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教育基本法・連続学習会・・・27          2004・10・16。

                                         土野 友人


  第9条:宗教教育

・ 第9条といえば、「戦争放棄」と、ピンとくるが・・・、教育基本法の第9条であり、連続学習会の10月は「宗教教育」である。話題提起者には研究者とともに大原・念仏寺の住職さん(16氏呼びかけ人の一人)のご参加も得て、参加者もいつもの「30人学級」を6名も超えた。単なる数的アップというよりも、有名な宗教研究者の日隈さんのご参加もあり、参加感想文(ひろば140号に転載)までいただけたことは非常にうれしかった。また、提起者からの資料も豊かで、1時間の提起にはおさまらず、大幅な時間延長になったことは、逆に、交流時間が少なくなった点では、いたしかたなしであった。

・ 参加者全体にアンケート用紙が配布され、「宗教という言葉を聞いて、思い浮かべること」の短時間メモが求められた。結果は、実に多様な結果であったことから、「宗教」という概念がいかに不確実なまものであるかを指摘された。発展して、「宗教教育についてのカリキュラム」は確定されていない旨の指摘にも及んだ。前回の政治教育と同様に、宗教教育もしっかりとしたカリキュラムの必要性を感じた。

・ 「宗教的情操」ということにいたっては、極めて政治的・意図的な「危険」な思想が含まれていることにも気づかされた。戦争する国づくり、かっての富国強兵政策に際して、「神社神道」を宗教から引き離し、これを「国家神道」化することにより、戦死者を「神」とした戦前の政策! これとの一体化を意味する意図のあるということを・・・!

今日の「靖国」問題は、中国・アジア諸国からのくりかえしの指摘のある「歴史認識」をめぐる問題だけでなく、かっての森首相の「神の国」発言の根拠でもある。このことは、「日の丸・君が代おしつけ」が、いかに「心の自由」を侵しているか、「信教の自由」を侵していることか、更には、「心のノート」問題にいたっては、もうなにおかいわんや!である。

 「精神的自由の思想を子どもたちの暮らしのなかに」

と、訴えられた提起者の最初の「言葉」の持つ意味は、はかりしれないほどの大きなものを感じた。また、同様に「国家は宗教をどう取り扱うとしているのか」という指摘にも・・・・・、真剣に考えなければならないものを感じさせられた。(日の丸・君が代おしつけ反対を主張し続けていただけに・・・・)この2点の提起を一層深めてほしいと感じた。

・ 資料のひとこまより・・・、宗教の語義。

宗教はもともと仏教を意味した。「宗と教」あるいは「宗の教」というように「宗」と「教」はそれぞれ独立していた。 ・ 仏典訳語に際し、「仏教の教えによって到達する最高の境地」を指す言葉。

・ 明治の近代化に際し、「Re l i g ion 」の訳語として「宗教」があてられた。(類概念)

・ もっともっと、時間を必要とした学習会であった。いずれの時も同様であるが、それだけに、この教育基本法学習会は、まだまだ入り口であることを意味している。

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