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第35回夏季集会・特別分科会
子どもたちの「ことばの力」の現状とその問題点をとらえ、国語教育の課題を考える
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問題提起と討議の柱
この特別分科会は、京都教育センター教科教育研究会・国語部会(準備会)が担当します。
上記のテーマを追求していくために、次のような討議の柱の設定と、提起を予定しています。
1. 長崎事件などに見る子どもの「ことばの力」を考える 長崎での、同級生の女子児童による殺傷事件は、私達に大きな衝撃を与えました。それは、事件の経過の衝撃性としてだけでなく、加害児童がHPに書いていた詩、小説、日記の書き込みなどの内容、語彙、叙述などが、かなりのレベルのものであり、読書が好きで、かなり難解な作品をも読んでいたという事実が明らかになってきたからでもあります。
この「ことばの力」をしっかりと身につけていたと思われることと「事件」の残虐性・非人間性が、私達にとっては、結びつけにくいものであること、そして、インターネットという特殊な「環境」を背景に出てきたものであること、などの「問題」は、「ことばの力」をつけていくことを人間的な成長とかかわって国語教育を考え、実践していくことをめざす私達にとって、さらに深く論議していかねばならないことを「提起」しているととらえなければならないと考えます。
現在、この問題については、
・ 「インターネット言語」の特殊性
・ HPや「掲示板」、チャットという環境における「言葉」の暴力性
・ 他のサイトからの無批判・無意識・安易な言葉の取り込みによる無内容性、生活現実からの遊離の問題
・ 「学習言語」「生活言語」と「インターネット言語」のそれぞれの無関係性と独自の問題性
等が論議され始めています。
そこで、
提起 得丸浩一先生(京都市)
発言 小宮山繁先生(京都市)
をうけて、全体討議をしたいと思います。
そして、できればその論議は、わたしたちのめざす「国語教育実践」の「課題」とどう関わるのかを中心にできればとも考えています。
2. 京都の国語教育の現状と、「三分野説」の意義
京都では、四十年前に、「学習指導要領」の「国語科」の言語活動技術主義技能主義に対し、「人間形成」の観点からの「国語教育構造論」として、「京都の国語教育・三分野説」を創造的に提起してきました。
それは第一に、「話す」「聞く」「読む」「書く」といった、「言語活動の場面」を「領域」として設定することによって、「言語活動主義」に陥らざるを得ない「指導要領・国語科」は、言語がもつ本質の「外言」として「伝達」の側面だけが偏って重視され、「内言」の「認識・思考」の側面が捨象されてしまうという本質的な問題点を指摘したものでありました。
そして第二に、さまざまのある国語教育の研究団体の「成果」を互いに学び会い、深め合うために、三つの分野としてまとめていくことの大切さをおさえたものでもありました。
今、京都の国語教育は、
・活動主義の「雑多教材」が急激に増え、「言語」「説明文」「文学」「作文」の教材の減少
・とりわけ、「言語」教材の決定的な不足と、「作文」教材の技術的偏重
・「総合的な学習の時間」の「活動主義」を技術的に補足する
技能教科になっている
・「少人数授業」による国語科指導の「習熟度」の名のもとのいっそうの技術的偏重
・少人数授業の導入による「生活集団」と「学習集団」の遊離による「ことば」そのものの「生活」からの遊離
・「聞く・話す」が国語科の「基礎・基本」とする無見識なおしつけによる「読む・書く」の軽視と授業(指導)のゲーム化
・「伝え合う力」という「キー・ワード」による言語活動の場面の多様化とその技術ばかりを追求する「校内研究」「重点研究」「指定研究」の形骸化
・「基礎学力」を正しくおさえることなく、「基礎学力充実」宣伝によるごまかしと、国語教育としての「課題」をぼやかしてしまう行政の意図的政策
これらが、今の京都の国語教育の現状から見た「問題点」では
ないでしょうか。
こうした現状を打ち破るために、今こそ、私達の実践を積み上げて創造してきた、「京都の国語教育三分野説」の意義を再確認する必要があるのではないでしょうか。
その中で、
言語教育・・・子どもたちに「ことばの力」の基礎となる、言語についての体系的法則的知識をどう深めていくか
説明文教育・・論理的な文章を正しく読む力をつけ、認識・思考論理の力を伸ばし、たしかな理解と表現の力をつけていく
文学教育・・・ことばを「形象」として、絵と感情におきかえて豊かに読み、自分の生活・生き方に迫る文学体験をし、世界を豊かに見、考え、自分を見つめていく力を伸ばす
作文教育・・・生活を綴ることを基本として、豊かに確かに自己表現し、自分を表現・主張していくことと生活に根ざしたものの見方考え方感じ方、行動のし方の力を伸ばしていく
ことをめざす国語教育、いいかえれば、「人間形成の国語教育」、「ことばの力を伸ばしていくことが、人間的成長につながる国語教育」の実践をめざしていくことの正しさと大切さを確認していきたいと思います。
ここでは、
提起 浅尾紘也(京都教育センター)
発言 審良光昭(乙訓)
をうけて、全体討議を深めます。
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