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子どもの発達と地域 研究会だより

第7号 2007年10月発行

京都教育センター 子どもの発達と地域研究会



新連載T 子どもの発達と地域活動(その2)


「地域」という言葉の内容について    −学校教育との関連で−


                               棚橋 啓一

(前号からの続き)

子育て・教育の基本の方向は?

(1)前回書いたように、子どもを育てる基本がどの方向を指向 しているかは、とくに日本の現状では重大な問題である。

 最近、よく話題になる“競争”を取り上げて考えよう。スポー ツは本来、語源的にも“気晴らし”“遊び”である。その中で競争は大きな位置を占めている。楽しむという基本を外さなければ、競争はいっそう楽しみを大きくし意欲を高めるものである。とこ ろがそのスポーツが“基本は勝つこと”に変わると、すっかり変わったものになってしまう。

 勝つために強制や体罰、しごきなどが横行し、それがだんだん勝つために必要だと、当然のようになってしまう。

 教育の場も同じである。学習の中で競争を取り入れると、子ど もの集中力が高まるとか意欲的になるなど、競争はいろいろ活用 されてきた。教育本来の目的に矛盾しない競争なら、競争がとくに問題であるわけはない。ところが「学習」や「教育」の目標が“勝つこと” に変わると、人間形成、人権及び基本的自由の尊重の育成、平和的な国家や社会の形成者の育成、などの教育の基本 はどこへやら、強制、力ずく、支配従属の上下関係、人権無視、 が幅をきかすようになり、本来の教育とは似ても似つかぬものに 変わってしまう。

 以前、オリンピックは、「勝負に勝つことよりも参加すること に意義がある」ということが強調されていた。スポーツはそうい うものだと考えられていた。しかし、もうかなり前のことになるが、教職員の親睦のスポーツ大会の開会挨拶で、会長(校長)が 「やるからには勝たなくては」と言った。私は学校教育の世界にまで、こんなことが言われるようになったかと、 悲しかった。それから以後、若い、あるいはスポーツに力のある教員のための大会のようになり、あとの者は弾き出されたように なってしまった。

 基本の考え方が変われば、名前は同じでも、中 身は異なるものとなってしまうことがわかる。


(2)こんな話しを聞いた。

 子どもたち十数人の集団登校の列が通る。いつもは「おはよう」 と声をかけると、「おはよう」と返したり、ニコツと笑ったり手を振って行ったのに、その日は「おはよう」と声をかけても返事 がない。誰もがうつむき加減で静かに歩いて行く。気になって後ろの方にいた大きい子どもに「○○君、元気かい?」と声をかけ た。するとその子はニヤッと笑って「フシンジンブツ」と言った。 もちろん冗談。しかし“不審人物”と言われて「エーツ」と驚い た−−というのである。

 誘拐事件が繰り返し起こるので、学校も心配して「外で知らない人に声をかけられても、応じないで−」というような注意をしたかも知れない。いや、家庭であるいは友達の間で誘拐が話題に なっていたかも知れない。そして登校のために集まったとき、子どもたちの間で「他の誰にも話しをしないようにしよう」という ようなことになっていたのかも知れない。

 しかし家庭でも学校でも、子ども の安全や社会の問題に対処するのに、 子どもたちに人間不信を植え付けるようなやり方を教えるというのでは、人間信頼、人権尊重の育成 という教育本来の目的を忘れた方法ということになる。こんなときこそ、地域には子どもたちを守るために動く人が大勢いるから、 大きな声を出して−−というように、人間のつながりや、そのだいじさを教えるべきではないだろうか。そして、だからこそ、地域社会には人権尊重、子ども尊重や、人権意識をいっそう高める ことが求められるのである。

 子どもの誘拐に対する安全対策を考えるとき、“声を掛けられ たらどうしたらよいか”など、ぶつかった当人の問題に重点をお くようにすると、誘拐事件の起こる深い原因を考え、誘拐が起こ らない社会にするためにはどうしたらよいか−、と広くみんなで 取り組む行動には発展しにくい。多くの人は自分にはそれほど関 係ないこととしてすませてしまうことになる。

 しかし事件の根を深く見つめると、根底にある人間を尊重する 心の欠如、貧困、自己中心的な考えや行動、お金中心になっている生活の実態などなど、現代の政治や経済優先の社会の問題点が 浮かび上がってくる。そのとき、為政者や経済社会の支配者はそれを嫌って個人の問題、局所的な範囲の問題に止めようとする。

 やはり安心して暮らせる社会をつくろうと、市民自身、地域住民自身が本気にならなくてはならないのである。


(3)子どもが襲われたときや誘拐されそうになったとき、駆け込みやすいようにと、「子ども110番のいえ」という札がかか っている家がある。実際子どもが飛び込んでくることはほとんど無いだろうが、地域の住民が子どもたちの安全(そして成長発達) を見守っている−という姿勢を表すものとして意義をもっている。またPTAやその他の団体で子どもの登下校の安全を見守る スタッフを配置しているところも多い。これも直接の安全確保と同時に、社会的意義も大きいと思われる。

 しかしそのような取り組みが上から言われたからやっている という従属的な取り組みになっているとすれば、それは地域上下 関係を維持強化する働きをしており、形の上では同じようでも、 それでは地域の積極的な教育力にはならない。

 地域には学校の外に、子どもたちが参加する祭りの神輿の取り組みがあったり、スポーツクラブ、塾やピアノなどの教室もある。 その集団の中での活動の進め方が子どもを尊重し主体性を尊重したものであるか、強圧的支配従属的か、そちらの方向になって いるかは重要なことである。

 子どもたちがその集団で 身につけたものの見方考え方や行動のしかたは子どもの 身につき、その子どもが別の 集団で活動するとき、周囲の子どもたちに影響する。それは当然 のことであるが、地域の集団での子どもたちの関わりは、自由さ 親密さの強いことも多いだけに、強い教育力をもっていることを 見逃してはいけないと思う。

 小さい子どもも尊重し、一人ひとりの主体性を尊重し民主的に活動を勧めている集団で育った子どもたちが他の集団に行くと、 その子どもの身につけたものが発揮され、その考え方行動の仕方が他の子どもたちに広がる。反対に人間を軽視し人権を軽視するやり方や、力ずくで物事を進めたり力のある者が幅をきかす上下関係の強いやり方が行われていると、子どもはそれを身につけ、他の集団に行ったとき、それがその集団に持ち込まれるから困っ たことになる。

 そして、その集団の指導者の考え方や方針、行動がその集団の 教育的方向性を大きく左右するのは言うまでもないが、子どもたちの親もその集団に大きな影響力をもっていること、持つべきで あるということも重要な点であると思う。




新連載U 子どもの発達と子育てネットワーク(2)

           浅井定雄(京都教育センター発達問題研究会)


(前号からの続き)

(4)子どもの遊び場と地域

 以前、左京区の小学校に勤務して生徒指導を担当していたときの話だが、こんな事件があった。5年生のあるクラスで、いつもと違って授業がなかなかうまく行かない。子どもたちがそわそわニヤニヤしている。担任の先生が、子どもに聞いても何も言わない。そんな日の昼休み、ある女の先生が怒った様子でそのクラ スの子どもたちを私の所に連れてきた。クラスの男子のほとんどが連れられてきた。

 事情を聞くと、子どもたちが昼休みに体育館の窓から忍び込んで中に入り、舞台の下の暗がりで隠れて遊んでいたということだった。むろん休憩時間に体育館に勝手に入ってはいけないことになっている。まず、子どもたちは、午前中の体育の時間が終ったときに体育館のトイレの窓のカギをそっとはずしておいて、昼休みにその窓から一人が入り、体育館裏側の戸を中から開け、仲間を招きいれた上で、舞台の下に潜り込んで、キャアアキャアわめいて遊んだり、学校で禁止されているマンガ本や雑誌を読んだりしていたのだった。

 懐中電灯やマンガ本、雑誌などは、前日相談の上、用意周到、家から持ってきたもので、そのクラスのほとんどの男子が参加し、知っている子どもでも先生に「告げ口」する子 は一人もいなかった。

 それで、一通り「おこられた」あとで、子どもが言った。「先生、僕ら『隠れ家』『基地』みたいな、大人に隠れて遊ぶ所がないんや。学校が終わったら塾とか習い事やろ。放課後友達と外で遊ぶこともできひんし、それから『変な人がいるから』とか言われて、勝手にどっか遊びに行くこともできひんし、学校でも『あそこで遊んだらあかん』とか『こんな遊びをしたらあかん』とか言われて……。」

 確かに、私たち小さい頃は、よく『隠れ家』や 『基地』を作って遊んだし、映画「スタンド・バイ・ミー」では ないが子どもだけで遠くまでかけたこともあった。ところが今は、子どもたちの言うように、子どもだけで遊ぶ場所もないし、子どもが大人から「隠れて」子どもだけの世界を作ることもできない。 子どもが遊ぶ時間もないし、空間もないし、仲間すらいないというのが現状である。だから、子どもたちは「学校で」しかも「先生の目を盗んで」遊ぶしかないし、それに「ワクワク」したスリ ルを覚えるのだ。

 最後に、子どもたちに私が「面白かったか?」と聞くと、子ど もは「うん、めっちや面白かったわ!」と言って目が輝いた。あとで申し訳なさそうに小さい声で、「もうやらへんけど…」と付け足しはしていたが。


(5)地域の果たす役割

 2004年11月に奈良市小学校1年生女子が誘拐され殺された事件頃から、その後毎月のように小学校低学年女子など狙った誘拐・殺人事件が続発し、また学校への不審者の侵入事件が続くなど、子育て・保育・教育にとって不安な毎日が続いている。

 そうした中で今、「学校の安全管理」が問われ、監視カメラを設置し、教職員が「さす又」の練習をし、警備員を立てて、そのうえ門を閉ざして、まるで小学校を「要塞」のようにしている。 学校を訪問する者にはすべて「名札」の着用を求め、「登下校の 安全」にはPTAの父母や地域の団体が動員されて、登下校道のあちこちに同じ色のヤッケを着込んだ「鋭い目」の姿が見られる。

 しかし、それで事件は防げるのだろうか? 子どもにとっては、家を出てから 家に帰るまで、学校でも、地域でも監視されていることと同じである。そんな中で、子どもたちはどうやって育っていくというのだろう?

 ある時にはやんちゃやいたずら、「小悪」もできるというような、子どもたちが自由にのびのびと育つ空間が、いったいどこに あるというのだろうか。また、親や大人の引率で集団登下校していた、「守る」べきはずの子どもの中に、実は犯人がいたという あの神戸事件も思い出される。

 今、社会の中で「防犯」という名目で、「異物」を監視し、排除しようとする「監視社会」化が急速に進んでいる。家には、本人が全く知らないうちに個人情報が使われ、塾や英会話、教材案 内のダイレクトメールが送られる一方、四条河原町には監視カメ ラが設置され、駅や公園のベンチはホームレスが「寝られない」 ような形に変えられている。警察は、「不審者」の早期発見のために、新聞配達員に監視をたのみ、犬の散歩者に「ワンワン・パトロール」として監視をたのみ、…その目線はすべて「異物」を 監視し、地域から排除する目線である。

 また、子どもたちには「知らない人は、何をするかわからない人」と教え、「悲鳴を上げる練習」までさせている学校もある。

 しかし、このような学校・地域で子どもたちが健全に育つはずはない。子どもたちの発達に必要な学校・地域は、「要塞の学校」 や「監視の中の地域」ではないはずだ。

 こうした中で先(前号)に述べたような、若い母親たちの子育ての「孤立」「不安」が増長されている。

 子どもたちの発達の道をさぐり、子どもたちの発達が求める地域の姿をさぐり、住民みんなが子どもたちの発達に関わるような地域、子育てネットワーク(網の目)が子どもをハンモックのようにつつみこむような地域の創造を、どう作り出していくのか。

 これからの大きな課題になっている。


                                                 


◆報告 9月15日(土)に公開研究会を行いました


 18名が参加しました。まず左京少年少女センターの取り組みかえら、指導員の浅野さんが「4日間のキャンプでこんなにお〜きくなりました」というテーマで1時間話をして下さいました。キャンプまでの準備や当日うつしたDVDも見て、雰囲気もよく分かりました。

 次に当研究会から棚橋さんが「地域社会で育つ子どもたち」と題して、まとまった発言をしました。そして全体討論。    もう少し時間が欲しいほどさまざまな角度からの意見交流がで きました。


★☆参加者の感想☆★

 私自身の感想は、最後にも発言しましたように、今日子どもたちが「生きる」ことに 苦痛を感じ展望を失いつつある時代であるからこそ、何よりも「ああ、人生にはこんなにすばらしいこともあるのか」という感動と、生きる楽しさ、希望を子どもたちに与えた実践であったことが一番すばらしいことだと思いました。

 今回の公開研究会をこのままで終わらせることなく、今後、まとめを行ないながら、 さらに実践を分析して教訓を引き出す作業が必要であろうと思います。


★☆参加者の感想☆★

 今の日本の学校(制度)で失わされたものが、このキャンプ活動にいっぱいあるとうれしくなりました。指導員の皆さんがよく話し合い、意思疎通をされていることが、発表の過程でもよく分かり、感心しました。(学校の教職員はこれも失わされている)

 この発表の場に父母も来てくれていたら、いっそう豊かな場がつくれたと思います。さらに子どもたちも来ていたら最高だろうけど。指導員の皆さん一人ひと りの成長の歩みも聴いてみたかったです。(別途そんな機会があれば…)


★☆参加者の感想☆★

 キャンプの取り組みをふり返りながら、準備の大切さと指導員の活動にあらためて、ごくろうさまでしたという気持ちです。

 参加された先生方より励ましをいただいて、少年団をもっともっと広めていくことが求められていると思いました。現役の小・中学校の先生や、父母 の方にもっと参加してほしいなとも思いました。棚橋先生の、いつもながら 的確で分かりやすい話に確信の持てるものとなりました。

 今後、地域での大きな異年齢の育ちに焦点をあてられたらおもしろいと思いますが、それを考えるとほんとうに地域が壊されていることを痛感します。



◆ちょっと一言

     姫野 美佐子 

 私が新婦人で関わっていることのひとつに、毎週1時間の「赤 ちゃん体操・親子リズム」があります。実は私自身は小さい子がすごく苦手だったのですが、ちょうど自分にも子どもができたということもあり、思い切って飛び込んでみました。

 参加するお母 さんたちは普段も家で子どもと過ごしている(保育園などにあずけていない)人がほとんどです。

 けいくん(仮名)は初めて やってきたとき2歳でした。 とても元気がよくて、照れくさいのもあちてか、あまり じっとせずに会場中を走り回っていました。お母さんはrいつも こんな調子で…」とちょっと困っている様子でした。でもこのお母さんはさまざまなことに関心のある人で、すぐに他のお母さんと仲良くなりました。けいくんは1年弱ぐらいリズムに来て、今年4月からは幼稚園に入るために卒業しましたが、その間にとても変わったように思います。

 お母さんも「リズムに来てから、活発だけど落ち着きが出てきゃように思いますjと言っていました。 リズムはたったの1時間で、週に1度のことなのですが、親も 子どもも一緒になって音楽にあわせて身体を動かす(ワニになったり、ウサギになったりする)中で、お互いに「上手にできるね 〜!」「○○ちゃん、すごいね〜!j などと声かけもいっばいしています。

 この積み重ねって結構、子どもにとって大きいことなのかも知れないと思います。

 また、私たちほリズム以外にも、アロマテラピー、アフリカ料理、布ぞうり作り、クリスマス会など、たくさんのお楽しみ企画 を行います。これによってお母さんたちは子どもと−緒に楽しむ時間が増えます。けいくんの変化は、リズムだけではなく、楽しんでいるお母さんの姿を見ていたことにもあったのかもしれません。

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