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教育基本法・学習会・・・・23            2004・9・10.

                    
               土野 友人


  「教育基本法と私」左京ネット学習会にて、

教育基本法について、短時間ではあるが、語る機会があった。アテネ・オリンピックがテレビ・ニュースを独占しかねないムードや、プロ野球界でのストライキも関心が高いニユースではないかと思われるが、そんな状況の中で「オリンピックと教育基本法」とか、「プロ野球と教育基本法」など、関心を呼びそうなネイミングも考えられるが・・・・、また、一般的には、「子どもと教育基本法」とか「私たちと教育基本法」というタイトルなども既に語られている普通のタイトルでもアル。これから教育運動をという「スタート集会」ということもあり、それぞれ個人ひとり一人がエネルギーを持ってという願いも込めて、(また、研究者でもない者が、子どもから離れて久しい者が、教育基本法なるものを論じることも、いかがなものかとも思い)「私」個人のことを発言することにした。

・学童疎開、小学校での「墨塗り教科書」体験世代の「私」は、中・高と「新教育」で育てられた。学生時代も4単位の憲法学習が必須であった。新採の時も、「憲法・教育基本法にもとずき、教育に専念する」旨の宣誓をした。勤評・学テを経て、教科書裁判支援などと、常に教育基本法を中心に考えざるをえない学校教育現場であった。退職して9年目を歩みながらも今日、「教育基本法・連続学習会」の取り組みである。このことを、どう考えるか・・・・

・一学級六〇名近いクラスの中で、自宅に電話のある生徒は一〜二名であった。(呼)という記入欄をつくっても、クラスの電話連絡網がつくれる状況ではなかった。それが、今日、個々人の「ケイタイ」である。「テレビとうま」という文学教材があった。あるこどもの家にテレビがあって、見せてもらうために、その子どもの「うま」にされている。その姿を見た父親が酒もタバコもやめ生活をきりつめて、テレビを購入した。すると、今度は我が子がテレビのない子を「うま」にしている。その姿を見た父親は、はげしくしかった。そんな内容であったように思う。・・・・「テレビのない家庭」どころか、洗濯機・冷蔵庫しかりである。マイカーしかりである。

・社会生活環境は大きく変化した。だから、教育基本法も変えても良いと言うことにはならない! 「愛国心」「心のノート」のようなことで、今日の教育課題に応えられるものではない! 「つくる会」の歴史教科書までが教育行政の手で採択され、子どもと教師に押しつけられて来ている情勢でもある。 教育基本法の理念が「管理と競争」という教育行政の手で大きくゆがめられつつある。 憲法九条でさえ、自衛隊の存在どころか「イラクへの派兵」が強行されている。 学校が教育の論理ではなくて、企業の論理で「民営化」され「公教育」のあり方までが問われている。・・・・

 すべての子どもにゆきとどいた教育を保障するという、平和教育を大切に、教育実践の自由、子どもたちのための学校づくり、その運動と実践そのものが教育基本法の理念を生かすことである。まさに、今日の「スタート集会」そのものが、教育基本法を生かす取り組みそのもであると。  
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