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特別分科会
  子どもたちの「ことばの力」の現状とその問題点をとらえ、国語教育の課題を考える
 
浅尾 絋也(教科教育研究会 国語部会)


 
 この分科会は、今年四月に立ち上げられた、教科教育研究会・国語部会(準備会)が担当し、次の二点をテーマとして、提起と討議を進めました。

 
1.長崎事件などに見る子どもの「ことばの力」を考える

 
 提起として、得丸浩一さんは、多くの資料を準備し、「『ことば』と人格形成〜自己表現と現実認識の狭間で〜」を具体的に語ってくれました。

 まず最初に、「長崎佐世保事件・・・「加害」女児の表現をどう見るか−「インターネット言語」の独自性はあるのか?」として、この事件の経過、とりわけHPやチヤツト、書き込みなどに女児の変化がどう読み取れるかを詳細に見、検証としていただきました。

 さらに、「広がる『会話体?』一金原ひとみとモブ・ノリオー」として、芥川賞受賞作家の作品を引きながら、現代の子どもたちや青年の「表現」形態が、「口語体」ではなく「会話体」とでも呼べるものであるとしながら、それでの「自己表現」の可能性と意味を提起されました。

 そして、「田宮・野名論争」を引きながら、田宮輝夫氏がことばによる「現実認識」を重視したことに対して、野名龍二氏がことばによる「自己表現」を大切にしたことを対比しつつ、「『書くこと』における『自己表現』と『現実認識』の位置」を提起し、佐伯眸氏の「新・コンピューターと教育」での教育の電子ネットワーク化には「まず、人と人とが、ほんとうの意味で対話するということを学ぶべきだろう」ということ、メールやチヤツトでの「感情的交流」が「表面的な親しさがむしろ、本当の心情を隠蔽してしまう」という主張も紹介しつつ、問題点を整理して頂いた。

 そして最後に、「どうする?−実践の可能性−」として、青笹さんの実践を引きながら、

・「メール語」「インターネット語」における思考と表現の関係を科学的に追求、検証すること

・「活字離れ」ではなく「活字まみれ」の実態をどう見るのか

・「つながりたい」欲求と「優しさ」の折り合いをどうつけていくのか、

という三点について、提起をしていただいた。

 さらに、この「提起」に続いて、小宮山繁さんにもまとまった「発言」として、この課題をどう考えるか、どうするかを提起していただいた。

 小宮山さんは、これまで教師たちは「普段日常会話として使う『生活言語』」「学校で学習時間に使い教えられる『学習言語』」があったのだが、さらに「チヤツト、掲示板などで使われる独特の『インターネット言語』」が出てき、それがどのような思想・感情・想像力を培っていくのかということを、実際の「掲示板」でのやりとりを例としながら、その攻撃性や問題性を指摘し、提起しました。

 そして、女児の書いた「嘆きの賛美歌」を分析し、さまざまな詩的表現の巧みさにみられる言語能力の高さと、所々に見られる内容の空疎さや短絡的なもの、さらには、「児童詩教育の実践」としての視点から見た指導の課題など、独自の視点からの問題意識を提起して頂きました。

 論議の中で、提起についてのさまざまな観点からの意見が出、これらの課題や問題の整理が、国語教育実践を進める立場でさらに取り組まれていかねばならないことが共通認識されました。

 
2.京都の国語教育の現状と、「三分野説」の意義

 
 全国的にも同じですが、京都の国語教育の現状は「空洞化」の状況がますます進み、「崩壊」へとつき進んでいるのではないかと危惧するほどのものとなっています。

 行政は、躍起になって「成果」を強調しています.が、現実にはとりわけ「言語」についての体系的法則的な理解、論理的な文章を読む力、自分をきちんと表現する力を中心に、その落ち込みは激しく、「習熟」中心のドリル・訓練ではその力をしっかりとつけていくことはできないことが明確になってきています。

 その中で、私達の先輩が実践的に創り上げてきた国語教育構造論としての「京都の国語教育三分野説」を再認識し、実践を展開していくことの大切さが認識されねばならないと考えます。

 提起として、京都教育センターの浅尾紘也がいくつかの点を中心に報告をしました。

 最初に「三分野説」が創られた経過、それが何をめざすものなのかを明らかにし、「ことばの力を伸ばしていくことが、人間的成長につながる国語教育」「人格形成をめざす国語教育」の実戦を提起しました。

 さらに、今年実施の「基礎学力診断テスト」の「結果」を見ても、「言語教育」「説明文教育」の力の低下は深刻なものがあること、それにどう対応していくか、また「ことばに『生活』をこめる」という「学力」を伸ばす基本となることをどう考え、どう取り組んでいくかを提起しました。

 そのあと、とくに文学教育で子どもたちをどう繋ぎ、どう伸ばしていくかを中心に実践している西條昭男さんに「発言」していただき、提起を補足してもらいました。

 討議の中では、基本的なことについての異論はなかったものの、これまでの「言語教育」「作文教育」「文学教育」という構造を提示することよりも、より実践的に「説明文教育」「作文教育」「文学教育」としての構造を考え、「言語教育」は、それらの重なりに柱として通っていくものとしてとらえるほうがより実践的であり、構造としての明確さがあるのではないかという意見も出て、論議は深まりました。

 今の国語教育の課題、子どもたちのもつ問題をより実践的にとりくむことのできる視点での検討・論議は、これからも続けていかなければならないと思われます。

 また、若い教師たちに、「三分野説」を広めていくこと、その実践をともに進めていくことが、大きな実践課題となります。
 はじめての分科会となりましたが、鋭い「提起」と、参加者の積極的な討議で、実り多い分科会となりました。
 今後の、課題をみすえた実践とそれを集約してのさらに深い論議を進めていきたいと考えています。

 
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