか」とうちやっている状況があるのではないでしょうか。そうしたときに「愚痴」でもいい話せる仲間がいることはとても心強いし、教育的良心を呼び覚ますきっかけになるものです。 「学校づくり」は愚痴の共有から始まると言ってもいいでしょう。そこから、子どもの実態などを交流していけばおのずと矛盾からの光が見えてくるのではないでしょうか。また、一人でもいいから信頼できる父母と仲良くなり、子育てを語りあうことも光をあててくれるでしょう。そして、「職場教研」や「教育懇談会」をはじめとした子どもを真ん中にしたさまざまなとりくみが現実化してくるでしょう。 子どもの「安全・安心」を意識した父母の学校「監視」や行政主導の「学校運営協議会」が広がってきていますが、そこではまだまだ父母の本音を語り、交流する場とはならず、自立したPTA活動や子ども・父母・教職員が対等平等に語る「三者協議会」の設置が待たれています。その前提として、父母・住民が子育てや地域のことを気兼ねなく交流できる場が不可欠であり、その発展として父母住民も関わる「参加と共同の学校づくり」が見えてきます。 (3)管理職のあり方と私たちの対応 「学校づくり」を実のあるものにする上で学校長の役割は欠かせません。かつての島小の斎藤校長のように校長が主導して文部省などの考え方にとらわれない「民主的な学校づくり」(当時の京都教育センターはその課題を批判的に指摘したが)がありましたが、今では体制側の施策を横に置くことは出来ることではありません。今の学校長は残念ながら行政の末端にあって、学校現場を行政の意をくんで統制管理する任務を負わされ、中にはそのことを「意気に感じて」垂範し、権限を振り回す人も珍しくありません。しかし、上からの圧力に抗しきれず、現場の声に譲歩しないものの、教育的良心を内在する管理職もいます。府内各地の学校を見たときに、子ども・父母・教職員にとって比較的「居心地の良い学校」では、そこに子どもを学校の主人公としてその裁量権を発揮している学校長の存在があることが認められます。「あんな学校長は相手にしない」という反動に対峙する気分も理解出来ますが、学校長の「教育的良心」を具現化するキーは私たちの側が持っています。管理職のトップダウンは厳しく批判しながらも、「管理職の立場」も一定考慮しつつ、子ども真ん中にした教育議論の場を広げ、私たちの側からの働きかけと支えが重要です。管理職だからということで一面的に敵視する考えは今も戒めなければなりません。 5.確信持って「学校づくり」をすすめる上で教職員組合の役割は決定的! 全教は2003年7月の定期大会で「参加と共同の学校づくり」を打ち出し、その後に「学校づくり5つの提案」(子どもの意見表明権、学校のことを父母に知らせるなど)を行い、同年10月には「みんなでつくろうみんなの学校」と題する討議資料を作成し職場代表者の交流集会を開催しました。今年2月の第25回定期大会でも「学校づくり」をテーマとした集中的な交流討論を行い、新しい反動情勢下での貴重な教訓を引き出しています。それらを受けて京教組でも「みんなの手による学校づくり」を正面に掲げ、2004年10月に「学校づくり全分会代表者会議」を開催し、300名を超える参加で40本の実践レポートを交流しています。その後も昨秋には「青年の組織化と学校づくり」をテーマにした職場交流会を開催し、実践に裏付けられた運動の成果を交流し確信を深めています。教育実践を切り口とした青年教職員への接近や組織化も軌道に乗りつつあり、新たな展望を指し示すに至っています。 しかし、支部・分会段階ではまだまだ「学校づくり」は見えにくい「重いテーマ」となっており、今の新たな厳しさをもつ情勢下にあって、そのレベルでの実践が急がれます。忙しい日々ですが、1年間を総括し、次年度を展望するこの時期に、ささやかでもいい足下からの議論が始まることを期待するものです。 そうした見地からこの討議資料も作成しましたが、現場で苦労しながら奮闘されている組合員や関係者の率直な批判を含めたご意見をお寄せ下さい。 [文責 大平 勲] |